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御曹司とご令嬢  作者: 喜多彌耶子
そして二人の恋物語
11/15

1:指だけ、そっと


求めていたものは何だったのか。

本当に俺の心が求めていたものは、何だったのか。


たしかに今、彼女は俺の婚約者として、伴侶となるものとして並び立っているのに。

――なぜか、彼女が遠い気がする。


彼女が欲しかったはずなのに、彼女が隣に立つことを心からあの時、願ったと思っていたのに。


時折、彼女がそっと吐き出すようになったため息の回数に気づいてからずっと。


自分が欲しかったものがいったいなんなのか。


その答えを見つけられずに、奇妙な焦りの中に、取り残されているような気がしていた。




婚約者としてのお披露目も一段落が付けば、彼女に会う回数も自然と少なくなる。そもそも、結婚というものは男よりも女のほうが準備が大変であり、恋愛結婚であれば男女二人で色々を決めていくのであろうが、しがらみや今時笑える話ではあるが格式というものが関わってくる今回の結婚式において、主に仕切っているのは両方の母親であり、比較的自由が効く彼女がそれに伴われ、準備にかかっているはずであった。指輪などを最終的に選ぶときは共に行動することになるであろうが、式次第や招待客、料理などに関しては、完全に彼女たちに任せてある。それでいいのか、と、言われそうな話ではあるけれども、今回の結婚がただの男女の結びつきではない以上、いわゆる一般的なものになりようがなかった。


そもそも、仕事は待ってくれない。絶対に自分がいなければダメなどという状況になるような仕事や環境づくりはしていないが、それでも、こなすべき仕事は山とある。書類仕事のみならず対外的な仕事はやはり出張ることも多い。準備の経過などは秘書を通じて聞いていたが、気がつけば彼女と会わないまま、一ヶ月が過ぎていた。ふとした瞬間に、最後に彼女を見た日のことが思い浮かぶ。婚約披露を兼ねたパーティーで、パートナーとして連れ立った帰り道、ふと彼女が漏らしたため息が、なぜか心にひどく響いた。疲れたのかやがてうつらうつらと眠りにつく彼女をみながら、心に浮かぶ想いは、一体何だったのか。――ため息を漏らす彼女と、あの部屋でほほ笑んでいた彼女と。そして――部屋に行っていない、彼女と。浮かんでは消える取り留めのない想いに、そのまま流されそうで、一度頭を振って切り替える。そう、今は仕事だ。そう自分に言い聞かせて、目の前の書類に目を落とした。


だが。気がつけば彼女のことが頭に浮かぶ。あの部屋での彼女と暖かな空気、そして彼女の笑顔。――笑顔? そういえば、あの時以来、もしかせずとも自分は彼女の笑顔をみていないのではないか。いや、彼女はいつもうっすらと微笑みを浮かべてはいたけれど、あの時あの部屋でみた、ほころぶような笑顔は、あれ以来見ていないように思う。気にしすぎだろうか、と、思考を巡らせるが、どう考えても彼女は微笑んでいない。笑っていない。その上であのため息だ。――政略結婚、という時代錯誤なものは、やはり頭で理解していても今時の女性には強い抵抗があるものなのだろうか。彼女は言った。高階の娘として、西宮寺に嫁ぐ、と。それは確かに彼女自身が彼女の立場を理解している証でもあり、実際彼女自身その事自体を否定はしていない。が。理性と感情は別物、ということだろうか。導かれる答えは一つ。――彼女は、この結婚を望んではいない、という、こと。それが真実かどうかなど、わからない。そもそも政略結婚であればそうそう望まれるものではない、と、理解はしているが、それでも、あの時彼女と共にならばと思った気持ちは、確かに自分の中にあった。――そう、あの狭い部屋で共にあったあの時、確かに自分は、彼女を愛しいと思ったのではないか。なのに、彼女は微笑んでくれない。ため息をこぼす。――その原因は、結婚自体、なのか。


ぎり、と、手に力がこもる。許せない、と、思う。湧き上がる焦燥。なぜそう思うのか――そこを突き詰めれば答えが出るのだろうに、なぜかそうすることは不安に駆られ、避けてしまう。そして、ただ、彼女に会わなければ、と、ただそれだけを思うようになっていた。会わなければ。そして――どうするというのか。あとから思えば、この時の俺は冷静ではなかった。「らしくない」といってしまえばそれまでではあるが、確かにらしくなく経営者として仕事では致命的な決断力のなさ判断力のなさを露呈していた。仕事であれば、である。けれど――これは仕事ではない。理性の問題ではないのだ。揺れ動く感情のまま、秘書に時間を開けさせるように命じ、その日、夕方、彼女のスケジュールを調べると、彼女の大学へと向かったのだった。


何を求めているのか。何がしたいのか。その答えを見つけられぬまま、乗り付けた大学の門の前。三々五々門から出てくる女子大生の波のなか、彼女の姿を見つけて、車から降りる。――彼女はほほ笑んでいた。一瞬、妙に胸が脈打った。しかし、その笑みはどこか違和感を覚える。――ああそうか、「高階」の娘としての笑顔にどちらかといえば近い。一瞬あの部屋での穏やかな顔と同じものに見えて、自分のみていないところでは微笑んでいるのかと胸を強い感情がよぎったが、どうやらそうではないらしい。しかし、逆に考えると、つまり彼女の笑顔はいつも「ああ」なのだろうか。――ならば、あの時の、あの微笑みは、幻なのか。自分の見た夢だったとでも言うのか、と、埒のない思いに囚われているうちに、彼女の方がこちらに気づいて、一瞬驚いたように目を見張る。しかしすぐに微笑みを浮かべ、隣にいる友人らしき人達に声を掛けて、すこしばかり小走りでこちらに駆け寄ってきた。


その時の気持ちを、どう例えればいいだろうか。まっすぐにこちらに向かってくる彼女に、友人ではなくこちらを優先してくれる彼女に――それがたとえ義務感からのものだとしても――湧き上がる歓喜の気持ちが無かったなどとはいえない。認めよう、まっすぐにこちらに向かう彼女の姿を見て、嬉しかったのだ。この上なく。


「ごきげんよう。おまたせして申し訳ありません。――いつからここに?」


首を僅かにかしげてこちらを伺う彼女に、すこしばかり視線を逸らす。


「いや、大して待ってはいない」


いいえ、と首を振る彼女に、内心で苦虫を噛み潰す。いや違う、こんな言い方をしたいわけではないのだ。なぜいえない。会いたかった、と、ただそれだけの言葉なのに。不思議そうにこちらを見つめる彼女に誤魔化すように首を振り、そのまま車へと促す。一瞬、手が彼女の背中へと動きかけたが、すんでのところで止める。触れてはいけない気がした。パーティ等では躊躇なく行える行為なのに、今はダメだ。そうおもって、扉を開き、促せば、彼女は小さく礼をして前をすり抜けるように車に乗り込む。その時の距離は、0に近く。ふわりと揺れる髪から、甘い香りが漂う。気がつけば指先が、その毛先に触れていて。辿ろうとするその動きに我に返り手を引く。どうやら彼女は気づいていないようだ。無意識の自分の行動に苦く思いながら、車に乗り込む。


――まったく、どうしてしまったというのか。


短く行き先を告げれば、彼女が驚いたようにこちらを振り返る。それに気づかぬふりをして前を向けば、視界の端で、ふわり、と、彼女が微笑む。淡い淡い笑み。ゆるく穏やかなその表情は、あの時の輝くばかりのものとは違ったけれど、どこか儚く、消えてしまいそうで――だけれども、心の芯を僅かに温めてくれた。


隣に並ぶとわかっている相手だけれど。ずっと共にあると決められた相手だけれど。――いつか、この手からすり抜けてしまいそうで。


静かな車内、聞こえるのはかすかなエンジン音と呼吸音のみ。シートに下ろした手のわずか先に、感じられるか感じられないかの、彼女の温もり。少し動かせば触れ合うであろう、指先と、指先。



俺の目の届く範囲にいてくれないだろうか、などと。言葉に出来ない思いを胸に、静かに目を伏せた。


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