1:いつものことですから
お題:「捻くれた彼のセリフ」より
それは、すでにずっと昔から決まっていたこと。
引かれたレールの上を走るように、たとえ自由奔放に振舞っているようでも、要所要所は決められている。
俺の人生は、つまりは自由な旅などではなく――スタンプラリーのようなものなのか、と、思ったことが、ある。
「来週の日曜日、高階家のご令嬢と顔合わせだ。心しておくように」
久しぶりに親父に呼ばれ、実家へ戻ってみれば、なんのことはない見合いの話。
28ともなれば、そろそろ頃合、ということだろうか。
「わかりました」
重厚な書斎。子供のころは、この父の部屋に憧れを持ったものだ。
けれど、今おもえば――なんともこの空間は、重い責任にあふれているのだろう。
従業員を抱え、その背後にはその家族がいて、自分の一挙一動が彼らの生活に直結しかねない。
それが、大きな組織を支える長である、という、こと。
そして。
いずれは、俺もそれを継ぐのだ、という、現実。
押しつぶされそうだ、などと、恐れを感じる時期は、とうに過ぎ去ってはいるけれど。
「柏木、手配は」
親父の部屋から出たところで、抜かりなく控えていた専属秘書に問いかけば、響くように答えが返って来る。
「整っております。あわせてスケジュールの調整も行ってあります」
片眉があがる。
「ほう。俺は知らなかったが、柏木には先に話がいっていた、ということか」
懸命にも、秘書は無言を貫いて、深く頭を下げる。食えないヤツであることは、間違いない。
「……年貢の納め時、というやつか」
結婚することに、別に否やはない。相手が誰であろうと、それが政略的意味合いを持つ以上、お互いにそれなりの関係であることができれば、それでいいと考える。
仕事は山ほどある。次の仕事の確認を取るうちに、俺は、見合いの話を頭の隅へと押しやって、ほとんど忘れてしまった。
そして。
何事もなく。そう、何事もなく、日々はすぎ、忘れていても日曜日はやってくる。
系列のホテルの一室で、会食をしながらの顔合わせは、顔合わせといいながらその実見合いであることが明らかで。
俺はとにかく、面倒くさい気持ちをうちに隠しながら、笑顔を顔に貼り付けて穏やかにかけられる声に応えた。
娘の年頃は、20歳、成人したばかり。現在まだ大学生であり、有名なお嬢様大学の2回生らしい。緊張しているのか、つねに俯きがちで、どうやらとても大人しい人間らしい。うちの両親や、俺が声を掛ければ、言葉すくなに、しかし礼儀正しく応える。
大人しくて煩くない、余計な事を言わない。これだけでも、結婚相手としては、及第点だといえるだろう。
さて。しかし。
お約束のように、若い二人で、と、庭に出されたものの――8つも下の娘相手に、何を話せというのか。数歩後ろを歩いてくる気配を感じながらも、どうせ結婚することは決まっているのだ、こんな儀礼的な事をせずとも、さっさと婚約して、時期をみて結婚式をあげてしまえばいい。そのほうがどれだけ合理的なものか、と、ついつい考えこんでしまっていると、ふと、後ろの気配が消えていた。
慌てて振り返る。
と、少し離れた、池のほとりに彼女は立ち止まっていた。
思わず心の中でしたうちをしながら、ゆっくりとそちらへ向かう。なにか不満や思うところがあって、立ち止まったのか、そう思ってそちらへ向かえば、彼女はじっと池の中をみていた。
……なにか面白いものでもあるのか、と、そちらを見れば、錦鯉が泳いでいる。否、それだけである。
呼びかけようとして、名前を忘れてしまったことに気づき、しばし戸惑う。一瞬、口ごもった時、それまでじっと鯉を眺めていた彼女が、ふ、と、こちらに気づいて顔をあげた。
「……あ」
驚いたように呟き、そして、はたと我にかえったのか、頬にうっすらと朱がのぼる。
「し、失礼しました。つい、見入ってしまって……」
「いえ、お気になさらず……鯉が、お好きですか?」
池の中を泳ぐさまざまな色合いの鯉は、確かに一級品なのだろうとは思うのだけれど、綺麗だと鑑賞する趣味はない。この少女は、確かに箱入り娘とも言うべき、現代をしてなお存在し得たのかといえるであろう、本物の「お嬢様」だと聞いている。つまり、「そう育てられた」娘、だと。
ある意味、俺と同じなのかもしれないな。
「……かしら」
「え?」
考えに気を取られすぎたか、彼女の小さな呟きは、聞き取れなかった。
問い返せば、少し気恥ずかしげな笑みを浮かべた娘が、小さく首を振っていて。
「いえ、なんでもありません。失礼しました」
その笑みは、思いの他かわいらしく見えて――この見合いは「当たり」だったのかもしれない、と、ぼんやりと思った。
見合いを終えて、すぐに家に戻ろうと、柏木に車を回させているところで、それまでひっそりと父の後ろにつき従っていた母に、呼びとめられた。
なんともいえない、笑っているのだけれど、気を使って緊張しているのがありありとわかる表情で、手にハンカチを握っている。
「どうされましたか」
「いえ、その、今回のお見合い、いかがでしたか?」
「悪くなかったと、思いますが?」
幾分か、ほっとした表情になるのを見詰めて、どこか心の芯が冷える。
「いえね、急なことでしたし、ほら、貴方の思いもおありだろうかと、ね。心配してしまって……」
確かに、心配はしてくれているのだろう。けれど、何ができるわけでもない。しようとしない。
「……いつもの、ことですから」
最上の微笑を添えて、告げる。息を呑む母を尻目に、頭を下げてホテルを後にした。
――そう、いつものことじゃないか。
なんら、かわりは、しないのだから。