1:甘いかおり、苦い味
たとえば。
物語に出てくる、女子高校生の。
放課後に、友達同士で町に出かけて、クレープを食べながら歩く、とか。
クリスマスに、友達と、「ささやかな」集まりを開く、とか。
友達同士で泊まりあって、夜に恋の話をする、だとか。
クラスメイトの男の子に、淡い恋心を抱いて、どきどきする、とか。
素敵な男の子に、バレンタインデーにチョコレートを用意するために、一生懸命手作りする、とか。
そんな行動に、憧れた、高校時代。
私の生活は、いつも誰かが側に従っていて、街をそぞろ歩きなんてめったに出来なかったし、ましてや食べながら歩きたいなどといおう物ならば、眉をしかめられるような、そんな環境で。
クリスマスは、家かもしくはどちらかのパーティーに招かれるから、友達同士で「ささやかに」なんて、夢また夢で。
友達同士でのお泊りも、不可能ではないのだけれど、同じ部屋にではなく、きちんと整えられた客室がそれぞれおありだから、そちらに泊まらせていただくことになるから、一緒の部屋ということはなくって。
チョコレートどころか、厨房にお邪魔することは、そこで働く方々の邪魔になってしまうから、不可能で。
だから、ずっと、物語の中や、ドラマの中の彼女達の、そのキラキラと輝くような世界に、あこがれて居た。
私の普通とは違う、その、キラキラの世界に。
ところが。
大学に入って、その私が憧れた全てが、みなの「普通」で「当たり前」なのだと。
私の生活の方が、少数派なのだと。
そう知ったとき、私の中に小さな欲が芽生えた。
少しだけ。
少しだけでいいから、「普通」を、体験してみたい。
あの、キラキラした世界で、生活をしてみたい。
そんな、小さな、欲が。
生まれて、20年と少し。
私にとっては「当たり前」な、世間からみれば「当たり前じゃない」環境で生まれ育って。
与えられるものはとてもよい物で、周りにも恵まれていて。
望むものなどなにもなくて。
ただ、ただ。
「高階」の「娘」として。
そう生きていくことに、なんの疑問も不安もなかった私の。
たった一つ、もしかしたら初めて、心から強く望んだかもしれない、望み。
――少しだけ。
どうか、少しだけ、「普通」を体験させてください。
わがままで、贅沢で――とっても、小さくて愚かなそんな夢。
自分が恵まれていることは、ずっと理解はしていた。
高階。その家に生まれたことで、私は、恐らく世間より水準の高い生活をしているのだと、それは理解していた。
けれど――幼いころから、名門といわれる規律の厳しい女子学園に、それこそ幼稚舎から通った私は、文字通り「箱入り娘」として育った。
送迎は、当然家の車で。学友とあうのは、各家で開かれるサロンや、パーティで。
お出かけは家のものとともに、買い物もお店の方が来てくださることが多くて。
家には、使用人の方達が、それぞれの仕事を分担しながらたくさんいて。
それが、私の普通で、それが私の当たり前。
大きくなったら何になる? なんて、子供が語る夢も。
「素敵な方の所へお嫁にいくこと」なんて、今思えば時代錯誤と理解できる言葉がでてくるような。
そんな環境で、私は育った。
回りにいるのも、似たような境遇――家格や財力に差はありはしたけれど――の子達で。
お嫁さんに行くのが当たり前、の、グループと。そうでない子たちは、確かに別れていたのだけれど。
私のすすむ道は。レールは、まっすぐに私の目の前に、生まれたときからひかれていた。
それは。
たとえ時代錯誤であろうとも、子の幸せを願う親のひとつの愛の形であり。
そして、自由を選ぶよりも安全に自分を守ることのできる、鳥かごでも、あって。
もしも、私がもっとアクティブで、もっと気概のあるタイプだったならば、道はまた違っていたかもしれない。
兄の補佐となることも、もしかしたらありえたかもしれない、未来。
けれど、私には、それは向かなかった。
元来の性格――どこかのんびりとしたその性格――は、高階の最前線に立つには、少しばかり難しすぎた。
道は、決まっていた。
大学を出れば、すぐに結婚になるだろう。
候補は数名いて。恐らく、大学半ばのころには、相手が決まることだろう。
だから、私は。
大きく冒険することなんて、できなくて。
小さな小さな冒険を、することになる。
従兄弟のお兄様と、叔母さまの力を借りて。
小さな小さな部屋で。
小さな小さな――「普通の生活」を、少しだけ、おくることにしたのだ。
大学1年の、ことだった。
小さな普通の生活は、最初は波乱万丈だった。
台所になんて立ったことのない、掃除なんてしたことのない、そんな生活。
自分では普通にできていると思っていたにもかかわらず、それが、人の手を借りての普通だったのだと、わかっていたつもりでもわかっていなかったことに、たくさん気づかされた。
――洋服は出せば綺麗になる、わけではない。
――洗濯機は、どの服でもかけていいわけじゃない。
――掃除機をかけないと床はざらざらしてくる。
――棚の上をふかないとほこりが積もる。
最初のころの自分を思うと、とんでもない状態だったのだと、笑いが零れてしまう。
お嬢様といわれて、傅かれて、ご令嬢だともてはやされ、微笑んで生きていた自分。
けれど、どうだろう。これほどまでに幼く、愚かで、無知だったなんて。
両親は私を、一体どうしたかったのか。
「高階の娘」はただ綺麗に着飾り、微笑み、そうしていればいいだけのお人形でよかったんだろうか。
哀しい、と、思う。
時代錯誤だと、今なら思える。
それが、よかったことなのかどうなのか、私にはわからない。
高階の令嬢として、政略の駒として、いきていくならば、この知識はもしかしたら害なのかもしれない。
けれど。
私は「生きた」かった。
私は、知りたかった。
後悔はしていない。そして――道に抗うつもりもない。
ふわふわと漂うように、流されるように――けれど、私が私でいることをやめないで済むように。
一年を立つころには、それなりに小さな家での時間は、有意義に、平和に流れるようになっていた。
双子達とともにあれば警護が緩むのを利用し、少ない警護の人間をこちら側へ取り込んで。
そっと訪れる、日に数時間、多くても休日の朝から夜までの、短い時間。
たったそれだけの時間でも、私にとっては大事な時間だった。
ままごとのようだ、と、思わないわけではなかったけれど。
私が私であり、高階の娘ではなく、ただの「恵美」としていきていける、唯一の時間だった。
――けれどそれも、おわりが近いと知ったのは、一年が立った大学の2年の時だった。
「西宮寺の後継者との婚約」
これが私に与えられた進路。
これが私に与えられた生きる道。
選び取ったものではないけれど、それでも、後悔はしたくない。
ふわりと、作った笑みで受け入れれば、それはすぐに数日後の見合いの席へとうつっていったのだった。
お見合いの相手と紹介されたその人は、かなり優れた容姿の持ち主だった。
その上後継者であり――その能力もすでに周囲に認められているものである、というのを、兄から聞いたこともあった。
これが、私の夫となる人。
とうとうと語られる仲人の方のお話や、両親の言葉を聞くともなく聞きながら、問われればうすらと笑って頷きつつ。
相手を見詰めるけれど――特になんの感慨も浮かばなくて。
こういうものなのかしら、と。
ただ、そう思っただけだった。
――そのとき、は。
準備された紅茶からは、ふわりと甘い香りが漂っていて。
しかし、どこか苦く感じてしまったのは――何故なんだろう。




