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御曹司とご令嬢  作者: 喜多彌耶子
ご令嬢の恋
7/15

2:不意に、胸を疼かせた

見合いの席での、お約束ともいうべきもの。

それは「若いお二人で」という、フレーズ。

本当にあるものなのなんだな、と、どこか感慨深く思いながらも、エスコートするかの男性に連れられるまま、美しく設えられた庭園へと二人向かう。


前を歩くその人の後ろから、背中をみるともなく眺めながら、どこかぼんやりと思考はあちこちをさまよって、いて。

ちらりと庭園の奥に見えた木々の中に、柑橘系らしき木があった気がして、オレンジでなにかお菓子を作ってみたいな、とか。

ここ最近家事になれて、多少ならば簡単なお菓子を作れるようになったこともあって、そんなことばかり、考えて、いた。


先にすすむ背中は、足早ではないけれど、男性らしい歩幅で。

追いつけないわけではないけれど、おいていかれない程度の速さで、ゆっくりと後に従う。

着物姿である今は、そんなに早くは歩けない。後ろに従うのは当然のたしなみ、完全に遅れなければいいだろうと、しずしずとほをすすめる。


ゆっくりと、思考を巡らせながら時折景色を眺め、そしてふと、側に池があるのに気づいた。


庭園に設えられた池は、見事な造形で飾られ、それだけでも一見の価値はあったけれど――私の目にとまったのは、そこに泳ぐ見事な鯉、だった。


美しい錦の模様をもつ鯉たちは、きっと丁寧に手をかけられて世話をされているのだろう、日の光に時折反射して、つやつやと美しく輝いて、いて。


美しいな、と、見とれると同時に、ふっと先日、新たに知り合った人達との会話が頭を過ぎる。


――鯉こく。鯉の刺身。


思い浮かんだそれらに、思わず笑みがこぼれそうになるが、それはすんでの所でとどまった。


ふっと視線を上げた先、どうやら私が池で立ち止まってしまったせいで距離があいてしまったのか、彼がこちらに歩み寄り立ち止まった所で。

かちり、と、視線があって。


「……あ」


思わず声が漏れる。そして、待たせてしまったことやちょうどそのとき考えて居たことを想うと、頬にうっすらと朱がのぼる。


「し、失礼しました。つい、見入ってしまって……」


慌てて詫びれば、彼はうっすらと笑みを――まちがいなく、作られたそれではあったけれど浮かべて。


「いえ、お気になさらず……鯉が、お好きですか?」


そう、問われて。

思わずぽろりと、言葉が零れた。


「……美味しいの、かしら」


錦鯉は食べれるのだろうか? 魚屋の小父様に聞いてみなければ、と、つい状況を忘れて、そんなことを考えてしまう。


「……え?」


問いかえされて、我にかえる。

内心、あまりにらしくない失態に強い焦りを覚えながらも、はっきりとは聞こえていなかったであろう様子に、笑みと共に首を振る。


「いえ、なんでもありません。失礼しました」


――まさか、鯉が美味しいのか考えていました、などと、いえるはずもなく。


考えてしまっていた内容のあまりのはしたなさが恥ずかしく、そしてそう考えた自分がおかしくて、ごく自然に笑みが浮かんでいたのだった。




無事お見合いを終えて、あとは順調に結納やなにやらと、両親が張り切って整える中で。

私はまた、日常に戻っていった。

大学へ通い、家でお稽古をし――あの部屋で過ごす。


お見合いが成功に――まず失敗などはありえないことだけれど――おわり、やがて結婚となるならば、この小さな部屋で過ごす時間もなくなるのか、と、そう想うと、どこか感慨深いものがあり。

本当に――そう、本当に、ささやかなおままごとのような、生活の真似事ではあったけれど、これはこれで私にとって大事な経験だったのだ、と、あとあまり長くはない残り時間を楽しく過ごそうと、ひとり、小さく微笑む。


そうだ、見合いの時にみた錦鯉。

魚屋の小父様に、話してみよう。


思い立てば足取り軽く、ひとり部屋から出る。


アパートの近くに止めてある車に視線をむければ、事情をしっていてサポートしてくれる護衛の堺さんが、うっすらと微笑んで頷いたので、会釈を返す。

私が出歩く間、目立たぬように、しかししっかりと警護してくれるかの人の存在は、とても貴重でありがたい。


片手にマイバックを持ち、財布を手に、すぐ近くにある商店街へと足をすすめる。


夕暮れの商店街。


忙しそうに行きかう人に、帰宅途中に買い食いをしている学生服の生徒たち。

道端で語り合う女性達に、ずっと向こうのお店の前では、将棋をしているお年寄りの姿も見える。


紅に染まる夕暮れの街。

あちこちから聞こえる、賑やかな声。


立ち止まり眺めるその景色は、とても暖かくて――幸せで。

嬉しくなって弾む足取りで、いつも通っている八百屋さんと魚屋さんに向かう。


錦鯉の話をして笑われて――通い始めた当初、私があまりに無知だったことから逆に面白がられてる節がある――お勧めのぶりをかって。

八百屋さんでは、大根を。ぶりだいこんの作り方を教わって、メモをとって。


幸せな、幸せな時間。――いとおしい、時間。


ここにいる間、私は「高階の娘」ではなく、ただの「恵美」で、いられるのだ。


この街が、この空間が、私は大好きだった。――笑顔でいられる、ここが、大好きだった。



その日も、いつものように双子とともに外出というかたちで出かけ、一緒に買い物をして。

用事があるからと出かける二人をわかれて、小さな部屋に戻った。


空気を入れ替え、買ってきたものを台所に並べて。


よし、と、ひとり気合をいれる。


今日は、肉じゃが。本の通りに作るレシピは、だいぶうまくなったと想う。

家で肉じゃががでないわけじゃない、けれど、料理長の作る料理は、どこか上品で薄味だ。


豚肉と、ジャガイモと。人参に、しらたき。


皮をむいて、きって。炒めて、煮込んで。

ふわりと漂うしょうゆの香りに幸せを感じながら、ご飯を炊いて。わかめと豆腐でお味噌汁。

甘い肉じゃがだから、きゅうりとちくわで酢の物も作ろう。


この家にきて覚えた料理は、本に乗っているものや、お店の小母様やお店で一緒になった奥様方から教えてもらったもの。


所謂家庭料理であり、素朴なものが多い。


ものすごく美味しい、っていう料理ではないけれど。

うまくえいないけれど、作るという作業は、なにもかもを忘れて楽しめる、私の趣味になりつつあって。


楽しく料理を続け、煮込む間、ふいに浮かんだ面影があった。


――え。


まさか、と、自分で否定する。

そんなわけがない。そんなはずはない。

そんな――……!


強く首を振って、気持ちを切り替える。


時間があいたし、と、自分に言い訳しつつ、どこか熱をmおった頬を冷ますため、外の景色でもみようと、想った。


――もしかすると、なにか予感があったのかもしれない。


開いた窓から、顔を出し、空を眺める。

そして、ふと、視線を下にずらした、時。


「――あ」


少し間の抜けた声が出てしまう。

その声に気づいてなのか――偶然なのか。

かちり、と、視線がかみ合った。


不意に、胸が疼く。


先ほど浮かんだ面影の主が、そこに、窓の下に、すらりとしたその肢体をさらして、たっていた。



沸きあがる不安と、心細さ。焦り。そして――掴みきれない「なにか」。


どうして、ここに? どうしてここにいるんだろう。


ばれてしまった。

見つかってしまった。


どうしよう。どうなるのだろう。


向けられたままの視線に、心拍数があがった気がした。


頬が熱い。距離があるから、気づかれないといい。




うかんだ微笑みは、果たしてどんなものだった、だろうか。






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