20日目 ストライキ
3時
現場を見たイポリトがまず最初に思ったことは、これはやはり、事件であるということだった。
現場のカフェは、店の一角、交差点の曲がり角に位置する部分のみが崩落していた。
瓦礫や破片はそれほど散らばってはおらず、店内の様子は、椅子が転がったりはしていたが、破損がないことから、爆風による物ではなく、慌てて外に避難した従業員か利用客が転ばせたものだろうということが考えられる。
もしも、キッチンでガス爆発が起こったなら、店内はもっと散らかっているはずだし、瓦礫や破片は、幅が150mはある通りの中程まで飛び散っているだろう。
イポリトがしたことは、周囲の大気中を漂う魔素に意識を向けることだった。
万能の魔法を扱うイポリトは、万能の魔素に宿る生命の魔素の性質により、周囲の魔素に意識を向けることで、目で見るように、肌で触れるように、鼻で嗅ぎ取るように感じ取ることが出来る。
周囲に色濃く漂うのは、影の魔素。
続いて、雪の魔素、火の魔素、風の魔素、光の魔素。
雪の魔素は、ラシアなどの寒い地域ではよく見られるものだった。
寒い地域では雪の魔素、暑い地域では火の魔素を宿す魔法族が多く生まれ、また、魔法族たちは自分が持つ魔素に適した地域に好んで集まる。
一方で、影の魔素の濃度が高いこと、これは自然に起こったとは考えにくい現象だった。
「爆発発生時、現場にいた人々は?」イポリトは言った。
衛兵は頷いた。「現場にいた者たちは、通りの向かいのレストランに集まってもらっています」
「ありがとうございます」イポリトが、幅150mはある通りを横切り、向かいのレストランに入った。
そこには、30人ほどの魔法族がいた。
みんな、祭りの衣装であるマスクを手に持って、素顔を晒していた。
影の魔法族は、乳白色の肌に、燃えるような赤い目をしているので、一目見ればそうと分かるものだが、30人の中に、影の魔法族は1人もいなかった。
イポリトは、怪訝に思いながら頷いた。
一部の例外を除き、魔法族は、素の魔素の他に1種類の超常の魔素と、2種類の自然の魔素を持って生まれてくるものだ。
超常の魔素は、魔法族の殆どが有する素の魔素、そして、生命の魔素、万能の魔素、精神の魔素、影の魔素、光の魔素、そして、近年多く確認されだした人間の魔素の7種類。
30人も魔法族がいて、その中に影の魔素を持つ者がいないというのは、確率としてはなくもないが、不自然に感じられた。
ラシアにおいて、特定の魔素の持ち主に対する差別があるという話は聞いたことがなく、法律の上でも、影の魔素の持ち主に対し、何らかの制限が設けられているという話も聞かない。
ラシアは広いので、地域によってはそういった時代遅れな意識もあるのかもしれないが、マスクヴァなどの都市部においては、そういった話は聞かず、そういった雰囲気があるようにも感じられなかった。
実際、爆破現場から数十m離れたところからこちらを伺う野次馬達の中には、影の魔素の持ち主達がチラホラと見られたし、見た感じ、そういった者たちは別の魔素の持ち主たちと不安げに、しかし、親しげに話をしていた。
イポリトは、レストランでカフェオレを注文してから、衛兵とともに通りへ出た。「現場から離れてしまった従業員や利用客は?」
「従業員に聞いた所、アレで全てのようです」
イポリトは頷くと、ベンチに腰掛けた。「タバコを吸っても?」
「こちらへ」衛兵に案内された先は、角を曲がって数メートルの場所にあるベンチだった。
吸い込む空気は澄んでおり、美味しい。
交差点の先にいる野次馬達のざわめきは騒々しいが、イポリトにとっては、それも慣れたものだ。
イポリトは、騒音ではなく、自らの革靴が石畳を叩く、コツコツという小気味良い音に意識を傾けた。
コートの内ポケットから取り出したのは、ジタンのタバコだった。
ベンチには先客がいた。「よう」
イポリトは、口角を上げた。「やっぱり、きみが来てくれて正解だったようだね」
「正解なもんかよ。こっちは気持ちよく酔っ払ってたとこだってのに、店の外でタバコを吸ってただけで目撃者扱いされちまった。協力してくださいってことで、あぁ、3分くらい話聞かれるだけなんだろうなって思ってたら、バカの話が長いってことを忘れちまってたぜ。3分で済む話に10分もかけられて、あぁやっと終わりだぜってほっと一息着こうと思ってタバコ取り出したら、たらインターポールの刑事ならあんたも捜査に協力しろと来たもんだ」そう言ってタバコの煙を吐く男、ユライ・マクレールの胸元には、イポリトが持つ物と同じバッジが光っていた。
イポリトは小さく笑うとタバコに火をつけた。「私もそんな感じだ」
「よくもめんどくせぇ旅行に招待してくれたな。俺にもコーヒー奢れ」
イポリトは、衛兵を見た。「すみませんが、コーヒーを一杯お願いします」
衛兵は頷いた。「アイスですか? ホットですか?」
「ホットに決まってんだろ。こんなバカ寒いところでアイス飲むバカが居るかよ」ユライは英語で言った。
「バカにしか見えねぇから聞いたんだよ」衛兵はロシア語そっくりのラシア語を吐き捨てて、レストランへ向かった。
イポリトは鼻を鳴らした。「あの野郎、悪口言いやがっただろ」
「ラシア語わかるのか?」
「わからねえさ」
「だと思ったよ。アメリカ人だもんな」
「雰囲気でわかんだよ」ユライは、上等なコートを着ていたが、寒そうに震えていた。
そんなユライに対してあのような言動を取るとは、ユライはよっぽど横柄に見えるような態度を取っていたのだろう、その場面を想像したイポリトは、鼻を鳴らした。「きみの意見は?」
「バカみてぇなこと聞いてんじゃねーよ」ユライは煙を吐いた。「事件に決まってんだろ。あんなもん」
その時、衛兵がやってきた。
彼が手に持つトレイには、コーヒーのポットと、カップが2つ、ドーナツが2つ載っていた。
「ありがとう」イポリトは言った。
「やっぱり刑事にはドーナツだよな。わかってるね、君。出世するぜ」ユライは言った。
「うるせぇよ」ラシア語で言いながらも、衛兵は少しだけ嬉しそうだった。
ユライは、衛兵が離れたことを確認してから、コーヒーを啜った。「起爆地点は交差点の一角に位置する窓際、爆発の規模は小規模、爆風は、店内には向かず、上に向くように調整されている。あの規模の爆発で、石で造られた4階建ての建物の一角を上から下まで崩すには、建物が相当古くなってなきゃ無理だ。それが起こったってことは指向性の爆発が起こったってことだな。爆発を調整する意図、死傷者を出さない意図が見えている以上、それを意図した犯人がいるってことだ」ユライはコーヒーを啜った。「火薬の香りがすれば、以上のことから事件であることは確定だな」
イポリトは頷いた。「私の意見も同じだ。火薬ではなく、爆発は火の魔法と風の魔法によるものだな。水素と酸素を集めて火を点けたんだ」
「マッチは持ってなかったのか」
「マッチは高級品だ」
「持ってくりゃ良かったな。そうすりゃボロ儲け出来た」
「私達の給料は安いもんな」
「ふざけてるぜ」
イポリトは頷いた。「まさにそれだ。犯人はふざけてる。証拠が多すぎるんだ。私でなくても、現場に違和感を抱ける程度には」
「ってゆーと?」
「犯人は影の魔法を扱う。そして、現場にいたとされる者たちの中に影の魔法使いはいなかった」
「犯人像と一致する者がいなかったってことだな。そこから先は英語で言ってくれ」
「先もなにも、それだけだ。次は捜索だな。人手が必要になるし、人手さえあればあとはことを進められる。人手が情報を集めて来るのを待っている間に、捜査班が現場にやって来る。私達の協力はそれまでのことだ。マイケルとサミュエルは?」
「捜査を始めてるぜ」
「やめさせた方が良い。犯人はおそらく、自身を探させようとしている」
「逃げてるんじゃないか?」
「こういうケースなら、逃げるってことは目的を果たしたってことだ。もちろん騒ぎを起こすのが目的の愉快犯という線もある。祭りということでテンションが上って調子に乗ったとか、騒ぎに乗じてバレないだろうとか色々馬鹿なことを考えたんだろう。だが、おびき出そうとしているという線もある以上、私達が動くのはリスクが高い」
ユライは、首を動かさず、視線の動きだけで周囲を見回した。「それなら、ここに来るべきじゃなかったな」
「仕方ないだろ。バッジを見られた以上は協力しないと」
ユライはコーヒーを啜った。「野次馬の中からこっちを見てるかも」
「あるいは建物の中から」イポリトはタバコを吸い、煙を吐いた。「影の魔法使いはな、夜になると厄介なんだ。奴らは影の中を動き回る。影を自分の手足のように動かす」
「つまり?」
イポリトは、自分たちを照らす街灯、その先に広がる影を指さした。「その影から急に無数の槍が飛び出してくるかもしれない」
ユライは頷いた。「なんとなく想像出来たよ。つまり、俺たちを殺す気はないってことか」
「そのようだな。今のところは」イポリトはカフェオレを啜った。「……それか、まだ見られていないかだ」
「どうする?」
イポリトは肩をすくめた。「もう2、3本、タバコを吸っておこう。そうすれば、衛兵たちからは優秀な捜査官2人が意見を交換してるように見えるだろうし、野次馬たちからは無能な税金泥棒がサボっているようにしか見えない」
ユライは鼻を鳴らした。「ストライキか。フランス人の得意技だな」
「そういうことだ。3本目を吸い終える頃には、現地の捜査班が来るだろうさ」イポリトは、タバコの煙を吐いた。「到着した者たちに、私達の間で共通した考えを伝えて、ここを離れよう」




