1-2 天敵
地球漂着から十年。
驚異的な速度でユーラシア全土を侵蝕したベイグラントであったが、その一方で、ユリン発生を契機に星力が活性化した海を支配下に置くことは難しいらしく、また、後に発足したリリウム各支部の抵抗もあって、現在は地続きのアフリカ大陸を除き、奴らの侵攻速度はやや停滞気味にあると言われている。リリウムの本部はオーストラリアに置かれているのだが、それにはこうした地理的な理由によるところが大きい。
ここ、リリウム極東支部のある日本に対し、奴らが攻め込んでくる経路は現状一つしかない。
それは、樺太を経由した、今は亡きロシアからの侵攻ルートだ。だからこそ、北海道に前線基地が置かれている。
ちなみに、現在の世界地図上に朝鮮半島は存在しない。数年前、ベイグラントとの徹底抗戦の末、海に沈んでしまったからだ。
そのため、対馬を経由した日本への上陸ルートは断たれており、それゆえ九州や沖縄は極東で一番安全な場所などと謳われている。
「こんな街中でベイグラントとご対面とは、流石は最前線ってだけのことはあるね」
冷静に一般市民らしからぬ所感を述べる改の服の袖を、慌てた様子でシィがくいくいと引っ張る。
「そんなことより、あなたは早く避難しないと!」
「? 君は一緒に行かないの?」
改の問いに、シィは困ったような笑顔でふるふると首を横に振る。
「曲がりなりにも、あたしはユリンだから……。フィータスがいなくたって、アイツらが出てきたんなら戦わないと」
「そんな……」
思わず心配そうな表情を浮かべてしまった改に、シィは空元気で強がってみせる。
「だ、大丈夫っ! 機兵ぐらいなら、あたし一人でも何とかなるし! ベスたちが戻ってくるまでの間、何とか持ちこたえてみせるよ!」
彼女はそうは言ったものの、戦力外として置いてけぼりを食らっている以上、おそらくユリン単体では大した戦闘力はないのだろう。
その証拠に、笑みを張り付かせたシィの身体は、かすかに震えていた。
(こんな状態の女の子を一人置いて逃げろって? 冗談じゃない……!)
持ち前の反骨心から、自分に何か出来ることはないかと模索し始めた改の目の前に、それは唐突に姿を現す。
ドスン
最初に目にしたのは、建物の陰から地響きと共に現れた、茶褐色の大足。
次いで屋根の上にかけられる、岩のような大きな手。
頭、そして胴体と、日の出の如く徐々に明らかとなるその全容。
少なく見積もっても十メートル前後の背丈がある、巨体の金属製ゴーレムが、改たちの前に立ちはだかった。
「で、でか……」
逃げるのも忘れ、その威容を見上げながら改は呻く。自分よりも小柄なシィが、こんな巨大な敵と戦うというのか。
「……どうしよ、機兵じゃない」
愕然とした様子でシィが声を漏らす。その蒼白した面持ちには、余裕が全く感じられない。
『いつものヤツが出て来ねえとこを見ると、どうやら陽動は成功したみてえだな』
不意に、頭上から拡声器を通したような声が聞こえた。
チンピラみたいな粗野なそれは、どうやら件のゴーレムが発しているもののようだった。奴の顔の真ん中にぽっかり空いた洞の奥で、淡い灰色の燐光を宿す人魂が、発声に合わせて明滅しているのが見て取れる。
「人語を話すベイグラント……。そんな奴もいるのか……」
「知性のある個体……。そっか、だからこんなに接近されるまで気付かなかったんだ……」
何やら一人得心したようにシィがぶつぶつと呟く。
「どういうこと?」
「ベスが前に言ってた。『対話が可能な高い知性を持つベイグラントは、私たち同様人間に擬態して社会に紛れ込むことができる』って。きっとこれがそれだよ」
『これだのそれだの随分舐めた口利いてくれるじゃねえか、人間の姉ちゃんよぉ』
そう言って、ぬっと顔をシィのそれに近付けるチンピラゴーレム。一メートル強の大きさの顔面が肉薄する様は、隣にいる改にも圧倒的な威圧感を与えた。
『……ン? よく見たらその目の色……テメェ、ユリンじゃねえか』
(目?)
言われて、改もシィの顔を横目で見やる。
確かに明るくて綺麗な碧眼だとは思ったが、どうやらそれはユリンに共通する身体的特徴だったらしい。
チンピラゴーレムは顔を上げると、やおら臨戦態勢を取り始める。
『ちっ、ぬか喜びかよ。――ま、作戦がバレてたんじゃ仕方あんめえ。合体すんの待っててやっから、さっさとおっ始めようぜ?』
「合体? 何を言ってるんだ、こいつ?」
不可解そうに疑問を呈した改に、囁くようにしてシィが応じる。
「多分、あなたをあたしのフィータスだと勘違いしてるんだと思う」
「いや、それは何となくニュアンスで分かるんだけど……え、合体って何?」
男と女の合体って言ったら、いわゆる大人でえっちなアレのことでしょうか?
そんな場違いなことを改が考えていると、痺れを切らしたチンピラゴーレムが苛立った様子でがなり出す。
『こそこそ何くっちゃべってんだよ。さっさとしろって。やる気がねえならこのまま踏み潰しちまうぞ?』
言うなり、脅しでも誇張でもなく改たちの頭上に右足を振り上げるチンピラゴーレム。
切羽詰まった様子でシィが叫ぶ。
「ここはあたしに任せて、あなたは早くッ!」
「そうは言っても、どう考えたって君一人でどうにかなる相手じゃないだろ!? ここは一緒に逃げた方がいい!」
共に退却を促す改に、しかしシィは、意を決した様子で首を左右に振り、すっと彼に背を向ける。
「……あなたの安全を確保するまでの時間稼ぎくらい、あたしにだってできる。でなきゃ、ベスたちに顔向けできないもん」
「……ッ!」
日頃役立たずな自身の不甲斐なさからか、どこか内罰的になっているように見えるシィの言動に、今置かれている状況を忘れて改は強い反発を覚えた。
自己犠牲を貫く彼女の小さな背中に、在りし日の幼馴染みの後ろ姿が重なって見えたような気がして。
「……我が身に代えてもって覚悟は結構だけどさ、それで遺された連中が本当に喜ぶとでも思ってんのかよ、この大馬鹿野郎ッ!」
「ばっ、バカ!?」
突然の罵倒にショックを受けているシィの肩を掴み、強引にこちらを振り向かせると、改は彼女にぐっと顔を近付ける。
「……俺を使え」
「ふぇっ?」
「俺を君のフィータスにしろって言ってるんだ」
「……は、はいぃぃぃ!?」
明らかに困惑した様子でシィが声を裏返らせる。
「えっ、やっ、でも……男の人のフィータスなんて、これまで一度も聞いたことないし……」
「そんなん知るかっての。困ってるヤツを助けたいって気持ちに男も女も関係ないッ!」
「ッ!?」
啖呵を切った改の真剣な眼差しを正面から受け止め、シィははっと息を呑む。
『――一応、忠告はしたかんな? 恨むなよ?』
律儀にこちらの出方を待ってくれていたチンピラゴーレムの巨足が、遂に二人に向かって踏み下ろされんとする。
それに構うことなく、ほんのり上気した表情でシィが問う。
「……あなた、名前は?」
「改。天方院改」
「カイ……テンポウイン、カイ……」
シィは改の名前を反芻すると、おもむろに彼の頬を両手で包み込む。
「あたしはシィ。史莱姆。……あのね、カイ。あなたの心、なんかビビっと来た……!」
そう告げるや否や、彼女は改に熱烈なキスをした。




