1話 めんどいから置いてくね
目覚ましの音が鳴り響く。
微睡みを引きずりながらも意識が徐々に覚醒していく。
目を開けて、最初に飛び込んできたのは超至近距離に迫る人面だった。
「…………………………。」
「…………………………。」
俺の上に馬乗りになるその人とじっと見つめ合いながら、静寂が場を呑み込む。
それを最初に引き裂いたのは俺だった。
「………邪魔なんだけど。」
「はずれ。貴方がまず言うべきは『おはよう、大好きなお姉ちゃん。』でしょう?なのに私に向かって憎まれ口を叩くなんて、また教育が必要かしら。」
黒い瞳を細めて朝から理不尽な説教を垂れるのは我が姉、春黒羽だ。
瞳と同色の黒髪を腰まで伸ばし、その身はすでに制服に包まれていた。
俺とは似つかない整った顔立ちとすらりと伸びたしなやかな肢体は西洋彫刻のような完成された美を感じさせる。
はずれも何も、起き抜けに鼻先が触れるほどの近距離に人の顔があったら邪魔でしかない。というか普通の人なら悲鳴を上げた後、再び夢の世界へ旅立つことになりそうだ。
あと部屋には鍵をかけていた気がするのだが、どうやって入ったのだろうか?
この姉は小さい頃から……いや、生まれた頃から俺を私物化し、暴虐の限りを尽くしてきた厄災そのもの。
実のところ、俺はこの姉を人ではないと睨んでいる。
理不尽が人の形をして何故か俺の姉という立場に収まった存在───それが春黒羽の正体である。
「ッフ。」
自身の名推理に思わず笑みがこぼれる。
「あら?何を笑っているのかしら?私何か面白いことでも言った?」
頬をがしっと掴まれ、むにむにされる。
俺はそれを甘んじて受け入れることしか出来ない。なぜなら寝起きで体に力が入らないからだ。
本調子ならこんな暴挙を許す俺ではないのだが、いやはや悲しきかな。
「時雨、そろそろ起きないと─────義姉様、何をされてるんです?」
姉に好き勝手されているとまた侵入者が現れた。
肩まで伸びた白い髪。少し垂れた優しそうな目元。
体型は小柄だがスタイルは良く、儚げな印象を受ける。
そして何より目を引くのは頭からぴょこんと飛び出たもふもふの可愛らしい耳とこれまた触り心地の良さそうな尻尾。
俺の幼馴染、白束虎雪だ。
虎雪は俺たちを見て少し固まった後、圧力のある笑みを浮かべてそう聞いてきた。
「おはよ、虎雪。」
「姉弟のじゃれ合いよ。他人は引っ込んでおいてくれるかしら。それと、、何度も言うけど貴方に"義姉"と呼ばれる筋合いはないの。」
突き放すように言う姉の視線は鋭い。
仲良くしてよ。
俺の幼馴染だということは勿論姉とも幼い頃から親交があるわけで………いや、親交はないか。
二人はどうやらあまり仲が良くないみたいで、そのせいでいつも間には俺がいた。
俺としてはギスギスした空気は嫌なので二人にはもっと仲良くなってほしいのだが両方ともに「無理。」と断られた。にべもない。
「他人ではありませんよ。私と時雨は将来、結婚の約束をしているので。」
「あら?とんだ勘違い女ね。時雨は私と結婚する約束をしているの。」
ちっちゃい頃じゃんかそれは。
ちっちゃい頃だから言っちゃったんじゃん。
ちっちゃい頃のそういう約束は無効って相場は決まってるじゃん。
その約束も別に俺が言い出したことじゃなくて、結婚というものをあまり理解してない俺に二人が一方的に取り付けたものだ。
当時は促されるまま返事をしていたが今考えると相当悪質だよ?
よく理解してない人に、大した説明もせず自分の都合の良い方へ誘導ってそれ完全に詐欺の手口じゃん。
俺二人にはそんな人を騙すような大人になって欲しくないんだけど。
バチバチと二人が火花を散らしながら笑顔で睨み合っているのを他所に、俺はベッドを抜け出し洗面所へと向かった。
〜〜〜〜〜〜
顔を洗って口をゆすぐ。
鏡で見た自分の顔はまだぼーっと眠そうな感じだ。
「ここ、寝癖ついてる。」
「おお、悪いな。」
いつの間にか背後にいた虎雪が寝癖を直してくれた。
整えやすいように少し屈んでやる。
虎雪は後ろから抱きつくように密着し、小さいながらも確かに柔らかいものを押し付けてきた。
尻尾も俺の足に巻き付けられている。
「当たってるぞ。」
「……当ててる。」
鏡越しに見る虎雪は少し顔を赤らめているように見える。その視線に気づいた虎雪は俺の背に顔を埋めて隠れた。
恥ずかしいならやらなければいいのに、可愛いヤツだ。
俺はくるっと虎雪の方を向き、顔を覗き込もうとする。
「………あ、ちょっと──」
俯き、手で顔を必死に隠す虎雪。
俺はそれが面白くてなんとか顔を見てやろうといろんな角度から覗き込んでみた。
「や、やめ……」
「何をイチャついているのかしら?」
いつの間にか洗面所のドアに寄りかかるように姉が立っていた。その目はどこか冷たく、心底面白くないものを見たような顔をしていた。
こんなに面白いのに。
「まったく、人が朝ご飯の準備をしている間に……。」
「ご飯できたの?ありがとー。」
面倒くさくなる前にサッと姉の横を通り抜けてこの場を離脱しようとしたのだが肩を掴まれる。
逃がしてくれる気はないようだ。
「待ちなさい。お姉ちゃんが食べさせてあげるわ。」
赤ちゃんかな?
俺はすでに高校生二年生。
一人で飯を食べるなど文字通り朝飯前だ。
「別に大丈─「弟は姉の言うことを聞いていればいいの。」
流石我が姉、言論弾圧はお手の物だ。
肩をつかむ手に力が込められる。
にこにこと笑ってはいるが有無を言わさぬ迫力が込められている気がした。
なんとか逃れる方法はないか考えていると横から伸びた手が姉の手首をがしっと掴んだ。
「義姉様、時雨が嫌がってます。」
「時雨が私を嫌がるはずないでしょう?馬鹿も休み休み言いなさい。」
ナイスだ、虎雪。
この暴君を諌めてやってくれ。
「私が時雨に食べさせます。」
赤ちゃんかな?
なぜ皆俺の食事に手伝いが必要だと思っているのだろうか。
俺はもう自立してるよ?
「貴方では役不足よ。分を弁えなさいな。」
いや別に俺への給仕なんてそんな大層な役回りじゃないと思うけど。
どっちかと言うとじゃんけんで負けた人が心底嫌そうな顔をしながらやるような罰ゲームでしょ。
「どこまでも自分本意な御方ですね。少しは時雨を省みては?」
「古来より、弟の全ては姉のものと決まっているの。どうしようが姉の勝手よ。」
何そのとんでも姉ジャイアニズム。
初耳なんだけど。
弟だろうが人権くらいは保障して欲しいものだが。
「まあまあ二人とも、喧嘩しないで。俺は自分で食べれるから。」
二人の冷えた視線が俺に向く。
なぜだか背筋がブルリと震えた。
〜〜〜〜〜
結局朝食は二人に片っ端から口に突っ込まれた。
まるで巣立つ前の雛鳥のように、俺は口を開けるだけで飯が次々と腹に収まっていったのだ。
「私が食べさせた方が美味しかったでしょう?姉だもの。」
「時雨は私が食べさせた時の方が喜んでいました。」
まだ言ってる。
毎朝毎朝、よくもまあそんなにいがみ合えるものだなと感心する。
朝食を食べ終えた俺は既に制服に着替えていた。
食事の次は着替えまで手伝おうとしてきた二人をようやく締め出し、無駄に時間を食ってしまった。
食うのは朝食だけで良かったのに。
俺達は三人とも同じ高校に通っている。
その名も、國大和学園。
国内有数の名門校だ。
中学時代の俺は勉強なんぞ二の次で遊びに夢中だった。高校なんて行ければどこでもいいと考えていたのだが、残念ながら我が家には暴君がいる。
俺の意見など尊重されるはずもなく、姉が進学した高校と同じ所に入学させられたわけだ。
國大和はエスカレーター式の学校のため、既にコミュニティがある程度出来あがってしまっている。故に外部生は肩身が狭い。
偶然虎雪も國大和を志望し、合格していたから助かったものの、運が悪ければ俺は高校生活をボッチで過ごしていた可能性すらあった。
そうなれば学校で頼れるのは姉だけという最悪な学園生活が待っていただろう。
そんな未来が訪れなくて本当に良かった。
そんな物思いにふけっていると廊下から再び二人の言い争う声が聞こえてきた。
部屋から出れば巻き込まれると悟った俺は机の引き出しから靴を取り出し、二階にある自室の窓から飛び降りた。
一回転し、スタッと華麗なる着地を決める。
登校中の小学生たちがそれを見て感嘆の声を漏らし、拍手を送ってくれた。
俺はそれにニヒルな笑みを浮かべ、手を振って応えると二人を置いて学校へ向かった。
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