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春が来る前に

作者: 水沢ながる

 人手が必要なボランティアの口があるというので、先輩にくっついて行くことにした。参加者にはささやかな謝礼も出るという。こういう活動はしたことはないが、こんな自分でも何かの力になれるならいいか。

 集合時間は夜だった。先輩からは防寒対策はしっかりしろと言われている。言われなくてもまだまだ気温は上がらず、もうじき春になろうというのに日中でも分厚いコートやセーター、ヒートテックは欠かせない。何でも夜通しの作業になるとのことで、念入りに着込んで行くことにする。厚着はしていてもなるべく動きやすい服装で、そして手袋は必須。それが先輩からの注意事項だった。

 集合場所として連れて来られたのは、近所の神社だ。僕達以外にも何人ものボランティア参加者が集まっている。よく見ると何だか妙な気配をまとわせた参加者や、どうも動物っぽい雰囲気の参加者もいるのだが、先輩からは知らん顔をしておけと言われている。

「やあ、一年ぶりだね」

「今年も来たんだな」

「や、どうも、久しぶり」

「そっちは? 新顔かい?」

 何度か参加している先輩は顔見知りも多いらしく、あちこちから声をかけられている。僕はその後ろで、ぺこぺこと頭を下げ続けていた。

 ここには常連も多いらしく、あちこちで顔見知りらしい連中がめいめいにしゃべっている。

「今年は倅を連れて来たよ」

「ええなあ、うちは誘っても来てくれんのよ」

「最近はこれに参加する奴も減って来てるんだよなあ、大事な仕事なんだがなあ」

「まあ正直面倒ではあるけどな」

 ざわざわとした雰囲気の中、神社の奥から一人のお爺さんが出て来た。途端に、皆のおしゃべりはぴたりと止んだ。

 そのお爺さんは平安時代の狩衣みたいな衣装を着ていて、真っ白なひげを伸ばしていた。数人の巫女さんを引き連れている。ここの神主さんかも知れない。お爺さんは皆をぐるりと見回し、良きかな良きかな、と呟いた。

「皆の衆、良う来てくれました。今年もよろしく頼みます」

 お爺さんの言葉に、集まった皆がよろしくお願いします、と一礼し、僕もあわててそれに倣った。続けて巫女さん達が作業に使う道具を配り始め、自然にいくつかの行列が出来た。その一つに僕も並ぶ。

 渡されたのはゴミ拾いに使う大きなトングみたいな奴(火ばさみというものだそうだ)、それに口をひもでくくれるようになっている白い袋だ。受け取った人達は何人かのグループを作り、この辺りで作業してくださいと地域を振り分けられる。

 僕はいつの間にか先輩とはぐれてしまい、どこで何をすればいいのかわからずに途方に暮れていた。

「おやぁ、そこの兄さん、一人かい?」

 キョロキョロしながらうろついていると、不意に誰かが声をかけて来た。見ると、縞々の茶髪と金色がかった目をした、人懐っこそうな青年だ。一瞬どこかで会ったような気がしたが、よく見るとやはり知らない顔だった。

「いえ、連れがいたんですけど、どこかに行ってしまったようで。参加するのは初めてなんで、どうすればいいかわからなくて」

「なら、俺らのところに入ればいいや。俺らの担当はこの近くの町中だから、初心者にはちょうどいいだろ」

 見た目は派手だが悪い奴ではなさそうだったので、お言葉に甘えて彼のグループに入れてもらうことにする。彼のグループは二十人ほどの人数で、ちらほら女性の姿もあった。

 神社の長い石段を降りて、参加者達はそれぞれの持ち場に散って行った。僕が入れてもらった青年のグループは、神社近くの住宅街だった。

 街灯はあるものの、夜道は暗かった。僕は小さいライトを持って来ていたけど、縞々の青年やその仲間はそんなものがなくても平気らしかった。

「……で、僕は何をすればいいんですか?」

「なんだい、それも聞いてないのかい。まあ、言ってみりゃ清掃活動、ゴミ拾いみたいなもんだけどさ。……ああ、ほら、そこ」

 青年は道端の雑草が生えている場所を指した。よく見ると、そこには綿の塊のような真っ白いふわふわしたものが落ちている。青年は火ばさみを使ってそれを袋の中に放り込んだ。見ると、辺りにはいくつもそのふわふわが落ちていた。来る時にもここの道は通ったけど、その時にはこんなものは落ちてなかった筈だ。

「これを集めるんだよ。なるべくたくさん」

 このふわふわが何だかわからないが、これが今夜の仕事のようだ。僕はそれを火ばさみでつかもうとしたが、火ばさみの先を近づけるとふわりと動いてなかなか上手くつかめない。

 業を煮やした僕は、それを直につかんで袋に入れようとした。

「あ、バカ! やめろ!」

「うわっ!」

 誰かが叫んだ時はもう遅かった。そのふわふわに触れた指先に、針で刺すような痛みが走った。僕はあわててふわふわを手離した。手がじんじんする。

「兄さん、大丈夫かい!?」

 縞々の青年がすっ飛んで来た。

「ダメだよ、こんなもの直につかんじゃ。これはあったかそうに見えるけど、ものすごく冷たいんだ。手袋をしてたからいいようなものの、素手で触れたら一発で霜焼けになっちまう。そのためにこれがあるのさ」

 青年は、パン屋のトングのように火ばさみをカチカチと鳴らして見せた。

「わかった。気をつけるよ」

 僕は火ばさみを取り直し、改めて逃げるふわふわを追いかけ始めた。何度かの失敗の末、だんだんコツをつかんで来たようで、しばらくするとどうにかふわふわを捕まえられるようになった。

「これ、夏まで置いといたら涼しくならないかな?」

「前にそれやった奴がいたそうだけど、あまり長く残してると良くないみたいでね。やっぱり返さないとダメなんだって」

 周りの皆が雑談をしながら作業をしている中、僕は四苦八苦しながらもなんとかふわふわを袋に入れ続けていた。


「は〜い、皆さんお疲れ様〜、ちょっと休憩〜。甘酒いりませんかぁ〜?」

 夜もかなり更けた頃、メガネをかけた女の子が甘酒を持って来た。よく見ると、ダウンジャケットの下に巫女さんの衣装を着ている。神社にいた巫女さんの一人だ。

 鍋に入った甘酒を、湯呑みに注いで皆に配る。寒いから、あったかいものはありがたい。縞々の青年やその仲間達は、やりすぎなくらいに甘酒をふうふう吹いていた。皆熱いものは苦手らしい。

「ああ、そうだ。この兄さん、あれを直に触っちまったんだよ。ちょっと見てもらえないかい?」

「あらぁ〜、それは良くないですねぇ〜。ちょ〜っと見せてもらえますかぁ〜?」

 巫女さんはのんびりした口調で言った。僕は言われるまま、手袋を外して彼女に見せた。まだ少し指先がじんじんする。

「あ〜、手袋のおかげで大したことはなさそうですねぇ〜。でも、お薬は塗っときましょうねぇ〜」

 巫女さんはダウンジャケットのポケットから小さな壺のようなものを取り出した。中には緑色のとろりとした軟膏が入っている。薬を手に擦り込むと、指先のじんじんがすっと消えた。巫女さんはさらに指先に保護のための包帯を巻いてくれた。

「すごいですね、この薬。一発で残ってた痛みが消えましたよ」

「効きますよぉ〜、なんせ河童さんの直伝ですからぁ〜」

「え? 河童?」

「は〜い、休憩終わり〜。皆さん、残りの作業がんばって下さいねぇ〜」

 尋ねる間もなく巫女さんは甘酒の鍋や湯呑みを持って行ってしまい、皆は作業に戻って行く。僕も仕方なく作業を再開することにした。


 それから先は順調に作業は進んで行った。

 最初上手く行かなかったふわふわの捕獲も、コツをつかんで来たのかちゃんと火ばさみを使って袋に入れられるようになり、気がつくと袋はかなり一杯になっていた。

「よーし、それじゃそろそろ戻るかね」

 縞々の青年が皆に声をかけた。一同は袋の口をしっかりと縛り、神社に戻り始めた。

 時計をちらりと見ると、5時をとっくに回っている。動いている時はあまり感じなかったが、やはり夜は寒い。

「夜が明ける直前くらいが、一番寒いからねえ」

 青年が言った。澄んだ寒空に星が輝いているのが、何だかいつもより綺麗に思えた。


 神社の長い石段を登りきると、皆が集めたふわふわが詰まった袋がずらりと並んでいる。どれもぱんぱんに膨らんでいた。

「さ〜て、始めましょ〜!」

 あのメガネの巫女さんが声をかける。と、神社の屋根の上にあの白いひげのお爺さんが現れた。手には大きなうちわを持っている。

「では、行きますよ〜!」

 声と共に、巫女さん達が袋を開ける。袋の口から、ふわふわが少しずつ宙に舞い上がって行く。ふわふわが屋根の高さに到達した時、お爺さんが大きくうちわを振りかざし、あおいだ。

 ごう、と空気が揺れた。

 強い風が吹いた。

 宙に浮いたふわふわ達が風に飛ばされ、遠くまで運ばれて行く。神社の敷地を越え、町を越え、海の方まで。

 お爺さんは舞うようにうちわを振り、その度に風が起きた。袋は次々と開けられ、ふわふわは飛ばされて行った。

「あれは冬の名残りなんだよ」

 縞々の青年が言った。

「あれが残ってると、上手く春を呼ぶことが出来ないのさ。だから毎年こうやってみんなであれを集めて、海の向こうへ送ってるんだ」

 無数のふわふわが風に流されて行く先を見つめていると、海の向こうから太陽が昇って来るのが見えた。美しい朝日を、僕はどこか呆然と見つめていた。

 ふと気づくと辺りはすっかり明るくなっていて、あれだけいた参加者や巫女さん達、屋根の上にいたはずのお爺さんもいなくなっていた。残った参加者達も、三々五々帰途についていた。

「おーい、何やってんだ? そろそろ帰って寝ようぜ」

 神社の階段を何段か降りたところから、先輩が声をかけて来た。僕は先輩を追って、神社の階段を降り始めた。


 家に帰って倒れるように眠りにつき、起きたらもう昼過ぎていた。一瞬、昨夜のことは夢だったんじゃないか、という考えが頭をよぎったが、指には巫女さんに巻いてもらった包帯が残っていた。

 テレビをつけると、春一番が吹いたというニュースをやっていた。空腹を覚えたのでコンビニで弁当でも買って来ようかと思い立ち、外に出る。

 強い風が吹き、僕の髪を乱した。

 と、目の前を一匹の猫がおもむろに横切って来た。よくこの辺りで見かける、茶トラの猫だ。野良猫なんだろうが、いつも堂々としている。ここらの猫のボスなのかも知れない。

 猫は僕の前でぴたりと足を止めた。くるりと僕の方を振り返る。猫は金色がかった目で僕を見つめ、にゃあ、と鳴き声を上げた。


 ――兄さん、また来年もやろうなあ。


 何故か、そう言われた気がした。

 また一つ、強い風が吹く。

 見えないけれど、多分ふわふわした冬の名残りがはるか遠くへ吹き飛ばされている。

 ふわふわが全部吹き飛ばされれば、


 ――春が、来る。



 春本番になった頃、「謝礼」と書かれた袋が僕の部屋のドアにかけられていた。中にはフキノトウやツクシやタラの芽と言った春の山菜が入っていて、下ごしらえや料理の方法がわからず右往左往することになるのだが、それはまた別な話だ。

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