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化け字  作者: 鷹羽諒
2/11

穀雨(前)

 サイレント同時に結人は休憩室を飛びだした。後ろ手で乱雑においた湯呑の割れる音が薄く響く。後で掃除しないとな、申し訳ばかりにそう思いながら階段を駆け下り、更衣室に入る。既に隊員の多くが集まっており混雑した部屋の中を進み、結人は自分のロッカーを開く。

 当直勤務で着けていた軍刀を一度引き抜くと、ロッカーから取り出したタイプライターを右足に通す。ベルトを太ももと腰にそれぞれ通して固定すると、わずかな圧迫感が脚を走った。

「仙台管区中央司令部より発令。化け字に寄生された本の疑い、入電。現在、近隣駐在員確認出動中。場所にあっては仙台市青葉区君の台路上。当直待機中の一般戦闘団普通科連隊は直ちに出動!

同、書内戦闘団、第二戦闘団は出動準備態勢にて待機、以上!繰り返す………」

 頭上で指令が響く中、結人は装備を確認し、軍刀は手にしたままで更衣室を出た。さらに一階分階段を下り、その間に軍刀を右腰に差し込んで、出動待機室に滑り込む。

 整然と椅子が並べられた部屋には、既に書内戦闘団の隊員が待機している。三つに分かれた隊員たちの内の一つに、結人は近づく。

「金沢書士候補生、出動準備完了しております。」

敬礼と同時にそう報告すると、背の高い男が反応し敬礼を返してきた。

「佐々木、確認してくれ」

隣に立つ男にそう命令したこの男こそ、目黒班の班長、目黒修一だ。そして命を受け、結人の装備の点検をしているのが、この班で結人の担当になっている佐々木洋助。二人の他に君垣里美、鉄平仁、横原林を加えた5人の書士で目黒班は構成されている。結人よりも先に到着していた彼らは、既に必要な情報に目を通し始めていた。

「よっし、問題なし!」

元気な声と共に背中がパンっと叩かれる。どうやら確認は終わったようだ。

「こっちも問題なしです!」

ほとんど同時に上がったもう一方の声は、もう一人の候補生、佐山菊の確認をしていた横原のものだ。

「了解………………目黒班これより打ち合わせに入るぞ、集まれ」

目黒は他の四人にも呼びかけながら、薄い何枚かの紙を結人たちにも手渡す。表面に事前情報と書かれたその紙には、通報内容や通報された本について端的にまとめられている。

「よし、始めよう」

集まった班員を見ながら目黒は話し始める。

「まず………………通報内容だが、持っていた本に化け字のらしきものを発見した、来てほしい、というものだ。現在本は通報者によって道路に投げられた状態らしい。化け字による寄生痕の特徴を………………金沢!」

これは簡単な問題だ。

「はっ、寄生痕は化け字が書内に侵入する際に創り出す穴のことです。穴のうち、こちらの世界側を侵入痕、書内側を書門と呼んでいます」

「もっと詳しく」

「穴は一般に表紙に開けられ、そこから人間も書内に入ることができます。穴は………淵の色が異なり、強いものから、紫、青、赤、黄、白、黒です!」

「よし、その通りだ。続けるぞ」

一安心する結人を横目に、目黒は話を続ける。

「現在、通報を受けて駐在員が確認出動中だ。駐在員の役割と書内戦闘団出動までの手順は………佐山」

「はっ!………駐在員は一般戦闘団に属する駐在員連隊の隊員のことを指します。この連隊は………管区に数人単位で広く駐屯し、警戒や初期出動を担います。書内戦闘団出動までの手順は………通報、初期出動、駐在員の確認後に書内戦闘団が出動です。」

「その通りだ。ただ駐在員の確認と同時並行で普通科連隊が作戦展開をしていることを忘れるなよ」

「はっ!」

「金沢、一般戦闘団と書内戦闘団、第二戦闘団の違いは」

間髪を入れずに次の質問が飛ぶ

「ええ………………一般戦闘団と違い、書内戦闘団と第二戦闘団は書士のみで構成されています。書士は筆具、特殊な筆記用具の生成に成功後、書士教育課程を修了した隊員のことです」

「それで?」

「書内戦闘団は、本の中に入って化け字を排除することを目的としていて、第二戦闘団は緊急時の書内戦闘団の救出などを目的としています」

「不足があるが……まあこれでいいだろう、一応任務が終わったら復讐しておけよ」

「はっ!」

こんな風に任務や手順について質問が飛ぶのは、数か月に及ぶ実践訓練の後に最後の筆記試験があるからだ。この場で知識の総復習をさせることで、候補生たちの忘却を防がせようという意図があるのだという。


「仙台管区中央司令部から、待機中の書内戦闘団、第二戦闘団各班宛て。駐在員によって化け字の等級を「赤」と確認。対象書物は「燃ゆる花」、書内環境は日本、江戸時代。待機中の各班は直ちに出動せよ!!なお本件司令は仙台管区中央司令、司令官嵯峨が担当する、以上。繰り返す………」


「よし、出動だ!」

目黒の声と同時に、室内で待機していた書内戦闘団が一斉に動き出す。結人も部屋に入った時とは反対側の扉を潜って、薄暗い格納庫に入る。わずかな明かりと黄色の回転灯だけを頼りに、出動用の車両に乗り込む。大きな機械音が消える間隙を縫うように、足音が響いた。狭い車内の一席に座ると、すぐに安全帯を締め身体を固定する。すぐに無線が飛び交う

『隼弌から、仙台管区中央司令部宛て、発進準備良し!出動許可求む!』

「仙台管区中央司令部から隼弌、出動せよ!」

『隼弌、了』

その声と同時に、暗かった格納庫に光が広がり始める。音を立てながら鎧戸が開いているのだ。差し込む光が、徐々に結人たちの乗る隼を覆い始めた。

 縦長な胴を厚い鉄板で覆った路面電車、「隼」は鎧戸が開くと同時に一気に加速した。




 隼から降り、しばらく歩いたところに現場はあった。比較的大きな道路は一帯が規制線で封鎖され、周囲を警察と普通科連隊の隊員が囲んでいる。そしてその真ん中に、落ちているのが「燃ゆる花」だ。隼の中で受け取った情報によれば、もう十五年も前に書かれた小説なのだという。江戸の町を舞台に身分を越えた愛と渦巻く憎悪を描く人気作品らしい。だが、今その小説は消滅の瀬戸際にある。表紙には禍々し穴が大きく開き、そこから入った化け字が小説の世界、「書内」を食い荒らしているのだ。そしてこの穴、侵入痕の色こそが、化け字の等級を測る指標として使われている。

 だが………今その穴は、青い



到着した書内戦闘団の隊員たちは一様に困惑していた。聞いていた等級「赤」と実際に今目の前にある「青」とでは化け字の強さには大きな乖離がある。なにより

「なぁ、青って………」

佐山も不安げに結人に話しかけてきた。

「そう、侵入痕が青と紫の化け字には特戦団の出動が必要だったはず………」


「そうだよな………」


特戦団、特殊戦闘団は選抜された書士によって構成される、対化け字戦闘最後の砦。彼らの戦闘力は一人で書内戦闘団、数班に匹敵するとも呼ばれていた。だが人数の制約もあって、彼らの出動はどうしても必要な時、簡単に言えば化け字の等級が高い時にのみ限定されている。等級が「青」を超えると、書内戦闘団での対処は難しく、特戦団の出動要件を満たす。つまり………

「特戦団に要請出して、俺たちは待機かな」

佐山の言うとおりになるだろう。

「目黒班、戦闘準備だ。装備の確認と洋墨の準備にはいってくれ」

え?目黒の声に驚く。結人とおそらく佐山の方も見た佐々木が笑いながら

「一応、用意しておくってだけだ」

そう補足する。目黒も小さく頷いていた。

「さて、こういう任務で洋墨はどこに保管されているんだっけ?佐山」

「輸送車………でしょうか」

「そうだ、正確には軍事貨物輸送車だな……………よし、というわけで輸送車のところ行くぞ」

そう言うと二人の前を佐々木は歩き始める。

「こうやって俺たち書士が到着した時に規制線やら天幕やらが張られているのは一般戦闘団が先に出動しているからだ。俺たちがここで待機している間も普通科連隊は書内の書門付近で橋頭保を確保している。今、普通科連隊は俺たちより危険なところにいる。俺たちが安全に出動できるのは、一般戦闘団所属の連隊が先に危険を冒してくれているからだ。それは忘れんなよ」

前を向いたまま佐々木は静かにそう語った。彼は被書士の同期を一度に無くしたことがあるのだという。書内で橋頭保を確保していた普通科連隊に化け字が襲い掛かり、書士が到着したころには既に手遅れだったらしい。だからその分も戦うのだと胸を張る彼を結人は本当に尊敬している。まだたった一週間ほどの付き合いなのだが。

「よし、洋墨を装填しよう。三つ、全部入れておけよ」

そう言いながら佐々木は輸送車の荷台から取り出した瓶をタイプライターに固定し始めている。結人と佐山も右腰のタイプライターの外装を開くと、中の突起に瓶をはめ、ねじの要領で固定していく。透明な瓶の中で黒々とした洋墨揺れる。その瓶に反射した自分は少し揺らめいていた。



 その後、第二戦闘団三班が到着するとすぐに、書内戦闘団三班の班長は第二戦闘団の班長三人も合わせて話し合いを始めた。もっともそれは道路上に張られた天幕の中で行われ、結人には見えないものだった。



 そうしてしばらく後

「これより書内戦闘団、書内へ出撃だ」

愕然とする結人たちに目黒は続ける。

「俺たちが行く」








 人員輸送用の高機動車、通称「ツミ」は当然舗装の無い道を多分に揺れながら進む。外を伺うと、曇天の下に果てなく広がる江戸の町並みがそこにはある。黒色の瓦が整然と並び、白やらあるいは木色そのままの家々が連なっている。現在に持ち帰ったら一大観光地になるな、ぼうっとそんな風に思った。

 どういうわけか書内戦闘団が出動することになってから、早や十五分。班ごとに分かれて車に乗り込んだ書内戦闘団は、書内に入り江戸時代の世界で、江戸の中心へと向かっている。


「目黒書士から、宮島書士宛て。書内戦闘団、基準展開地まであと十分」

結人の集中の乱れを乱そうとするかのように無線の音が聞こえる。この作戦で現場指揮を担う第二戦闘団宮島に、書内戦闘団三班の指揮を任されている目黒が報告を入れたようだ。

「宮島、了解」

あまり時間を置かずに返事。目黒は発信先を変え、続ける。

「波島・木曽両書士宛て。この後、江戸中央の基準展開地に到着次第、広域捜索に入る。目黒、波島両班には捜索を、木曽班には輸送車群付近での待機をそれぞれお願いしたい」

荷台の結人とは異なり、ツミの助手駅に乗る目黒は無線片手に地図とにらめっこしている。荷台からその地図を見ることはできないが、おそらく江戸の地図なのだろう。

「木曽書士から目黒書士宛て。本班も捜索に参加したいが、許可しては貰えないでしょうか」

目黒よりもしわがれたこの声は木曽班の班長、のものだ。実力もさることながら、その老練たる頭脳もまた相当なものと知られている。

「目黒書士から、木曽書士宛て。今回の敵の等級は「青」です。場合によっては高い知能を持ってる可能性があります。先に輸送車群を破壊、逃げられなくなったところを各個撃破、という状況は避けたいと考えています」

「なるほど、我々は車両の護衛を……ということですな」

「えぇ、その通りです。ただ会敵しだい合流し、戦闘への参加をお願いしますので、あくまで一時的な待機です」

逡巡するかのような間、そして

「木曽班、了解しました」

落ち着いた声で無線は終わりを告げる。




湿地とも草原ともつかぬ場所を走り抜け、町に入って数分、広場のような場所でツミは停まった。「降りるぞ」という佐々木の声で、金沢たちは一斉に荷台から江戸の町へと降り立つ。小説の中では九月だというだけあって、肌寒い乾いた風が首筋を撫で、ゾクゾクっと小さな震えと共に、毛を逆立てた。

 広場を囲う家々の屋根には先に車両を降りていた木曽班の隊員が展開している。屋根の傾斜に身体を隠すように膝立ちとなった彼らは敵の接近を警戒しているのだ。


「目黒から第二戦闘団宮島書士宛て。目黒班、木曽班、波島班、基準展開点到着。これより木曽班を残し、目黒、波島両班での広域捜索に入る」

「宮島、了解。化け字は強力につき、各班慎重な対応を求む」

「目黒了解」

無線を終えると同時に目黒は輸送車の助手席から降りる。他の車両からも木曽、波島がそれぞれ降りてきた。目黒は足を止め、二人と僅かに言葉を交わす。それを終えると、目黒は班員の元へ向かった。

「佐々木、準備は?」

「各員、準備完了しております」

「よし、確認ご苦労」

労うように佐々木へ視線を返し、それから集まった班員へと目を移す。一通り隊員を見つめた目黒は再び口を開ける。

「これより、これ以降の作戦展開について説明する。本作戦は極めて危険なものとなる、各員気を引き締めてくれ。」

「「「はっ!」」」

声が重なる。

「まず、目黒、波島各班が二双を組んで展開。この基準地の西側の捜索を波島班が、東側の捜索を目黒班が担う。木曽班、普通科連隊第四戦闘班はここで待機し、車両の防衛を行う。」

二双は書士が活動時に、二人一組に分かれることだ。一般に書士の活動の最小単位で、広くあるいは数多く書士が必要となる場合に使用される。戦闘力を重視した三双よりも、機動力が高いのが特徴だ。

「二双はそれぞれ目黒・横原、鉄平・佐山、金沢・佐々木・君垣だ。各班は十分に警戒しながら化け字を捜索、化け字よりも先にこっちが向こうを見つける。発見の報告を受け次第、波島、木曽各班に応援を要請し、三班体制で化け字の討伐に移行する」

金沢は視線を佐々木と君垣の元へ走らせる。横に立つ佐山も鉄平の方へ瞳を向けたようだ。

「今回の化け字は「青」だ。勿論我々としては討伐を目標とするが、危険であれば迷わず撤退する。それだけは覚えておいてくれ」

目黒はもう一度班員を見渡し、そうして小さな息を短く吐き、確かめるように頷く。

「よし、行くぞ!!」






 踏み込んだ足元で響く小さな音を気に留める間もなく、次の屋根へと跳ぶ。そのたびに腰の軍刀とタイプライターがカチャリと音を立てた。次の屋根に降り立つと足は止めずに目線を周囲へ走らせる。先行する佐々木と距離が開きすぎないように気を遣いながら、結人も周囲へ目を配っていた。

 江戸時代の書内には当然高層な建物など皆無と言っていいほどないから屋根に上るだけで眺望が利く。だが………、!結人は屋根に足を取られ転びそうになり、慌てて体勢を直した。瓦、草、板と違う材料で葺かれた家々が連なり、油断するとすぐに足を取られるのだ。そのたびに視線は足元に落ち、捜索に集中できない。

 前の佐々木は目線を足元に落としていないのに、巧みに走り抜ける。それでいながら、後方の二人の確認も忘れない佐々木の姿に実力の差を痛感させられるばかりだ。

 それに比べて、と視線を後方に移す。そこにはのんびりと進む君垣の姿がある。急ぐ様子もなければ、真剣に化け字を探しているようにも見えない。まるで休日の寝起きのように、それこそあくびでもしそうな速度だ。この人本当に目黒班の先輩なのかよ、結人はまたも君垣に苛立ちを覚える。

 目黒班に仮配属されて半月以上が過ぎ、結人はこの班の実力をまざまざと見せつけられてきた。だが先輩たちに覚える羨望や尊敬を唯一君垣には覚えることができなかった。常に心ここにあらずといった様子で訓練中も任務中も明後日の方向を眺めていたりする。それだけではなく、軍刀の扱いも下手なのだ。まるで剣など持ったことがないかのような剣捌きは、結人にすら劣るだろう。いったいなぜ彼女が書士になれ、なぜ精鋭が集うとされる目黒班に属しているのか、それが結人には全くの謎だった。



 ………、!!! 

急いで足を止める。結人が集中していない間に佐々木が脚を止めていたのか、ぶつかるすんでのところだった。

 何も言わぬ佐々木の目線を追うと、その瞳は斜め前方の空き地へところに向けられている。何を見つめているのか確かめようと結人も目を凝らす。いた、小さな影がゆっくりと動いているのが見えた。

「いたねぇ」

小さな声に振り返るといつの間に追いついていたのか、君垣がいた。相変わらず気の抜けた声で、緊張が緩みそうになる。

「さて、佐々木君。どうする?」

結人の気持ちを知る由もなく、彼女はのんびりとした声で話す。それもなぜか副班長の佐々木にため口で。

「目黒さんの指示通りいきましょう。まずは報告、仲間の到着まではここで監視しながら待ちます………でどうでしょう」

「うん、それがいいと思うよ………で報告の方法は?」

「俺が行きます。君垣さんと結人はここで待機を」

まるで君垣が上官かのような会話だ。それに報告の方法とは

一体どういうことなのだろうか。軍用無線機は班に一つしかなく、目黒班で持っているのは横原だけ。受信だけが可能な機器であれば佐々木も持っているはずだが、当然送信はできないのだから、伝達は人間が直接行くしかない。そんな当たり前のことも知らないのかよ、そう再び苛立ちを覚る。だがその時

「君垣書士から目黒班長宛て。基準展開地から北北東の地点にて化け字らしき影を確認。集合求む」

はっきりと鋭い声。振り返ると君垣が手に持った四角く、黒い塊へ向かって声を出していた。両手に収まるほどの大きさで、とても無線には見えなかったが

「目黒から君垣書士宛て、了解。………目黒から目黒、波島、木曽各班員宛て。化け字、発見。これより討伐にはいる。木曽班直ちに目黒班に合流せよ。波島班、一度基準展開地まで戻り、次の指示があるまで待機せよ」

ちゃんと目黒からは返信があった。よし、そう小さくつぶやいて彼女は右腰のベルトへその無線機を戻した。

 佐々木の受信機からは波島、木曽の目黒に応える通信が続く。

「佐々木君、報告はとりあえずこれでいいはずだから。私たちは双を維持したまま、ここで待機といこう」

気付けばその声と瞳に、普段の彼女らしさはなくなっていた。





「木曽書士から目黒書士宛て。木曽班まもなく到着。」

「目黒、了解」

無線機の向こうから聞こえる声は徐々に緊張感を増してきていた。いや、声がではない。緊張しているのは他の誰でもない自分自身だ。まるで学芸会で人前で話す時かのように鼓動が波打ち、唾が呑み込めない。

 目黒班は既に全員が現着し、結人たちは敵の監視任務を残りの四人と交代していた。広場を挟むように東側に結人ら三人が、西側に目黒らが隠れ、木曽班の到着を待つ。

 監視の交代と同時に屋根を降りた結人たちは今、化け字の姿が見えない。そのことが緊張と不安と、そして何よりも恐怖を駆り立てていた。人間を殺して回るような獣が、この薄い壁の何枚か向こう側にいる、それが怖い。ましてや相手は「青」なのだ。混濁した思考の中で恐怖ばかりが鮮明になり、息が苦しい。

「おい、おいおい結人、大丈夫か?」

声を潜めた佐々木が心配そうに顔を覗き込んできた。

「………はい」

嘘だ。それに気付いてるのだろう、眼を少し細めた佐々木は続ける。

「ここまで強い化け字とやり合うのは初めてか………だろうな。青の化け字と戦う機会なんてまずない、俺もこれで二回目だ。ましてや今回は特戦団もいないわけだしな」

そこで一瞬、佐々木の視線が君垣へ向くが、彼女は明後日の方を向いている。

「だがな、お前は何も一人で来たわけじゃないんだ。俺がいるし、目黒さんもいるし、木曽さんだっている。それに橋頭保では早苗………宮島書士たちだって待機しているんだ」

彼の視線が書門側の虚空へと走る。

「目黒から君垣、佐々木、金沢宛。まもなく戦闘に入る。各員戦闘用意。君垣書士は………」

目黒からの指令が佐々木の腰下で響く。

 よっし!そうわざとらしく声を出し佐々木が声を出し、同じくらい不自然に屈伸をした。

「お前はお前ができることをやればいい。全員が各々できることをやる、それが最善だ」

ふわっと柔らかい表情でそう言って佐々木は結人から離れた。


 

 そうだ。自分はまだ所詮候補生なのだ。「青」に敵うわけがない。驚くほどに消極的なその考えは、だが恐怖を和らげるようだった。自分には強い仲間がいる。絡まった感情が少しずつ解け、冷静さが帰って来る。

 俺にやれることをやる、それが最善なんだ。






「木曽班、後二分で現着」

無線を聞くころには結人は完全に落ち着きを取り戻していた。勿論まだ怖い。だがそれ以上の安心を覚えていた。虎の威を借りたような自信が闘志を焚きつける。

「それじゃあ、私たちもがんばろうかぁ」

だが相変わらず間の抜けた声が、その闘志に水を差す。さっき一瞬感じた鋭さは勘違いだったのだろうか、そう振り返ると

「え?」

左腰からタイプライターを外している君垣がそこにはいた。既に外したのか、軍刀は地面の上に置かれている。これから戦おうという時にこの二つを外すなんて狂気の沙汰だ。

 結人たち書士が他の隊員と違う点、それは筆具を持っていることだ。書士は特殊な筆記用具、筆具を生成できた隊員のみがなれ、その筆具こそが強力な化け字を倒すのに必須の武器なのだ。

 そしてその筆具を補助しているのが軍刀であり、タイプライターだ。結人たち書士の大半は筆具が万年筆だ。だが万年筆は単体では使い勝手が悪く、戦闘に向かない。そこで書士は特殊な軍刀の柄に万年筆を装填し戦うのだ。さらに機動的に、かつ広範囲での戦闘を可能にするために”タイプライター”が開発されていた。

 

 つまりこの二つないとうのは、両手両足を縛って、さらに敵に銃を突き付けられた状態で戦うようなものだ。勝ち目がない。

 だが君垣は迷わずベルトからタイプライターの固定具を一つずつ外していく。そうしてカチリという音とともに最後の金具が取れると、君垣はタイプライターを地面に無造作に置いた。

「君垣………さん?」

いくら何でも無茶苦茶だ。自暴自棄にでもなったのかよ、さすがに声には出せないが心がそう叫ぶ。

だがベルトから顔を上げ、声の方へ向けた君垣の瞳は真剣そのものだった。その眼の奥に宿る光の強さに、結人は閉口する。でも、

「筆具がなしは………

「木曽班から目黒班宛て、木曽班現着!!」

「目黒、了!目黒班、木曽班戦闘開始まで一分!!」

声は指令に掻き消され、君垣には届かなかった。

「さぁ、行こうか」

歩き出した君垣の言葉に佐々木も動き出す。


 気付けば曇天は暗さを増し、一面を深い灰色に染めている。

最後までお読みいただきありがとうございます!!

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