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御曹司とご令嬢  作者: 喜多彌耶子
ご令嬢の恋
9/15

4:愛になる日を夢みてる


正直、自分でも何をやっているのかしらと思う。

キッチンに向かい、鍋の様子を眺めつつ、つい、首を傾げてしまう。

抜けてるつもりはないのだけれど、どうにも、この部屋にいるときの私は、普段よりもすこし、ずれてしまっているようだ。

うん、きっとこの部屋にいるときだけだと思う。――思いたい。




――あのあと、しばし沈黙が落ちた。


重苦しい、とまではいわないけれど、どこか居心地の悪い沈黙のなか、不意にくぅとお腹ががなった。

彼には聞こえないほどの小さな音だったからよかったものの、と、思い返しても顔が赤くなりそうだ。

なんとかその羞恥を隠し、微笑んでいたものの――内心、どうやら私も慌てていたらしい。


――気がつけば、彼に食事を薦めていた。


まちがいなく、私はあのとき、焦っていた。かなり、内心パニックだった。

――外からみれば、そんなこと、わからない程度だったとは、思うのだけれど。


外側は、完全なる「高階のご令嬢モード」(と、双子がよくからかうのだ)であっただけに。


培われたお嬢様スキル(と、表現するのだと教わった)というものは、侮れない。

身につけた社交手段は、こういうときにも効力を発揮するのね、と、しみじみしてしまう。


しかし、と、準備途中の料理を眺める。


鍋の中では肉じゃがが、美味しそうに煮えている。いい色合いでふわり漂う香りもたまらない。

それに、青菜のおひたし。鰹節としょうゆをかけていただく、シンプルなもの。

それと、ブロッコリーのマヨネーズ炒め。実は簡単で、お気に入りだったりする。

さらには、竹輪ときゅうりの酢の物。

お汁は、豆腐と若布のお味噌汁。


見事に、初心者の料理まるだしで、シンプルと言えば聞こえはいいけれど、というような献立だ。


――これ、お出ししてもいいものなのかしら。


いまさらながら、悩んでしまう。


まさか彼も、私に料亭並の腕前は期待していないだろう。――していないと、思いたい。

お友達の某家のご令嬢は、とても素晴らしい腕前でいらっしゃると聞いているけれど、まさかその方と比べたりは――ない、と、思いたい。


どうしたものか、と思案してしまうけれど、ご招待したのはこちらの方。

いまさらやはりお出しできません、というのも、失礼であろうし、またなんとなくそれは悔しい。


それに、これらの料理は、お店の小母様に教わったり、本を調べたりして覚えたものだ。

――下手でも、いまいちでも、私にとっては大事な献立。


これで良いことにしよう、と、ひとつうなずいて、仕上げをすませる。


双子が食べることもあるから、かろうじて食器はある。丁寧に、見栄えよくとはいかなくとも見苦しくないように盛り付けを済ませて。


ダイニングに戻れば、どこかぼんやりとしている風な――今思えば、その状態は彼にとってとても珍しいものだったのだけれど――静かに声をかけた。



「――あの、料理、できました、よ」


はっとしたように振り返って、すぐに取り繕うかのように頷いたのをどこか不思議な思いでみながら、料理を並べていく。


「ああ、ありがとう――大変だったでしょう」


かけられた声に、とにかく、と、緊張をごまかすように、微笑んでみせるのが精一杯だった。


「いえ、楽しかったです。えっと、たいした物では、ないですけれど――」


じっと料理を凝視されるのが、なんとも居心地が悪くて、手が震えそうになる。

ご不満かしら。――ご不満、よねぇ。でも、これしか用意できないし。

羞恥で顔があからみそうになるのを必死でおさえながら、ゆっくりとこぼさないように並べていく。


やがて静かにはじまった食事は、静かだった。かわす言葉もなく、交わす視線もなく。静かに、沈黙の中で食事は進む。

――けれど、それは苦痛でもなんでもなくて。なぜだかほのかに心が暖かくなるような、そんな不思議な感覚を齎されて。その、ありえない感覚に、どこか落ち着かない気持ちにさせられたものだった。


味に関しては――まぁ、なにも言わずに食べてくれたのだから、まずくはなかったのだと、思いたい。



食後、片づけを終えて、お茶を淹れる。


不思議なほど穏やかな空気の中に、ふわり、と、茶の香が漂う。


その静かな沈黙の中、口を開いたのは彼だった。


事務的に繰り出される今後のことを、ただ静かに聞く。私に求められるのは従順であること、そして妻としての範囲で聡明であること。

解りきっていたことなのに、言葉をきき質問をし、静かに繰り返される会話の中で、次第に心のどこかがシンと冷えてゆく。


――食事のときの、ほのかに感じた温もりが、全てきえていってしまうようで。

――あの温もりは、全て錯覚だったのかもしれない、と、思えてしまって。


解っていたことなのに、この状態が普通で正解であるはずなのに、どこかで哀しいと思う自分がある。


私は彼の妻になる、けれど、それは、「西宮寺」の「嫁」になるということにすぎないのに。


――どこかで、未だに夢をみていた。


政略であろうと、なんであろうと。愛し愛される夫婦になる、という、夢を。

お互いを尊重し、穏やかに微笑みあい、どんな形であれ愛を育んでいく、という、そんな夢を。


それが夢に過ぎないと解っていたはずなのに――諦めていたはず、なのに、あの、食事の時のささやかな温もりは、私にその夢を思いださせたから。


哀しい、と。思ってしまう私が愚かなのだとわかっているつもりだけれど。

――それでも、どこか哀しくて。


取り繕えてた、と、思うけれども。

胸の奥が、少しだけ痛むのは、止められなかった。


結納までは、このままでかまわないと。ただし周囲にばれないようにと、告げられた言葉は優しさからなのだろうけれど。

思ったよりも心が弾まなかったのは――何故なのだろう。


ありがとうございます、と、告げた言葉が、不自然でなければいいと、ただ、そう願った。




一息ついてゆっくりとお茶を飲む。

コーヒーも好きだけれど、この部屋では緑茶を好んで飲んでいる。


珈琲の方がよかったかしら、と思いながら伺えば、穏やかに茶の香を楽しむ姿があって。

僅かにではあったけれども、目じりが緩めている彼の姿が、なんだか不思議で。


今までのきびきびとした姿とのギャップに、小さく笑みが零れた。


それに気づかれて。


驚いたようにこちらを見る彼に、思わず目を丸め――そして微笑んだ。


「いえ、失礼しました――緑茶が、本当にお好きなんだな、と、思いまして」


取り繕うような言葉に、彼は、どこか拗ねたような風情にも見えなくもないようすで。


「ええ、好きですよ、悪いですか」


そう、どこかぶっきらぼうに、告げていて。


そのギャップが。なんだか、楽しくて――不思議で。


「――いいえ、私も、好きです」


小さく微笑みながら、私はそう、返していた。




するりと漏れた言葉の、その本当の意味に、私は気づかないまま。


――こうして、彼との関係は改めて始まった。


けれど、それはすでにゴールへと一直線のはじまりであったから。


これから、忙しくなるのだと心を引き締めながら――どこかで切なく思っていた。



結婚という、ゴールという名のスタートを目の前に。


――それでも、私は、諦めたつもりでありながらも、心の奥底で、この結婚が「愛」になる日を、夢見ていた。





――それが実はかなっていたのだと知るのは、まだ少し先のことになるのだけれど。




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