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魔法使いの世界を旅する一年  作者: Zezilia Hastler
序章  魔法使いの世界
2/72

1 初めて見る世界

この物語はフィクションです。実在する如何なる人物、団体、出来事と本作品は関係ありません。物語内では未成年が飲酒喫煙をしてますが、彼らは人間ではなく魔法族です。本作品には未成年者の飲酒喫煙を推奨する意図はありません。自分の心と体を大事にしましょう:)

 2m四方の小さな部屋だった。

 足元は木目で、壁も同様だ。

 天井はかなり上まで伸びていて、天窓からは紐が垂れ下がっており、床から3mくらいのところに、傘状の埃除けを被った電球がぶら下がっている。

 家具らしい家具は男性のそばにあるスタンドテーブルだけ。

 男性の背後には木のドアがあった。


 ぼくは後ろを振り返った。

 

 そこには先程の掃除用具室のドアがあった。


 部屋の中央に立つ、彫りの深い男性は、ニコニコと口を開いた。「ようこそ。お嬢ちゃん。初めてだよな。小さいな。何歳だ?」


 ぼくは頷いた。「ほんとにあった……」


 彼は掃除用具室の番人か何かだろうか。


 窓の外の昼間の空は、魔法でそういった景色を演出しているのかもしれない。


「信じるものは救われるってね」彼は言った。


「ぼくは日本人だから、信仰心はないんだ」


「そうかい」男性は、そっけない口調で言った。「悲しいな。時代の流れってやつは。昔の若い子は、キラキラ目を輝かせてたもんだ」


「おじさん何歳ですか?」


「おにいさんって呼んでくれても良いんだぜ」


 男性はぼくの質問に答えてくれなかったので、ぼくもまたおじさんの戯言を無視して、心の中で唾を吐き捨てた。


 おじさんはコツコツ、と、背の高いスタンドテーブルを指で叩いた。「名前書いて」


「なんです?」ぼくは宙に浮いて彼と視線を合わせた。

 スタンドテーブルには書類が置かれていた。A4サイズの紙には、【出入国記録 2010 #12】と書かれていた。

 枠組みの横列の1番上には、日付、氏名、国籍、渡航の目的、渡航回数と書かれている。

 縦列の1番左には、ナンバーが書かれている。

 11番目の渡航者の欄にはゾーイとだけ書かれていた。

 1番目から10番目には、フルネームが書かれている。

 ぼくも、ゾーイさんに倣って、ファーストネームだけをアルファベットで書いた。

 渡航の目的……?ぼくは、眉をひそめた。ゾーイさんが記入したと思われるところを見れば、観光と書かれている。

 ぼくはペンを走らせ、観光、と書いた。渡航回数は、初めてだから1だ。


「ありがとよ。AWにようこそ」

「AWですか……」

「この世界の通称さ。地球と違って、魔法を扱える奴だけの世界だ。のびのびやんな」

「ありがとうございます。でも、ぼく、明日も学校だから、そろそろ帰らないと……」

「せっかくだから見ていきなよ」男性は、背後にあるドアのノブを掴んで、ぼくを手招きした。


「帰るときはどうしたら?」


「ここに戻って来ればいい」男性はぼくを見てニヤリとした。「気をつけろよ」


「へ?」

「気を抜くと死ぬぞ?」

「やだ。帰る」


 男性は笑った。「冗談さっ。からかっただけだよ」


 ぼくは男性を睨みつけた。「死ねよ」


「時が来たらな」


「はぁ? きゃっ!」ぼくは悲鳴を上げた。


 男性がドアノブを捻ってドアを押し開けるのと、ぼくの背中を押したのは同時だった。


 背中を押されてドアを通り抜けることとなったぼくが足を踏み入れた先にあったのは、空だった。



ーーー



 眼下には雲海が広がっていて、地表は見えない。


 お腹の下が、ヒュンッ、とした。

 俗に言うタマ○ン症候群というヤツだろう。


 眼前に広がる青空。

 強烈な気圧の変化が生み出す、強烈な風。

 客が来てドアのこっち側に送り出す度に、この風圧がこの狭い2m四方の部屋を襲うのだから、このジジイも大変な仕事をしてるよな……、と思いながら、ぼくは、空中で身を捻った。

 まだ、右足の爪先は、かろうじて床に着いていた。


「……ぅぉおぃ待てこらテメェっ!」


 ぼくは、男性を道連れにしようと思い、男性に向かって手を伸ばした。


 男性は、ぼくに向かって笑顔で手を振っていた。「楽しめよ」言って、男性はドアを閉めた。


 ふざけんなふざけんなふざけんな……。「……ね死ね死ね死ね死ね死……」


 ぼくは仰向けに落ちながら、先ほど、自分の口を突いて出た、気色の悪い悲鳴について思いを馳せていた。


 なにがきゃっ、だよ……、ふざけんなあいつ……、急に押しやがって……、びっくりしちゃったじゃねーかよ……、死ねよ……。


「……死ね死ね死ね死ね……」


 眼前には青い空と、そして、空に浮かぶマホガニーのドアがあった。ドアには日本の国旗が貼られていた。あの部屋が収まっているであろう建物は見当たらなかった。ドアだけだ。


「死ねぇっ!」


 ぼくは、誰も聞いていないのを良いことに、両手で顔を覆い、大声で悪態を吐いた。


「こんちきしょうっ!」


 ぼくは、右手を伸ばし、手の平の中に魔力を集めた。水蒸気のような実態感の薄い霧状の魔力は、宙をうねって箒の形を模り、そして、気体のような感触から液体のような感触、液体のような感触から個体のような感触へと、徐々に変化していった。


 ぼくは、箒にまたがり、急降下した。


 ぼくたちの学園では、季節が変わる毎に、箒を使った状態での飛行速度を体育の授業で測る。

 前回は、音の数倍早い速度を叩き出した。


 ぼくは全身を魔力で覆い、衝撃波から身を守る準備を整えると、重心を前に傾け、箒に魔力を流した。

 空気の壁を突き破る感覚は、いつ味わっても心地良い。例え、こんな屈辱的な気持ちのまま、大空に放り出された直後でも。


 超音速で10秒ほど急降下をしていくと、宙に浮かぶ超巨大な文字を見つけた。


 文字は虹色に輝いており、【12km上方 日本】と、描かれていた。


 その頃になって、ようやく、下の方に街が見えた。


 視界の端に、同じく虹色に光る看板が見えた。


【これより先 日本からの玄関口の街&ニホニアの首都 セントラル・ニホニア】


 ニホニアの文字の横には、デフォルメされたネコの絵が描かれていた。


「……ごくり」


 可愛い。


 ぼくを大空へと叩き出したクソ野郎への殺意を、一瞬だけ忘れることが出来た。


 ぼくは、箒の先を上げて、落下速度を落とした。

 急な傾斜の弧を描き、体制を整える。

 そのタイミングで、本日二度目のタマキ○症候群を味わったぼくは、眼下に広がる景色に気が付いた。


 オレンジ色の瓦屋根。

 遠くには、背の高い時計塔。

 箒に乗って街の上を飛ぶ人々。

 彼らを見ていると、どうやら、空にも見えない道路があるようなのだということが分かった。


 ぼくは、その道路をなぞって街の上を飛び、時計塔に向かった。


 時計塔は、大きな広場の端っこにあった。


 広場に舞い降りると、枯葉や砂埃が、石畳の上をふわりと宙を舞った。


 ブーツの先で、石畳をコツコツと叩く。


 ぼくは、雲一つない大空を見上げた。


 ぼくは、息を吐いた。「さてと」


 周囲を見渡せば、辺りには、屋台が立ち並んでいた。



ーーー



「このネコはニホニアにゃんっていうんだよ」そう教えてくれたのは、土産物を扱う屋台の男性だった。


 なんだその狙いすぎてるあざといネーミングはまったく恥ずかしくて聞いていられませんねはーやれやれあなたもあなたですよもう良い年したアラフォーっぽいのによくもまぁニホニアにゃんなんて恥ずかしい単語を恥ずかしげもなく平然と口に出来ますね。


「かわいいですねぇ〜っ!」


 理性の生み出した冷めた言葉に反して、口から出てきたのは、ぼくの心の叫びだった。


 あちこちに立ち並ぶ屋台には、ニホニアにゃんグッズがたくさん並んでいた。

 大小様々なサイズのニホニアにゃん、音に反応して踊り出す“ダンシングニホニアにゃん“、魔力を注ぎ込むと宙に浮く“瞑想坐禅ニホニアにゃん“、“キーホルダーニホニアにゃん“、144パターンで話す“喋るニホニアにゃん“、外国語を喋る“かぶれニホニアにゃん“、どれもこれも、ぼくの購買意欲を絶妙にくすぐってくるデザインとネーミングセンスだった。


 また、値段もお手頃で、1番大きなジャンボニホニアにゃんですら、12FUだった。

 FUとは、学園で流通している電子マネータイプの地域通貨だった。

 月の初めの日のハードカレンシーのレートを足して5で割った数字が、1FUになる(その計算の際、1ドルや1ユーロに混じって、日本円だけは100円となる)。

 1FUが日本円で幾らかというのは、その月によって変わるが、ぼくはそんなものをいちいち確認してはいなかった。

 確か、最後に確認した時は……、と記憶を探ってみる。

 このジャンボニホニアにゃんは、大体1320円くらいだ。


 となると、ジャンボニホニアニャンを1匹と……、1匹じゃ可哀想だから、もう1匹、そうなると、やっぱり弟や妹が欲しいだろうし、お友達なんかもいないと寂しいだろう……。


 ぼくはとりあえず4XLサイズのジャンボニホニアにゃんを1つと、ニホニアにゃんLとニホニアにゃんMとニホニアにゃんSを4つずつお土産に購入した。

 可愛いのは好きだ。

 それについては恥ずかしいから秘密にしているので、ニホニアにゃん一家を寮に密輸する際は細心の注意を払う必要がある。

 まあ、バレたところで、ぼくの好みに関して誰にも文句は言わせないし、あれこれ言ってくる奴は断じて許さないが。

 繁殖に事欠かない数のニホニアにゃんを調達したことで心を満たすことに成功したぼくは、ひとまずニホニアにゃんのイラストの可愛い包み紙のニホニアンチュロス(いちご味)を買って、イチゴ風味の生地に、それをコーティングするイチゴ味のチョコ、そしてほんのり甘酢っぽいイチゴパウダーのかかったそれを楽しみながら、街の様子を観察すると同時に、紙袋の中からこちらの様子を伺っているニホニアにゃんたちの名前を考えることにした。


 まず、ぼくの様にニホニアにゃんグッズで身を固めている連中は、間違いなく観光客だろう。

 連中はこういったご当地グッズが大好きだ。


 ニホニアにゃんグッズに無関心な様子の人々は、たぶん現地人だ。


 ニホニアという、恐らくはこの国で最も日本に近い立地にあるこの国だが、行き交う人々全員の顔立ちが日本人っぽいわけではない。


 ニホニアは、多民族国家のようだった。

 折角ニホニアに来たことだし、ニホニアンの国民性を研究したいところだ。



ーーー



 情報収集をするべく、ぼくが向かったのはバーだった。

 映画などでも、情報収集といえば、バー、というのが相場だ。

 ということで、ぼくは手頃なバーを探したが、その個性的な街並みを楽しんでフラフラしているうちに、街の中心地からだいぶ離れたところまで来てしまった。


 ウェスト・ニホニアンは、西部劇のセットのようだった。

 西部劇でよく見るバーは、ウェスタン・サルーンとも呼ばれている。


 サルーンの表では、縄で括り付けられたユニコーンたちが水を飲んでフシュゥルルルルゥ、ブルルウァっ、と鳴いていた。


 ぼくはユニコーンの顔を撫で、ツノに触れさせてもらった。

 ユニコーンは、パチパチと瞬きをした。

 その目はまるで、『お前らは俺たちのツノがほんと好きな……』、とでも言っているようだ。


「君たちのツノは幸福の象徴なんだ」


 ユニコーンは、『はいはい、聞き飽きたよそれはもう……』、とでも言うように、そっぽを向き、『冗談じゃねーぜ……、俺たちは動物園の見せ物じゃねーんだ……』、とでも言うように尻尾を振った。

 尻尾から、キラキラと、虹色に光る粉が舞った。

 フケではなく、【ユニコーンの幻想】と呼ばれる物だった。

 ユニコーンの体毛から、風に撫でられる度に放出され、そのまま消えていく、謎の物質だった。

 誰も触れることが出来ず、それの構成物質は魔力の元となる魔素でもなく、どの元素にも当てはまらないものとされている。


 ぼくは、木製のスイングドアを押した。


 店内は、伝統的な魔女ファッションや魔法使いファッションの人々で溢れかえっていた。


 人々は、その衣服の要所要所の色合いを変えることで、自らの扱う魔力の属性や、自らの美的センスを主張していた。


 カビ臭い匂いはこれっぽっちもなく、掃除の手が行き届いている店内には、香水やお酒や木の匂いがした。


 ぼくは、カウンターに腰掛けた。


 クッションの薄い椅子だったが、長時間座るつもりもなかったし、腰やお尻が痛くなったら立ち上がれば良いだけなので、あまり気にならなかった。


 カウンターの向こうにいる中東系の男性は、グラスをふきふきしながら、ぼくを一瞥した。「お嬢ちゃん、12歳以上かい?」


「あぁん?」このぼくが可愛い女の子に見えちゃうのはしょうがないとして、このぼくがちんちくりんのガキに見えるってのかよ?


男性は眉をひそめて、店内の壁を指さした。


 【12歳未満はジュースだけ】と書かれている。


「いえ、はい。15です」どうやら、ニホニアの法律では、12歳から飲酒が認められるらしい。地球上では、魔法使いに対して飲酒の制限を課す法律は存在しない。その点では、ニホニアは窮屈だった。ぼくは、男性を見て、彼の瞳を見据えた。

 緑色の瞳に、澄んだハニーブラウンの光輪。


「純魔なんですね」ぼくは言った。


 男性は頷いた。「AW生まれだからな。AW生まれはみんな、純粋な魔法使いだ。そういう君こそ」


 ぼくは頷いた。「地球から来たんです。今日が初めてで」


 男性は、ほんの少しだけ驚いたように目を見開いた。「地球の純魔っ? ってことは、学園の生徒か……、貴族様か?」


「ただの中流です。ただ、代々純粋な魔法使いの家系っていうだけです」


「名前は?」


「空です」


 男性は頷いた。「ティモシー・スタインフェルドだ。ティムで良い」


「空って呼んでください」

「光栄だ。ソラさん」

「こちらこそ光栄です。ティムさん」ぼくは、ティモシーさんと握手をした。


 ティムさんは、気難しそうな顔を一転させ、柔らかく、温かい笑顔を浮かべた。彼はふきふきしていたグラスを棚に戻し、タオルを、びたんっ、と、肩にかけた。「ソラさん。なににする?」


「ご当地ビールでおすすめは?」


「それなら、ニホニアン・ユニコーンだな」ティムさんは、馬鹿みたいに大きなグラスを取った。


「うへぇ、ユニコーンのおしっこの匂いがしそうですね」


「原材料は秘密だ」ティムさんは、シー、っと、口元に人差し指を立てて、サーバーのレバーを引いた。


 ユニコーンのおしっこのような液体が、グラスに注がれていく。


「え、ほんとにユニコーンのおしっこ?」


 ティムさんは笑った。「ただのホワイトビールだよ。ユニコーンっていうのは、AWで有名なビールメーカーだ。ユニコーンとニホニアが共同で作ったものだ。ウェスト・ニホニアン・オレンジのピールと果汁をちょこっと混ぜてある。お嬢ちゃんにも飲みやすいと思うぜ」ティムさんは、ぼくの前にグラスを置いた。


 しゅわしゅわと音を立てるビールからは、甘い、爽やかな香りがした。


「美味しそうですねっ。おすすめのおつまみは?」

「食えないもんはあるか?」

「なんでも食べますよー」

「そうかっ、いっぱい食ってすくすく育てよ」

「どこ見て言ってるんですか〜?」

「気にしたら負けだぜ」

「ですよね〜」


 ティムさんは、ぼくの前にポテトチップスの入ったグラスを置くと、自分のたくましい胸元を指差し、ぼくの胸元を指差して笑った。「美味いの作ってやるから待ってろよ」


「ありがとうございます〜……、……けっ」ぼくは鼻を鳴らして、ビールの入ったグラスを持ち上げた。


 一口啜ればオレンジとミントの爽やかな香りが口いっぱいに広がる。しゅわしゅわと甘い、乳酸菌飲料をサイダーで割ったような感じのビールだった。


 ポテトチップスはケトルタイプ。釜揚げ製法の堅揚げポテトだ。味付けはなかった。


 ぼくたち魔法使いの体は、人間の体よりも、丈夫で強靭で所々が繊細だった。


 それは遺伝子に魔素が含まれていることに由来しており、肉体は人間よりも遥かに強靭で、五感は人間よりも鋭敏で第六感とも言える程に発達している。


 身体能力は1200m走を12秒で走り抜けても息切れしないほどで、魔法で身体強化をすれば、ユーラシア大陸を数時間で駆け抜けることも出来る。


 そんなだから、このポテトチップスのように薄い味付けの食べ物や料理を好むのだ。


 薄いながらも深みのある味わいの、繊細な料理をする魔法使いのシェフの腕や味覚や嗅覚は神がかっている。


 キッチンの方から、香りが漂ってきた。牛肉やニンジンの焼ける匂い、胡椒の香り、炊き立てのお米……。


 じゅわぁ〜。


 熱せられたフライパンの上でソースが弾ける音と共に、ガーリックやデーツの香りが、ほんのりと漂ってきた。


 ぼくは、カウンターの椅子の上で、足をぷらぷらさせた。


 早く持って来てくださいティムさん……。


「お待ちどう」


 目の前に置かれた大きな皿には、そのお皿にも負けないほどに大きくて分厚いステーキが置かれていた。


 ステーキの右端だけが切られていて、そのみずみずしい脂の溢れる、ミディアムレアの赤身が顔を覗かせていた。

 添えられているのは、焼けたニンジンとインゲンとアスパラガスとコーン。


 続けて置かれたのは、みずみずしい野菜の盛られた木のボウルで、張り裂けそうなほどに艶々としたトマトの表皮には、水滴がついていた。


 最後に置かれたのは、お米の入ったどんぶりと味噌汁の入った器とたくあんの乗ったお盆だった。


「日本人は、フライドポテトよりもライスだろ?」


「わー」ぼくは、分厚いステーキ肉に感動していた。


 学園の物価は、日本にありながらも日本の三分の一程度だったが、それは、ほとんどの資源を敷地内や所有している農場や工場で製造生産しているからだった。


 生産に時間のかかる動物性タンパク質だけは日本の物価の三倍ほどだった。


 牛肉ともなれば、そんなものは一ヶ月に一回の贅沢品だった。


 ぼくの遺伝子に含まれている生命の魔素とぼくが扱える生命の魔力の性質上、動物の声を朧げながらに聞くことが出来るので、たまに肉を食べることに抵抗を感じる時もあったが、それでも、こんなにも美味そうなステーキを目の前にちらつかされて食べないなんてこと、出来るはずがない。


 味についての懸念はない。


 現状での唯一の懸念は、値段だ。


 ぼくは、メニュー表をぱらぱらとめくった。


 ──ジャンボ・ニアニアにゃんステーキ(3600g)-30FU──


 日本円だと、大体3600円弱だ。


 ぼくは、ステーキを見た。


 皿の上には、ニホニアにゃんがプリントされた旗の刺さったミニオムライスが乗っているわけでもないし、ステーキがニホニアにゃんの形に加工されているわけでもない。


 新たな懸念が頭に浮かんだ。


 ニホニアにゃんステーキ……?


 紙袋の中からこちらを見上げるニホニアにゃんたちの目が、どこか不安げで、なにかに怯えるように震えている、ように見えた。


 ごくり……、と、生唾を飲んだが、それが、この懸念に由来するものなのか、あるいはこの食欲をそそるステーキの香りに由来するものなのか、ぼくにはわからなかったけど、多分両方だ。


「美味しそうですねっ」


「美味しいんだよ。お嬢ちゃん。俺が焼いたんだからな」


「いくらですか……?」ぼくは、大人の男性から庇護欲を絞り出すべく、不安げな目をティムさんに向け、か細い声を出した。


 ティムさんは、にっこりと微笑んだ。「ビールと合わせて30FUで良いぜ。せっかく学園から来てくれたんだからな、楽しんでってくれ。ビールもライスも好きなだけ飲んで食ってけよ」


「えぇ〜っ、良いんですか〜っ? 悪いですね〜っ」


「良いんだよ。次回からは割引はなしだがな。常連になってくれると思えば良い投資だ」


「絶対また来ますっ!」ぼくはウッキウキでお箸を取った。「いったっだっきまーすっ」ぼくは、木のお箸で、ミディアムレアに焼けたニホニアにゃんの肉を持ち上げ、口に運んだ。へぇ……。ぼくは、ニホニアにゃんの肉を噛みしめ、その味、食感、旨味を堪能した。食感は、思いっきり牛肉だった。味も風味もだ。ソースからはガーリックに混じって、ほのかに生姜の香りもしてきた。和風の影も感じさせる、国際色豊かながら、それらを見事に調和させた味わいだった。味噌汁を持ち上げ、ズズッ……、と、啜る。ふぅ……。「ニホニアにゃんってこんな味なんだ……」美味すぎる。ぼくは、紙袋の中で身を震わせながら、こちらを見上げているニホニアにゃんたちを見て、にっこりと微笑んだ。ニホニアにゃん達は恐怖に凍りついているのか、眉をピクリとも動かさず、無表情を貫いていた。


「美味しいかい?」


「とってもっ」ぼくは、ナイフとフォークでステーキを切り分けた。まずは、食べやすいように、ステーキは全部一口サイズに切ることにした。カトラリーは上等なモノのようで、それに加えてお肉の方も上質なモノを使っているからだろうか、分厚いステーキも、スルスルと切り分けることが出来た。使い終わったカトラリーは端に揃えて置く。切り分けたお肉を、お箸で持ち上げ、口に運び、ご飯を口に含む。あ〜……、美味すぎる……。


「上品に食べるんだな」ティムさんは、ニコニコしながら言った。


「テーブルマナーはレディの嗜みってことで、小さい頃に叩き込まれました」ぼくは、上品な所作を心がけながら言った。ま、レディじゃねーんだけどな。つっても、こんな体に生まれてしまった以上は、外にいる時はレディとして振る舞うしかない。料理を口に運ぶ手は、ゆったりとしていながらも、どれほど意識をしても、自然とスピーディになってしまう。こんなに美味い料理なんだからしょうがない。



ーーー



ふー、食った食った。


結局、ご飯は十二回もおかわりしてしまったし、ビールも何杯も飲ませてもらった。


ぼくは、最後のビールを啜った。


「よく食うね」ティムさんは楽しそうな様子で言った。「なんでそんなに細っこくてちっこいんだ? 手の平サイズじゃんか。ポケットに入れて持って帰っちまうぞ」


「も〜、ティムさんったら変態ですね〜」ぼくは、お腹が膨れて、お酒も入っていてそれなりにご機嫌だったので、身長のことを言われているのだと思うことにした。「ナンパのつもりですか? 下手くそですね〜、絶対独身でしょ」


「ぐさっ、そうさ……、ニホニアにゃんに出逢っちまった時、俺はニホニアにゃんと結婚するって決めたのさ……」


「わー、きんも……」ぼくは笑った。「うちの家系は代々こうなんです」ぼくは、ポテトチップスを摘んだ。ぼりぼりと、堅揚げのケトルチップスを噛みながら、ぼくは何かを忘れていることに気がついた。なんでここに来たんだっけ……、そうだ、ニホニアというこの国に馴染むために必要な情報を集めに来たんだ……。なんでそんなことをしに来たんだっけ……。そうだ、このAWと呼ばれる世界を見て周りたいからだった。「ティムさん」


「ソラ」

「はい?」

「ラディッシュのピクルスどうだった?」

「美味しかったですよ」

「味噌スープは?」


 ぼくは、言葉に詰まった。正直言って微妙だった。


「和食を勉強してるんだが、レシピもなにもないもんでな」

「鰹節っていうのが日本にはあるんです。それを煮詰めて、出汁を取って使ってみたら美味いかもしれませんよ」

「カツオブシ?」

「ものすごく硬くなるまで加工したカツオです。武士や侍や忍者が闊歩していた江戸時代では、鰹節を削ったもので要人暗殺をしたこともあったほどの硬度を誇るのです。ジャパニーズソードの一種ですね。将軍の料理人を処罰する際に、よく使用されたようです」


「おいおい、日本人は料理の材料に、剣を使ってたってのか?」ティムさんはメモを取りながら、首を傾げた。「ニホニアにゃんといい、カツオブシといい、日本ってのは変な国だな」


 ぼくは内心ニヤニヤしながら、困惑しつつも興味深そうな様子のティムさんを見て、ふと、実家のしば犬を思い出した。「ニホニアにゃん? 日本から伝来したんですか?」


「この国のマスコットキャラクターさ。以前、日本から来た旅行者のアイデアから生まれたのさ。おかげでニホニアにゃん目当てで数万キロ先からやってくる奴も出て来たくらいだ。ニホニアも栄えたもんさ」


「数万キロっ? おっきいんですねー、この世界」


「世界地図がある。地球を元に作られたから、大陸の形とかも似てるんだ」


「どれくらい広いんですか?」


「俺は地球を知らないんだが、以前、地球からやってきた旅人が教えてくれた話だと、スケールは地球の12倍らしい。総人口は、360億人」


「そんなに? 全員が魔女や魔法使いなんですか?」


 ティムさんは頷いた。「他にも、ヒト族だと妖精やヴァルキリーやエルフやヴァンパイアなんかも。あとは、幻獣もたくさんいる。ユニコーンなんか……、あれだ、なんつってたっけな、そうだ、ユニコーンは地球でいうバイクで、ユニコーンの馬車はタクシーみたいなもんで、ドラゴンは飛行機、クラーケンは客船みたいなもんだな。移動手段だと、スライムが人気なんだ。水陸両方行ける。スライムに気に入ってもらえれば、体内に取り込んでくれるから、中で寝ながら移動できる。もっとも、好かれてると思ってたら内心嫌われてた、なんて場合だったら、取り込まれたまま消化されちまうなんてこともあるけどな」ティムさんは笑いながら言った。


 そこって笑っていいところなの……? と思いつつ、ぼくも笑っておいた。


「まあ、スライムみたいな温厚で優しい可愛い純粋なヤツらを怒らせるようなヤツなら、そんな目に遭って当然だ。以前、地球について色々教えてくれた奴がいたんだ。そいつは、スライムのことを、キャンピングカーみたいなもんだなって言ってた。筋トレしたスライムは結構早いんだぜ」


 ぼくは笑った。

 スライムの筋トレ……、触手を伸ばしてバーベル上げをしたり、トレッドミルの上で人のように走ったりするのかもしれない。汗だくのスライムが、震える触手でバーベルを上げている。せいやぁっ、せいあぁっ。トレーナーのスライムが激励を向ける。あと一回! もう一回っ! がんばれっ! お前ならやれるっ!


「ゴツゴツしてそうですね」


 スライムってどんな感じで走るんだろ……、そんなことを考えるだけで、胸がときめきニヤニヤ出来た。球体のまま飛び跳ねるように移動するのか、ひょこひょこ這うように移動するのか、転がりながら移動するのか、人の姿になってクラウチングスタートをしたりするのかもしれない。


「ギネス記録は最高時速12000kmだ」


「それはやばい」そんなゴツゴツしたムキムキのスライムにそんな速度で駆け抜けられた日には、ユーラシア大陸は荒野と化すだろう。「え、じゃあ、普通の、ぷるぷるしたスライムは? 可愛いヤツ」


「それはあんま速くないし、燃費も良くないぜ。時速120kmくらいだった気がする。自分で走った方が早いな」


「燃費?」


「スライムも生き物だからな。食べる必要があるんだ。人を運ぶともなれば、消費カロリーもでかいから、確か、3時間に一回は休ませてやらなきゃいけないんじゃなかったかな。あんま酷使させると幻獣保護委員会にしょっ引かれちまうし、可哀想だから優しくしてやらないとな」ティムさんはタバコに火をつけた。「スライムっていうのは、基本的に子供の愛玩動物なんだ。交通手段とか、俺たちの生活や簡単な仕事を手伝ってくれたりもするがな。野良のスライムもいるが、みんなから愛されてる」


「どこで買えるんですか?」

「買う? なにを?」

「スライム」


 ティムさんは、タバコの煙を吐いた。「あぁ、スライムの食べる草なら、そこらへんに生えてるもんで大丈夫だぜ。可愛がってる連中はステーキとか、質の良い草を買って食わせたりするけど、その草にしても、あんま高くないぜ」


「そうなんですね。いや、スライムは、どこで買えるのかなって」


「バカ言うな。幻獣売買は人身売買に並ぶ大罪だぞ。連中は生き物だ。商品じゃない。買うなんてとんでもないぜ」


 ぼくは頷きながら、記憶の引き出しを開けた。

 引き出しから取り出した記憶は、ドイツのペット事情に関するものだった。「じゃあ、ブリーダーから?」


「そういう場合もあるが、手近なところだと、幻獣保護委員会に問い合わせて、生まれたてのスライムをもらうって手が主だな」


「なるほど……」生まれたてのスライム……。なんだかすっごくすべすべぷにぷにして、良い匂いがしそう……。「小さい頃に読んだファンタジー小説にも、ドラゴンは出てくるんですけど、大体が悪役で、最後には聖剣とかで首を切り落とされたりしてますよ」


「地球ってのはつくづく変わった場所だな。この世界じゃ、幻獣は俺たちと共存している。平和なもんだぜ」

「この世界は、何年前から?」

「この世界が生まれたのは、1226年の10月3日だ。ロームァっていう場所に」


 ぼくはほくそ笑んだ。

 多分、その場所のマスコットキャラクターはロームァにゃんだろう。


「どうした?」

「そこにもマスコットキャラクターがいるのかなって思って」

「いるぜ。ロームァーにゃんだ」


 おしかった……、だが、確かにそっちの方が呼びやすそうだ。「行ってみたくなって来ました」


「行くべきだ。この世界の中心で、始まりの土地って言われてる。記念碑があるんだ。この世界の創造主の銅像もある。賑わいも街並みもこの国の比じゃない。なんだかんだでこの国は世界の端っこだからな」


「そうですか? この国も綺麗ですよ」


「そう思うのはここ以外を知らないからだ。俺はサウス・アメリックのヴェネズーラから来たんだ。自然豊かで、良質なミネラルの含まれた岩塩とか調理用オイルが湧き出る良い土地さ」


「どうしてニホニアに?」


「旅好きなスペーニアの女に惚れて、しばらく一緒に旅をしていたんだ。居心地が良くってここに住み着くことになっちまった」


「なるほど、いつの時代も、きっかけは恋なんですね」


「分かったような口きくじゃんかよマセガキ」ティムさんはぼくのほっぺを優しく摘んで引っ張った。


「ぼくが初めて来た場所ですからね。ぼくにとっては特別な場所です」


 その後も、ぼくはティムさんと話をして、この街、この国、この世界について、教えてもらった。


 店が混んできたのを頃合いに、ぼくは、ティムさんにお礼を言って、サルーンを出た。



ーーー



 ぼくは、ニホニアの中心広場にいた。


 先程の西部劇の舞台のようなウェスタン・ニホニアンと違い、この一帯は、石畳の足元に、煉瓦造りの建物といった、以前訪れた西欧の街の旧市街のようだった。

 町のあちこちにある花壇には、優しいそよ風に揺られる花々に混じって、ダンシングニホニアにゃんが踊っていた。

 空は晴れ渡っていて、薄雲が漂っている。

 日陰の下では肌寒く、日差しの下では程よい暖かさだった。


 ぼくは、カフェのテラス席に腰掛けると、ジャケットを脱いだ。

 晴れた日に、Tシャツとデニムという、リラックスできる格好で過ごせるのは、幸せなことだった。


「なににしますか?」


 ぼくは、やってきたウェイトレスさんを見上げた。

 堀の深い顔立ち。

 小麦色の肌。

 黒髪で藍色の目。

 背が高くほっそりとした体型だが、胸はデカかった。

 こいつは間違いなくぼくにケンカを売っていた。


「メニューをもらえますか?」ぼくは言った。


 ウェイトレスさんが指を振るうと、カフェの店内から、紙のメニューがゆらゆらと漂いながら、こちらにやってきた。


 メニューには、数種類のお酒や料理が、数十種類ずつ書かれていた。


 先ほどたらふくビールを飲ませてもらったのだけれど、それらはとっくに外に出て行ってしまったので、飲み直しだ。


 ビールのリットルグラスは一杯1.2FUから。


 ぼくは、安い順番から、一杯ずつ違う銘柄のビールを飲むことにした。「じゃあ、一番上のビールを」


「リットル?」

「ええ、お願いします。あと、サーモンのムニエルも」ぼくは、メニューを隣の椅子に載せた。


 丸テーブルの上に開くのは、ニホニアの観光案内所で買った世界地図だった。


 ティムさんが仰っていたように、この世界の大陸の形や位置の大まかなところは、地球と同じだった。

 だが、州の数は地球よりも多く、国境の数は異常なほどに少ない。

 数えてみたが、州の数は24で、国の数は100もない。

 また、地図上には、地球にあるはずの国のいくつかが存在しておらず、そこは、広大な砂漠や巨大な森と記されていた。

 ここ、ニホニアは日本と同じ場所にあった。

 ティムさんが仰っていたロームァーにゃんの生息地は、イタリアのローマの部分にあり、そこがこの世界地図の真ん中だった。

 地図の右端にはニホニア、左端にはアメリカやカナダ、中南米アメリカが存在した。

 表記されている名前は、いずれも地球での名称をもじったものばかりだ。

 この世界の歴史は800年近いらしいが、地球にアメリカがないときからAWにはアメリックやカナドゥアがあったのだろうか。

 それとも、元となった地球の地名やその歴史に応じて、この世界の地名も変わっていったのかもしれない。


 ビールを飲みながら、そんなことを思っていると、足元に何かが擦り寄ってきた。


「あら」見れば、砂色の毛並みの可愛い仔ネコだった。


「にゃー」仔ネコは、ぼくを見上げて鳴いた。まるで、『さて、飯をねだるにしてもなにをするにしても、まずは挨拶からだよな、このお嬢ちゃんは俺を見た途端に目を輝かせて笑顔を浮かべた、ちょろい相手だ、俺らネコが好きなんだろうな、ま、当然ってヤツだな、人間どもは俺らが大好きだからよ、さて、お次は足元に擦り寄って距離を縮め、媚びた鳴き声でもう一鳴きして相手の心に入り込む、そして、見上げて、お嬢ちゃんが俺の顎の下を撫で始めたら、今日のランチゲットだぜ』、とでも言っているかのようだ。


 そんな仔ネコの心の声をおぼろげながらに聞いていながらも、ぼくは、ランチ目当てにすり寄ってきたこの仔猫の魅力に抗うことが出来なかった。「あらあらあら可愛いですねぇおやおやおや」


 ぼくは仔ネコの背中を撫でようとしたが、ふと、妙な寄生虫や病原菌がこの世界にいないとも限らない、いや、いないはずがない、と思い直し、手を引っ込めた。


 そういったものに対する抗体を、ぼくの体が保持しているとも限らない。


 そもそも、この魔素濃度の高いこの大気が、地球で生まれ育った魔法使いであるぼくの体にどんな影響を及ぼすかも判ったものじゃない。


 この世界に来てから、3時間ほどが経った。

 そろそろ帰ったほうが良いかもしれない。

 授業もあるし……。


「あ……」そのとき、ぼくはある事実に気がついた。「あー……」ぼくは、自分の手の平を見た。もうすでにユニコーンを撫でちゃったから、そんなこと気にしても手遅れか……。体調に意識を向ける。心拍数、体調、しゃーない……、ひとまずもふるか……、そんなことを考えながら、舌なめずりをして仔ネコと目を合わせると、あざとく首を傾げる仔ネコの背中に、何かを見つけた。「ん?」


 よく見てみると、何かがおかしい。

 背中には、ワシの翼のようなものが生えていた。

 グリフォンだ。

 見れば、あちらこちらで、グリフォンたちがテラス席の客に食事をねだっていた。

 グリフォンたちは、ネコっぽかったり、ワシっぽかったり、翼が大きくて分厚くて立派だったり、小さくて薄くて可愛かったりと、個性も豊かだった。

 どうやら、ネコっぽいグリフォンの翼はハトの翼っぽいフォルムで、ワシっぽいグリフォンの翼はワシの翼っぽい立派なフォルムだった。


「……ちっ」ぼくは笑顔を仕舞い、舌打ちをした。


 デフォルメされた顔のニホニアにゃんは良いし、ただのネコも良い。

 だが、こういうキメラっぽいのはダメだ。


 キッシュをつまみ、隣のテーブルの足元に放った。


 グリフォンは、ぼくを見上げてにゃあ、と鳴くと、ぱちぱちと瞬きをして、するりと身を捻り、てってってっ……、と、そちらへ向かった。


 たくっ……、ふざけたデザインしやがって……。


 ぼくは、テーブルの上に広げた地図を見た。

 この世界は、隅々まで見て周るには広すぎる。

 そして、ぼくは魔法使いであり、人間よりも寿命が長いとはいえ、せいぜい300から360歳。

 行きたい場所を絞り込み、ルートを考え、行く方法を考えないと、目的地にたどり着く前に、野垂れ死んでしまう。

 いや、ムキムキのスライムに乗せて貰えば、効率よく世界を周れるかもしれない。


 ウェイトレスさんが、三杯目のビールを運んできてくれた。


 一番安いビールも美味かったが、二番目に安いビールも美味かった。

 今飲んでいるビールは、柑橘系の風味のするホワイトビールで、先程のサルーンで飲んだものとは違ったが、こちらもこちらで美味かった。

 アルコール度数も、地球のビールより高かったが、あんまり酔えない。

 アルコールに強いのもまた、魔法使いの肉体の長所であり、短所だ。


「すみません。──」ぼくは、ウェイトレスさんに話を聞くことにした。どうやら、ムキムキのスライムはそれなりの値段がするらしい。ニホニアからウズベキスタニアまでが、日本からイギリスまでのエコノミークラスの航空券代くらい、ニホニアからグレートブリタニアやトルキアまではその二倍、ティムさんの故郷であるヴェネズーラまでだと、三倍近い値段がするらしい。細マッチョのスライムはもう少し安いみたいで、燃費も良く、より環境的で近年注目を集めているらしいのだが、馬力が足りず、最高速度もムキムキのスライムに及ばず、山道などではペースが更に落ちるらしい。それでも、コストパフォーマンスを考えるなら、細マッチョのスライムかもしれない。


「上等な箒を買うっていう手もあるけど、高いしね……」

「箒を買う?」

「自分で生み出す箒よりも、自分よりも優れた魔法使いたちが生み出した箒のほうが早いのよ。コントロールには慣れが必要だけどね。それにオーダーメイドだから高くなる。お嬢ちゃんは、どんな魔法を使えるの?」

「純魔の魔力と生命の魔力で、火と土です」

「自然同化の魔法は?」

「まだ教わってないんです。高等部からだから」

「そっか。生命の魔力と火の魔法が使えるなら、うまく使えればビューンって飛んでけるのにね」

「そうなんですか?」


 ウェイトレスさんは頷いた。「ニホニアからグレートブリタニアまでなら、大体半日で着くはずよ。直線のルートを選んで、寄り道しなければだけどね」


「ほうほう」帰ったら、グロリアにご教授願うことにしよう。「ありがとう」


 ウェイトレスさんは可愛く微笑んだ。「お代わりは?」


「もらいます」ぼくは、メニューの四番目を指差した。「あ、そうだ。あの、グリフォンって」ぼくは、あちらこちらでにゃーにゃー言っている連中を指さした。


 ウェイトレスさんは、連中を見た。「あぁ……」彼女は冷めた目で頷いた。「可愛いわよね。ただ、ネコの顔の方は性格悪いわよ。あいつら、子供みたいな目でこっちの様子を伺いながら擦り寄ってくるでしょ? あれって、デカく出ても大丈夫な相手かなって考えてるのよ。ちょっと甘い顔して餌あげると、それを服従の証と勘違いして、急に態度がデカくなって、テーブルに乗って皿を食い散らかすから気をつけなさい」


「とんでもないですね」


「そ、調子に乗る奴には甘い顔しちゃダメってこと。同じグリフォンでもワシの顔の方は大丈夫よ。お嬢ちゃんも旅人なら、肝に銘じておきなさい。どうせ、あいつら、お腹空いたらゴミ箱に落ちてる残飯とか雑草とか砂とか勝手に食ってるんだから、お嬢ちゃんは餌付けしないようにね」


「はい、教えてくれてありがとうございます」

 ぼくは、こちらを見上げて口の周りを舐めるネコ顔のグリフォンを思いっきり睨みつけた。


 ネコ顔のグリフォンは、弾かれたように素早い動きで身を翻して、遠くへ走っていった。


 ぼくは足を組み、ご機嫌でビールを啜った。



ーーー



 ぼくは、箒に乗って、空中に浮かぶ【飲酒運転禁止】という虹色の馬鹿でかい文字の横を通り過ぎた。

【この先日本】の文字の横を急上昇する。


 魔法で生み出したラップとダクトテープで紙袋の口は覆っておいたので、ニホニアにゃん達は落ちない。


 ぼくは、空中に浮かぶ、日本の国旗が描かれたドアの前にやってきた。


「……ひっく」

 

 ぼくはドアを開け、あの用務員室に戻った。

あの男性は、ぼくに気がつくと、にこ、っと微笑んだ。「おかえり」


「落とされてびっくりしましたよ……。空を飛べなかったらどうするつもりだったんです?」

「そしたら、あっちの奴らが君を助けてたさ。良いところだったろ?」


「楽しかったですよ。また明日来ます」掃除用具室の壁掛け時計を見る。「あれ?」


「あっちでは、時間の進むスピードが遅いんだ。君があっちに行ってから30分だから、6時間ってところか」

「なんか夢みたいですね」

「夢?」

「ほら、夢の中でどんな長い時間を過ごしても、目を覚ましたら8時間しか経ってなかったって感じ」


 男性は、にっこりと微笑んだ。「良い表現だな。ギルだ」


「ソラです」

「なあ、ソラ」

「なんですか?」

「きみって、トランス?」

「そうですよ」

「せっかく可愛いのに」

「知ってます。でも、ぼくは男だから」

「もったいないな」


「残念でしたー」ぼくは、笑いながら舌を出した。


「じゃあ、男らしくハグで別れるか?」ギルさんは、両手の指を、にぎにぎと曲げた。


 ぼくの全身に鳥肌が立った。「やです。長い付き合いになるんですから、軽々しいスキンシップはやめましょう」


 ギルさんは首を傾げた。「じゃ、ハイタッチ」


「ぼくは日本人なので、お辞儀で」ぼくは、ギルさんにお辞儀をした。「では、失礼します」


 ギルさんは、にっこりと微笑んだ。「またおいで」


 ぼくは、彼に微笑みを返し、掃除用具室を出た。

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[一言] 読ませていただきました! オトナな雰囲気の世界観が好きです。 日本側にも魔法があるんですかね? 続きが気になりますので、ちょくちょく読ませていただきます。 応援させていただきます!
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