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御曹司とご令嬢  作者: 喜多彌耶子
そして二人の恋物語
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4:薬指にくちづけを

心臓が早鐘を打つ、って、こんな状態をいうんだな、と、どこか張り詰めたような空気の中、心の奥で冷静な私が、どこかのんびりと、そう考えてた。

そんなこと、思っていられるような状態じゃない、って、いうのに。



顔が熱い。彼の指先が触れた唇が、熱い。


唇を触れた指先は、硬かった。男性の手に触れられることなんて、父親に頭を撫でられた小さな頃しか覚えがない。それも、ほんの数度のことで。

従兄弟たちだって、うかつに私に触れることはなかった。手をつなぐことがなかったわけではないけれど、それも、もうここ数年は全くない。

それは、私が、高階の娘だから。極端に男性から離れて育ち、触れ合うことなんか人よりもより一層なかった。


それに双子の従兄弟は、どちらかといえば線が細い系統だから、彼とは全くタイプが違う。


だから、免疫がないから、こんなふうになってるんだ、と。


告げられた言葉が、あまりに衝撃で、逃避するように考えてしまう。



――妻に、なる。


それは、すでに定められたこと。

古色蒼然とした取り決めであっても、特に抗おうと考えてはお互いにいないのだから、改めて告げられなくとも、断ることなどありえないのに。


なのに、彼は今、私に、妻になってほしいと、言葉を告げてくる。


それがどんな意味を持つのか、はかりきれなくて、ただ戸惑いのまま彼を見上げる。


期待が、ないわけじゃない。

でも、それを否定してしまうのは、おそらく、今まで見に染み付いてきたこの、高階の娘としての扱いが深く根付いているから。


それでも。

――それでも。


見上げた目に、もしかしたら浅ましい期待の色が浮かんでしまったかもしれない。


私は、それを願っていた。


私は、ただひたすらに、本当は、求めていた。


私を。

高階の娘ではなく、私を求めてくれる人に、出会えること、を。


たとえそれが、枠にはまった世界でいきていては不可能だと、理解はしていても。



「ど、ういう、意味、でしょうか。お断りすることなどありえないことですし、もう、日取りも決まっておりますのに」


それでも、臆病な私は。

仮面をかぶろうと必死になる。作り上げた、高階の娘としての、仮面を、微笑みを、浮かべようと、した。


――赤くなった顔も、おそらく羞恥に涙目になっているのも、隠せはしないのだけれど。


それをみた彼は、一瞬、苛立ったような表情を見せて、それから、困ったように眉を下げた。


思わず驚く。


そんな表情を、するなんて。


まるで、普通の男の人みたいに。



ぱちん、と、思考がはじけた。


普通の、男の人、だなんて。


当たり前のことを、どうして私は、忘れていたのだろう。


西宮寺の御令息だとか、御曹司だとか、それは、外側に過ぎないに決まっている。

彼だって、普通の男性であり、ひとりの、人間なのだ。


自分のそれを見て欲しいと願っておきながら、私は、気がつけば、どうやら、自分と相手とを全く別の領域で考えてしまっていたらしい。


――そうだ、彼は、御曹司、という存在じゃない。


ひとりの、男性なのだ、と。


そう思えば、なおのこと、この距離がどうしようもなく恥ずかしい気がして、先ほどの驚きから剥がれた仮面を取り繕う余裕もなく、思わず身じろいだ。


その身じろぐ私を、そっと彼の手が触れる。

強い力ではなく、触れるように、宥めるように触れたその手に、優しさを感じて。


「――そうではなく。俺の、妻になって欲しい。西宮寺の夫人ではなく、俺の、妻に」


その言葉が、夢ではないのか、と。


揺らぐ視線を彼に当てれば、どこかたれたような困ったような顔のまま、彼がそっと私の手をとった。

釣られるままに、引き寄せられた手に、視線がつられてうごく。

じっと私をみつめ、視線をそらすことなく、彼は、その手にそっと唇を当てた。


そこには、送られた婚約指輪。

選ぶことなく、価値がありふさわしいものという基準で選ばれ、送られた指輪。


言葉もなく見上げる私に、彼は静かに微笑む。


「指輪も、一緒に選び直そう。そうだ、まちなかを共に歩いてみるのもいい。公園に出かけるのもいい。映画を見に行くのも、海をみにいくのも、なんでもいいから、君と共に居たい。君と共に有りたい。――そして」


そこで言葉を切った彼は、一瞬、言いづらそうに視線を彷徨わせる。それがまるで、迷子の子供のようで、触れられた手をそっとずらして、握り返す。


それに気づいた彼が、驚いたような表情をしてそして――弾けるような笑顔を浮かべた。


「家族に、なりたい。君と、二人。そして、僕らの子供と。この部屋の中にあったような暖かな空気のある家庭を、君と築きたい。この立場にあっては、贅沢な思いだとはわかってる。けれど、だけど――欲しいと思ってしまったからには、もう、手放せない。どうか、イエスと言ってほしい。――俺の、妻に、なってください」


まっすぐに向けられる視線。つながれた手から、伝わる熱。

気がつけば、頬から涙がこぼれ落ちた。


求めるものは、ここにあった。

彼がくれるのか。いいえ、彼と共に作ってゆく。


涙に気づいて不安そうにこちらを伺う彼に、指先で涙を拭ってから、笑いかける。


「こちらこそ、よろこんで。――私、を、貴方の妻にして、ください」


言葉に、彼の表情が驚きから溶けるように笑顔に変わる。

手を握りしめたまま、彼は、深く息を吐きながらその場に、座り込んでしまった。


「だ、だいじょうぶですか」


驚いて一緒になって座り込めば、どこか、気が抜けたような顔で彼が笑う。


「よほど、緊張してたようだ。仕事でもここまで緊張したことはないよ」


その、力の抜けた笑顔が、眩しくて。

初めて見る彼の様々な表情が、噂や評判とは違う、彼自身の姿が、愛しくて。


もっともっと、彼を知りたい、と、思った。


共に生きていく、その長い道のりの中できっと、もっといろんな彼を知りそして、愛していくんだろうと。


脈打つ鼓動とは裏腹に、まるでないだ海のように染み渡る静かな心の内で、そう、感じていた。



これから、その思いのままに、すべてがうまくいくとは、限らない。

柵も枠組みも、すべてが、その思いをそのままに成し遂げることを、困難にするに違いない。


二人だけの婚姻ではない、先に婚姻があってのこの思いが、揺らぐこともあるかもしれない。


でも。

それでも。


今この時、この人とこうして、この思いを分け合えたことは、この上なく幸せなことのように思えて。


握った手を、はなさないですむように。


そう誓うようにぎゅっと握りしめた。



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