27.精霊王オンディーナ
「俺のことを知っているのか? 挨拶はまだのはずだが……」
と、不思議そうに私を見つめてくるダミアンにドキドキする。
「は、はい。大聖堂での洗礼でお見かけしましたし、殿下を知らない国民はいないかと」
「あれだけの参列者がいたのによく気付いたな」
「ミゲル様の……、魔剣士様のお隣にいらっしゃったのでよく覚えています」
「ああ、そうか。……それで、俺の何を知っているんだ?」
「え?」
「世間では、どんな噂が流れているのかと聞いてる」
ん? 何のことだろう。
「いえ、噂は存じ上げませんけれど……」
ダミアンは、ちょっと驚いたふうに口を開けた。
「は? そ、……そうか。ならいい」
え、いいんだ。
深く聞くのもなんだし、本人がいいならいっか。
「あの、一国の王子が護衛もなくこのような場所にいらして大丈夫なのですか?」
「ここは俺の庭のようなものだ。聖女が迷わぬように、道案内をしてやろうと思ったんだ」
ダミアンは、よくぞ聞いてくれたとばかりに胸を張った。
それは有り難いけど……。
「道案内もズルに入るんじゃないでしょうか……?」
「……ぁ」
「……」
「……」
ダミアンはクルッと踵を返して歩き始めた。
「なに。泉までの道のりならば問題ないだろ」
ええっ。本当に大丈夫ですか。
「精霊王に怒られないですかね」
「バレなければ問題ない。気にするな」
わ。そういうとこ陛下にそっくり。
どうやら私には断る選択肢はないようだ。
私は諦めて、ダミアンについて行くことにした。
「着いたぞ。あの奥に泉がある」
「え、もう⁉」
まだ半刻くらいしか歩いてないのに、着いてしまった。
すごい。途中で近道っぽいところも通ったから、ダミアンは本当にこの森に詳しいんだ。
「ありがとうございます、殿下。おかげで野宿はしなくて済みそうです」
「礼をするのはまだ早い。この迷宮を出るまでは気を抜くな」
「あ、はい。それでは、いってきます」
私はダミアンの指さす先へと向かう。
蔓のアーチをくぐると、すぐに泉があった。
思ったよりも小さめで、向こう岸までよく見える。
「お、お邪魔します」
恐る恐る声を掛けると、泉に、風もないのに波紋ができた。
泉が青く輝き、その光の中から人の形をした水が現れて、やがて完全な人の姿になった。
絵画に出てくる女神のようだ。澄んだ青い髪に白亜の御召し物と、透き通った四枚の羽根。まさに精霊王と呼ぶに相応しい女性の姿。
ゲームと印象が違う。
精霊だから小さいかと思っていたけど、モデルさんみたい。
「私は泉の精霊王オンディーナ。聖女、あなたに洗礼を施し水の加護を与える者」
わあ。ゲームと同じ台詞。感動。
私は精霊王の御前で祈りの姿勢になる。
泉の精霊王オンディーナは、聖女に水の加護を与え、聖女はその力で聖水を作れるようになる。
と言うことは、水の精霊魔術ってことよね?
火と、風と、水の魔術が使えるようになるって、私、すごくない?
そう心弾ませていた私だが、しかしいくら待っても精霊王の洗礼が始まらない。
気になって精霊王を見上げたら、オンディーナが真顔で固まっていた。
どことなく不穏な雰囲気を感じるのは、私の気のせいだろうか。
「オンディーナ様?」
「そなた……」
「は、はい」
「どこでその加護を」
「え?」
「風に乗って焦げ臭いニオイがする。まさか、風と火の加護を受けたのですか」
「あ、はい。少し前に」
「少し、とは」
「二か月ほど前です」
オンディーナが、袖を顔に近づけて眉を寄せた。
「あり得ぬ」
「へ?」
「火の精霊は遥か昔に絶えたはず。そして風の精霊も絶滅したようなものです。貴族の人間の様に、代々受け継いだわけでもないのに、なぜその二つの力を得られたのです」
「あ、それは……」
「まさか、禁忌の異術、精霊喰いをしたのではありませんよね」
怪訝なオンディーナに、とにかく私は首を振った。
「い、いいえ! 私は異術は使えませんっ。火の魔術は、セレイユ王国の宝剣である、魔剣ティゾーナ様に頂いた祝福で、風は……、」
「ティ、ティゾーナぁ⁉」
ズザザザザザッ!
と、泉の端から端まで、飛沫を上げながら遠ざかってしまったオンディーナ。まるで独り暮らしの女性がゴキブリを見つけてしまったときの反応だ。
オンディーナが声を張り上げて私に言った。
「てぃ、テ、ティゾーナって、あの伝説の精霊王のこと⁉」
「精霊王? いえ、ティゾーナ様は魔剣で、精霊じゃないです」
「あ、あああ、あの規格外に姿かたちを問うても無駄です!」
「え。規格外ってなんですか」
「とにかく! 火の祝福を与えた者がティゾーナと名乗った時点で、それは破壊王ティゾーナのことです! なんで生きてるのあの男‼ 信じらんない!」
いや、さっき精霊王って言ってなかった? 破壊王って何よ。
どっちかというと、オンディーナ様の人格の方が破壊されてるんですけど。
「ええっと、ティゾーナ様はたしかにお城を破壊しちゃいそうでしたけど、それには訳があってですね……」
「何のことですか⁉」
「ぁ、いや、ですから……。その、……説明めんどくさいな」
「ああっ。今、私に向かって面倒くさいって言いました⁉」
「あ、いえ、気のせいです」
「じゃあ風は! その漂う魔力は相当な祝福です。私の知る、風の精霊王にも匹敵する力を感じます。まさか、それも精霊王からですか⁉」
「いや、精霊王かどうかは存じませんが、風の魔剣はコランダ様というお名前です」
オンディーナが凄まじい勢いで戻ってきて、私の肩を鷲づかみする。
「誰よそれ! 全然知らないんですけど⁉」
「ええっ」
「これだけの高貴な祝福を、名も通っていない一介の精霊がしたというの⁉」
「いや、それは」知らんがな。
「もう何なの⁉ 滅んだはずの最凶の精霊王と無名の精霊の祝福って、訳わかんないんですけど‼」
訳わかんないのはこっちだ。と、舌先まででかかったのを呑み込んだ。
「あ、あの、とにかくそんなわけですので、そろそろ私に水の加護を頂けませんでしょうか」
「嫌よ」
「──は?」
「あなたが悪いのよ。私の洗礼を受ける前に別の種族の祝福をうけてるんだもの。セレイユの国王から聞いてるでしょ? 私、なんでも一番が良いの」
いや、だから知らんがな。
「そんなことおっしゃらずに……」
「嫌だったら嫌なの! 分かったらさっさと帰って頂戴!」
いやいやいや。何言ってるのこの精霊王。
「待ってください。そのような身勝手を言われても困ります! 私はこの国を魔王から護るために、オンディーナ様の洗礼がどうしても必要なんです!」
「いーやーでーす。どうしても欲しいなら、あなたの持ってる火と風の加護を返却してきてよ。そうしたら考えてあげなくもないわ」
だああ。どっかの悪役令嬢かッ。あんたは!
マジメンドイ。こういう手合いは相手にするだけ労力の無駄だわ。
私はオンディーナに背を向けた。
「わかりました。もう洗礼は結構です」
「そう、――て、え⁉」
「魔剣ティゾーナ様は人間と共に戦うことを選んで下さいました。
しかし泉の精霊王は狭量で、王国の危機よりも私欲を優先する自己中の塊だったと、ティゾーナ様にお伝えすることにします」
「ひぃっ!」
「国王陛下もさぞかし気を落とされるでしょう。しかし、私は必ずや魔王を倒します。そうなれば、後の世に語り継がれる人間史に、オンディーナ様の名が残らないということになりますね」
「ちょ、ちょちょちょっと聖女ちゃん⁉」
オンディーナが私の服の裾を引っ張る。
「なんでしょうか」
「……あなた、本当に子ども?」
「ええ。七歳児の天界の使者ですが、なにか」
「うっ」
「用がないなら離して頂けますか」
「そ、そんな冷たいこと言わないで、話し合いましょうよ、ね?」
「冷たい? 泉の精霊王にも、人の心がお分かりになるのですか?」
「し、失礼ね、精霊にだって心はあるわっ」
「心があっても、人の心が理解できるとは限らないかと」
「……ぅ」
「もう宜しいですか? 早く帰らないと日が暮れてしまうので」
「ぅ、……う、ぅ……。ふ、ぅっ、うえぇ~~~ん」
「……は?」
私はオンディーナを見た。
滝のように涙と鼻水を流している。
まじですか。精霊王泣かしちゃったよ?
どうしよう……。




