強引
弐号車と壱号車の間に展開する佐々木・鉄平に目黒が合流した。目黒の後方を追ってきた結人は弐号車の荷台に乗り、佐川・加藤の元へ戻った。荷台には候補生のほかに、座り込む木曽・君垣と横たわる一人の男がいる。この男が無線で言われていた運転手だったのだろう。
後方では輸送車群を至近距離で追う人間そっくりの化け字「人間」を囲うように波島班が展開していた。攻撃開始の合図は先刻波島から出ていたが、未だ攻撃には至っていないようだ。
「波島から目黒書士宛て。波島班「人間」周辺への展開完了。攻撃開始許可も既に出しています」
「目黒了解!」
つまり各書士が独自の判断で攻撃を開始できるということだ。だが………………
「攻撃を開始すれば本班への莫大な被害は避けられません………が………………再度、指示願います」
波島も下手をすれば、いや確実に大損害が出ることを分かっているのだ。
「目黒から波島班各員、必要だと判断すれば各自攻撃に入れ。指揮系統への確認はいらない。それから………波島班長、現在貴班は基準単位での作戦行動が可能な唯一の班だ。無理に攻撃をしかける必要はないぞ」
「波島、了!」
目黒の言うとおりだった。書士による作戦行動は一般に六人で行われ、一名の喪失を想定した五名が作戦行動の基準「基準単位」となっている。木曽班は言うまでもなく、横原を失い、残る書士の内二名が候補生の目黒班もそれを満たさない。これはすなわち取り得る作戦の幅が極めて狭いということだ。
目黒としても班員の揃った波島班を失うのは避けたいのだろう。なにより化け字はもう一匹いる。波島班が損耗すれば、その化け字への対応は不可能だ。
「目黒から候補生宛て。各員、タイプライターに洋墨を補充せよ」
唐突な指令に思わず緊張が身体に走る。
「どういうことだ?」
佐川が疑問を声に出す。まるでそれを待っていたかのように目黒が続ける。
「目黒から候補生宛て。一時的に目黒班員の任務を引き継いでもらう。各書士には洋墨の補充が必要だ」
「え?」
「それってどういう…
佐川と結人の声が重なり、立ち消える。目黒班の書士が洋墨を補充する間、戦闘に出る……つまり
「俺たちに前線に出ろってことかよ」
自分の声ではないから、佐川のものなのだろう。困惑と怯えを混ぜ切って濁った声。佐川と結人は思わず目を合わせ、黙る。
「加藤候補生、了解しました。補充完了次第、前方へ向かいます。」
不意に沈黙を破ったのは加藤の声だった。慌てて振り向くと運転席から伸びた無線を加藤が手にしている。
「おま…
「すぐに補充しよう」
真っすぐと結人たちを見据え、彼は話す。
「目黒班の任務を引き継ぐって戦闘もあるってことだろ?ふざけんな無理に決まってる!」
感情がそのまま話しているかのように佐川が口を開く。
「ああ。だがもう俺たちを候補生扱いする余裕はないってことだろう。俺たちは書士として任務に当たらないと。」
「そんなこと言われたって、俺たちには戦闘経験もないし、ましてや相手は青なんだぞ!」
まるで加藤とは対照的に佐川は消極的だ。
「経験とか言っている場合か?もう俺たちは他人に護ってもらえる状況にないんだぞ?経験は今積むしかないだろ」
「お前は化け字を見てないからそんなこと言えるんだよ。俺たちが出ていったところで何もできずに殺されるのがオチだ!」
佐川が加藤に噛みつく。だが加藤は黙々と瓶を回すばかりで何も反論しなかった。そのまま三つ全てを換え終えると彼は立ち上がる。
「そうだな、お前の言うとおりだよ。俺は化け字をお前ほどちゃんとは見ていない。仲間が殺されたのも無線で聞いただけだ。」
足を荷台の後方へと運びながら淡々と静かに言葉を出す。だがそこには佐川すら口を挟めない、固い芯がある。
「それでもな、怖ぇよ俺も。一撃で車をふっ飛ばしたのをこの目で見たし、俺よりずっと強いはずの書士たちがやられているわけだし」
加藤の足が荷台の端で止まる。
「それでも俺は自分の人生を他人に預けたままではいたくないんだ。結果死ぬとしても、敵わないとしても。」
両手に持っていた瓶を加藤は放る。僅かに時を置いて瓶の割れた音が耳に届く。それが合図だったかのように、加藤は飛び出していった。
「あいつ、何もできないくせに………………
佐川の悪態を無視し、結人は瓶に手を伸ばしている。第一書士学校の時から何かとよく知っていた加藤があんな覚悟を持っていたのだと結人は知らなかった。真面目で、良い奴。そんな風にしか思っていなかった。彼のうちに潜む強さが結人にはまるで見えていなかった。
「俺も…………」
無意識に声が飛び出す。俺も、なんだ?俺も覚悟を持とうなのか、それとも俺も行かないとなのか。思考の深層を読み取れぬまま、手が無心に動き瓶を付け替えていく。
「おい、結人!お前も行く気かよ!俺たちはまだ候補生なんだぞ!無理に決まってる!」
本当にその通りだよ。口には出さず、そう返す。声にすれば、足が止まる、加藤から受けている引力も消える。そう直感していた。
覚悟じゃない、勇気でもない。ただ加藤に引っ張られるように身体が動く。自分には加藤や佐川のような意思がないのだ、不意にそんなことに気付いた。
複雑に絡まった感情を解きほぐせないまま、結人の手は付け換えを終える。木の板を固定し直し、残念にも準備は完了してしまう。行くべきじゃない、行きたくない。死にたくなんか、ない。心が痛いほどそう叫ぶ。それなのに足に力が入り、結人は立ち上がっている。
「おい!結人!」
首が回り、佐川を一瞥する。歪んだ彼の顔が視界を通り過ぎる。
結人の身体は弐号車の荷台を飛び出した。
「そういうのを蛮勇って言うんだよ!!」
後ろから響いた佐川の怒鳴り声はやはり的を射ていた。