第19話 解体作業
よく見れば、顔にも髪にも所々固まった血のような物がこびりついているし、服もぐっしょり……というより、半分乾きかけのべっとり? っぽい。
「かろうじて顔だけは川で洗ったんだけどさ。ちょっと目にも入ってたし。
臭いし気持ち悪いし、せめて水浴びと洗濯したいよ……」
なんて泣き言を零すレナードを、S級モンスターを相手してたにしちゃあ、高揚感とか緊張感とかも何も無くて、何だかなぁと思った。何か違和感があるんだよな……。
ランクAパーティですら全滅させかねない強力なモンスターと対峙して、なんでそんなにいつも通りなんだろう? って。
あれ、そう言えば……。
「レナード、この熊の肉食べた事あるんだ?」
「あるよ。熊肉って脂が美味いんだよね~。
まぁ、美味しく食べるには、ちょっとしたコツ……下処理がいるんだけどさ。
その手間すら、あの美味さの前には必要な手間だって思えるよ」
「ちなみに手間って、どんなの?」
「酒かミルクで一晩、漬け込むんだ。何度か酒やミルクを取り替えられれば更に良し。それで独特の臭みが抜けるから、そこから普通に料理に使えばいい。薄切りで使うなら湯通しでも良いかな。
―――まぁ、精神的な問題が割り切れたらって前提は残るけどね」
「精神的問題? 何それ?」
「こういうモンスターの場合、人間を喰ってる事が往々にしてある訳で……。
『人間を喰った熊の肉を食べる』のは、無理だって感じる人も居るって話。
普段はそんな事考えない人だって、解体の時に胃袋からそれなりの物が出て、目の当たりにしたら、体が受け付けなくなる事だってあるしね。
まぁ、街の人間ならいざ知らず……冒険者がそんな事言ってられないとは思うけど」
僕達には、モンスターを殺したら”お肉”や素材だけど、モンスターに取っちゃあ生きてる人間が”お肉”って事だよね。
「じゃあ、倒して食べる事で、喰われた人の仇を取ってるって事で!」
「ディートは頼もしいな。じゃあ、解体に付き合って貰うぞ?」
「良いよ! 講習で習ったし、実技もちょっとは経験したからさ」
……なんて、安請け合いしたのを、僕は後で盛大に後悔する事になる。
「―――遅くなってごめんなさい! じゃあ、炊事場に運びましょうか」
セリエさんが男手を2、3人連れてやって来た。流石に3mを優に超える大熊を運ぶならそれくらい居ないと動きもしないだろうから。
「ありがとう。……ディートから聞いたけど、講習で解体もやったんだって?」
「ええ、鹿と猪だったんだけど、差し入れて貰って干し肉に加工する所までは一通りね」
レナードが、少し考えてこんな提案をする。
「じゃあ、希望者にはコイツの解体見学させるかい?
見たくない人は、別に良いけど―――どうする?」
セリエさん達が躊躇しているのが分かる。さっきの”精神的な問題”の話かな?
「え……解体を? それは、どこまで……」
「当然、最後まで。勿論、腹も掻っ捌く。肉は下拵えして、明日の昼にでもオレが料理しても良いし。それも、食べる食べない、或いは食べられない、は自由だ」
レナードも分かってる。分かった上で提案してる。
「―――そうね……、ちょっと大人達で相談するわ。今回、被害者も出てる事だし。
意外ね、”赤の疾風”さんは思った以上にスパルタなのね?」
小さくため息を付きながらセリエさんが僕に聞くけど……。
「数はすっごく少ないけど、結構鬼かも?」
「まぁ、無理にとは言わないよ。
ただ、最終的に食うか食われるか、みたいな事がないとは言えないからね、この商売。
人間って、メシ喰わなきゃ死んじゃうから」
「分かったわ。もう少しだけ待っててくれる?」
「おっけー。」
セリエさん達が引き返して行き、ギルド職員や冒険者達が集まって話し合いをしてる。
意外とすぐに輪がばらけ、各自の仕事に戻っていく人、再びこちらへ来る人に分かれた。
「お待たせ。希望者を募って解体やりましょう、となったわ。但し、参加は自己責任で。
例え気分が悪くなっても、責任は持たないという条件付きよ。
今、手分けして参加の希望を聞いて回ってるから……あら、もう来たわね?」
ちらほらとこちらへやってくる人が居る。
結局の所、動ける人は殆どが参加。それも、講習生だけではなく、冒険者の人達まで集まってきてる。だるそうなクリスさんもちゃっかり居る。
「へ~、結構来たね?
じゃあ、取り敢えず炊事場? まで、運ぶぞ~」
とレナードが声を掛けると、みんなして『おー!』と返事してる。
……なにこれ? 何かの祭り?
ズリズリと引き摺って炊事場まで運ぶと、レナードが咳払いをしてから話し始める。
「講習生のみんなは、今回の実技講習で鹿や猪などの獣で解体と保存食……干し肉の作り方は習ったって聞いてるけど、今回はモンスターだ。
それも、人間を襲って殺したり、もしかしたら食らっているかも知れないモンスターだ。
それが何を意味するかは、分かるだろうか?」
既に、少し顔色が悪い人がちらほら居る。
「そう、人間を喰ったモンスターの腹の中から人骨や冒険者認識票が出て来るかも知れない。そういったモンスターの肉でも、君たちは食べられるかい?
やっぱり無理って人は、今、ここから離れた方が良い。
大丈夫だって人でも、実物を見てしまうとショックをうける場合もある。
―――ここから先は、自己責任だよ?」
2人ほど、この場を離れた。その人達が充分離れてから、レナードは太ももに装着してる大型ナイフを抜くと、始まりを告げた。
「そしたら、始めようか」
まずは血抜きのために頸動脈を切る。
「熊の血は、新鮮な物はそのまま貧血の薬として飲む地方もあるし、腸詰めして煮込んでソーセージにしたりも出来る」
なんて豆? 知識を挟みながら、素材として売れる部位の話から、実際の剥ぎ取り方や注意点。魔石のある場所……大体、同種のモンスターはほぼ同じ位置にあるらしい。この熊は胸の中央辺りから見つかったんだけど、成人男性のレナードが片手でギリギリ持てるくらい? 今まで見た事ないくらい大きい!
余りの大きさに、ギルド職員や冒険者達から『おお~!』とどよめきが沸いた程。
だって、普通の魔石って、大きくても片手で握れるくらいなんだもん。
「じゃあ、これ……はい」
余りに何気なく隣にいたセリエさんに手渡すから、思わず『えぇッ?!』と動揺して危うく落とし掛けてしまう。
「……ちょ、こ、こんな重要な物、突然渡さないで下さい!!」
「いや、渡さないと解体進まないし。じゃあ次は―――」
ナイフを逆手に持ち、皮一枚で前を開く。旅の間に何度も見たけど、内臓を傷つけないように切るの、ホントに巧いんだよな。
「胃、開くよ? みんな、大丈夫かな。覚悟出来てる?」
見ている人は、誰も立ち去らない。周りを見渡し、レナードがぶよんとした胃にナイフを突き立てた。
結局、覚悟が出来てると思ってたけど全然でした。
と言うのも、二人分の冒険者認識票と、骨らしき物が出て来たんだ。
吐く人、卒倒する人、何とか平静を保った人……そして割り切ってる人。
前半は殆どが講習生で、後半はギルド職員や冒険者の人達だ。
流石にパーティメンバーを失ったのだろう人達は、静かに泣いていたけれど。
僕はと言えば、思わず想像してしまって苦い物が喉まで上がってきたけど、かろうじて吐かなかった感じ。
ちょっと意外だったのは、クリスさんが吐くとか卒倒するとかじゃなくて、ただただ悲しそうな顔をしてた事。
「く、クリスさんは……大丈夫?」
「そうだね、大丈夫、なのかな?
ボクは端くれだけど神官だから……犠牲になった人達の冥福を祈るよ」
と、ルキア教のシンボルである太陽を模した首飾りを持ち、追悼の祈りを捧げる。
「そうか、ありがとう。せめてもの手向けになるよ。
さて、もろもろ落ち着いたかい? 一番見て貰いたい所は終わったから、気分の悪い人は離れて休むと良い。この後は普通に解体していくだけだからね」
レナードはそれだけ言うと、解体作業を再開する。その様子に講習生は殆どがその場を離れ、大人達も体調を崩した者の介抱にと付き添っていく。
「―――君達の保護者さんは、優しい人だね」
祈りを終えたクリスさんがボソッと話す。
「え、何処が?! 今の流れでどうして”優しい”って事になるの?!」
思わず大きな声で聞き返す僕に、クリスさんは余り見た事のない儚げな笑みを浮かべるだけで答えてくれなかった。
「なんで?! ねぇ、クリスさん、理由は?!」
―――ゴンッ!!!
手刀が頭を直撃。いつの間にか真後ろにレナードが立っていた。
「い……つつつ; もう、何だよ! いきなり!!」
「いきなりじゃないっつーの。さっきから呼んでんのに。
これにいっぱい水汲んでくれ。こっちは湯沸かして」
と、デカい鍋? を2つ渡される。
「いつも言ってるだろ? 働かざる者喰うべからずって。
それとも、繊細なディート君はこの熊肉は食べられないかなぁ?」
ムカ……。ムカつくけど、さっき吐きかけた僕は言い返せない。自分では大丈夫だと思ってたのに……それでも吐きかけた。
それこそこんなS級モンスターになんて、出会う事自体が稀だろうけど、『下手をすれば明日は我が身』と思って行動しろって、父さんがよく言っていた。
『人間の子供なんて、普通の肉食獣にだって喰われかねないのだから、森の奥へは絶対に行くな』と口を酸っぱくして言われていたのに、レナードと出会った日もオオカミに囲まれて、助けて貰ったっけ。
「ボクも手伝うよ! ちゃんと働いてるトコ、見て貰っておかないとね~」
なんて言いながら、片方の鍋をクリスさんが掻っ攫って井戸に走って行く。
井戸で水を汲んでると、護衛をしてくれたパーティのリーダーさんが声を掛けてきた。
「おーい、俺も手伝わせてくれ!」
「あれ、でも怪我してたんじゃ……?」
「俺はまだ軽い方でな。
動けるんならこっちを手伝ってこいってセリエに怒られちまってな;」
「そうなんですね。じゃあ、この鍋、レナードの所まで持って行って貰えますか?」
「ああ、お安いご用だ。力仕事は任せてくれ」
水がなみなみ張られた大きな鍋を、リーダーさんは軽々持つとスタスタと歩いて行く。
「流石だねー。」
「大人だねー。」
僕とクリスさんはもう一つの鍋を火に掛けながら見送った。