4 11月30日 職員室と談話室
日常編の最終章です!
AWから戻ってきたぼくは、一眠りした。
目を覚ましたのは夕方。
ルナさんや弥子と一緒に夕食を食べ、だらだらと遊んで過ごした。
そして、二人が眠りに落ちた頃。
ぼくは、深夜、一人で職員室へ向かった。
こんな時間でも、先生はいる。
深夜授業のためだったり、残業だったり。
「すみません」
入り口のそばにいた吸血鬼の先生が、ぼくに気がついた。
その先生を見て、ぼくは息を飲んだ。
センテーノ先生だ……、ツいてないな……。
「やあ、どうした?」色素欠乏症で目が燃えるように赤い吸血鬼のセンテーノ先生は、見た目が怖いけれど、情熱的で、生徒への思いやりが人一倍なことで知られる体育の先生だった。
今日は黒の生地に白のラインの入ったジャージを着ていて、首からは、いつも通り、淡い輝きを放つホイッスルを下げていた。
センテーノ先生は知らないだろうが、小等部のちびっ子たちの間では、そのホイッスルはセンテーノ先生の理性を繋ぎ止めるために必要な大事なもので、それを取り上げるとセンテーノ先生は本性をあらわにすると言われていた。
頭からツノが生えて背中から翼が生えて、舌は10m近い長さにまで伸びて、口から火を吹いて散々暴れ回った後に故郷の地獄に里帰りをして一年間は引きこもるらしい。
その噂は、しっかりと、センテーノ先生の耳にも届いていた。
純粋無垢な無邪気さと無知から生まれる悪意のない風評被害とはいえ、子供はやっぱり、恐ろしく、時に罪深い生き物だ。
「センテーノ先生こんばんは」
「こんばんは」優しい笑顔を浮かべるセンテーノ先生は、闇の底から轟くようなくぐもった怖い声で言った。
口調は快活で爽やかな感じだったけれど、声が声なので、やっぱりちょっと怖かった。
この声を聞く度に、アメコミ界の重鎮である、コウモリのコスプレをしたヒーローの姿が頭を過ぎる。
「あ、あの、オレジニク先生いらっしゃいますか?」
職員室の中に目を配ったが、それらしい姿はなかった。
「いませんね。また来ます。おやすみなさい」
「待ちなよ」
ぼくは、肩をビクッとさせて、身を固めた。
「伝言伝えておこうか?」
「は、はい……、あの、明日か明後日から、冬休みを始めさせて頂きたいので、授業免除の課題を取らせてもらえないかと……、思い……、まし、まして……」
センテーノ先生の顔が、徐々に怪訝な顔色に染まっていく。
それにつれて、ぼくの声も小さく、掠れていく。
「ごめん。最後の方が聞こえずらかったんだけど……」
「は、はい、あ、明日から冬休みを始めたいので、その、じ、授業免除の、か、かかかか、課題を……」
センテーノ先生は眉をひそめた。
「ひぃっ」と、ぼくの口から悲鳴が漏れた。
「あ……」センテーノ先生は、少し悲しそうな目をした。「あ、明日からかい?」
「ご、ごめんなさいぃ〜……」
「あ、謝ることじゃないよ。わかった。オレジニク先生に伝えておく。ごめんね。怖いよね。今日で三徹目で……、ちょっと、頭が痛くって……、疲れてるもんだから、顔もちょっと本性を上手く隠せてなくって」
「ほ、本性……?」
「いや、違うんだ。そういう意味じゃなくて、ぼくは吸血鬼の血が濃いから、疲れが溜まって魔力が少なくなると、人の姿を保てなくなるんだ……」
「そ、そうなんですね……、お疲れのところをごめんなさい……、大変なんですね……」
「この時期は色々ね……。生徒たちの進路とか」
センテーノ先生の受け持っているクラスといえば、全員が吸血鬼なことで知られるクラスだった。
クラス30人全員がセンテーノ先生のような顔をしているのだろうか。
そう思うと、なんかちょっと笑えてきた。「は……、ははは……」
センテーノ先生の赤い瞳の中には、恐怖に引きつった顔で笑う可愛い女の子がいた。
間違えた。
可愛い男の子だった。
ぼくってほんとうっかりさんだね、てへ。
しかしほんとに可愛いですねぼくは。
こんな女の子と街中ですれ違ったら声をかけずにはいられませんね……。
「じゃ、じゃあ、ぼくは、行きますね。寝ないと」
「あぁ……、良い夢見ろよ……」と、センテーノ先生は闇の底から響くような声で、寂しそうに言った。「遅いからなっ、学生寮まではそう離れてないけど、気をつけて帰れよっ!」それは闇の底から心配しているような、大地を震わせるような声だった。
それは遠回しな脅しですか……、などと思ったが、センテーノ先生は顔が怖いだけで、中身は普通の良い先生だということを思い出したぼくは、勇気を出して振り返り、45°の角度でお辞儀をした。「あ、ありがとうございます。先生も、あまり無理をなさらないでくださいね」
「あぁ、ありがとうっ」と、先生は闇の底から轟くような、嬉しそうな声で言った。
その笑顔を見たぼくは、反射的に土下座をしてしまいそうになったが、90°のお辞儀で勘弁してもらうことにした。
その日の夜は、31人のセンテーノ先生に追い回される夢を見るんじゃないかと怖くて怖くてたまらなく、なかなか寝付けなかったが、気がつくと、眠りに落ちていた。
目が覚めると、Tシャツもトランクスも、ベタベタとした嫌な汗で、びっしょりだった。
これだから職員室は嫌いなのだ……。
ーーー
翌日の昼ごろ、ぼくは、オレジニク先生に呼ばれて、職員室へ向かった。
「ーーセンテーノ先生がな……、伝言を伝えてくれたんだけど、その時に、悲しそうな顔で今度からネコミミつけてみようかなとか言ってたんだ……、お前何したんだ?」
「何もしてません」ぼくはキッパリと言った。殺されかけたのはぼくの方だ。「ネコミミですか」
「うん。生徒ウケ良くなるかなって」
「それでなんて言ったんですか?」
「あんまり無理して疲れを溜め込まないようにしとけって」オレジニク先生はコーヒーを啜った。「センテーノ先生もな、あれで繊細なところもあってな、優しくて面白い先生なんだよ……」
オレジニク先生は笑いを堪えながら言った。
ぼくは頷いた。
「とにかく良い先生だし、センテーノ先生からネコミミがどうのこうの言われる先生の身にもなってくれよ」オレジニク先生は、笑い出しそうなところで、咳払いをして肩をすくめた。「それで、今日か明日から冬休みに入りたいってことだったけど、里帰りか?」
「はい」
「先生に嘘吐くな」先生は、琥珀色のアンバーの目で、ぼくを見据えた。
万能の魔法を扱うオレジニク先生には、ぼくの心の中のことなどお見通しだった。
「すみません」
オレジニク先生は頷いた。
「実は、昨日、AWという世界を見つけたんです」
「あそこへは、高等部生以上は行けない決まりだ」
「偶然知ったんです。それで、面白い世界だったので、そこを観光しつつ、魔法の扱いを勉強しようかと」
「期間は?」
「1ヶ月。あちらでは1年です」
「大まかな旅程は?」
「旅程? そうですね。ロームァー、ロームァ?」
「ロームァだな」
「と、その近辺を行こうかと」
オレジニク先生は頷いた。「認めてやれないこともないが、16歳以上の魔法使い1人の同伴が必要だな」
「なぜ?」
「生徒の安全を預かっているからだ」
「グロリア・グローティウスにお願いしようかと……」
「グロリアは学園の仕事で忙しい。優等生だからな」
「なるほど」こういう時、ぼくのようなインキャは辛い。「グロリアは良いって言ってくれたんですけど」
「あの子は、分身も作れるが、分身をおともにしても、大した護衛にはならんだろう。あの世界に行ったってことは、ニホニアだな」
「はい」
「あの国は平和だ。だが、あの広い世界にはたくさんの州や国や市区町村がある。そのどれもがニホニアと同じっていうわけじゃないんだぞ」
「一人での旅行を認めていただく条件なんかはありますか?」
「16歳以上なら、そういう試験も受けられるんだが……、ソラ、君は15歳の子供だ。誕生日は10月だったな。あと10ヶ月くらい我慢しろ」
ぼくは、記憶の引き出しを開けて、魔法の扱いに長けているが、学園の仕事を任されるほどではない先輩たちの顔を頭に思い浮かべた。
トマさんか……、レオーニさん……、だめだ、どっちもそれほど親しいわけじゃない。
顔を合わせれば話くらいはするが、その程度の仲だ。「同伴者がいれば良いんですね?」
「そうだが、この時期はみんな忙しいだろう。君だって暇じゃないはずだぞ? 進級試験や高等部への進学試験も控えてる。大人しく勉強しておけ。口うるさいことは言わんが、子供のうちに自主的に勉強する癖を身に付けておかないと、大人になってから苦労するぞ」
「試験ですか」ぼくは、グロリアから聞いた話を思い出した。
高等部への進学試験は、魔法の扱いを見られるようだが、グロリアは、別の何かも見られているに違いないと言っていた。
例えば、人格とか、性格とか、精神性や人間性の成熟度とか。
この学園はそういったところを重視しているし、地球に生きる魔法使いにとって、そういった倫理観や道徳心は、最も重要な要素になる。
学園は精神の魔法や、心理分野や精神分野などに精通した者たちによって、学園の生徒たちが物心つく前から、その人間性をよく観察しているらしい、という考察を、グロリアやルナさんから、何度か聞かされたことがある。
なんかの映画でも言ってたけど、大いなる力には、大いなる責任が伴うのだ。
「今日明日のうちに冬季休暇に入りたいっていうのもな……」
「どうしてですか?」
「そしたら、こっそりあっちに行くだろ? 課題を出してやれないこともないが……」
オレジニク先生は、短く、静かに、深く息を吐いた。
「君は良い奴だし、頭も良いし、魔法の成績はパッとしないが、成績表の数字以上に扱えるってことも、俺は知ってる。俺だけじゃない。先生たちもな。だが……、そうだな……、はっきり言わせてもらうと、俺たちは、二つの意味で君のことが心配なんだ。まずは、君みたいな子供がAWを一人で旅行すること。もう一つは、君は、どうして、授業中とかテストとかでわざと出来ないフリをするのかってことだ」
ぼくは言葉に詰まった。
「出来ないフリを続けていると、本当に出来ない奴になっちまうぞ。なんだ? 優秀さを示したら、グロリアやルナみたいに、学園の仕事を手伝わされるかもって思ってるのか? それとも、優秀さを示して期待されるのが怖いのか、面倒なのか? 注目されるのが恥ずかしいとか? 言ってくれれば、全力でテストに向き合えるように、先生たちも配慮する。上位100の成績を叩き出したとしても、掲示板に貼られる紙には、君の代わりに101位の生徒の名前を載せてもいい。学園の仕事を引き受けるかどうかについては、もちろん学園側も褒めて持ち上げて仕事をさせようとはするが、最終的には生徒の意思に任せているし、嫌だって言えばそれっきりだ。後々やりたくなったらやりたいって言ってくれても良いしな。期待されるのが嫌だって言うなら、期待はせずに、ただ見守る。俺たち先生はな、生徒がどこまで成長したかってことを見て心が満たされる生き物なんだ。伸び伸びやれてない生徒を見たら心配するし、気にかけたりもする。まともな先生ならみんなそうだし、まともじゃない奴はこの学園の先生にはなれない。心を開いてくれって言われて開けるもんでもないだろうが、ちょっとずつで良いから信用してくれたら嬉しい。こちらも応えていく」
ぼくは頷いた。「注目されるのが恥ずかしいんです」
「どうしてだ?」
「思い上がりかもしれませんけど、授業はどれもこれも退屈で、体育の授業で疲れたことなんて一度もない。魔法の授業もなんなくこなせるし、グロリアとか、先輩の人たちから教えられてるおかげもあって、高等部から学ぶような魔法も使えるんです。多分、テストじゃもっと良い成績が取れる。でも、それを知られたら色んな人から注目されたり、話しかけられたりする気がして……」
オレジニク先生は、暖かいながらも、リラックスした、自然な目で、頷きながら、話を聞いてくれた。「話しかけられるのが嫌なのか?」
「嫌じゃありません。でも、人と関わると、疲れるんです。人は勝手に色んなことを考えて、思い込んで、期待したり嫉妬したり嫌ったり好いたりしてくるけど、こっちからしたらわけわからないじゃないですか。なんでまともに話したこともない人から好かれたり嫌われたり期待されたり妬まれたりするのか。そういうの、すごいめんどくさいじゃないですか」
オレジニク先生は頷いた。「そうだな。先生にもそういう時期があった。今は、そういうところもバカだなこいつらって感じで面白いって思えるけど……、ソラはまだ15だもんな」オレジニク先生は笑った。「そうだよな。しっかりしてるもんだから時々忘れるけど、お前まだ15だもんな」
ぼくも笑った。「だから心配して、引き止められてたんだと思ってましたよ?」
「そうだったな。忘れてたよ」
「オレジニク先生は、中一の頃からの担任で、よく見てくださっていますし、ぼくを、私を理解もしてくれていると思います。だから、あまり疲れないんですけど」
オレジニク先生は笑った。「ちょっとは疲れちゃうのかよ」
ぼくは笑った。「ですね。ま、時々……、ちょっと」
オレジニク先生は笑った。「酷いな。もうすぐ顔合わせて三年になるってのに」
「先生の中じゃ結構好きですよ。オレジニク先生は」
「ありがとよ。じゃあ、テストを受けてみよう。成績順位はこの間のテストのものを採用して、それで、お前には、過去のテスト内容をミックスした物を受けてもらう。それで、7科目と魔法と体育の9教科全てで上位100……、いや、上位300の成績が取れたら同伴者付きで、上位30位に入れたら特例で一人でのAW旅行を認めるってのは?」
「その成績は、掲示板に貼ったりしませんか?」
「しない。でも、学園のデータベースには残る。総合上位100に入れば、高等部から学園の仕事どう? って話も来るだろうが、嫌なら断れば良い。しつこく勧誘してくる先生がいたら、俺が口添えをしてやる」
「ありがとうございます」
「テストはいつが良い?」
ぼくは、少し考えた。「……今日は?」
オレジニク先生は、口元に、楽しげな笑みを浮かべた。「上等だ。それでこそ俺の生徒だな」
ーーー
夜、日付の変わる1時間前。
テストを終えたぼくは、自信に満ちた気分で、いつもの談話室へ向かった。
いつも通り、静かな談話室。
その室内に、一人だけ、暖炉の前でくつろいでいる女の人がいた。
ゾーイさんだ。
彼女は、ぼくに気がつくと、優しく微笑んだ。「お疲れ様」
「こんばんは」ぼくは言った。
先日の、ぼくに恥ずかしいことを言わせたことに関しては、すでに文句を言ったし、それについての謝罪も受けていたので、今や、ゾーイさんに対するわだかまりのようなものはなかった。
「なにか飲みます?」
「じゃー、ソラちゃんのおすすめのワインを、ボトルでもらうかしら」言って、ゾーイさんは手にグラスを二つ生み出し、サイドテーブルに置いた。
ぼくは頷いて、廊下に出て、ワインを購入した。
フランス産のボルドーワインだ。
戻れば、ゾーイさんが、シャンパングラスにシャンパンを注いでいるところだった。
ぼくは、サイドテーブルにワインボトルを置いた。
ゾーイさんは、ぼくにシャンパングラスを寄せた。
ぼくは、それを受け取った。
ゾーイさんは、にっこりと微笑むと、唇を開いた。「いつ行こっか」
ぼくは、顔に浮かぶ笑みを堪えられなかった。「これを飲んで、程良くくつろいだらで良いですか?」
「素敵。ねー、ソラちゃんは、ヴェルの冒険のどこが一番好き? わたしはね、ヴェルが指輪を受け取って、初めて魔法を使うところなの。夏の晴れた日の夕方に補助輪なしで自転車に乗れるようになった時とか、苦手な理科のテストで初めて100点を取った時とか、小雨なのに遠くから雷の音が聴こえてきた日に初めて箒で空を飛べるようになった時とかを思い出して、幸せになれるから」
ぼくは、やっぱりこの人の話を聞いていると恥ずかしくて胸の奥がムズムズしてくるな……、と思いながらも、ゾーイさんの話に共感していた。「ぼくは、好きなシーンが多すぎて決められません」
「だよねー」
「でも、一番好きなところならありますよ。やっぱり、初めの一文です。旅を通じて成長していくヴェルを見た後で、最後の一文に最初の一文を持ってこられたところで、鳥肌立って、その日は一日中余韻が抜けませんでした。初めはネガティヴな意味合いだったのが、最後はポジティヴでノスタルジックなヴェルの心境を表現していて……」
ゾーイさんは微笑んだ。
ぼくは、その顔を見て、咳払いをした。
また熱っぽく話してしまっていた。
オタクだと思われた。
しんどい……。
でも、しょうがないじゃないか。
ぼくもまた、クラリッサと同じだ。
ヴェルの冒険も、作者のヴェルのことも大好きなのだ。
日常編は終わりです。
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