4-3 あなたは、わたしが守るから
ベスと舞姫が合身したグロリオサは、マッハに近い飛行速度を誇る。リリウム極東支部のある大雪山から千五百キロほど離れたペトロパブロフスク・カムチャツキーであっても、二時間もあれば余裕で目的地に到達することができた。
約二日ぶりに訪れた現地で彼女を出迎えたのは、残してきた同僚たちの息災な姿ではなく、一体の巨大な漆黒のゴーレムだった。
人型という点では、先日フリージアが交戦した指揮官タイプ――クプルムと共通しているが、あの個体と比べ、よりスマートで洗練された印象を、このベイグラントの外見や所作からは受けた。
「フェルム……」
再確認するように、人知れずグロリオサは相手のコードネームを口にする。
一方、漆黒のゴーレム――フェルムは、左手の人差し指と親指で弄んでいたリリウム製の信号拳銃を、やおら眼前にチラつかせると、グロリオサの見ている前でプチっと潰して見せた。
『来ましたね。――どうやら、噂の新顔ユリンはいらっしゃらない様子。僕も一度お目にかかりたかったのですが……まあ、こうして極東のエースを釣れただけでも、今回はよしとしましょうか』
「ここにいたみんなをどこにやったの?」
射殺すようなグロリオサの詰問に、しかしフェルムは飄々と肩を竦める。
『さあ? 生憎その件について、僕は関知していないもので。どうしても知りたいと言うのであれば――』
そこで言葉を切ったフェルムは、おもむろに右手の指をパチンと鳴らす。
『――そこにいる僕の相棒にでも、訊いてみてください』
刹那、グロリオサの背後の大地が猛烈な勢いで膨れ上がった。
『待ってたぜぇ! この瞬間をよぉッ!!』
「伏兵ッ!?」
中空で静止していたグロリオサは、咄嗟に上空へ退避し、迫り来る不意打ちの巨腕から間一髪で逃れる。
そのままフェルムと伏兵のちょうど中間地点辺りに位置取ったグロリオサは、両者を視界に収めながら警戒を厳にする。
隆起した大地の中から姿を現したのは、フェルムと同程度の巨体を有する、茶褐色の体色をした人型ゴーレムであった。
「クプルム……!」
『チッ、逃したか。相変わらずすばしっこいヤツだぜ』
『流石は極東のエース。かの〝銀閃〟の後継者と言われるだけありますね』
(指揮官タイプが二体同時に出てきて連携を取るなんて……!)
前例のない事態にグロリオサは一瞬怯みかけたが、エースの意地で無理矢理気力を奮い立たせる。
「……上等よ。指揮官タイプの一体や二体、この私が捩じ伏せて見せる……!」
宣戦布告と同時、グロリオサはクプルムに向かって左手を突き出した。褐色の細腕を基点に発生した灼熱の炎が螺旋を描き、獰猛な大蛇の如く、クプルムの頭部目がけて襲い掛かる。
『へっ! そんなもんに当たるかい!』
巨体の割に身軽な動きで獄炎の顎をかわすクプルム。
だが。
『当然よ。端から当てるつもりなんてないもの』
冷笑を浮かべたグロリオサは、既に元居た場所には存在せず、もう一方の右手に炎の鉤爪を展開しながらフェルムに向かって突貫していた。
体よくあしらわれた形のクプルムは憤慨を露わにする。
『にゃろ! 俺より先にアニキを相手に選ぶたぁ、ふてえ女だ!』
『違う! 周りをよく見ろ!』
『あ?』
グロリオサを迎撃しながらのフェルムの叱責を受け、クプルムは今一度辺りを見渡すが、時既に遅し。
クプルムの周囲には、いつしか燃え盛る炎の障壁が立ち塞がっていた。奴がグロリオサの挙動に気を取られている隙に、先程彼女が放った火焔の大蛇がとぐろを巻き、奴を内側に封じ込めたのだ。
いくら一騎当千の指揮官タイプと言えど、このトラップをノーダメージで突破するのは至難の業。
『クソッ! 初めっからこれが狙いだったのか!?』
「今頃気付いても遅いのよ、お馬鹿さん。そこで指を咥えながら、お仲間がやられるところを見物してなさい」
難なく一対一の状況を作り出したグロリオサは嫣然と勝ち誇り、一気呵成にフェルムへと攻勢を仕掛けていく。
「はい! はい! はい! はい! はい! はいィッ!!」
『ぐ、お、お、お、お、お……!?』
縦横無尽に乱舞し四方八方から爪撃を見舞うグロリオサに、フェルムは為す術もなく、ただただ防戦一方を強いられていた。
(……いける!)
胸中でグロリオサは確信し、密かに舌なめずりをする。
(一時はどうなることかと冷や冷やしたけど、これなら何とか……!)
指揮官タイプを二体同時に相手取るという逼迫した状況から一刻も早く解放されたい。
そうした焦りが、いつになく彼女の思考を性急にさせていた。
二度あることは三度ある。
そんな単純な訓戒に思い至ってさえいれば、未来はまた別の形になっていたかもしれない。
敵は二体で打ち止めだと早合点したことが、結果的に彼女の命取りとなった。
『――脇が甘い』
突として聞こえてきた不気味な声と共に、どこからともなく飛来した無数の帯状触手がグロリオサの四肢を絡め取る。
「……ッ!?」
反射的に彼女はスライム化して拘束から抜け出そうとするが、件の触手は彼女の褐色の肌にしつこく絡み付き、身体の変態を全く許してくれない。
「そんなッ!?」
一層雁字搦めになってしまったグロリオサはなすがまま、触手によって地面へと叩きつけられた。
「かはッ!?」
身を襲った激しい衝撃に、たまらずグロリオサの口から苦悶の声がこぼれる。息も絶え絶えに横たわる彼女の前に、それは泰然とその身を晒した。
「……あ……ああッ!!」
在りし日のトラウマがフラッシュバックし、グロリオサの中のベスの精神が急激に変調を来す。
結果、グロリオサの合身は急遽解除され、分化したベスと舞姫の身体は、極北の地にぽつねんと放り出された。
哀れな子羊と化した二人を傲岸不遜に見下ろす、全身に包帯を巻いた異形のゴーレム。触手の正体は、このゴーレムが身に纏う包帯であった。
『極東のエースと言ってもこの程度か。〝銀閃〟には遠く足元にも及ばぬな』
つまらなそうに鼻を鳴らす包帯ゴーレムを、舞姫は畏怖と共に見上げる。
「……コードネーム、カリアン」
先日リリウム欧州支部を壊滅させたばかりの元凶にして、かつてベスに恐怖の記憶を植え付けた張本人が、二人の前にそびえ立っていた。
〇+
「ど……どうして、お前が、ここに……?」
完全に戦意喪失し、その場にくずおれたまま、今にも消え入りそうな声でベスが問う。
一方舞姫も、予想外の展開に心の中で舌打ちする。
(完全に誤算だわ。直接相対するのは、もう少し先になると思っていたのに……)
心の傷を刺激しないよう、ベスにはまだカリアン復活の件は伏せられていた。まさか昨日の今日で奴が極東に現れるとは思いもしなかったため、皮肉にもその配慮は、かえって裏目に出る形となってしまった。
ようやくその存在に気付いたとでもいうように、カリアンがベスを一瞥する。
『……? その口振り、どこかでまみえたことでもあったか?』
「な……!?」
あまりに素っ気ない一言に、ベスは息を呑んで絶句する。屈辱にわななきながら、彼女は憎しみに満ちた目でカリアンを睨め返した。
「……五年前の、地中海東岸! 当時! まだ生まれて間もなかった私を! 三日三晩! ひたすら追い掛け回したこと! ……あの悪夢の数日、忘れたとは言わせないッ!」
『……ああ。誰かと思えば、〝銀閃〟の邪魔が入って捉えそこなった、あの時の小娘か。しぶといな。まだ生きていたか』
さほど関心もなさそうに吐き捨てると、次にカリアンは、包帯の隙間の奥で蠢く仄暗い灰色の眼を舞姫へと向ける。
『人間の娘。我は、極東のエースと呼ばれる貴様に用がある』
「わたしに……? じゃあ、ここにいた他のみんなは……」
『この状況下で他の有象無象の心配とは余裕だな。……まあよい』
カリアンは心底どうでもよさそうに鼻を鳴らす。
『この地に集っていたユリン共は、我の実験体とすべく、こやつに回収させた』そう言って、カリアンはクプルムを顎でしゃくる。『――で、片割れの人間共だが、これがキャンキャン泣き喚いてやかましくてな。うるさくて敵わんから、一人残らず同胞の餌にくれてやったよ』
(やっぱり……)
想定し得る最悪の事態が的中してしまい、舞姫は悲痛に顔を歪める。
カリアンを前に、今もガタガタと震えているベスを背に庇うようにして、舞姫はよろよろと立ち上がった。
「どういう理由か知らないけど、わたしに用があるってことは分かったわ。なら、ベスは……この子は、この後どうなるの?」
『知れたこと。他のユリン同様、我の実験に供するのみ』
「ひ……ッ!?」
背後でベスが声を引きつらす気配を感じ、舞姫は静かに瞑目する。
「……一つ、条件があるわ」
『何?』
世迷言を口にし出した舞姫に、カリアンに限らず、その場にいた誰もが訝しげな反応を示す。
構わず、舞姫は用件を切り出した。
「大人しくあなたたちについていく代わりに、ベスのことは見逃して」
「マキ!? あんた、何言って――」
『……交渉できる立場だと思っているのか?』
至極真っ当な疑問を投げかけてくるカリアンに対し、舞姫は「べっ」と舌を大きく出して見せる。
「今すぐこの場で舌を噛み切ってもいいのよ? お望みとあらば、あなたがわたしをどうこうするよりも早く自害してみせるけど?」
『む……』
『ほう?』
『ひゅ~♪』
珍しく言葉を詰まらせるカリアン。舞姫たちを取り囲んでいたフェルムとクプルムも、それぞれに嘆声を漏らし、感嘆の口笛を吹いていた。
ややあって、カリアンが声を発する。
『……気丈な娘だ。命乞いするだけだった他の雑兵共とはわけが違うというわけか。――どうやら、我の読みは正しかったようだな』
何やら一人得心した様子でカリアンはぶつぶつと呟く。
『……訂正しよう。貴様は極東のエースの名に恥じぬ、見上げた娘のようだ。その度胸に免じ、今回はそこの腰抜けには手を出さんと約束しよう』
「ありがとう。……えっと、何て呼べば?」
『……いちいち調子の狂う娘だ』
カリアンは疲れたように頭を振ると、
『――フレシュ。我の名はフレシュだ』
「ありがとう、フレシュさん。……あ、ちなみにわたしの名前は柿崎――」
『知らん。興味ない』
鬱陶しそうに遮ると、フレシュと名乗ったカリアンは、舞姫の身体をむんずと掴み上げる。
「マキッ! 行っちゃダメッ!!」
離れゆく舞姫の背に向かって、ベスは必死に震える手を伸ばす。いまだ、その足腰には力が入らぬ模様。
そんな彼女に、舞姫は首だけで振り返ると、慈母のような微笑みを湛えて、こう告げた。
「……あなたは、わたしが守るから」
その言葉を最後に、舞姫の姿はフレシュの掌中へと消えていった。
「マキィィィッ!!」
『健気な相方のお陰でまた命拾いしたな、小娘。約束通り、貴様は見逃してやろう。精々、仲間たちにこの状況を伝えるメッセンジャー役にでも励むがよい』
「き、貴様ァァァァッ!!」
ベスの絶叫も虚しく、三体のゴーレムたちは、彼女を一人置いて、地の底へと逐次潜行していく。
程なくして、その場にはへたり込むベス以外、誰もいなくなった。そんな彼女を嘲笑うかのように、荒涼とした風が一陣、辺りに吹き荒ぶ。
「……くそ……くそ……くそ……くそ…………ッ! ――っくそぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
取り残されたベスは、怒りと情けなさのあまり、慟哭した。
(あんな大見得を切っておいて、私……どの面下げて、アイツに詫びればいいのよ……!)
その切実な問いに答えてくれる者は、もう、どこにもいなかった。




