5.推しとの邂逅
将来の夫宣言をされてしまった大司教ラモン様をお見送りして、私はシスターと一緒に二階の寝室に行った。聖女の力を覚醒させた反動でヘトヘトだったので、今日はゆっくり休むことにしたのだ。
他の子ども達やシスター達は、何事もなかったかのように仕事や遊びにいそしんでいる。ラモン様の異術のおかげで、私が聖女であることは見事に忘れているみたいだ。未だに出っぱなしで消えない天翼にも気付いていない。
「ゆっくり休むのよ、ビアンカ」
「はい。シスター」
催眠が解けたのか、すっかり普通に戻ったシスターに小さく手を振って、私はゆっくりと布団に潜り込んだ。
目を瞑ってうずくまり、深呼吸をして結論をだす。
もう絶対、ここは「堕ちる聖女」の世界だよ。と震えた。
なにから何まで私の知る設定通り。ゲームでは主人公の名前は自由に設定できるから、はじめは分からなかった。でも、あとは言うまでもなくゲームと同じだ。
どうしよう。
ゲーム通りに行けば、私は王国を救うために魔王と戦い、死ぬことになる。余命十三年だと宣告されたようなものだ。
デッドエンドが分かってて聖女にならなくちゃいけないなんて酷すぎるし、そもそも自分が王国を救えるとは思えない。
だって私、前世はただのオタク腐女子なのよ! 仕事だってただの事務職だったし、これといった特技もないのに、なんでこのポジションなの!
乙女ゲーの転生主人公って、ゲームをやり込んでるからフラグ折ったり回避したりして奮闘できるけど、私はまだ王道ルートのデッドエンドしかやってない。攻略対象への対策だってしなくちゃいけないのに、すでに大物キャラをひとり瞬殺で堕としてしまった感が否めない! これじゃあ堕ちる聖女じゃなくて堕とす聖女よ!
こんなことなら、ゲームと同時発売した公式ファンブックを一冊開封して見ておくべきだった。保存用に二冊買ってたのに、私の大バカッ。
頭をぐるぐると後悔がまわる。
「あ~も~いや~~~」
布団の中で叫びながらもがき苦しむとか、学校でオタクだとバレて後悔したとき以来だ。
前世って嫌なことも多かったけど、やっぱ良かったなぁ。身の危険なんて最小限だったし、娯楽はたくさんあったし、凡人な私でも生活の困らなかった。友達もいて、家族もいて、当たり前を当たり前に過ごせる世界……。
「前世に戻りたいよぅ……。今すぐ戻してぇ。誰か助けて……」
そんなことを延々と呟いていたら、ようやく睡魔が訪れた。
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「びい。びーぃ?」
うーん。誰? びいって私のこと?
「びー。おひるだよ」
えー。あと五分。まだ眠いの。
「びーったら」
ズリズリと布団を引っ張られ、私はそれを必死に阻止する。
誰だか知らないけどやめてよ、私は寝起きが悪いのよ。
食べ物で釣ろうが、かわいい声で呼ばれようが、起きないと決めたら起きないんだから。
「サウロ。ビアンカは疲れているから、ご飯はあとでいいのよ」
シスター・エリーの声。誰かが勝手に部屋に入ってきちゃったのか。
「やだ。びーと一緒にたべる!」
「サウロ、良い子だから、言うことを聞いてちょうだい」
「う~~~」
ごめんねサウロ。私のことは放っておいて、あなただけご飯に……、え、サウロ?
ちょ、まって!
「サウロって、あの、サウロ・アレイザ!?」
私は絶叫して飛び起きる。その声に驚いて「ひゃいっ」とビクビクしながら返事をした男の子を、まじまじと見た。
見た目は私と同じくらい。くりっくりの灰色のお目々に赤みがかった黒髪。おでこと左目の下に特徴的なほくろ。ぐずった後のくしゅっとなった表情に面影がある。
ま、間違いない。この子……私の推しキャラのサウロ・アレイザだわ!
ピシャン! と私の全身に電流が駆け巡ると同時に、めまぐるしく脳内がまわった。
聖女と魔王のことばかりですっかり忘れていたけど、ここって私の推しがいる世界だったわ! それって、うまくいけばゲームで見つけられなかった推しのカップリングを、聖女という立場を利用して見つけることができるかもしれないってことじゃない。さらに言えば、サウロの幼なじみである私は、ずっと推しを愛でていられるということ!
なんてことなの……こんなおいしいポジション他にないじゃない!
「ふ、うふふふふふ」
私はぐっと拳を握ってガッツポーズした。
――決めた。私、この世界で最強の聖女になる。
いまから聖女として修行を積めば、生きてハッピーエンドを迎えられるくらいに強くなれるかもしれない。っていうかなる。
魔王を倒して、私はサウロの旦那を見つける旅に出るッ。
そして妄想に浸りながら幸せな日々を過ごしてやるのよ‼
「びー? ごはん食べないの」
サウロの一声で、私は一心不乱にベッドから飛び降りた。
「起きます! 食べます! 行きましょうサウロ!」
私の返事にほわっとした笑顔を作って駆け寄ってくるサウロに胸キュンしながら、私はダイニングに向かった。
「サウロ。はい、あーん」
「あーん」
私がよそったスープを美味しそうに食べてくれるサウロに口が緩む。これが母性というものかしら。もうサウロが自分の子どものように思えてくる。
今気付いたけど、朝食もサウロが隣だった。アッシュがいない事を教えてくれたのはこの子だったのね。
昨日の誕生日会でも一緒に祝われたのに、全然気付かなかったな。
私とサウロは、同じ日に捨てられた者同士だ。私のほうが早く捨てられたから私のほうが姉ってことになっている。
それにしても。ゲームでは見られない推しの幼少期を三次元で目の当たりにできるとか最高。全世界のサウロ推しに自慢したいっ。
「ビアンカ。あなたも食べなさい」
サウロにばかり構っている私に、シスターが心配そうに声を掛けた。
「シスター。でも私、サウロのおかげで心が三杯目ってくらいいっぱいなんです」
「そ、そう……。でも少しは食べるのよ」
「は~い」
これでもかというほどににっこりとして言ったつもりだったけれど、シスターはなぜか苦笑いをしていた。
「ね~。シスター。もっとパンが食べたい」
突然、十歳くらいの男の子がテーブルをガタガタと揺らしてシスターに言った。
「ごめんなさいね、テッド。今日はこれでおしまいなの。後は晩ご飯まで待ってちょうだい」
「じゃあ、リンゴは?」
「あと三つだけだから、みんなでわけて食べましょうね。あとは干して食べる用」
「え~~」
「今年は果樹の実りが少なかったからねえ……」
ため息を零す料理のおばさんの、割と深刻そうな表情で私は我に返った。テーブルにある少ない食事に目を落とす。
雑穀パン、細かく刻んだ野菜のスープとしなびた豆のサラダ。リンゴはここにないから、食後に出すのだろうか。
これでは子どもたちが不満になるのも当然だ。私だってずっとおかゆじゃ辛いし。
子どもはいっぱい食べて、いっぱい運動して元気でいるべきよ。特にサウロにはゲーム通りに可憐で儚い麗しいの美男子になって貰わないと、私が困る!
未来の旦那に恥ずかしくない子に育てないといけないのに、こんな粗末な食事じゃお先真っ暗だわ。
私は食事も忘れて腕組みをした。
教会の敷地はだだっ広いんだから、そこで畑とかできないのかしら。あと、良質なタンパク質だっているわ。今は冬だから猟師のおじさんが狩りをできないのかな? いや、そもそも資金がないから、どこかに働きに出た方が手っ取り早いかも。
う~~~ん。
ダメね。三歳児の私にはどれも現実的じゃない。もっと手っ取り早く稼ぐ方法はないかしら。
私にできること言えば治癒魔法と羽根を出すことくらい。しかも制御できない魔法と飛べない羽根じゃ使い物にならない。
例え使えるようになったとしても、治癒で病人や怪我人を癒してお金を貰ったり、空を飛んで空飛ぶ宅急便、なんてこともできないわよね。せっかくラモン様に匿って頂いているのに、そんな迂闊なことはできないもん。
なにか、私の力をいかしつつ聖女だとバレないでお金を稼ぐ方法はないかしら。
「ごちそうさまでした!」
テッドが食べ終わって、我先にと外に出て行く。シスターが持ってきたリンゴを一個まるまる鷲づかみ、かじって逃げるように走った。
「あ~! シスター! またテッドがみんなで作ったリンゴを勝手に!」
「こら~!」
といって女の子も走って出て行く。
みんなで作った? そういえば、教会内には古い果樹園があったっけ。老木だからなかなか良い実がならなくなったってシスターが言ってたような。――ん。まてよ? これって上手くいけばお金になるんじゃ。
私はおかゆをかっこんで、果樹のある教会の北庭に向かうことにした。