結婚しませんか
『結婚しませんか』
朝、目が覚め、開いた携帯のトーク画面からそのメッセージが目に飛び込んでくる。目を擦る、頬をつねる。何も起きない。少し落ち着いてもう一度、画面に目をやる。メッセージを送信したのが自分だということより、すでに既読がついていることより、トークの相手に驚く。
「茜は彼氏欲しくないの?」
唐突に倉田が私に聞いてくる。
「別に私はいいかな。男に興味ないし」
「ふーん。意外だねぇ」
石原がニヤニヤして顔を覗きこむ。
私は学校では仲がいい5人といることが多い。素直で優しい倉田。いつもニヤニヤしている石原。「拙者に名乗る名などありやせん‥」が初対面の挨拶だった松田。華奢で頭のいい氷見真依。そして私、守谷茜。5人中3人、倉田、石原、松田には彼氏がいる。そのため、「彼氏はつくらないのか」とよく聞かれる。この日も、松田が時代劇について熱く語った後。自然な流れで倉田に質問された。
「意外かな?」ニヤニヤしている石原に言うと、石原がさらにニヤニヤしながら
「だって茜っち乙女の匂いがするもん」と答える。
なんだそれは。ツッコミ待ちなのか真面目に言っているのか。返答に困ったので
「真依はどうなの」と、てきとうに話を真依に話題をそらす。
「私は…別に…モテないし…いいかな」
軽く話を振ったつもりなのに、真依の思ったより悩んだ様子を見て、私は話をそらす。真依はいつも通りに話しているけれど、時折、思い詰めたよな表情をしていた。
その夜、気になり真依にメッセージを送った。
『夜遅くにごめん。もしかして、彼氏について話しているとき、デリケートな問題に触れちゃったかな』
『全然大丈夫だよ。気にしないで。』
思ったより早く返信がきた。大丈夫…なのかな。
『迷惑だったら申し訳ないけど…悩みとかあるなら聞くよ』
真依を心配する気持ちと、興味が少し強くなる
『ありがとう。じゃあ少し聞いてもらっていい?』
メッセージが送られたてすぐ、真依から電話がかかってくる。
「夜遅くにごめんね」
真依の声だ。電話越しでも優しさが伝わるような、落ち着いた声。
「全然大丈夫だよ~」
デジャブを感じていたら、真依が少し神妙な口調で話し始める。
「私、中学のとき彼氏がいたんだけど…」
「え?いたの?じゃあモテてたの?」
「うん」
はっきりとした物言いに納得してしまう。謙遜を素直に受け取った自分が恥ずかしい。
「でも、うちは親が厳しくて、『将来の結婚相手になるような器がない人とは付き合うな』って言われて」
「そんな…いつの時代の親…あっ!ごめん!」
うっかり、真依の親を悪く言ってしまう
「はははっ!まぁそう思うよね。わかるよ」
「ごめん」
「大丈夫!大丈夫!たぶん普通の反応だから」
「そっ…か。それで、その時の彼氏はどんな人だったの?」
「優しくて、いつも笑顔で、努力家だったなぁ」
「いい人じゃん!それでも親はダメだって?」
「うん。『学力とか、立ち振舞いがふさわしくない』って」
「そっか…大変だね」
「だから、気軽に人と付き合うと相手に申し訳なくて」
「・・・」
自分には到底起こり得ないであろう話に言葉がつまる。そもそも、私はモテたことがない。それに、あまり彼氏がほしいと思ったことがない。境遇も考え方も違う真依に、どんな言葉をかけてあげればいいのだろうか。
「じゃあどんな人なら親も許してくれるのかな?」
気の利いた言葉が思い付かなかったため、真依に尋ねてみる
「う~ん…茜みたいな人…かな…」
「!?」
「茜みたいな人だったら許してくれるかも。ほらっ。頭いいし、礼儀正しいし」
「ああ、うん…」
あくまで条件としてか…変な解釈をしてしまった自分が恥ずかしい。それにしても、礼儀正しいか…。慌てて背筋を伸ばす。
「相談乗ってくれてありがとう!もう遅いから。また明日!おやすみ!」
「うん…おやすみ」
電話が切れる。それにしても「茜みたいな人」か…。この言葉がずっと尾を引いて。頭から離れなくて。なんだかむず痒い気持ちになる。再び真依とのトーク画面を開いてみる。『ありがとう』の文字が少し特別な気持ちにさせた。その後も布団に入っては気になって、トーク画面を見返すことを繰り返していた。眠気がだいぶ強くなっていたころ、不意に、石原の言った「乙女の匂い」を思い出す。よくわからないことについて、眠くて正常に動いてない頭で考える。乙女、乙女か…。確かに漫画みたいにキラキラした学校生活には憧れていた。でも、実際、
待っているだけでは何も起きないし、私は主人公になるような運命ではない。能動的に、積極的に…なりふりかまわず…。さらに眠気が強くなる。真依に何かメッセージを送ったような気がしたけれど。確認しようとしたらもう朝になっていた。
『結婚しませんか』
間違いない。寝落ちする寸前、送った言葉。既読がついているためもう取り消しはあまり意味がない。まず落ち着こう…と思ったが、遅刻しそうな時間だったので、慌てて家を出た。なんて言えばいいだろうか。
「間違えた!ごめん!」・・・いや、どんな間違いだよ…。結局、都合のいい言い訳は見つからないまま学校に着く。なんだかいつもより視線を感じるような…
教室に入ると、私に気付いて皆がざわつき始める。倉田と石原と松田が近付いてきてそれぞれ、「がんばって!」「おめでとぉ」「寿」と言われる。理解に苦しんでいると、黒い制服の中から一際目立つ、白い人影が近付いてくる。振り向くと、白いタキシードを着た真依が立っていた。
「え?何その格好!?」
「まぁ…何だ…その…せっかくのプロポーズにメッセージで答えるのは味気ないと思って…。少し…面映ゆいけれど…」
そう言うと、白い胸ポケットから薔薇をとりだして差し出してくる。
「これが…私の答えです!」
薔薇きれい!うわっ!嬉しい!・・・いや、違う違う。
「あっあのぉ~あのメッセージはなんというか…魔が差した…というか」
満面の笑みで見つめてくる真依の顔を見て、はっきりと喋ることができない。
混乱して立ち尽くしていると
「氷見さーん。先生が服装の校則違反で職員室に来いって」
クラスメイトに呼ばれ、真依の顔が一瞬曇る。しかし、すぐにさっきの笑顔に戻ると、
「せっかくだし、先生にも事情を説明しよう!」
そう言いながら、私の手を引っ張る
「え!?あ!せっ説明って!?」
「もちろん、私たちの結婚だよ!」
「はわ!?けっ結婚!?」
「あ!もしかして不安?それなら…」
不意に視界が回転し、体が浮く、天井と真依の顔が重なる
「あのぉ~真依さん?これは…」
「ん?お姫様抱っこだよ」
え?どっちが姫なの?・・・いやいや、そんなことより、この状況!どんな顔をすればいいのか…真依の顔が近い!たぶん、私の顔は赤くなっている。しかし、さっきまでの自信たっぷりな話し方はどこにいったのか、急に真依が黙ってしまう。顔を背けようとしたけれど真依の顔を凝視してしまった。いつもの見馴れた、真依の透き通るような綺麗な顔が、破裂しそうなほど、赤面していた。
何をやっているのだろう。私は。タキシードで登校し、茜を抱えて歩いている。おかしい。自分でもよくわかる。思えば昨日からずっと、自分が自分でないみたいだ。
『結婚しませんか』
電話を切って、しばらくしてから茜からメッセージが届いた。何を言っているのだろう。結婚?冗談かな…。そもそも法律、周囲の反応、色々なものを加味しても、ありえない話だ。ふざけているのかな?でも…絵文字やスタンプが一切使われていないから…もしかして…。いやいや、ありえないありえない。きっと冗談だろう。冗談のはず…。
「冗談じゃ…なければ…いいのに…」
不意にでた独り言に驚く。どうやら、予想以上に動揺してしまったようだ。
「告白なんて…あの日以来か…」
「好きです!付き合ってください!」
中学2年の夏、告白された。彼のことは恋愛対象としては見ていなかった。けれど、彼の良いところはたくさん知っていた。それに、告白されて嬉しかった。付き合い始めてから、彼のことも好きになり、2人でいる時間が何より楽しかった。たった1ヶ月しか続かなかったけれど。
その日はやけに暑くて、早々と家に帰った。いつも通り部屋で勉強していると、父が帰ってきた。今日はやけに足音が重々しい。なにかあったのかと考えていると、
ドアをノックする音が聞こえた。
「真依、話がある。」
父が低い声で私を呼ぶ。
「話って?」
「お前の交際についてだ」
背筋が凍る。父には彼のこと話していないはずだ。
「今付き合っている彼とは別れなさい」
「付き合っているってなんのこと?」
シラを切る。父が憶測で喋っているならこちらに分があるはずだ。
「とぼけても無駄だ。彼については調べてある」
彼について書かれた書類を見て。淡い期待が崩れ去ったのを実感する。
「わかっているとは思うが、お前の結婚、延いては将来に会社の命運がかかっている。軽はずみな行動をするな。」
・・・言い返せない。父の経営する会社には顔馴染みもたくさんいる。彼らのことをほっぽり出すことはできない。父もそれをわかっている。
自分自身と父に縛られ、きっと自由なんてない。きっと決まったレールの上を歩いていくだけなのだ。
そう…思っていたからこそ、茜からきたメッセージにすがりたくなった。初めて悩みを打ち明けた友達。この機会を逃したら、もう二度と、自由を実感できないだろうと。根拠はないけれど、きっと茜となら大丈夫。きっとうまくいく。とりあえず、私がされたら嬉しい告白を考え、茜に明日、学校で返事をしよう。「冗談だ」と言われたら、私から告白し、断られても、好きになってもらえるように努力しよう。
父の部屋にあったタキシードをこっそり持ち出し、玄関の花瓶から薔薇の花を一本抜く。明日は早く学校に行き、茜を待っていよう。
布団に入っても緊張して眠らなかったけれど、無理やりまぶたを閉じた。翌朝、タキシードと薔薇の花を鞄に詰め、家を出る。起きた瞬間から心臓の音が鳴り止まない。
どんな顔をされるだろう。気持ち悪いと思われるだろうか。今になって、悪い想像ばかりするようになってしまう。
学校に着き、トイレでタキシードに着替える。胸ポケットに薔薇の花を入れる、
手が震えている。怖くて仕方がない。でも、きっと今日あきらめたら…
制服を鞄に詰め、トイレを出る。
教室に入ると、案の定、注目を浴びる。
「どうしたどうしたぁ?」
石原が半笑いで尋ねてくる。
「いや…ちょっとね…告白されたからその返事を」
「ほぇー。誰に?」
「茜」
「へぇ?あーそっかぁ!頑張って!」
石原は一瞬戸惑ったように見たけれど、いつも通りニヤニヤしながら、遠くで見ていた倉田、松田のもとに駆け寄り、事情を説明していた。3人は私の席に来るとそれぞれ応援してくれた。
7分後、茜が教室に入ってきた。
落ち着いていたはずの心音が聞いたことがないぐらい大きくなった。茜の前に立つ。足が震えてまともに立ってられない。心音にかき消されそうな茜の声を必死に聞き取り、早口で話す。
「氷見さーん。先生が服装の校則違反で職員室に来いって」
クラスメイトに呼ばれ、一旦職員室に行こうと思ったけれど、このまま茜を無視して行くわけにはいかない。悩んでいると。茜が視線を反らした。
瞬間、このまま茜がいなくなってしまうのでは、という根拠のない不安が襲ってくる。
気がついたら茜の手を引いて歩き出していた。茜の手を握ると、さらに心音が大きくなった。もっと茜に近づきたいという気持ちが不意に飛び出してきて。脈絡のないことを言いながら、茜を抱える。自分でも意味がわからない。どういう状況なんだろうか。気持ちを整理する暇もなく、茜の顔が近づく。顔から湯気が出そうなぐらい暑くなる。
「真依、緊張してる?」
茜が落ち着いた声で言う
「うん。ごめん。ごめん…」
泣きそうになる。これだけ好き勝手やったのに、今になって、茜に気を使わせるなんて…。
「ごめん…ごめんねぇ…」
涙が止まらない。
「勝手に話進めてごめん。茜の意見も聞かないで…」
「いや…大丈夫だよ。私こそあんなメッセージ送ったりして…ごめん。迷惑…だったよね?」
「いやっ…そんな…わっ…私は嬉し…かった…よ」
さっきまで結婚とか口走っていたのに、言葉1つ言い終えることも難しくなってしまった。
そもそも私が茜に対してやっていることは、完全にエゴだ。自分が自由を手に入れるための。茜にそのこと話したら何て言われるだろうか。
「そっか、よかった。あのさ、結婚は法律的に無理だけど、友達って関係から一歩進むってのはどうかな?」
「うん!うん!それがいい!・・・!? それってつまり…」
「恋人ってこと…かな」
「恋人」
その言葉を聞いた途端、舞い上がりそうな気持ちになった。さっきまで自分の言っていた「結婚」よりも現実味を帯びた言葉に酔いしれる。うん!「恋人」いい響き!
先生に長時間怒られたあとの帰り道。茜と最寄り駅まで歩いた。夕焼けがきれいで。うっかり、朝のテンションで
「茜空もきれいだけど、茜の方がきれいだね」
とか、口走ったら、茜はキョトンとした顔をしていたが、意味を理解したのか、腹を抱えて笑っていた。つられて私も笑う。駅につくまで、私がなんでタキシード着ていたのかなど、一連の奇行について説明すると。茜はまた笑っていた。
「お父さんの説得、がんばらなきゃね!また明日」
そう言って茜は、私とは別のホームに向かう。
「茜!」
呼び止めると、茜が振り向く。茜目掛けて駆け出す。
「うわっぷ」
抱きしめると茜が可愛い声を出す。
「また明日!」
「びっくりした…また明日」
今度こそ各々のホームに向かう。電車の音をかき消すほどの心音が心地よくて、
明日が待ち遠しくて、この気分にいつまでも浸っていたくて、よく眠れなかった。携帯を開き、トーク画面を開く。
『結婚しませんか』
『ありがとう』
メッセージを送ろうと思ったけれど、やっぱり削除する。感謝の言葉は、明日また伝えればいい。画面を閉じようと思ってたら電話がかかってきた。茜からだ。
眠れなかったのだろうか。
「ごめんね、夜遅くに」
茜の声だ。電話越しでも優しさが伝わるような、落ち着いた声。
「いいよ~私も眠れなかったし」
「それでさ…真依!」
「ん?」
「やっぱり…結婚しませんか?」