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魔法使いの世界を旅する一年  作者: Zezilia Hastler
第1章 旅のはじまり
7/72

1日目 5人の冒険者

 高等部のフロアに上がるのは初めてだった。


 学園は世界中にある。

 日本においては、16F、17F、18Fの三フロアを指して、高等部と呼んでいるが、国によってフロアの呼び方は違った。

 また、いずれのフロアも、魔法を使った心理操作によるエリアの分割が行われており、人間エリアと魔法族エリアに分かれていて、人間は滅多に魔法族エリアには来ないようになっていた。

 たまに魔法族エリアに迷い込んだ人間を見かけることもあるが、それは、魔法族たちの間で有名な高等部3年生のユージさんか、そうでなければ、その同類の、好奇心旺盛で想像力豊かで固定観念のない人間であるというパターンしかない。


 ユージさんは、グロリアやルナさんの幼馴染であり、幼い頃から魔法に慣れ親しんでいる人間だった。

 彼は、好奇心旺盛で想像力豊かで固定観念はないが分別とそれなりの知性を持ち合わせている、芸術肌で感性の豊かな優しい人間のおにいさんで、ぼくも小さい頃からよく一緒に遊んでもらっていた。


 魔法族エリアの人間エリアの違いは、いくつかあるが、その代表的なものが、自動販売機のレパートリーだった。

 アルコールを扱う自動販売機は魔法族エリアのみに置かれており、人間エリアの自動販売機はジュースやエナジードリンクしか扱っていない。

 人間たちはアルコールに弱い。

 自動販売機のレパートリーを始めとする区別は、そういった理由から来るものだった。


 ぼくは、ゾーイさんと一緒に、16Fにいた。


 高等部フロアに来るのは初めてだったが、これと言った違いもなかった。


 談話室前に置かれている自動販売機のレパートリーも、中等部フロアにある物と変わりない。


 いや、一つだけ違う。


 ここには、タバコを扱う自動販売機があった。

コーヒーやワインなどの自動販売機同様に、世界各国のタバコの銘柄が揃っていた。


 名探偵が咥えていそうなパイプや、手巻きタバコ、様々なライター、中には、何に使うのかよくわからないようなものまであったが、まあ、タバコを楽しむためにあるのだろう。


 試しに購入してみようと、グロリアがよく吸っている銘柄の手巻きタバコを選んで、ボタンを押し、FUカードを、電子マネー読み取り口に当てる。


 ぴー、と、NGの文字が赤く光る。


 ぼくは眉をひそめた。


 もう一度やってみるが、虚しい音が響くだけで、商品は一向に、取り出し口に落ちてこない。


 ゾーイさんが、代わりに、自分のFUカードを読み取り口に当てると、ボトン、と商品が落ちてきた。


 ゾーイさん曰く、年齢制限があるとのことだった。


 FUカードは、入学時や、転入時に、学生に渡されるもので、発行時に、年齢や魔法族であるかどうかなどの生徒の情報を入力する必要があった。


 例えば、登録されている情報が【15歳の人間】なら、ワインもタバコも買えないし、【15歳の魔法族】なら、ワインは買えるがタバコは買えない。


 【16歳の魔法族】なら、両方とも買える。


 いずれの自動販売機にも、チャージ機能がついており、それでカード残高を増やすことが出来る。


 利用する度にポイントがつき、中には、購入することで20ポイントとか30ポイントとかが付いたりするものもある。


 1ポイントが、大体1FUだった。


 中世風の街並みをしたニホニアだったが、いずれの店舗にもFUの読み取り機や、街のあちらこちらにATMがあるのは、なんだか時代錯誤というか、世界観を壊している気がしたけれど、ぼくとしては便利なことに越したことはないので、あれこれ言うことでもなかった。


 ぼくは、ゾーイさんに買ってもらったタバコを、手に持っていた、リュックサックに入れた。


 ゾーイさんに案内され、連れてこられたのは、なんてことのないドアの前だった。


 プレートには、トランジットエリアと書かれている。


 ゾーイさんがドアを開けると、その向こうには、一瞬混乱する光景が広がっていた。


 空港のように、広大な空間だった。


 一方には受付カウンターのようなものがあり、一方には様々な店舗の並ぶエリアがあり、また別の方向には、フードコートがあり、さらに別の方向には、外が見えた。


 土産物店には、ニホニアにゃんたちの姿もあり、ジャンボサイズのダンシングニホニアにゃんが踊っていた。


 ぼくは、そこから視線を外した。


 ニホニアにゃんが置いてあるということは、ロームァーにゃんなんかも置いてあるかもしれない。


 ロームァに着くまでのお楽しみに取っておきたかった。


 ゾーイさんは、テキトーなベンチに腰掛けて、そばにあったテレビを見た。


 テレビの中では、なんてことのないニュース番組が流れていた。


「あの、ここは?」

「トランジットエリアよ」

「空港みたいですね」


 ゾーイさんは頷いた。「このベンチが好きなの。すぐそばにはコンビニもあるし、レストランも近いし、テレビだってついてる」


 改めて周囲を見てみると、確かに、周囲には、コンビニも、レストランも、テレビもあった。


 レストランからは良い香りが漂ってきて、ウェスタンサルーンで食べたティムさんのステーキが、ふと頭に浮かんだ。


「アナウンスが流れるから、自分が行きたい場所の名前が流れたら、そのゲートに行けば良いだけよ。ゲートが開くのは、大体、1時間に5回くらいね」


 すぐそばを、大学生くらいの魔女がビュンッ、と駆け抜けていった。


 標識を見る感じだと、彼女はアメリックに行くようだ。


「あっちの世界に着いたら、コンビニもファストフードもテレビもないから、ここでゆっくりしても良いかもね」


 ぼくは、頷きながら周囲を見渡した。


 この異世界感になら、1ヶ月まるまる浸っていても良いかもしれない、などと思った。「コンビニ行ってきますけど、何か欲しいものあります?」


「そうね〜、お酒はもういらないから、カップラーメンが食べたいわ」


 お嬢様っぽいくせに、随分とチープなものをご所望だった。「良いんですか? お肌が荒れますよ?」


 ゾーイさんは、自分の頬に優しく触れて、ふふっ、とお嬢様のように、上品に笑った。

 指先は、生まれてこの方お皿を洗ったことなど一度もないかのように柔らかで、頬には、うっすらと刻まれた笑い皺以外にはシワもシミもない。

 綺麗な指先や頬。


 ゾーイさんの人生にはストレスのスの字もないんだろうな……。

 

 ゾーイさんの透明感のある美しい肌を見ていると、失礼ながら、少しばかり人間味に欠けていると思ってしまう。

 もちろん、ぼくもゾーイさんも魔法族なのだから、少しばかり以上に人間味が欠けているのは当然なのだけれど、なんというか……、……そう、ゾーイさんの肌には、生活感が著しく欠けていた。


「良いの」と、ゾーイさんは柔らかくも、芯の通った、力強い口調ではっきりと言った。「カップラーメン美味しいから好き」


「ですよね。ぼくは醤油味が好きです」王宮暮らしのお嬢様にとっては、カップラーメンは逆に新鮮でご馳走なのだろう……、と、ぼくは冗談混じりに思った。「何味が良いですか?」


「そうね……、チキンフレーバーと、トムヤムクンスープがあったら、それをお願い」


 ぼくは、自分の夕食と、ゾーイさんのカップラーメンを持って、彼女の下へ戻った。


 ゾーイさんは、お上品に微笑んだ。「ありがと」


 ぼくは、ゾーイさんの右隣に腰掛けた。「ゾーイさんは、あちらへ行ったら、どこへ行くんですか?」


「スカンジナヴィアに行くわ。その後は考え中」


「自由ですね。いただきます」ぼくは、和風のお弁当を箸でつついた。「そういえば、あちらでは、1日の長さも12倍なんですよね」


 ゾーイさんは頷いた。「あちら用の時計も買った方が良いかもね。安いものなら1FU以下で買えるわ。でもね、あっちって、こっちと同じで、ちゃんと24時間の中に朝と夜があるのよ。太陽と月の数も12倍なの。だから、日数は、普通に24時間で1日って風に数えれば良い」


 聞けば聞くほど、【ヴェルの冒険】の世界と同じだ。


「誰が作ったんですか? あの世界」


「はじまりの天使が作ったみたい。でも、800年近く前のことだから、誰もはっきりとはわからないの。誰かの手によって作られたのは間違い無いけどね」


 ぼくたち魔法使いは、人間よりも無宗教の割合が少ない。

 神を神として信じているというよりは、先祖のような感じで認識しているのだ。

 世界を洗い流すほどの大洪水も、罪深い人間で溢れ返った街を滅ぼす火の雨も、ぼくたち魔法使いにとっては現実感のある話だった。

 ぼくのような平凡な純魔には不可能だが、現代の魔法族よりも強大かつ膨大な魔力を持つ始祖の魔法族なら、そういうことも十分に出来たはずだ。


 魔力を変換させて物質に変えることが出来る様に、魔力を変換させて自分だけが立ち入ることの出来る空間を生み出す者も、魔法族にはいる。

 その空間に一手間を加えれば、一つの並行世界を生み出すことも十分に可能だ。

 そういった連中を見て、人間たちは、神様だの天使だのと言うようになったのだろう、と、ぼくは考えていた。

 そうなると、そういった神話を生み出した魔法族や魔素は、一体どのようにしてこの世に生まれたのかという謎に当たるわけだが、それも、恐らくは、ぼくのような無知な若者が知らないなんらかから生まれたのだろう。


『ねえ、お父さんお母さん、ぼくはどうやって出来たの?』と聞いてくる5歳の子供に、直接的かつ生物学的なことを話さないのと同様だ。


 恐らく、ぼくはまだ5歳の子供で、お父さんとお母さんたる魔法族の創造主は、まだ、ぼくにその準備が出来ていない、と考えているのだろう。


 あるいは、AWと呼ばれるあちらの世界の存在が、学園の高等部生未満の生徒には隠されているのと、理由は同じかもしれない。


 ゾーイさんとかグロリアなら、魔法族の起源も知っているのかも。


「ごちそうさま」と、ゾーイさんは立ち上がって、そばにあったゴミ箱に、カップヌードルの空き箱を捨てた。ゾーイさんは、そのままベンチに戻って来て、先ほどと同じ場所に腰を下ろしたが、視界の端に何かを見つけたようで、そちらを二度見した。「あ、ちょい待ち」と、言って、ゾーイさんはぼくを見た。「一人で大丈夫? おねーさんがいなくても平気?」


「やだぁ〜、そばにいてっ」ぼくは駄々っ子のように言った。


 ゾーイさんは、ふふっ、と笑って、ぼくの鼻をツンツンした。


 彼女は、身を捻りながら優雅に立ち上がり、ぼくに背中を見せた。


 彼女の向かう先には、無表情を顔に張り付けたような感じの、金髪のスカンジナヴィア系の女性がいた。

 彼女は、その表情とは裏腹に、ご機嫌な声色で何かの歌を口ずさんでいた。

 ノルウェー語だ。

 ノルウェー語は、かじった程度だったが、かじった程度には知っていたのでわかった。


「ハロー、オルガ。相変わらず素敵な声ね」ゾーイさんは鈴の鳴るような声で言った。「オペラ歌手になれるって言われたことはない?」


「要件はなんだ?」オルガと呼ばれた女性は、拗ねたような口調で、ゾーイさんに一瞥もくれずに、ラウンジに入った。


「まったく、相変わらず可愛いわね。実はね……」ゾーイさんは、ラウンジのドアを閉めた。


 ガラス越しなので良くはわからなかったが、ゾーイさんはオルガさんに無二の親友に向けるような笑顔を向けていたが、オルガさんはゾーイさんにうんザリしたような目を向けている。


 オルガさんはぼくの視線に気がつくと、ぼくに対して、硬い笑顔を向けた。


 ぼくは彼女に対して、親しくなりすぎないように気をつけて、笑顔を返した。


 彼女は、視界の端にぼくを収めながら、ゾーイさんに視線を戻した。


 綺麗な人だ……、と思いながらも、ぼくは、あんまり見すぎるのも悪いかと思い直して、オルガさんから視線を外した。

 代わりに、ぼくは、和風弁当を食べながら、旅程を考えることにした。


 2度目にあちらへ行った際に、分厚いガイドブックを買った。


 見ているだけで、胸の弾む内容だ。


 ガイドブックには数種類の地図が付いていた。


 はじめはニホニア。


 そこで、ゾーイさんとはお別れだ。


 ゾーイさんはスカンディナヴィアの辺りに行くらしい。


 ぼくは、ラシアを見て周って、ユーレップに行こう。


 ファンランド、そこから、セウェードゥン、ネラウェー、ダンモーク、そこからは、グレートブリタニアか、オランドゥアに行こう。


 ニホニアで過ごす時間を多く取るつもりはなかった。


 まずはラシア。


 小さな街を転々としつつ、雪原の中でキャンプをするつもりだった。


 雪の中で飲むコーヒーは美味しいのだ。


 キャンプに飽きたら、街へ向かって、そこからスライムやユニコーンで首都のマスクヴァや芸術都市サンクト・フローレンスブルグに向かう。


 各都市で過ごす時間は、一週間以上にはならないようにする。


 周りたいところを全部行くのが、今回の旅の目的だった。


 そうすると、時間に追われてしまいそうになるが、時間についてはあまり気にしないようにしたいところだ。


 それに、ぼくは一人旅。


 プランを自由に変更して、身軽な旅を楽しめるのは、一人旅の大きな利点の一つだった。


 その時、


『ーー次はぁー、ニホニア、ニホニア。12番ゲートです。本日のニホニア行きは、あと3本です。次はぁー、ニホニア、ニホニア。ーー』


 と、アナウンスが流れた。


 ガラスの壁に覆われたラウンジの中で、ゾーイさんがぼくを見た。


 オルガさんもこちらを見る。


 ゾーイさんは、頭を下げて微笑んだ。


 ぼくは微笑んで頷いた。


 何を話しているのかわからないが、もう少しかかりそうだ。


 ぼくは、ゾーイさんに見えるような形でジャケットをベンチに置き、コンビニへ向かった。

 ポテトチップス、お弁当、インスタントラーメンを片っ端から買って、それらの入ったビニール袋を丸め、リュックサックを開ける。

 中には、ミニチュアの荷物の収まった空間が広がっている。

 一部分はワンルームマンションの一室のようになっており、そこはニホニアにゃんたちの居住スペースとなっていた。様子を見ていれば、みんなくつろいでいるようだった。

 ぼくは、丸めたビニール袋をリュックサックに入れた。

 リュックサックの内側の生地に触れた途端に、ビニール袋は小さくなった。

 サイズ調整魔法の一つだ。

 魔力は様々な物質に変換することが出来るが、生命には変換出来ないので、食料やこだわりの木製家具などは、このように持ち歩かないといけない。

 生きているものを魔力で変質させる為には膨大な魔力や高度な技術が必要な上に、治療を目的とした場合以外は、魔法界の法律上、重大な犯罪として扱われている。

 一方で、生命活動を行なっていない食糧や木材などはその限りではなく、また、魔力による変質や形状変化なども容易なので、こうして食料などを持ち歩く魔法族の旅人は割と多い。

 リュックサックに入れた食糧を見て、もう少し調達しても良いかな……、と思いつつも、これから貧乏旅行をするのだということを思い出し、これで満足しておくことにした。


 学園の物価は安いが、AWの物価は更に安かった。


 あとは、必要に応じてあちらで買えば良いだろう。


 ゾーイさんが戻ってきた。


 オルガさんは、ガラスに囲われたラウンジで、ソファに腰掛け、こちらに背を向けて、新聞を読んでいた。


「おかえりなさい」ぼくは言った。


「ただいま。ご飯買えた?」


「ええ」


「そろそろ行く?」


「行きましょう」ぼくはリュックサックを持ち上げた。



ーーー



 ゲートを潜った先は、大空ではなく、街中だった。

 後ろを振り返ると、城壁のようなものがあり、城門があった。

 ぼくたちはまず、ホステルに向かった。

 白土の外壁に、茶色い木の基礎が見える建物で、ドイツやドイツに近いフランスの村などでよく見られるものだ。

 中央広場から伸びる大通りにあったので、そういう意味では立地も良かったが、その分大通りを行き交う人々の話し声やらなにやらが聞こえてきそうで、静かに過ごせるかどうかが気になった。


 木の扉を潜れば、小さな受付があった。


 受付では、ドミトリーやシングルベッドやツインベッドなど、様々なタイプの部屋を案内された。


 ぼくとゾーイさんは12ベッドの、男女共用のドミトリーを選択した。


 宿泊費は3FUだった。

 大体360円。

 ホテルにもホステルにも泊まったことはなかったが、結構安いように思えた。

 このクラスの宿に毎日泊まったとしたら、一年で、1400FUほど。

 FUカードの残高は4800FUほど。

 食費や交通費を考えると少し厳しいが、ギリギリなんとかなりそうでもある。


 食糧や着替えはトランクに入っていたので、多分、お土産代くらいは残るだろう。


 ルナさんや弥子には、12月は丸々旅行に行ってくると伝えてある。

 二人は、ぼくが1ヶ月の間、地球上のどこかを平凡に旅行すると思っているだろう。

 一年老けて帰ったとしても、それを二人は知らない。

 ここでの冒険は、ぼくだけの秘密。

 そう考えると、ワクワクした。


 ドミトリールームには、三段ベッドが四つ、センターテーブル、それを囲うソファが置かれており、暖炉があった。

 壁も床も漆を塗られた木板で、センターテーブルも木製のシンプルなもの。

 古ぼけた乳白色のカーペットは無地で、染色されているような感じはなかった。

 大きな窓があり、そこからは、大通りが見える。

 防音設備はしっかりしているようで、大通りの喧騒は、しっかりと遮断されており、室内には心地良い静けさが漂っていた。

 ベッドの枠に男物のTシャツや下着が干してあるのにはギョッとしたが、ゾーイさんが気にしている様子はなかったので、ぼくも何も言わないことにした。

 格安の宿につきものなアクシデントとでも思っておこう。


 ぼくとゾーイさんのベッドは少し離れていたが、しょうがない。

 ぼくは窓際のベッドの一番上、ゾーイさんのベッドはドアの側のベッドの真ん中。


 部屋には、様々な人がいた。

 男性が七人、女性が三人。

 センターテーブルを囲うソファに腰掛けている男性三人と女性二人のグループが、ぼくたちに爽やかな挨拶をしてきた。

 それ以外の面々は、こちらに一瞥をくれ、梯子を上り下りするときに、ちょっとすみません、とか、ハロー、とか、そんな言葉を交わすくらいだった。


 ゾーイさんは、爽やかな挨拶をしてきたグループに、爽やかな挨拶を返したが、ぼくは、眉をひそめた。


 五人は、異様に小汚い格好をしていた。

 男性だけでなく、女性もだ。

 加えて、五人の腰掛けるソファのそばには、RPGのゲームに出てきそうな剣や槍や短剣や弓などに加えて、ゴツゴツとした鎧が転がっていた。

 ニホニアの衛兵だろうか。

 警備の巡回の一環でホステルに来たのかもしれない。

 あっちの世界こっちの世界問わず、ホステルというものがこういうものなのか、あるいはニホニアに限ったことなのか、ホステル初体験のぼくには判別がつかなかった。


 肩を叩かれた。


 ゾーイさんだった。「こらっ、こんにちはって言われたら、なんて返すんだっけ?」


 お前はママか、と思いながら、ぼくは頷いた。「すみません。その、武器に動揺しちゃって。こんにちは。空です」


 五人は爽やかに笑った。


 背が高く、がっちりとした体型の男性はユアンさん。


 背が高く、その抜群のスタイルと端正な顔立ちで全方位に喧嘩を売ってくる女性はノエルさん。


 背が高く、ほっそりとしている男性はフィリップさん。


 小柄でほっそりとしている男の子はマークくん。


 小柄でほっそりとしている女の子はビルギッタちゃん。


 話を聞いてみると、五人は、どうやら冒険者らしい。


 マジか……、と、ぼくは思った。

 まさか実在したなんて。


 ユアンさんは剣を扱うタイプらしい。

 フィリップさんは槍、マークくんは短剣と小さな盾、ビルギッタちゃんは弓、ノエルさんは古びた杖。

 話によると、杖の素材には神樹の枝が使われているらしい。


「前人未到の森を探索した際に、そこにしか生えていない神樹の枝をへし折って持って帰ってきたの」と、ノエルさん。


 ノエルさんはぼくだけでなく、神様にも喧嘩を売ったらしい。


 ユアンさんとノエルさんは30代で、フィリップさんは20代。

 マークくんはまだ12歳で、ビルギッタちゃんは9歳だった。

 5人は、いずれも生まれも育ちもAW。

 旅先で意気投合して、一緒に旅をするようになったらしい。


 この世界の冒険者の主な仕事は、モンスターを狩ったりするというよりは、この広大な世界を探索して地図を描く、というものらしい。

 そもそも、この世界には、人に危害を及ぼすモンスターなど、滅多に出てこないらしい。


「ラシアの山奥なんかじゃ、たまに、腹を空かせたクマなんかが、一人でキャンプをする旅人を襲ったりもするけど、それは、そもそもキャンプ場じゃなくって、動物のテリトリーでキャンプをするなんていうバカな選択をしたバカの責任よ」と、ノエルさんは、その魅惑的な声で言った。セクシーなのはスタイルだけではないようだ。


 五人は、ホステルの一室でお酒やジュースを飲んでいた。


 ゾーイさんは、調達してくる、と言って、インキャなぼくを一人残して街へ行ってしまった。


 ぼくは、ちょっとだけおろおろした後で、みんなにお近づきのお裾分けをあげることにした。

 ぼくは、トランクを開けて、買ったばかりのお弁当やインスタントヌードルを、テーブルに乗せた。


「ねえねえ」と、小さな手で、ぼくのジャケットを引っ張るマークくん。くりくりとした琥珀色の目が可愛いが、彼の着ているシャツからは、汗の匂いに加えて、気のせいかもしれないがイカの匂いがした。彼は、ぼくが出したインスタントヌードルを指さした。「これなに? 爆弾?」


 ぼくは笑った。「違うよ。ヌードル。美味しいんだ」


「ほんとに?」と、疑わしげな目を向けるマークくん。その目はまるで、ほんとに美味しいなら食わせてみろ、信じるか信じないかを決めるのはその後だ、とでも言っているようだ。小さな子供がそんな目をしているもんだから、可愛いのなんの。彼は、ぼくの胸の奥を絶妙に心地よく締め付けてきた。


 ぼくは、インスタントヌードルの包装を取って、テーブルに乗せた。


 ノエルさんは、そのセクシーな緑色の目でぼくの行動を見ていた。興味を引かれたような視線をその透明の包装に向けると、なにを思ったのか、その細長いセクシーな指でそれをつまみあげ、匂いを嗅いで、口に放り込んで、むしゃむしゃし始めた。


 ぼくは見て見ぬ振りをした。そうだ、お前はそれでも食ってろ、と思いながら、ぼくは、トランクから魔法瓶を取り出し、インスタントヌードルにお湯を注いだ。「3分待ってね」


 マークくんとビルギッタちゃんは、インスタントヌードルに小さな鼻を近づけ、くんくんと、匂いを嗅いだ。


「おいしそう」と、マークくん。


「なんか変な匂い……」と、ビルギッタちゃん。「そうだ、ブリタニアのキャピタルの……、ランドンの、ほら……」と、彼女は、フィリップさんを見た。「ぽっぽー」


 フィリップさんは頷いた。「あれだな。蒸気機関車の匂いだ。それか、製紙機の煙の匂いだ。ガスだな」


「ねえ……、これ、味がしないんだけど……」と、ノエルさん。


「あっ、ダメですよっ! それは、そのまま食べちゃダメですっ!」ぼくは、慌てたフリをして言った。嘘は言っていない。インスタントヌードルのフィルムはそのまま食べるものじゃないし、もっと言えば、そもそも食べるものじゃない。


「嘘でしょっ、ソラっ、先に言ってよ」ノエルさんはペッ、と、フィルムを吐き出して、暖炉に放り込んだ。


「お〜っ」と、ユアンさんは楽しそうに声を上げた。「やっちまったなノエルぅ〜っ! ヒィーッヒッヒッヒーっ」ユアンさんは声を上げて笑った。


「ヒェーッヒェッヒェーッ」と、フィリップさんも笑っている。


 そのからかうような笑い声につられて、ぼくもマークくんもビルギッタちゃんも笑ってしまった。


「むぅ〜」と、ノエルさんは、ムッとしたように、ほっぺたをあざとく膨らませて、ユアンさんの肩を叩いた。


 その自分の美しさと可愛さを自覚しているようなあざといほっぺの膨らませ方が、ぼくの神経を逆撫でした。

 ぼくは、次はノエルさんになにを盛ってやろうか……、と思いながら、ブイヤベース味のポテトチップスを開けた。


 そうやって、ほのぼのどろどろと楽しい時間を過ごしているうちに、インスタントヌードルが出来上がった。


 ぼくは、プラスチックのフォークの包装を取った。

 そうだ、このプラスチックのフォークを食わせてみよう……、そういえば、クッキーに乾燥剤が入ってた……。

 ぼくは、そんなことを考えながら、フォークをマークくんに渡した。


 マークくんは、初めて見るインスタントヌードルを、恐る恐る口に運んで、もぐもぐした。「おいしいっ!」と、目を輝かせるマークくん。


 ビルギッタちゃんは、マークくんの肩を、ちょんちょんと叩いた。


 マークくんは、ビルギッタちゃんの口元にインスタントラーメンを運んだ。


「あつっ」と、言いながらも、ビルギッタちゃんは、口を動かし、そして、ソファの上で足をばたつかせ、その琥珀色の目を輝かせて、ぼくを見た。「おいしいっ!」


「ただいまーっ!」と、元気な声と共に、ゾーイさんが戻ってきた。「おっ、ソラちゃん楽しくやってるねっ。おねえさんほっとしちゃった」言いながら、彼女は、ポケットから、たくさんの酒瓶と料理を取り出した。


 マークくんとビルギッタちゃんは目を輝かせた。


「ありがとう」と、ユアンさんは言った。


 フィリップさんは口笛を吹き、ノエルさんは、テーブルの上にグラスを二つ生み出した。



ーーー



 お酒を飲んで、美味しい料理を食べて騒いだ後、落ち着いてきたところで、マークくんとビルギッタちゃんはノエルさんに身を寄せて、すやすやと眠りだした。


 他のベッドの宿泊客たちも、眠りについている。


 窓の外が暗くなるに連れて、ぼくたちの話し声も小さくなっていった。


 空はすっかり夜になっていたが、表の大通りは、大通りというだけあって、店の明かりや街灯が光っていた。


 ノエルさんは、二人の肩をさすりながら、暖炉を見た。「ちょっと寒いわね。ソラ平気?」


「確かに、少し……」


 ノエルさんは指を振るった。暖炉の周りに積んであった薪がふわりと上がり、暖炉の中に入っていった。


「じゃあ、二人はあっちの世界から来たんだな」と、ユアンさん。


ゾーイさんはぼくを見た。


 ぼくは頷いた。「来たばかりですけどね」


「良いね。異世界のニホニアンか」と、フィリップさんは言った。


「元の世界では、ニホニアンは日本人って言うんですよ。ニホニアは日本です」


 ノエルさんは頷いた。「あっちの世界って行ったことないなー」


 先ほどまでは静かだった暖炉の中の薪が、今は、先ほどよりも少しだけ大きな音を立てて、パチパチと、心地良い音とともに燃えていた。


 それにつれて、部屋の中も暖かく、明るくなってくる。


 ムカつくくらいあざといが、ノエルさんは多分良い人だ。


 ぼくは、ノエルさんに向かって微笑んだ。「良いところですよ」


「ちょっと良い?」と、ノエルさんはぼくの髪に触れた。その優しい手つきで確信を持てたが、彼女は、スタイルが良くて美人で可愛げもあって思わず毒を盛ってやりたくなるほどにあざといが、良い人だった。なんだか、インスタントラーメンのフィルムやらゼリー状の防腐剤やら乾燥剤やら割り箸を食べさせようとしたことが申し訳なく思えてくる。「わー、髪すっごいサラサラだね」


 ぼくは笑った。「シャンプーとかリンスとか化粧品とか、結構色んなのがあるんです。ぼくはあんまり興味ないですけど」


「大人になればわかるけど、女にはメイクスキルを極める義務があるのよ」ノエルさんは、暖かく微笑んで、ぼくの鼻をツンっ、と、優しく突いた。


「わかりたくないですね……、ぼくは男に媚びるつもりがないので」


「違うわ。男に媚びるんじゃなくて、男を利用するのよ」


 そのセクシーな目と艶かしい声色に、ぼくの背筋がゾワっとした。


 ユアンさんとフィリップさんは、ため息を吐いた。


「ソラ、ノエルの言うことはまともに聞かなくて良いぞ。こいつは」ユアンさんは、言葉を探すように唸った。「恋愛には向かないタイプなんだ」


 ぼくは首を傾げた。「女が好きなんですか?」


 ゾーイさんとユアンさんとフィリップさんは暖かいながらもどこか悲しげな微笑みを浮かべ、ノエルさんはぼくを抱きしめた。


「ユアン、ご結婚は?」と、ゾーイさんが言った。


「おぉ、してるぞ。アテリア人の美人で、1か月に1回は帰ってる。1ヶ月冒険をして、地図を売って、1ヶ月休んで、また1ヶ月の冒険に出て、そんな毎日だ。人生の半分が休日なんだから、恵まれている方さ」


「俺も来月結婚する」と、フィリップは言った。


「こんな良い女がそばにいるのに手を出さないのは、そういうことなのよね」と、ノエルさんはぶどう酒を啜った。「二人とも、奥さんと彼女さんを愛しちゃってるのよね」


「お前に手を出さないのは、そそられないからさ」と、ユアンさん。


「なんてゆーか、恋愛対象じゃないんだよな。友達タイプって感じ」と、フィリップさんは笑った。


「屁とかもクセェしよー」とユアンさん。


 ぼくは小さく笑った。


「音もデケェしっ」フィリップさんも笑った。「前はお前の目も見れなかったけど、今じゃあれだ、手のかかる妹って感じだな」


 ノエルさんは、再び、むぅ、っと、あざとくほっぺを膨らませた。


 ゾーイさんはふふふっ、と、微笑んだ。「みんな、本当に長い間一緒に旅をしてるのね」ゾーイさんはぼくを一瞥した。「わたしたちは、これから旅するのよねー」


「そうなんだー」と、ノエルさんは優しく微笑んだ。


 ぼくは頷いた。「ラシアに行こうと思うんですけど、良ければ、色々教えて欲しくて。綺麗な街とか自然とか、美味しいご飯とか教えてください」ぼくは言った。


「そりゃー、やっぱりマスクヴァだな。過ごしやすい」と、ユアンさん。「ウォッカも美味いしな」


「サンクト・フローレンスブルグは街が綺麗よ」と、ノエルさんは、大きなオナラをしながら言った。「うぉっと、失礼」


「クセェんだよっ!」と、フィリップさん。


「あんたのシャツよりはマシよ」ノエルさんは、鼻にシワを寄せて、すんっ、と鼻先を鳴らした。


 ぼくたちは笑った。


「たくっ、君たちどう思うよ」と、フィリップさんは、楽しそうな顔で、ぼくとゾーイさんを見た。


「確かに、少し匂うわね。あなたのシャツ」と、ゾーイさん。


 ぼくは頷いて、鼻をすんっ、と鳴らした。「フィリップさんのベッドどこですか? 縦隣は嫌ですよ」


 ユアンさんとノエルさんは笑った。


 フィリップさんは悲しそうな顔をして、いじけて見せた。「わかったよっ。このシャツは処分するって。たくっ、お気に入りだったのによー」


 そう言われると、なんだか申し訳なくなってしまう。


「ごめんなさい。冗談です」ぼくは頭を下げた。


「俺もだよっ」フィリップさんは優しく笑った。

 ユアンさんも楽しそうに笑い、ゾーイさんは、ぼくの肩を抱いた。


 ドミトリールームが楽しい笑いに包まれた。


 笑い疲れたぼくたちは、各々の酒を取って飲んだ。


 ノエルさんは、唇を舐めながら、ビールのグラスを置いた。「わたしはマジよ」ノエルさんは、顔をしかめて鼻を鳴らし、フィリップさんを見て、ニヤリとした。


 ユアンさんは、ノエルさんの肩を優しく叩いた。


 ぼくは笑った。


 その晩は、結局一晩中話をして過ごした。


 朝、マークくんと、ビルギッタちゃんが起きたところで、ぼくたちはもう一泊分の宿賃を払って、眠りについたのだった。


少しでも楽しんで頂けましたら、評価やブックマークをお願いします!(*´∀`*)


この物語はフィクションです。実在する如何なる人物、団体、出来事と本作品は関係ありません。物語内では未成年が飲酒喫煙をしてますが、彼らは人間ではなく魔法族です。本作品には未成年者の飲酒喫煙を推奨する意図はありません。自分の心と体を大事にしましょう:)

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