4-1 崩壊する日常
北海道、稚内。
日本国内最北端の都市にして、対ベイグラントの最前線ゆえ廃墟となって久しいこの地の某所雑居ビルに、一人の男がいた。
黒のフォーマルスーツに身を包み、服と同色の髪をオールバックに撫で付けたその優男は、デスクに向かい、一心不乱にペンを走らせ、何かを描き出している。
男が描いているもの――それは、女の裸体。
あられもない痴態を晒した年若い娘のえっちぃイラストを、男は精緻な筆致で次々と生み出していく。
それはいわゆる、エロ同人誌と呼ばれるものであった。
「……ふう。我ながら惚れ惚れする出来映えじゃないか」
一仕事終えた男は、手の甲で額の汗を拭う仕草をし、満ち足りた様子で恍惚の吐息を漏らす。
と、そこへ。
「アインのアニキー。今帰ったぜー」
粗野でがさつな声と共に、また一人別の男が室内にやってきた。
その男は、黒服の男とは対照的に、ホスト風の派手な白いスーツを着崩していた。無造作に伸ばした金髪や浅黒い肌が、いかにもチンピラといった風体である。
アインと呼ばれた黒服の男は、柔和な表情でそれを出迎える。
「お帰りスタン。それで首尾は?」
「あー、今回もダメだったぜ。悪くない策だと思ったんだが、どうも新顔のユリンに見破られちまったみたいでよ」
「それはそれは……。どうやら、向こうにも鼻の利く者がいたようですね」
チンピラ男――スタンの実りのない報告に、しかしアインはさして気に障った様子もなく、事実をただ淡々と受け止める。
この二人、見てくれは全く異なるが、ある一点のみ、特徴が共通している部位がある。
その部位とは、目の色だ。
両者共に、淡灰色の底知れない瞳を有している。
リリウムから、〝クプルム〟と〝フェルム〟のコードネームで呼称されている、二体のベイグラント。
それが、この二人の正体であった。
アインはおもむろに自席から立ち上がると、コリをほぐすように肩を交互に回す。
「さて……それでは、今度は僕のターンと行きましょうか」
「お手並み拝見ッス、アニキ。――そんじゃま俺は、早速こないだの作業の続きに戻るとすんべ♪」
そう言って、アインと入れ替わりにどっかと自席に着いたスタンの前には、雑多な工具が所狭しと散らかった作業机が広がっている。
工具に交じってちらほらと散見するのは、ロボットや美少女キャラと思しきフィギュアの原型の数々。
どれも精巧な造形をしており、その躍動感は今にも動き出しそうなほどだ。
極東方面の侵攻を担う、前線指揮官たるこの二体のベイグラント。
侵略者としてあるまじきことに、頭の天辺から足の爪先まで、どっぷり日本のヲタク文化に染まっていた。
〇+
転機となったのは、三年前のある日のこと。
ロールアウトして一年経ったばかりのスタンと共に極東方面の侵攻を任されたアインは、人間たちが機兵や機獣と呼ぶ手勢でリリウム極東支部を攻める傍ら、自分たちは人間の姿に擬態し、敵情視察を行っていた。
物量に物を言わせた旧世代の同胞たちと異なり、敵の内情を把握し、より効果的かつ効率的に相手を攻め落とすことが、彼ら新世代の独立思考型に求められる役割だった。
――だがしかし。
そうして訪れた旭川の地にて、彼ら二人は早々にカルチャーショックの洗礼を受けることになる。
「なっ……何だこれは……ッ!?」
「すげぇ……! すげぇよアニキ……!」
アインは全国展開している某アニメ専門店で、美麗な女体の成人向けエロイラストに心奪われ。
スタンは地元のホビーショップで、ロボットの模型や美少女フィギュアの造形美に魅せられて。
完全にヲタク文化に感化された二人は、それ以降、リリウム極東支部には適度に攻撃を仕掛けつつ、空いた時間は人間に紛れてヲタクライフに没頭するようになった。今では二人共、自身でオリジナルの作品を手掛けるほどになり、一定数の支持を得るまでに至っている。
極東の地が自分たちベイグラントの手に落ちること、それ即ち、彼らの愛するヲタク文化の喪失に繋がることを、この二人は十分に理解していた。
もし彼らがヲタク趣味に目覚めることなく本来の役割を全うしていたら、今頃極東は、とっくの昔にベイグラントの勢力下となっていたかもしれない。
〇+
だからこそ。
同胞の中には、現在の極東の戦況に不満を抱く者も、当然のことながら存在した。
「――何を遊んでいる」
「「!?」」
どこからともなく聞こえてきた底冷えのする第三者の声に、場の空気が一挙に凍り付く。
アインとスタンが一斉に部屋の戸口に目を向けると、そこには一人の不審な男が虚ろに佇んでいた。
包帯でぐるぐる巻きの全身に薄汚れた白衣を羽織ったその異様な男は、包帯の隙間から覗く灰色の瞳で二人を静かに睥睨する。
「このような辺境の地、貴様ら二人がその気になれば、ものの数日で制圧できるであろうに」
「こ、これはこれはフレシュ殿。お怪我はもうよろしいので?」
アインがへりくだった態度で尋ねると、包帯男――フレシュは不機嫌そうに鼻を鳴らし、
「つまらぬ社交辞令は不要。そうやって貴様らが現を抜かしている合間にも、我はリハビリがてら、奴らの拠点の一つを潰すことに成功している。この事実を重く受け止めるのだな」
「はあ」
やや不貞腐れて、スタンは生返事する。
彼の生意気な振る舞いを気に留めた様子もなく、フレシュは続ける。
「人間共がアフリカと呼ぶ地の掃討は他の者に任せてきた。これより、遅々として進まぬ極東方面の攻略は我が引き受ける。今後、先任の貴様らには我の指示に従ってもらう」
「そ、それは……」
泡を食ったように何かを言いかけたアインを、フレシュがジロリと睨む。
「……何か不服でも?」
「い、いえ、何でもありません……」
口ごもり、アインはすごすごと引き下がる。
フレシュは再度鼻を鳴らすと、
「スタン。先の陽動作戦を仕掛けたのは貴様だな? あそこまで敵の喉元に食い込んでおきながら、最後の最後で詰めが甘い」
「……スンマセン」
「まあよい。我に一つ考えがある。貴様には今からそれを手伝ってもらうので、この後我についてこい。――そしてアイン。準備が整い次第、貴様には奴らに打って出てもらう。そのつもりでいるように」
「……了解です」
言いたいことだけ言うと、フレシュは用が済んだとばかりに踵を返し、退室していった。
その場に取り残されたアインは、渋面を浮かべて腕を組む。
「むう……。これは困ったことになりましたね……」
「……どうします、アニキ?」
捨てられた子犬のような目でスタンが見上げてくるが、途方に暮れているのはアインも同じだった。
最初に自我を持った最古参の独立思考型にして、歴戦の勇士でもあるフレシュに対し、面と向かって意見できるベイグラントなど存在しない。
ましてや、職務怠慢の自覚がある分、尚更この二人には、彼に対し頭が上がらない所があった。
「――スタン。何をしている。さっさとしろ」
「うぃーっす!」
フレシュに呼ばれ、慌てて部屋を飛び出していくスタン。
「……ふむ」
その背中を目で追いながら、アインはしばし、神妙な面持ちで黙考していた。
〇+
「いいのかなぁ……いつまでもこんなとこで管巻いてて」
ペトロパブロフスク・カムチャツキーに残ったリリウム極東支部所属のメンバーの一人――風使いのユリンことミドリは、独りぼっちで見張りを続けながら、軽く自己嫌悪に陥っていた。トレードマークである緑色のポニーテールも、今は心なし元気がない。
相方のフィータスは今、彼女の傍にはいなかった。ベースキャンプにしているレストラン跡の廃屋で、他のフィータスと一緒になって現地調達した古酒を呷り、いつものように舞姫の悪口を酒の肴にしていることだろう。
「我がパートナーながら情けない。昔はああじゃなかったんだけどな……」
みんなが酒盛りしている喧騒を遠目に見やりながら、幻滅も隠さずにミドリは毒づく。最初からあんなみっともない人間だったら、そもそも自分だって彼女をフィータスになんか選んだりなどしていない。
「……ままならないよね、人生」
いつまでも停滞して変わらない戦況と、思いがけない大型ルーキーの登場。
そうしたどうにもならない現状が積み重なって、相方の心境に暗い影を落としていっただろうことは、想像に難くはなかったが。
(出会った当時は初々しい女子大生だったあの子も、今や三十目前のベテランになるわけで……いつまでも新人気分のままでいられちゃ困るのに……どうしたら立ち直ってくれるんだろ……?)
などとミドリが物思いに耽っていると、当の本人が千鳥足でこちらにふらふらとやってくるのが見えた。
「やほー♪ 愛しのミっドリん♡ 一人れお勤めご苦労様ー」
「……別に好き好んで一人見張り番を引き受けているつもりはないんですけどね? どっかの誰かさんが勝手に持ち場を離れるから仕方なく――」
「まーまー! そういうつれないころ言わずに。こうしてちゃんと差し入れ持ってきてあえたから!」
そう言って、申し訳程度の食糧と、おそらく温かい飲み物が入っている魔法瓶をチラつかせながら、相方は何の遠慮もなしにミドリの隣に腰を下ろす。
途端、彼女から漂ってきた猛烈な酒気に、ミドリは思わず顔をしかめた。
「……お酒臭い」
「らってー、お酒飲んでるもーん」
呂律が微妙に回らないほど酩酊している相方に、ミドリはうんざりした様子で苦言を漏らす。
「ちょっと。流石に緊張感なさ過ぎじゃない? 周辺の敵は排除したとはいえ、一応ここは奴らの勢力範囲なのよ?」
「そんなん分かってるってー。……れもさー、この半日間、結局なんも動きはなかったんらし、気張ったところで最後は馬鹿を見るだけらよ」
「それはそうかもしれないけど……」
なおもしかめっ面を浮かべるミドリに対し、相方は魔法瓶から飲み物を注いで、押し付けるようにそれを手渡してくる。
立ち上る湯気から香る芳しい匂いから、それがホットアルコールの類いであることはすぐに分かった。
「夜明けまであと数時間。お互い、気楽にやりましょ?」
「……はあ。まったくもう」
能天気な相方相手に向きになっている自分がいい加減馬鹿馬鹿しくなり、折れるようにミドリは飲み物の入った容器を受け取ろうとした。
「――弛んでいる」
そこはかとなく怒気を孕んだ男性の声に、ミドリと相方の意識は一気に覚醒する。
自分たちメンバーの中に、男性スタッフは一人もいない。
廃墟になって久しいこの街に、現地人の男性が残っているはずもなく。
小さな可能性を取り除いた先にある答えは、考え得る限り最低最悪のシチュエーションとしか言い様がなかった。
衝撃のあまり声を出せずにいるミドリたちに、男の声は厳かに告げる。
「腑抜けた貴様らには、我が絶望を与えよう」




