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魔法使いの世界を旅する一年  作者: Zezilia Hastler
第1章 旅のはじまり
9/72

3日目 ゾーイとの別れ

群青劇風です

 ユージは、ルナと一緒に高等部のフロアを歩いていた。


 魔法による精神操作の壁を抜けるには、ユージのような純粋無垢で素朴な心か、あるいは、ルナのように、精神分野および心理分野のプロフェッショナルとしての知識が必要となる。


 二人は、【壁】をすり抜け、魔法族エリアに入った。


 いつくぐり抜けても、自分が何かをくぐり抜けたことはわかっても、それが具体的になんなのかがわからない、と、ユージは思った。


 どこからどう見ても、ただの廊下だ。


「ーーだからこそ、わざわざ行く必要を感じないのよ」と、ルナは言った。「この廊下自体に何かがあるわけじゃなくて、人間エリアとこっちの魔法族エリアの位置関係とかに意味があるの。あんたみたいな物好きじゃない限り、こっちに来る人間はいないでしょう。くつろぐにもランチ取るにも、あっちで足りる。こっちに来る必要がないんだから。それにほら」と、ルナは、掲示板の側に立ち止まった。


 ユージも立ち止まり、ルナが視線を向けている掲示板に、自分も目を向けた。


 そこには、自然ツアーの案内や、聞いたこともない画家の個展が開かれるという案内が貼られていた。


「人間よりも魔法族の方が自然に関心を持つ。魔法族は芸術も好き。一方、人間エリアの掲示板には、プログラミングや最新のiPhoneとかの案内。人間はテクノロジーの発展に興味を持つけど、魔法族はテクノロジーに関心なんてない。そんなものがなくても、十二分に快適な生活を送れるからだし、電磁波は彼らにとって有害だし。そう言った、興味関心なんかも上手く使えば、人の流れを操作出来る。あとは、ほら、気づかない? ここら辺は少し薄暗いでしょ? 同じ間接照明でも、光度が抑えられてる。人は自然と自分が求めるものや必要に感じるもののある方向へ進み、求めない物や不必要に感じたものへは関心を向けないものよ。人間を遠ざけるっていうよりは、人間に足を運ばせないようにする要素が多いのね。工夫も感じられるけど、何より、こっちは魔法族が快適に過ごせるような作りになっている。そして、人間が不便を感じるように出来ている」ルナは、再び歩き始めた。


 ユージも、ルナに歩調を合わせて、廊下を進んだ。


「空港なんかだと、快適を求める人はラウンジに行くし、PCを充電したいと思ったらコンセントを探すでしょう? そんな感じよ」


「なるほど。それなら、魔法の役割が謎だね」


「要所要所に違和感があった。音とか匂いとか、景観の歪みとか」


「俺の目に写る世界と君の目に映る世界は違うみたいだね。楽しそう」


「そうね。時々は楽しいかも」ルナは、ため息を吐いた。「ねえ、不安にならない?」


「何が」


「わたしはこっち側に来る度に不安になるわ。ソラは良い子よ。人格も価値観も平凡で、素朴。そして、十分にわたしよりも賢く、知的で、精神的にも肉体的にも強い。そして、魔法も扱える。そんな魔法族が、学園だけでなく、世界中に数億人いる。どうして、魔法族は、その存在を表向きには隠して、この世界の指揮権を人間の手に持たせているのか」


 ユージは、首を傾げた。「わからないし、不安にもならないな」


「人口爆発が不安を煽る材料になっている現状。空のような平凡な人間性が魔法族の中にあるという事実。人口爆発を恐れる魔法族が存在してもおかしくないし、そんな連中が、自分たちよりもはるかに劣るネアンデルタール人のわたしたちを絶滅させないなんて考えられるかしら」


 ユージはため息を吐いた。「俺はきみよりも頻繁にこっちに来るけど、みんな良い奴らばかりだぜ。感情表現豊かな奴はいるが、気性の荒い奴は一人も見ない。みんな理性的で知的で、精神的にも落ち着いている。きみは賢すぎて色んなことを考えるんだな。陰謀論のような妄想すらも、起こりうるんじゃないか……、いや、十分にあり得る……、って思ったら見過ごせないんだろ。そんな事に目くじらを立てることは、もちろん出来るさ。ただ、もしもそれが事実だとして」


「わたし個人には何も出来ないだろって? 確かにそうね」


「俺はな、この学園に、俺たち人間と、魔法族が一緒にいるのは、友好的な外交関係を築く為なんじゃないかって思ってるんだ。人間と魔法族の間に友好的な関係を築くための場所がここってわけだ。幼い頃から一緒なら、自然と仲良くなるものだろ。思春期になって個性が出始めて、初めて気の合う奴合わない奴ってのがわかってくるんだ」


「そうね」


「俺はイケメンじゃないし、魔法族の連中はどいつもこいつも美男美女揃いだが、連中は俺を容姿で差別せずに、内面で判断する。この学園の人間性の教育が上手く機能している証拠だ。きみだって覚えてるだろ。高一の頃は、エルフと付き合ってたんだぜ。そのあとはヴァルキリーで、そのあとはバンパイア、その後もヴァルキリーだ。俺がだぞ?」


「あるいは、性的にオープンな生徒たちに学園が依頼をして──」「俺と関係を持つようにって? 俺を広告塔にしようと思ったってわけか。魔法族は差別意識を持たない良い奴らですよって人間たちに言いふらすように? 俺に向けられたあの笑顔や優しさをハニトラ呼ばわりなんて、随分と理性的に喧嘩売ってくるね」ユージは笑った。「俺がこんなところで泣く姿を見たいのかよ」


「そうね。見たいわね」ルナは笑った。「そうね。ごめん。でも、それもありうるかなって」


「ねーよ。俺はこれでもモテるんだ」


「あんたに性的な魅力は感じないわ」


「それは俺が本気を出してないからだ」


 ルナは鼻を鳴らした。


「ぴえん」ユージは笑った。「前に聞いたんだけど、パラレルワールドには魔法使いたちの国があるんだと。地球よりもはるかに大きくて、資源も豊富なんだとさ」


「平行世界ね。パラレルワールドは、分岐点の先にある世界。平行世界は、分岐点みたいな接点なんてないけど、別位相に確かに存在する世界」


「何が違うんだっけ」


「もしもの世界よ」


「もしも? 何が?」


「IFの世界。たとえば、ここでわたしがあんたを転ばせるとするでしょ。そしたらあんたは肘を擦りむく。でも、わたしはあんたを転ばせなかった。だから、この世界はあんたが怪我をしなかった世界になっているけど、わたしがあんたを転ばせようかって考え始めた時点で、わたしがそうした場合の世界が1秒前から存在している。選択の数だけ増えていくのがパラレルワールドよ。思考実験みたいなもの」


 ユージは眉をひそめた。「わからん。お前から嫌われてるってこと以外」


「嫌ってないわよ。そうね。平行線が平行世界で、フローチャートがパラレルワールドよ。イメージ出来る?」


「なんとなく?」ユージは眉をひそめた。「……なんの話だっけ」


「魔法使いの国の話?」


「そうだった。多分、魔法族は、ちっぽけな地球にある資源なんか俺たち人間にくれてやるって思ってんのさ。彼らは行きたい時にいつでも魔法族の世界に行けるんだろ。にも関わらずこの世界にいるってことは、それはもう、そうしたいからそうしてるってだけだろ。きみは考えすぎだよ。仮に魔法族たちが人間を滅ぼそうと思ったら、そりゃ簡単だろうさ。そうしないのは、俺たち人間が管理している世界を良いものだと思ってくれているからだ。連中からすれば、こっちの世界が気に食わないなら、あっちの世界に行けば良いだけなんだから。でも、俺たちはこの世界で過ごすしかないわけだろ? だからそういうところも踏まえて、譲ってくれてるんだ。連中は、俺たち人間に対して色々な慈善事業だってしてる。貧困を無くしたり、有能な医者として優れた治療をしてくれたり。滅ぼされてないってことは、連中が理性的に考えられる平和主義者だからだろ」


「あるいは、わたしたち人間を労働力として見て、繁殖させようとしているのかも」ルナは、親しい者でなければわからないほど小さく、口調を軽やかなものに変えた。


 ユージにはわかった。

 ルナは先ほど、冗談を言ったのだ。

 それなら、乗ってあげないと失礼だ。「もしもそうだとしたら、そんな会話をこんな、魔法族の本拠地でするべきじゃないなっ! 誰に聞かれてるかわからないっ! 逃げるぞっ!」ユージは、わざとらしく慌てたようなふりをした後で、声を上げて笑った。


 ルナも笑った。


「きみを見ていると、賢さとか知性とか知能とかがなんなのかがわからなくなるよ。そんなに気になるなら、そんなもんもうルームメイトに聞けよ」


「聞けないの。旅行に行くんだって」


「どこに?」


 ルナは肩を竦めた。「教えてくれなかった。お土産期待しててね、だって」


「楽しみだな」


「何が?」


「お土産」


「なんであんたが楽しみなの?」


 ユージは、顔を青ざめた。「俺の分もあるかな……」


「お願いした?」


「してない」


「じゃああるわけないわね」


 二人は、談話室の前で立ち止まった。


 談話室には、たくさんの魔法族がいた。


 魔法族は、カラフルな目と髪をしているし、エルフの耳は尖っているし、吸血鬼の肌は青白く不健康な感じだ。


 妙に透明感のある肌をしているのはヴァルキリーやフェアリーで、中には透明感がありすぎて向こうの景色まで見えてしまう者もいた。


 その中に目当ての相手を見つけた二人は、顔を見合わせて、ニンマリとすると、ファンタジーな談話室に足を踏み入れた。


「グロリア」と、ユージは言った。


 グロリアは、ソファに腰掛けて、本を読んでいた。


 【ヴェルの冒険】。


 ユージもルナも、読んだことがあった。


「ルナ、ユージ。冬休みはどう?」そう言うグロリアのそばのセンターテーブルには、ワインボトルが載っていた。


「宿題終わらせてから暇で暇でしょうがないよ」と、ユージは言った。


「宿題なんて、最終日に徹夜して終わらせるものでしょう」グロリアは、ワイングラスを2つ生み出し、それにワインを注いだ。


「俺は違う」


「わたしも終わらせた」


 ユージとルナは、それぞれ、ソファを寄せた。


 ユージはワインを啜った。


 ルナは、グロリアからタバコをもらって、その先にライターで火をつけた。


 ライターの音を聴いた周囲の魔法族は、会話を楽しんでいたようだったが、ライターに火が着く音を聴いた瞬間、ルナに一瞥の視線を向け、すぐに会話に戻った。


 ユージには、彼らの言語が英語でないこと以外はわからなかった。


 グロリアもタバコを一本咥え、人差し指の先から火を伸ばして、火を着けた。


「暇になるとあれこれ考え始めちゃって」ルナはタバコの煙を吐いた。「さっきは、どうして、魔法族は人間を滅ぼさないのかって話してた。賢くて運動も出来て魔法も使えるなんて、人間がかなうところ1つもないじゃない」


「そうは思わないわ。魔法族よりも上手い絵を描いたり綺麗な曲を弾いたりする人間はたくさんいる」グロリアはタバコの煙を吐いた。「わたしよりもあんたの方が人の心には精通しているだろうし。要するに、どんな観点で物事を見て、何が長所かっていう話よ。そういうのって、相対的なものだとわたしは思うわ。泥を見て汚いと思う人もいれば、美容品だと思う人もいる」


「泥パックとか?」ルナは、思い出したように言った。


「そ」グロリアは微笑んだ。


「こないだのあれありがと」ルナは、幸せそうな顔で言った。「毎晩使ってるわ。もっとない?」


「今は自分用だけ」


「残念」


「また今度ね。他には、ほら、赤土で塗り固めた髪を美しいと思う人だってこの世界にはいる。わたしが思うに、多分、わたしもそうだけど、魔法族は人間を滅ぼそうなんて考えもしないんじゃないかしら。わたしらには、鏡の向こうとか影の中とか、異世界にも居場所があるし。この世界に居心地の悪さを感じたらそっち行くし」


 ユージはルナの腕を、自分の肘で突いた。「言ったろ?」


「今だと、魔法族と人間の混血がほとんどで、純粋な魔法族なんて一握りだし、そういう意味でも、滅ぼすなんてありえないわ。人間だって、面白い物たくさん作るし、良いとこたくさんあるじゃない」グロリアは、iPod nanoを取り出した。画面の中では、薄暗い、夜の建物のどこかで、見覚えのある後輩の女の子が、ドアに向かって『お、おねがぁ〜い、だ、ダァ〜リン……、早く……、な、中に入れてぇ〜……』と言った後で、その場に蹲ってプルプル震えていた。


 空ちゃん酔っ払ってんのか? と、思いながら、ユージは、ニヤニヤした。「あの空ちゃんもようやく彼氏を作ったのか。随分ペラッペラな奴だな。二次元のチャラ男の方がまだ中身がありそうだぞ」


 見れば、ルナも顔を真っ赤にして、鼻を鳴らしていた。「あんた、あの子に何言わせてんのよ。罰ゲーム? いじめたら怒るよ?」言いながらも、彼女は笑いを堪えているようだった。


「からかっただけよ。この動画はグローティウス家が代々受け継ぐ家宝にすると決めた」


ユージは笑った。


グロリアもけへへへ、と笑った。



ーーー



 肩を突かれて目を覚ませば、ゾーイさんだった。


 身を起こすと、鼻がムズムズして、くしゃみをしてしまった。


 誰かが噂でもしているのかもしれない……、そんなことを思った瞬間に、脳裏に、ドアにおねだりをした恥ずかしい思い出が浮かんだ。


 見れば、完全武装のユアンさん、ノエルさん、フィリップさん、マークくん、ビルギッタちゃんがいた。


 もう出て行くところらしい。


 ぼくは、マークくんとビルギッタちゃんにインスタントヌードルをいくつか渡した。


 代わりに、ユアンさんは、地図の写しをくれた。


 点と線と簡単な絵のみで作られた地図だった。


 ぼくが寝込んでいるうちに用意をしてくれたらしい。


 ラシアとユーレップ、ぼくが行こうとしているエリアに存在する、まだ、公の地図には載っていない場所だった。


 秘境の奥にある美しい景色や、面白い村、そこへのルート。


 ルート上には、危険な生物を見かけた場所なども書かれていた。


 また、物価や、おすすめの宿なども。


 ユアンさんたちの書いている地図は、ガイドブックのようなものだった。


「ありがとうございます」


「良いんだ」と、ユアンさん。「楽しめよ」


 ぼくは、5人とハグをして、別れの挨拶をした後、再びベッドに入り込んだ。



ーーー



 次に目を覚ました時、目の前にいたのは、簡素なワンピースドレスに身を包み、右手に剣を持ったゾーイさんだった。


 刃幅は細い。

 刃の長さは、短剣よりも長く、長剣よりは短かった。

 柄は丸く掌を覆う形になっている。

 フェンシングの剣のようだが、あれは確か、刃が丸い棒のようになっていて、切ることは出来ない形状をしていた気がする。


 ゾーイさんは暖かく微笑んでいた。

 ホラーだ。


 ゾーイさん曰く、「わたしは明日にはグァンマーに行くから、今日中に、ソラを一人にしても大丈夫だって、自分を安心させたいの」とのことだった。


 つまり、稽古をつけてくれるらしい。

 余計なお世話だった。

 危なくなったら逃げる。

 戦うのは最終手段だ。

 その最終手段に自信を持つようになったら、その手段を選ぶようになり、逃げる余地を自分で潰してしまうんじゃないか。

 人は、武器を手に持っている時、それを使わないようにするのに苦労するものだ。

 そして、武器は持ち主を錯覚させる。

 自分は強くなった、と。


「それは、心の弱い者だけよ。ソラはどっちかしら」


 そんな言い方をされると、自分はそうじゃない、と、思いたくなってしまう。


 ぼくたちは、中庭の訓練場に向かった。


「これは、ドレスソードや、ショートソードって言われるもので、儀礼用の、アクセサリーのようなもの。でも、片手で扱うにはちょうど良いサイズ感で、短剣ほどリーチが短くはない。ソラは小柄だし、正面から受けても勝てない。だから、身軽で扱いやすい武器が良いわ。片手で振り回しやすい重量、強度、切れ味重視で作った方が良いわ」


 ぼくは、昨日作った、素の魔力のタネを右手に握った。

 ゾーイさんが持っているような形の剣を想像し、軽く、丈夫で、優れた切れ味を想像した。

 ぼくの右手に生まれた剣は、ぼくの頭に浮かんだ朧げなビジョンに、実態感と色がついたものとなった。

 ノエルさんが言っていた通りだ。

 タネは、ぼくの想像を実現させるのに、うってつけだった。


 ゾーイさんは、剣を構えた。「思いっきり打ってきて」


 剣が弾かれ、折れた切っ先が、ぼくやゾーイさんを傷つけるのを心配した。


 それを伝えると、ゾーイさんは、剣を地面に突き刺して、ぼくの後ろに回った。


 ぼくは、体育の授業でやった剣道を思い出した。

 腰を捻り、剣を握る手に力を入れるのは、一瞬だけ。

 ぼくは、それを思い出して、剣を振るった。

 キンっ、と、金属同士のぶつかる軽い、短い音がした。

 ゾーイさんが地面に突き刺した剣は途中で折れ、持ち手が、地面に落ちた。

 ぼくの振るった剣、その刃には、刃こぼれ一つない。


 ゾーイさんは、頷いた。「オッケー。これで大丈夫ね」


「良いんですか?」


「うん。結構丈夫に作ったんだけど、簡単に折れちゃったね。グロリアの指輪も効果発揮してるみたいだし、大丈夫でしょう」ゾーイさんは、地面に横たわる剣の持ち手に向かって、上向きに開いた手の平を向けた。


 剣の持ち手と、地面に突き刺さったままの刃が、光の粉になり、ゾーイさんの掌に集まる。


 ゾーイさんの手には、先ほどと同じ剣が握られていた。「落ち込むなー」と、軽い調子で、ゾーイさんは言うと、ぼくを見た。


 ぼくは、ゾーイさんの目を見て、息を飲んだ。

 全身の毛が逆立ち、鳥肌が立った。


 ──ドクン……。


 瞳孔の開いた目。

 冷たい目。


 ──ドクンドクンドクンドクドクドク……。


 心臓の鼓動が大きくなり、妙に大きく、その音が脳内に響く。


 ──ドクドクドクドクドクドク……。


 ぼくの全身を、脳内を、何かが、静かに駆け巡った。


 宙を舞う枯れ葉が、速度を落とす。

 風に揺られた芝生のダンスが、スローモーションになる。


 勢いよく振り上げられたゾーイさんの腕。

 その急速な動きが、妙に、ゆっくりに感じられる。


 ゾーイさんの目が、ギラギラと光っていた。

 ゾーイさんの手の中で、剣が光を放った。


 背筋に冷たいものが走った、という、小説でたまに見かける一文が、脳裏をよぎった。


 ぼくは、剣を握った。


 ゾーイさんの目に宿っていた荒々しい光が、軽やかで、静かな、喜びのようなものへと移り変わる。

 キラキラと目を輝かせるゾーイさんは、ぼくの額に向かって剣を振り下ろしてきた。


 ぼくは、迎え撃つように、全力で剣を振り上げた。


 またしても、折れたのは、ゾーイさんの剣だった。


 ゾーイさんは、自分の手にある剣を見て、ぼくを見て、微笑んだ。

 彼女の手に握られた剣と、地面に落ちた、折れた刃が、光の粉になって、ゾーイさんの肌に溶け込んだ。

「オッケー。ご飯食べに行きましょう。奢ってあげる」彼女は、ぼくに背中を向けて、軽やかな足取りで歩き出した。


 ぼくの全身から力が抜けた。

 ぼくは、深呼吸をした。

 体を内側から殴るような心臓の鼓動は、しばらく収まらなかった。



ーーー



 向かった先は、ニホニアン・ガムラスタンと呼ばれるエリアだった。


 背が高い建物に挟まれた細い路地が張り巡らされた一帯で、ヴェネツィアのようだった。


 見上げれば、建物の上部には陽の光が当たっていたが、ぼくたちをはじめとする歩行者のいるあたりまでは太陽の光が届かない。


 それでも不気味な感じがないのは、ヴェネツィアのように、大勢の人々が往来をしているからだろう。


 ぼくとゾーイさんは、薄暗いトラットリアに入り、そこでスパゲティを注文した。


 ゾーイさんは、ボロネーゼソースがよく絡んだタリアテッレを、フォークでくるくる巻き取り、口元に運んだ。


 ぼくは、たらこスパゲティをくるくると巻き取って口に運んだ。


 プチプチとしたたらこの食感と塩気、刻み海苔のパリッとした食感と豊かな風味を楽しみつつも、少し物足りなく思い、タバスコをドバドバとかけた。


 風味は崩れてしまったが、味は良くなった。


 ぼくとゾーイさんは、ビールを啜った。


 店主のジェンナーロさんは、ぼくが出した食材で、たらこスパゲティを作ってくれる、親切なアテリア人の男性だった。


 彼は、たらこスパゲティを試食しているところだった。


 はじめの一口を味わっている時は怪訝そうな顔をしていたが、今は、こりゃ美味い、と言った感じで、幸せそうに食べていた。


 彼は、喜びの笑顔と遠慮がちな顔色を浮かべて、ぼくたちのテーブルへやってきた。「すまないが、その、ノリってやつと、魚の卵をもう少し分けてくれないか?」ジェンナーロさんは言った。


 ぼくは、笑顔を浮かべながらも、少しだけ躊躇した。「ごめんなさい、残りは自分用なんです。これから長い旅に出るので、その道中で食べようかと」


「じゃあ、売ってくれないか? 仕入れ値はいくらだ?」


「ごめんなさい。わたしたち食事中なの」ゾーイさんは言った。「わたしが今度持って来ますから、今はご遠慮願えますか?」


 ジェンナーロさんは、恥ずかしそうに顔を赤らめた。「悪かった」


 ゾーイさんは頷いた。


 ぼくは、リュックサックから、XLサイズのたらこの缶詰3つと、刻み海苔の入ったパックを取り出した。「あげます。美味しいですよね。たらこスパゲティ」


「良いのか?」ジェンナーロさんは、顔を輝かせた。


「もちろんです。ぼくは、食べようと思えばいつでも食べられますから」


 ジェンナーロさんは、ぼくの右手を取って、手の甲にキスをした。「ありがとよっ! お礼に今テーブルに乗ってる分と、ビールは……、いや、全部タダで良いぜっ! 好きなだけ食べて飲んでってくれ!」


「じゃあ、もう二つおまけで」ぼくは、たらこの缶詰をジェンナーロさんに手渡した。


「ひゃっほーうっ!」ジェンナーロさんは、ご機嫌で厨房に入っていった。


 ゾーイさんは、小さく笑った。「ただになっちゃったね」


 ぼくとゾーイさんはハイタッチをした。


 ぼくはビールを飲んだ。「ちゃんとたらこの缶詰持ってきてあげてくださいね」


「ソラちゃんはほんと良い子ね」ゾーイさんは、身を乗り出して、ぼくの頭を撫でた。


「そう言われると悪い子になりたくなりますね」


「可愛い」と、ゾーイさんはぼくのほっぺを両手で包んで、ぼくのおでこにキスをした。


 おでこのあたりから、じんわりと、顔が、首が、胸が、全身が、心地よい熱が伝っていった。


「わたし、明日の朝には出ちゃうつもりだけど、ソラは?」


「ぼくは、そうですね。ウェスタン・ニホニアの方に行って、もう一泊して、それでラシアへ行こうかと」


「良いわね」ゾーイさんはビールを飲み干して、人差し指を立てた。


 やってきたウェイターに、ゾーイさんは1リットルのビールを4杯注文した。


 笑顔で応対をするウェイターの口元には、刻み海苔がついていた。


「たらこ効果抜群ね」


「ですね」ぼくは小さく笑った。「さっきのゾーイさん、すっごく怖かったんですけど」


「ゾーイで良いわ」ゾーイさんは、ふふっ、と、上品に笑った。「ごめんね。ソラの反応が遅れたり、剣を壊しちゃったりしたら、寸止めするつもりだったんだけど……」


 ぼくは頷いた。「どうしてあんなことを?」


 ビールが運ばれてきた。


 ゾーイさんは、ウェイターに笑顔を向け、「ありがと」と、言った。


 ウェイターは、幸せそうな笑顔を浮かべて、テーブルから離れていった。


 多分、ゾーイさんのような美女と、間近で微笑みあったからだろう。


「わたしも、この世界を旅したことがあるの。雄大な自然が広がっていて飽きないわ。でも、ある日、雄大な自然の先に、小さな村を見つけたの。人々は素朴で温かかった。でも、その日の晩、バーから宿に帰る途中で、さっきみたいに襲われた。相手は3人で、返り討ちにした。どんな場所にも、色んな人が居るんだってことを学んだわ。学園は、生徒の人間性の育成を重視しているから、問題なんて滅多に起こらない。でも、その外で生まれ育った人は違う。もっとも、そんな風に歪んでいる人なんて、本当に一握りだけどね。でも、やっぱり心配になるのよ」


「ぼくは大丈夫ですよ」


「確認したかったの。ちゃんと身を守れるかなって」


「心配してくれてありがとうございます。でも、大丈夫」ぼくは、笑った。「ゾーイさんは心配性なんですね。ぼくの両親の方が気軽ですよ」


「ゾーイよ」


 ぼくは、小さく笑った。「ゾーイは心配性なんですね」


「ソラは可愛いからね」


「てへっ、知ってます。でも、ありがとう」


 ゾーイさんは笑った。「ご両親はどんな人?」


 ぼくは、学園に来てから、数回しか顔を合わせていない両親の顔を思い出した。「ぼくを尊重してくれます。父は過保護で、母の方が男らしくてあっさりしてる」


「娘だものね。わたしの父と母も、そんな感じだったわゾーイさんは、何かを思い出すように、目を伏せた。「ちゃんと、一年に何回かは帰ってあげなさい」


 ぼくは頷きながらも、心の中で首を傾げた。「……ご両親はどちらに? ゾーイさんって、どこの人でしたっけ」


「わたしはオランダ。両親はルクセンブルクの墓地にいるわ」


 ぼくは、息を呑んだ。「すみません」


「謝ることじゃないわ。もう数十年前のことだから」


 ぼくは、ゾーイさんの、プニプニで、ハリと潤いのある頬を見た。「え、今何歳?」どう見ても18歳だ。18歳だと知らなければ、少しばかり背の高い12歳って感じさえする。


 ゾーイさんは頬を膨らませて、ムッとしたような顔をした。「女性に歳聞くなんて失礼よ」


「いや……」ぼくは笑った。「女同士じゃないですか」


「ソラは男の子でしょ?」ゾーイさんは、お上品に微笑んだ。


 ぼくは笑いながら席を立った。「まあね。これから行くのは女子トイレですけど」


「やだえっち。ビール飲みすぎちゃった?」


「さっきから我慢してて……、行ってきますね」


 ゾーイさんは、ぼくを見上げて、温かく微笑んだ。「行ってらっしゃい」



ーーー



 ソラが女子トイレに入ったのを見届けると、ゾーイはレジに向かった。


 レジでは、アテリア人の青年が、本を読んで、ノートに何かを書いていた。「勉強?」


 青年は、ゾーイを見上げて、相手が絶世の美女だと言うことに気がつくと、精一杯格好つけた笑顔を向け、男らしさを強調した、力強くもリラックスした、暖かい眼差しを作った。「学校に通ってるんだ。ロームァの片田舎で農業を継ぐなんてまっぴらさ」


「あら、何を作ってらっしゃるの?」


「ブドウだ。ワイン用のな」


「素敵ね」


「あぁ、でも、俺は次男だから」


「それなら、農家を継ぐ心配はいらないんじゃないかしら」


「そうでもないさ、兄貴も俺と同じで農家を継ごうと思ってない。三男は継ぐ気満々だから、俺がこうして勉強しているのは、兄弟仲を保つためだな。俺と兄貴が継がないで済めば、三兄弟みんながウィンウィンウィンだ」


「弟思いなのね」ゾーイは微笑むと、ワンピースのポケットから、長財布を取り出して、FU紙幣を取り出して、レジのトレイに載せた。


 その時思い出した。

 FUカードが使えるのは、主要都市の中だけで、田舎の方に行ったら、こういった紙幣が必要になる。

 そのことを、ソラに伝えておくのを忘れてしまった。

 まあ、大丈夫だろう、と、ゾーイは心の中で肩を竦めた。

 自分は大丈夫って、あんだけ繰り返していたし、リュックサックには食料もたくさん入っていた。

 もしも困ったとしても、自分の学園の生徒なら、適切な手段を考え出して、なんとでもするはずだ。


「ジェンナーロさんは、タダで良いって言ってたぜ?」


 ゾーイは頷いた。「そうね。確かにそう仰ってくださったけど、そういうわけにも行かないから」ゾーイは、レジの男性にFU紙幣を手渡した。「領収書もお願い」ゾーイは、レジの男性が、紙幣をポケットに入れないよう、釘を刺す意味でそう言った。「宛名は、ゾーイ・マクスウェルと、オルガ−アリシア・リンドホルムで」


「ゾーイ・マクスウェルと……、待てよ、なんて?」レジの男性は、驚いたように目を丸くして、まじまじと、ゾーイを見た。「マクスウェルにリンドホルム?」レジの青年の視線が、ゾーイの瞳、顔立ち、背丈に向けられる。「あのマクスウェル?」


 ゾーイは、上品に微笑んだ。


 レジの青年は、姿勢を整え、本とノートを静かに閉じ、レジの下にしまって、小さく笑った。「失礼いたしました」


「あら、失礼には感じなかったわ。若い頃を思い出して、むしろ楽しかった」


 レジの青年は、小さく笑った。「見目麗しい方の容姿を讃えるのは、アテリアの文化でございまして……、どうか、ご容赦を頂けないでしょうか」レジの青年の声色が変わった。興奮を抑えながらも、紳士的で力強い口調だ。目の前にいる女性が、ナンパの対象ではなく、自分が敬意を向けるべき対象だと気が付いたのだ。


 ゾーイは微笑んだ。「女性に優しいのね。素晴らしい文化だと思うわ」


「次回は是非、リンドホルム様とお越しください。サービスさせて頂きます」


「どうかしら。彼女、人付き合いが嫌いなタイプだから。でも、良いお店だから一緒にどう? とは、誘ってみるわ」


「ありがとうございます」


「それよりも、お釣りはいらないから、今晩は彼女にサービスをして差し上げて」


「かしこまりました」レジの青年は、トレイに領収書を載せた。「そうだ、忘れていました。当店のシェフであるジェンナーロから、名刺を預かっております。是非とも、先ほどお連れのお嬢様から頂いた食材を、今後とも仕入れさせて頂きたいと」


 ゾーイは、先ほど食に対して情熱的な様子を見せていたアテリア人の男性を追い払うための軽口を思い出し、あー……、と、考えるように唸った。

 レジの青年を見れば、彼は期待をするような目をしていた。唇の端には、刻み海苔がひっついていた。

 この青年も先程のシェフも、かつての自分と同じように、東洋の神秘に魅せられてしまったらしい。

 その気持ちがよくわかるゾーイは、諦めたように、暖かく微笑むと、肩を竦めた。「そうね。頂くわ」


 レジの青年は、輝くような笑顔を浮かべ、トレイに名刺を載せた。


「毎月、少量ではあるけれど、私からお届けするとお伝えください」


 レジの青年は、領収書と、上司であるジェンナーロ・パバロッティの名刺の乗ったトレイを、ゾーイの前に、そっと置いた。


「ありがとう。美味しかったわ」


「光栄です」


 レジの青年は、出入り口の扉を内側に開けた。


 先程まではだらしのない姿勢だったのが、今は、背筋が伸びていて、暖かい、柔和な微笑みを浮かべている。


 長い間、教育者として様々な人を見てきたゾーイは、この青年なら、多分辿り着きたい未来へ辿り着くことが出来るだろう、と、漠然と思いながら、青年に別れの微笑みを向けた。「ありがとう。おやすみなさい」


 レジの男性は、ゆるやかな仕草でお辞儀をした。「おやすみなさい」


 薄暗い通りにあるトラットリアだから、気が付かなかったが、見上げれば、空はすっかり暗くなってしまっていた。


 そして、街明かりを受けてうっすらと輝く雲からは、無数の冷たい雪が、ふわりと、落ちていた。


 ゾーイは、薄暗い通りを進みながら、手の中に、新緑のフェルトコートと、ターコイズのマフラーを生み出した。


 コートを羽織り、マフラーを首に巻き、巻き込んだ髪をうなじの所からかきあげる。


 肌寒かった。


 ゆったりと宙を舞う雪が、街灯の放つレモン色の柔らかな光を受けて輝いている。


 ゾーイは、深く、静かな吐息を漏らした。


 良い景色だ。


 ゾーイは、ニホニアン・ガムラスタンの中心地から、どんどん離れて行った。


 この先に、ゴンドラの停まった湾があったはずだ。


 ゾーイは、ソラと過ごした短い時間を思い出した。


 自立心に溢れていて、若者らしく、自分の力を過信していて、未熟だが、優しい子だった。


 ソラの担任であるオレジニクからは、試験をかなりの好成績でパスし、学園の仕事を任せても問題なく、十二分以上にこなせるだろう、という報告を受けていた。


 一方で、学園の仕事は引き受けないだろう、とも。

自由を愛する人柄だと言うことは、この短い間で分かったことだった。


 そして、彼女が人から見られ、身勝手な評価を与えられることを嫌うタイプであることも。


 彼女がベストパフォーマンスを発揮出来るのは、彼女が一人っきりでいる時だけであり、そして、魔法使いだろうと人間だろうと、一人の力で出来ることなど、たかがしれている。


 彼女に仕事は任せられない。


 それが、ゾーイの出した結論だった。


 彼女は、学園の理事長だった。


 そして、数えるほどしか存在しない、数百年の時を生きる始祖の魔法族の一人でもあった。


 始祖の魔法族のみが持つ膨大な魔力は、様々なことを可能とする。


 例えば、無数の分身を生み出して、学園に在籍する無数の生徒と直接コミュニケーションを図ってみたりなどだ。


 ゾーイは、トランジットエリアでのオルガとの会話を思い出しながら、ゾーイは、迷路のような路地を進んで行った。


 オルガは、新聞の記事に目を向けながら言った。『──今、AWで何かが起こってる』


『何かって?』

『闇落ちのドラゴンが復活するって噂だ』

『あれは、ヴェルたちが倒したのでしょう? 封印をしたんじゃない。殺したはずよ』

『そうだ。だから、復活って騒いでいるのは、AWの田舎者たち。かつての闇落ちのドラゴンの崇拝者たちに動きがあったと、わたしの故郷の人間たちが言ってた』


 ゾーイは、少しの間で様々なことを考え、口を開いた。『あの子』ゾーイは、ラウンジの外にいるソラを指さした。


 オルガは、ゾーイの人差し指の先が示す、幼い、東洋の少女を見た。


 素朴で、幼さが残っているが、端正な顔立ちをしていた。


 少女は、オルガに向かって、少し遠慮したような微笑みを向けた。


 オルガは、少女に向かって、ぎこちなく微笑んだ。『良い子だね』


『でしょ。これからAWを観光するって』

『引き留めな』

『無駄よ。引き留めたとしても、勝手に行っちゃうタイプ』


 オルガは肩を竦めた。『そうなれば君の責任じゃないな。だが、今止めないで、彼女が危険に巻き込まれれば君の責任になるぞ』


 ゾーイは頷いた。『わたしにも15の頃があったからわかるけど』


『700年前のことか? おばあちゃん』


『黙りなよお嬢ちゃん。あたしゃまだピチピチだよ』

ゾーイは、冗談っぽく言って、お上品さなどかけらもない声で、楽しそうに笑った。


 オルガは肩を竦めた。


『結局その時期に抑圧された思い出って、かなり長い間ひきづることになるのよ。彼女はまだ真っ直ぐに育つことが出来る。ただ、誰かの手によるそれとない導きと、庇護があればね』


『真っ直ぐにか。人は、遅かれ早かれ、酸いも甘いも経験して、ありふれた歪み方をして、平凡な大人になるものだ』


『わたしが彼女に望むのは、かつてのあなたに望んだものよ。あなたは見事に、わたしが望んだ通りの人に育ってくれた。思いやりがあって、優しくて、醜悪に歪んだものとは無縁で、自分らしく、清らかな心を持った人に。ひねくれてるけど、ちゃんと優しい子だってわかってるわ』


 オルガの頬が、ほんのりと赤く染まった。『そういう恥ずかしいことを言うから、君とは話したくないんだ。君が守ってやれ』


 その時、ニホニア行きのゲートが開くアナウンスが流れた。


 ゾーイはソラに向かって軽く頭を下げ、オルガは再びソラを一瞥した。


ゾーイは、戯けるように頬を膨らませた。『それなら提案なんだけど、わたしがあなたの故郷のセウェードゥンがやろうとしていることをやってあげるから、代わりにセウェードゥンの人間にあの子を守らせて』


 オルガは、ゾーイを見上げた。『君一人の方が、我が祖国の人間数百人よりも有能だと?』


 ゾーイは、上品に、自信たっぷりに笑ってみせた。『バカね。あの子一人を守るだけなら、1ダースもいらないでしょう。あの子、一人で旅をしたいみたいだし、あなたと同じで一人が好きなタイプだから、離れたところからそっと見守ってあげて。危なくなったらそれとなく助けてあげたり、無礼なことがあったらそれとなく学ばせてあげたり、そんな感じ』


 オルガは、ゾーイから視線を外し、新聞に視線を向けた。『人選に1日欲しいな』


『3日待つわ。準備が出来次第、わたしはセウェードゥンに向かう。今日はホステルに泊まろうと思うの』


オルガは、何かを思い出すように、宙を見つめた。『ホステル?』


『そう、前行ったでしょ?』


 オルガは頷いた。『わかった』


『彼女、賢いし勘も良いから、気づかれないように、上手に見守ってあげてね』


『それも考慮して、人選をするよ』


『信頼してるわ』


 オルガは、ゾーイを睨みつけた。『わたしたち何年の仲だっけ?』


『あなたが生まれた時から知ってるから、400年以上にはなるわね』


『そうだろ。信頼がどうこうといった安っぽい言葉は二度と口にしないでくれ。恥ずかしい』


 オルガの顔は、新聞に隠れていたが、その顔は赤く染まっていた。


 ゾーイは優しく微笑んだ。『可愛いわね。──』


「──ゾーイ様」


 海岸沿いで、月に見惚れていたゾーイは、左から聞こえてきた声に、そちらを見た。


 そこには、ユアンとノエルとビルギッタがいた。


 ゾーイは、控えめに首を傾げた。「あら、二人は?」


「ソラ様を見守らせています」ビルギッタは、容姿に似合わない、厳かな口調で言った。


「あの子をそんな風に呼ばないであげて。わたしに対しても不要よ」


「そういうわけにはいきません」と、ビルギッタは言った。


「あら、それなら一緒に仕事は出来ないわね」ゾーイは言った。


「それなら、あの子を守るという話もなかったことになります」


 ゾーイは、ビルギッタを見下ろし、微笑んだ。


 ビルギッタは、たじろぐ様子もなく、ゾーイを見上げた。


「その年で大仕事を任されたわね」ゾーイは言った。


「わたしはただの伝言係です」ビルギッタははっきりとした口調で応じた。


 ゾーイは頷いた。「話を聞くわ。闇落ちのドラゴンの名前は?」


「私達の掴んだ情報によれば、その者の名前は、ヴェル、と言うらしいです」


「ヴェル?」


 ビルギッタは頷いた。


「ヴェルって、あのヴェル?」

「はい」

「前の闇落ちのドラゴンを殺したあのヴェル?」


 ビルギッタは、同じことを何度も確認してくるゾーイの様子にたじろいで、ノエルを見上げた。

 その幼い顔はまるで、ねえ、わたし何か間違ったこと言った? と、母親に確認をする、幼い少女のようだった。


 ノエルは、ビルギッタの頭を撫でた。「ゾーイ様。確認は取れていませんが、おそらく、間違いはないかと」


 ゾーイは、頬に手を当て、憂いを帯びた眼差しで月を見上げ、ため息を吐いた。

 その情報が正しいとすれば、面倒臭いことになる。

 何しろ、ソラは、ヴェルに会いたがっているし、それを旅の目的の一つに定めてもいる。「困ったわね……」


 ユアンも、ノエルも、ビルギッタも、何も言わずに、ゾーイを見ていた。

 静かに思考を始めようとしたゾーイは、思考に夢中になるフロー状態に入ってしまう前に、3人を見て、この3人はなんで自分を見ているのかしら、と考えた。

 そして、自分の言葉を待っているのだと気付いたゾーイは、口を開いた。「そうね。まずは、事実確認ね。ヴェルが新しい闇落ちのドラゴンの存在に気付いて、再び自分で止めようとしているっていう可能性もあるでしょう」


 ゾーイの言葉に、ユアンとノエルは暗い顔をして、ビルギッタは顔を輝かせた。


 ゾーイは、にっこりと微笑んで、頷いた。「まずは、クラリッサ・パーキンスに会いましょう。彼女なら、恐らくはわたしたちよりもヴェルの現状に詳しいわ。主観が混じってはいるでしょうけど、有力な情報源になる」


 ユアンは首を横に振った。「どこにいるかわかりません。あのストーカー、いえ、クラリッサも、ヴェルも」


「クラリッサを探し出すのは簡単よ。グロリア・グローティウスと、彼女の友人を何人か、チームに引き入れるわ。異論は?」


 ユアン、ノエル、ビルギッタの3人は、口を揃えて、ありませんと答えた。


 ゾーイは、満足したように頷いた。



ーーー



 便秘が治ったことに神の存在を感じながらトイレから出ると、テーブルの上が変だと言うことに気がついた。

 ぼくの前は、トイレに入る前と同じだが、ゾーイさんの前が、綺麗に片付いている。

 ついでに、ゾーイさんの姿もない。


 レジにいたおにいさんが、ぼくに気がつくと、笑顔を浮かべ、席を引いて、どうぞ、と、掌で示した。


 ぼくは、急に一流レストラン並みのサービスを始めたおにいさんに不信感を抱きつつも、席に着いた。「あの、向かいに座ってた人は、どこへ?」


「お連れ様でしたら、先に帰られました」


「そうですか」ぼくは、ゾーイさんの笑顔を思い出し、少し寂しくなったが、肩を竦めた。


 まあ、これで、ようやく気軽な一人旅を始められる。


「次は何を飲まれますか?」

「じゃあ、ビールのお代わりもらおっかなー」

「もっといい酒の御用意もありますが」

「え、なになに?」

「私の故郷で作られたワインなどはいかがでしょうか」

「美味しそう。もらおっかな」

「すぐにお持ちします」

「あの、おにいさん」


「なんでしょう」おにいさんは、ビシッ、と、姿勢を正した。


ぼくは笑った。「かっこいいけど、さっきまでそんなじゃなかったじゃん」


「ジェンナーロより、あなた様に対しては礼儀正しくするようにとお叱りを受けまして」

「そんな風にされたんじゃくつろげないよ」


 おにいさんは、悩むような顔をした後で、「聞いてまいります」と、ぼくにお辞儀をして、厨房に向かった。戻ってきた時、彼の右手にはワイングラスが二つ、左手にはボトルが握られていた。


 彼は、ボトルとグラスをテーブルに置くと、隣のテーブルから椅子を一つ寄せ、柔らかく、丁寧な手つきで、さっきまでゾーイさんが座っていた椅子を傍にどかして、そして、新しい椅子に腰掛けた。「ご一緒しても良いかな?」と、おにいさんは言った。


 ぼくは頷いた。「どうぞどうぞ」


「お嬢ちゃん何歳?」おにいさんは、グラスにワインを注いだ。


「15歳」


 おにいさんは、ぼくの前にグラスを置いた。「彼氏は?」続いて、自分の目の前に置いたグラスにワインを注ぐおにいさん。


「いない」

「作れよ」

「レズなの」


「もったいな」おにいさんは、ボトルを置き、グラスを持ち上げた。


 ぼくもグラスを持ち上げた。「よく言われる」


 ぼくとおにいさんは、イタリア語で、乾杯の挨拶をした。


 笑ったのはぼくだけだった。


 おにいさんは、楽しそうな顔をした。「なんだよ」


 イタリア語の乾杯の挨拶を日本語に訳すとどういう意味になるのかと、説明すると、彼も笑った。


「ガキかよっ」


「ガキでーす」ぼくはワインを飲んだ。


 その日は楽しく過ごせた。


 おにいさんと笑いながら、途中からジェンナーロさんも交えて楽しくお酒を飲み、気がつけば、3日目は終わり、4日目に突入していた。









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この物語はフィクションです。実在する如何なる人物、団体、出来事と本作品は関係ありません。物語内では未成年が飲酒喫煙をしてますが、彼らは人間ではなく魔法族です。本作品には未成年者の飲酒喫煙を推奨する意図はありません。自分の心と体を大事にしましょう:)

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