19.鎮魂火
若干の痛々しい描写にご注意下さい。
公爵の一撃でミゲルの上体が後ろに傾く。
魔剣を阻む存在がいなくなる。魔剣はその事実に笑いが止まらなかった。
「この期に及んで親子で殺し合うか! 人間とは、なんと弱く愚かなことよ!」
しかし魔剣の狂喜はそこで止まった。
風の魔術で倒れるはずのミゲルが、両手を緩めるどころか強めたからだ。
「……父上、痛いですよ」
ミゲルは公爵を見る。その視界には、困ったように笑う父親の姿があった。
「バカ息子。いい加減に自覚を持て。セレイユ王国の誇る随一の魔術師はお前なのだぞ」
公爵の透き通った声。どこか晴れ晴れとした表情に、ミゲルは安堵の笑みをつくった。
「流石は父上です。自力で闇の力を克服されましたか。――でもまさか、私のピアスの呪いまで解いてしまうとは思いませんでした」
公爵が放った魔術は、息子を殺すためではなかった。
それはミゲルの左耳朶のみを切り落とすための攻撃。正確には、耳朶に貫通していたピアスを切り離すための一撃だった。
「呆れた奴だ。解呪も出来ないくせに異術で己に呪いをかけるとは。しかも効果は中途半端。おかげで、昨年の宮廷魔術師認定試験では大恥をかいたぞ」
ミゲルの左耳のピアスには魔力封じの異術が込められていた。
彼の魔力は、その呪いで本来の力の十分の一まで抑えられている。
「あれは父上が勝手に申し込んだのでしょう」
「その様子では、試験では手を抜いていたな?」
「いいえ。実技を全力で放棄しただけです」
「お前と言う奴は……」
公爵は苦笑う。
ミゲルもつられて笑った。
「さて。今度こそ父上はお逃げください」
「ああ。そうさせてもらう。……すまなかった、ミゲル」
頼んだぞ。と、公爵は切っ先から後退っていく。
魔剣が火花を散らす。
「おのれ逃がさんぞルベルぺ!」
「ティゾーナ。君の相手は俺だ」
「小僧、離さぬなら消し炭にしてやる!」
魔剣は炎でミゲルの体を焼く。
ミゲルは構わず剣を押さえ込み続ける。しかし、その両手は確実に焼けただれ、二の腕を侵食し始めた。
ミゲルは顔を歪める。
「ティゾーナ。君は、人は弱いと言ったが、君はどうなんだ」
「なに」
「公爵は己の意志で闇の力から抜け出した。なのに、英雄の剣である君が闇から抜け出せていない。このままでは、君の方が弱いと言わざるを得ない」
「なんのことだ」
ミゲルは悲しげに魔剣に目を向けた。
「君にも闇の力が纏わりついていると、とある聖女が教えてくれた。君が自力で闇から抜け出せないなら浄化の祈りが必要だ。しかし君は熱すぎる。彼女を近づけさせるわけにはいかない」
「我が闇に呑まれているだと? そんなわけがあるか!」
「己に立ち返ることができないのは愚かだよ。ティゾーナ」
「だまれ‼」
「これが終わったら、一緒にオクタビオ殿の墓参りに行こう。師匠はきっと喜ぶ」
「貴様に我らの無念が分かるか! 『元凶』のお前に、分かって堪るものか‼」
ミゲルは目を伏せるが、その瞳に宿る決意は揺るがない。
「――すまない。
過去のことじゃない。力でねじ伏せることしかできない、今の俺を許してくれ」
「な──、」
――カッ!
ミゲルが魔力を解放する。
それはまさしく火の魔力であったが、次元が違った。
ミゲルの全身が放射状に発光し、まばゆいばかりに議事堂を照らす。物質はその光源に溶け込み、すべてが白く消えていく。
まさに光速。その速度と光度に及ぶ物なし。
魔剣の炎は瞬く間に消失する。刃も黒緋色から薄鈍色へと鎮火した。
ミゲルは叫んだ。
「ビアンカ! 来い!」
「はい!」
返答は天井から。天翼を解除したビアンカがミゲルのもとに飛び込む。
ミゲルはそれを片腕で受け止め、聖女に言う。
「まだ熱がある。俺の手の上から浄化できるか」
「やってみます!」
ビアンカはミゲルの赤黒い右手に一瞬躊躇したが、頭を振って意を決す。彼の右手を両手で包み、溜め込んだ神聖力を魔剣に一気に注ぎ込んだ。
ティゾーナが断末魔の声を張り上げる。ミゲルの手から逃れそうと暴れ狂う。
刀身から黒い泡がふつふつと沸き立つ。その泡が泥を被った蛇のような形に姿を変えてビアンカを睨みつけた。二股の細い舌を小刻みに動かし、大口を開けて聖女を威嚇する。
「蛇なら怖くないもん」
聖女が浄化の光を蛇に向けると、それは砂のように形を崩していく。魔剣に巻きついていた闇が、跡形もなく消えた。
魔剣は完全に熱を失い、気絶したように静かになった。