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御曹司とご令嬢  作者: 喜多彌耶子
ご令嬢の恋
8/15

3:心の自由を奪うもの


狭い、アパート。

ひとり暮らしには充分であるのだと、理解した今ではそうでもないのだけれど、最初は驚いた記憶がある。

自室より当然狭い。別邸の私室よりも狭い。その中に、部屋と台所に、お風呂までついているのだから。

1DK、という。ダイニングと、キッチン、そして部屋がひとつ。ごく当たり前の間取り。

それが当たり前じゃない世界で生きてきた私は――やはり、どこか特殊な育ちなのだと、痛感したものだった。


そんな部屋に、私の空間に、この前の見合い相手である、彼が、いる。

違和感、なんてものじゃない。似合わないこと、この上ない。


――西宮寺の跡取りたる、知る人ぞ知る、といわれる男の人が、どこか窮屈そうに、それこそ「いちきゅっぱ」でかえるようなラグの上に腰を下ろしている。


右へ左へ、上へ下へ。気を付けては居るようだけれど、彼の視線はあちらへこちらへと彷徨っていて。


――ものめずらしい、ん、だろうなー。


自分にも覚えのある感情だけに、少しだけおかしくって。


もしかすると、高階の娘たる私には似つかわしくない部屋、とか、思われてるかもしれないけれど。



――でも、似つかわしくないっていう、意味では。

――彼よりは、マシかも。


庶民的アパートと、チープな家具に、いわゆる超がつくような、御曹司という取り合わせ。なんとなく、違和感。そして――ちょっと面白い感じ。


見えない所でこほん、と小さく咳払いをして、浮かびそうになる笑いを、そっとかみ殺した。


「……粗茶ですが」


これは文字通りで、謙遜ではなかったりする。

お茶の葉があれほど安いものだとは思わなかった――スーパーという所は、本当に凄い。個人的には、スーパーよりも商店街の量り売りのお茶やさんの小母様が、優しくて好きだけれど。


それでも、ちゃんといれればそれなりに美味しいのだ。お茶だけは、作法の一環で身についているため、自信はある。


彼の落ち着かない様子をちらりと伺う。

彷徨っていた視線がゆっくりと私へと向かう。一瞬固まりそうになるけれど、意識してゆるりとローテーブルを挟んだ向かい側へと腰を下ろした。


「……ありがとう」


「いえ」



低い声。男性の声。

それ以上会話が続かなくて、困ってしまう。

彼は一体、どうしてここにきたのか。気づいたのなら、それが問題なのならば黙って破談することもできたはず。

破談までいかなくとも、親へと進言なり確認なり、することもできた、はず。


――それをせずに、ここにいる、理由。


こちらをじっと見詰める視線に居たたまれなくて、なんとなく視線を彷徨わせる。


何をいうのだろう、どうしたいのだろう。

不安に揺れる心を宥めていると、目の前の彼が深く溜息をついた。


びくり、と。

無意識に体が反応した。

怖いわけじゃない、けれど。

気まずくて。心もとなくて。


――身内以外の男性と、こんな密室(?)で、二人きりなんて、初めてだった、から。


それを怯えととったのか、目の前の彼が、不意に表情を緩めた。

ふ、と、浮かぶ笑み。元々美形な方であるのもあいまって、それは見事な、笑顔。


――双子並の破壊力かもしれません……。


お世話になっている双子の笑顔がちらりと脳裏に浮かぶ。

内心そう思いながらも、そんな笑顔をみせられてもどうしていいやらと、困ってしまう。

しかし、空気が緩んだことは確かで、気づかれないようにほっと息をつく。


目の前の彼は、ごまかすように咳払いをして。


――そして、口を、開いた。


「何故――こんなところに?」



何故、と、問われて。

明確な答えなんて、本当はもっていなかった。


体が僅かに震える。


ただ、普通の生活がしたかっただけ。

普通の生活がみたかっただけ。


ままごとのような箱庭の生活。


――まるで児戯のような、行動。


高階の両親には知られたくない、知られた所で解って貰えるはずのない、感情と行動。


内密にしてほしい、と、前置きして、語りだした話を、彼は、静かに聞いてくれた。


――ただ、静かに、聴いてくれた。




解って貰える、とは、思わない。

これは私の、最後のわがまま。

娘でいられる時代の、最後の、わがまま。




不安のまま語り続けて――そして。


「自らの立場を考えた場合、この行動があまりほめられたものではない、というのは、理解しているつもりです。ですけれど――何も知らないまま、何もわからないまま、そう、そのわからないという事実すらも知らないまま生きていくことは、私には、できませんでした。……わがままと、百も承知しています。ですけれど――この生活も、この小さな空間とその周囲と関わる生活も、全く今までと違って、見えてくるものも全く違って――いとおしいのです」


そう。

この生活の全てが、関わるすべてが、愛しくて。

だから、だから私は――小さな箱庭の生活を、欺瞞に満ちた嘘の生活を、続けている。

「高階の娘」ではなく「恵美」として生きられる、この場所で。


思い浮かぶのは、商店街の人々の顔。通りすがりに声をかけてくれる小学生。近所の小母様方。

笑いながら、からかいながら、時には叱りながら――関わった彼らとの時間が、愛しくて。


浮かんだ笑みは、とても、とても幸せなものだった。



じっと、見詰める視線。

熱い視線。――その熱を感じて、僅かに頬に朱がのぼる。


つい、語りすぎてしまった。つい、力が入ってしまった。


無言のままこちらを見詰める彼の視線に、どこかどぎまぎとしながら、呆れられてしまったのではないかと、おそるおそる声をかける。


はっとしたような表情をみせた彼は、そのまま、静かに笑みを浮かべた。――先ほどまで感じていた熱を、すべて消し去った、冷たい瞳で。


「そう、でしたか。では、高階のご両親にも内密のことなのですね。――それで、今後はどうされる、おつもりですか?」


どう、するのか。


どきり、と、心臓が跳ねる。

上げた視線の先、冷たく冷静な彼の視線と絡みあう。


これから。


彼の婚約者となり――西宮寺の嫁となる。それまでの、間。

許されるだろうか。許されるのだろうか。


――あと僅かの、猶予、だけでも。



「これから――貴方は、私の婚約者ということになる。そして、恐らくそのまま結婚ということになるでしょう。それが『決められたことである』のは、何よりもあなた自身が、理解なさっているはずです。――私が『西宮寺』の後継たる息子であるのと同じく、貴方は『高階』のご令嬢であるのですから」



私は。

そう、私は、高階の娘。


――ただの「恵美」でいられる時間は、もうおわりをつげているのかもしれない。


すっと、心にベールが降りる。一枚の幕、それは「高階」という、受け継がれてきた血縁の壁。

ひとつ、息を飲み、瞼を閉じる。「恵美」は、終わる。――私は、高階の、娘。


ゆっくりと瞼を開き、微笑みを浮かべる。――高階の、ご令嬢と呼ばれるものの、笑みを。


「解っております。私は、『高階』を支えるもの。そして、これから先は、貴方を支えるものとなるでしょう。ですから、今だけ――今しばらくだけで、結構です。もう少ししてはっきりとお話が纏まりましたら、この部屋もすべて引き上げます。――よろしいでしょうか?」


そう。

ままごとの時間は、終わりを告げる。

お遊びは、もう、終わりの時間なのだ。

寂しいと、哀しいと。私を、高階ではなく恵美である私をみて欲しいと、心の奥底で小さな子供が泣き叫ぶ。

それをぎゅっと押し込めて――静かに微笑んだ。ただ、静かに、微笑んだ。


――自由な時間は、おわりを告げる。


心の自由を奪うもの――それは、残酷な間での現実、だった。


「解りました。――それで貴方が満足なさるなら、いいのではないでしょうか」


胸が痛む。


――結局、この婚姻は、政略でしか、ないのか、と。


諦めていたけれど、わかっていたけれど――僅かに夢見たそれが、壊れた気がして。


けれど。

その全てを押し殺して、私は微笑んだ。



――「高階のご令嬢」、と、そう呼ばれるプライドにかけて。






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