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魔法使いの世界を旅する一年  作者: Zezilia Hastler
第2章 静かなる雪景色
14/72

6日目 氷と雪の巨人

8:00



 氷と雪の巨人の身長は3mくらいで、すらりと長い手足をしていた。

 巨人の顔は平坦で、顔があるべき場所は氷山のようにのっぺりぼこぼことしていて、何もなかった。

 巨人は、ぼくのことなど意に介さない様子で、ずしん……、ずしん……、と、通りを進んでいった。


 ホステルの表に立つぼくは、周囲を見渡して、眉をひそめた。

 雪が積もっていない。

 ぼくは、箒を生み出して飛んだ。

 空から街を見下ろせば、無数の氷と雪の巨人が街を歩いているのが見えた。


 ちょうど連中が街を侵略するタイミングでこの街に来てしまったのかもしれない。


 そんなことを思いながら、その強大な脅威を見下ろしていると、どうやら、巨人達は街を滅ぼそうとしているわけではないらしいということがわかった。

 巨人達は通りを闊歩していたが、彼らは建物を破壊するような素振りも、通行人達を攻撃する様子も見せず、街の外へ向かっていた。


 通行人たちも、巨人たちのそばを、なんてことない顔で通り過ぎていく。


 巨人たちは、街の外に積もっている小さな雪山に寝転ぶと、ずるりと溶けて、雪山の一部になってしまった。


 この街では、そうやって除雪をしているようだ。


 そんなことをするくらいなら、そもそも街に雪が積もらないように、天候を操作して、一帯の風向きや気温を調節すれば良いのにとも思ったが、それをやるには、膨大かつ強力な魔力が必要になる。

 そうでなければ、ぼくのような平凡な魔力の持ち主達による高度な連携と、大気の流れや風向きを読む繊細な技術が必要だ。

 街の人々は、それほどの協調性を持ち合わせていないか、あるいは、従来の除雪方法で満足しているということだろう。


 見れば、巨人たちが作る雪山は一つだけではなく、広大な雪原の中で点在していた。


 ぼくは、街の中央広場へ向かった。


 サン・ピエトロ広場くらいの広さのある、大きな広場だった。

 もっとも、広場の外周は四角で、サン・ピエトロ大聖堂の代わりにあるのは、ロシア正教会式の、タージマハルのようなタマネギ型の大聖堂だった。


 広大な中央広場だったが、人はまばらで、がらんとしていた。


 見る限り、観光客は少なく、地元民の方が多かった。


 この世界の観光客は、カメラのような文明の利器を首から下げたりはしていないので、判別するには所作などの雰囲気に頼るしかなかった。

 だが、観光客というのは不思議なもので、一目見ればそうとわかる独特な雰囲気を全身にまとっているものだ。

 そんな観光客は、現地の人からすると絶好の標的になる。 


 土産物屋の人たちは、そんな観光客へ向けて、獲物を狙うカラスのようなギラギラとした視線を向けている。


 地元民達は、そんな土産物屋さんや観光客には脇目も振らずに、自分の目的地へと向かって、中央広場を後にしていく。


 広場には、雪の巨人もいた。


 雪の巨人は、軽やかなダンスをしたり、氷で作られた超特大の楽器を演奏したりして、広場を盛り上げていた。

 巨人たちがステップを踏む度に軽い地震が起こっていたし、超特大のストリートミュージシャンの演奏は上手だったが騒がしかったので、ここ以外のどこかでやって欲しいところだった。


 ぼくは、そんな初めて見る光景を、なんだかんだ楽しみながら、カフェに入った。


 赤を基調としていて、質素ながらも、どこか王宮っぽい、上品で絢爛豪華な雰囲気を所々に感じさせる内装だ。

 王室育ちのお嬢様が自分の部屋で庶民の暮らしを再現しようとしたら、結局こんな風になっちゃった、みたいな感じだった。


 窓際の席に腰掛け、コーヒーを注文し、それを飲みながら、街の人々を観察した。

 主に、地元民達を。

 みんな、モノクロの服を着ていた。

 それも、黒や焦茶色といった、暗めの色だ。

 ダウンジャケットなどではなく、毛皮のコートか、そうでなければ、分厚いフェルトコートを着ている。


 ぼくは手の平に、体にフィットした生地の分厚い黒のフェルトコートを生み出し、それをハンガーポールにかけた。


 続いて荷物。

 みんな、肩に斜めがけをした、四角い皮のバッグを持っていた。

 色は、濃いめのボルドーだったり、緑茶色だったり。

 ハバネロフスクの人々が身につけているモノクロの装いの中で数少ない色鮮やかなポイントだったが、そこもやはり、色合いは暗かった。

 寒いところにいると、人はおそらく気が沈むのだろう。


 ぼくも、彼らに習って、斜めがけの四角い皮のカバンを生み出すことにしたが、生物由来の皮の生地ばかりは生み出すことが出来なかったので、見た目や質感がそれっぽい、フェイクレザーにした。


『うぅっ、さみぃ』ぼくの首に巻きついていたジェロームくんは、カバンに入っていき、『嫌な目に遭ったら俺を呼べよ』と言って、寝息を立て始めた。


「うん、ありがと」言いながら、黒いフェイクレザーと新緑のマフラーを生み出し、コートと同じようにハンガーポールにかけた。


 次に靴だけれど、そこは普通に、みんなスニーカーを履いていた。

 彼らは足の裏にハバネロのペーストでも塗っているから、足の裏が凍えたりはしないのだ。たぶん。


 ぼくは、スニーカーを装いながらも、揮発性と防寒性に優れた作りの靴を生み出して、それに履き替えた。


 ホステルのセラノワさんは退屈な街だと言っていたけれど、ガイドブックの地図で見た感じでは、ハバネロフスクはラシアの中でも、中規模に当たる都市っぽかった。

 それなら、この街のファッションに倣っておけば、少なくとも、ラシア国内に限っては、無知な観光客に間違われてぼったくられたりする危険性も無くなるだろう。


「素敵なコートね」と言ってきたのは、ウェイトレスさんだった。


「ありがとう。このコート、変じゃないですか? 街に馴染めてる?」


「うーん、ちょっとイースト・ユーレップな感じじゃないかな」と、ウェイトレスさん。「ウェスト・ユーレップっぽい」


「というと?」


「イースト・ユーレップのコートは、もっとシルエットが角張ってるの。マスクヴァとかサンクト・フローレンスブルグならともかく、ここらじゃ変よ」


「なるほど」と、窓の外を見てみると、確かに、街行く人々のコートの生地は、コーナーのところの緩やかさが足りなかった。まるでこの街の凍えるような空気のように、直角に尖っていて、肩のあたりも少し四角い。ぼくは、先ほど生み出したコートに触れて魔力を流し、そこのところを調節した。「観光客に間違われてぼったくられるのは嫌なんです」


 ウェイトレスさんは笑った。彼女もまた、上品な雰囲気を感じさせるロシア美女ならぬラシア美女だったが、その笑い方には、気取っている雰囲気は少しもなく、むしろ近寄りがたさなど微塵も感じさせない、素朴なものだった。「わたしたちはぼったくったりなんかしないわ。アテリア人じゃあるまいし」


 イタリア人ならぬ、アテリア人のぼったくり癖は、こんな所でも有名のようだった。


「あなたはどこから来たの?」

「ニホニアです」

「生まれも育ちも?」


 ぼくは頷いた。


「ニホニアは好きよ。自由で良いところよね。ラシアは、窮屈で、あんまり好きじゃない」

「来たばかりなんです」

「楽しんでね。みんな、顔は凍っちゃってて感じ悪いように見えるけど、良い人たちよ」

「セウェードゥンの人たちは、ラシア美女には気をつけろって言ってましたけど」


「セウェードゥン?」ウェイトレスさんは鼻を鳴らした。「まあ、歴史柄、連中はそう言うでしょうね。連中はわたしらを嫌ってる」


「そうなんですね」ぼくは、ラシアとセウェードゥンの国交関係の参考にしようと思い、ロシアとスウェーデンの歴史を思い出そうとしたが、それについてはあまり勉強をしていないことを思い出した。それに、ぼくの生まれ育った世界とこっちの世界では歴史も違うだろうから、参考になるはずもないだろう。「なんで仲が悪いんですか?」


「ま、色々あったのよ。お嬢ちゃんはニホニアの人間なんだから、わたしらの面倒臭い関係なんか気にしないで、ラシアを楽しんで欲しいわ。セウェードゥンに行くなら、そこでの時間も楽しみなさい」


 ウェイトレスさんは良い人だった。


 ぼくは、この世界で初めて見たラシア美女のセラノワさんに倣って、小さく微笑んで、頷いた。「ありがとう。ハバネロシキとハバネロシチは食べたんですけど、他に、この街の美味しい料理ってありますか? ってゆーか、このお店のおすすめは?」


「そうね、じゃー、クスクスなんかどう? ここのシェフは、ミドル・イーストでも料理の勉強をしていたことがあって、結構美味しいのよ」

「いくらですか? その、貧乏旅行中で」


 ウェイトレスさんは微笑んだ。「一番小さいサイズなら1FUよ。200g」


「じゃあ、お願いします」


 ウェイトレスさんは微笑んで、厨房へ向かった。



ーーー



 学園校舎の23F〜30Fは大学院エリアになっていた。


 ノエルは、24Fの魔法族エリアにある図書館にいた。


 山のような書物の並んだ空間など、AWには公共の図書館くらいしかなかったが、それでも、こちらの図書館ほどの蔵書が納められたりはしていなかった。


 新たな知識を得る事に貪欲なところのあるノエルにとって、ここは前人未到の秘境に等しかった。


 ここには、さまざまな書物や文献があった。


 彼女が先ほどからいるのは、鉱物のコーナーだった。


 やたらと自分に異物を食べさせたがっていた、警護対象の女の子、ソラが口にしていたミスリルのことが気になったのだ。


 ノエルが、ユアンやフィリップたちにくっついているのには、気が合うからという理由の他に、様々な秘境に足を運ぶことが出来るから、というものがあった。

 彼女には、広大なAWに存在する未知の物や生物に触れ、全てを見つけ出したい、という欲望があった。

 それは、彼女の胸の内に眠る、幼い頃からの好奇心に基ずく物だった。


 ミスリルのことは、グレート・ブリタニアのスコットランディアの奥にある、廃れた村で聞いたことがあった。

 神の鉄とも呼ばれるその鉱物は、使い道が万物に渡り、また、常に淡く光っているらしい。


 ノエルは、ため息を吐いて、図鑑を元に戻した。


 ミスリルは確かに存在するらしいが、自分で作り出すことは不可能らしい。


「ノエルー」


 そちらを見ると、セウェードゥンの小さな女の子、ビルギッタが、トコトコと、こちらにやって来ていた。


 彼女は今、ワンピースドレスを着ていた。

 こちらの世界のH○Mという店で買った物だった。

 ノエルもその上質な生地と安さに驚愕し、ついつい、店のレディースコーナーとキッズコーナーの棚を空っぽにしてしまった。

 他にも、香水専門店や、化粧品専門店では、様々なものを扱っていた。

 時間もあまりなく、お金だけはあったので、ノエルは、それらのラインナップを全て買い占めた。


 買い物帰りに立ち寄ったマクドナルドというお店では、サクサクのフライドポテトに、大きなハンバーガー、そして、コーラもあった。

 あの味は、ノルド・ユーレップのハスブルゲル以来だったので、ついつい食べ過ぎてしまった。


 それが、6時間前のことだった。


 こちらの2時間が、あちらの1日に相当する。


 ノエルがこちらの世界にやってきてから、あちらの世界では、すでに3日が経過していた。


 もっとこの不思議な世界を楽しみたいのは山々だったが、そうも言っていられない。


 フィリップとマークの2人にばかり警護を任せていたらどうなるかもわからない。


 おそらく、ゾーイはグロリアに接触をしたら、すぐにあちらの世界に戻ろうとするだろう。

 そのためにも、めぼしい本の情報を、早いところ脳みそに保管したいところだった。


 ノエルは、ビルギッタを見下ろした。「なんか面白い本あった?」


 ビルギッタは嬉しそうに頷いた。「あのね、この本のここ、見てみて」


「なになに?」ビルギッタが差し出してきた本、その表紙には、指輪が描かれていた。タイトルから察するに、どうやら、指輪をめぐる物語のようだ。ビルギッタが教えてくれたページを開くと、そこでは、登場人物たちが、ミスリルについて語っていた。


 こんなところにもヒントがあったとは……。


 ノエルは微笑んだ。

 物語、小説、そこにヒントが隠れているなんて、思いもしなかった。ノエルは、柔軟な発想力を持つビルギッタの頭を撫でた。「ありがと、ちょっと借りても良い?」


 ビルギッタは、頭を撫でられて嬉しそうだった。「えへへー、わたし、絵本読んで来るね」


「絵本コーナーから離れるときは、一声かけなさい。ここにいるから」


「はーい」 ビルギッタは、てってって、と、小走りに、静かに走った。



ーーー



 ゾーイは、談話室の暖炉の前で、ワインを飲んでいた。


 左隣には、グロリアがいる。


 闇落ちのドラゴンの復活、ヴェルがその闇落ちのドラゴンだと思われているということ、早いところ、あちらに戻って調査をしたいということ、一緒に来てくれると助かること、それらを話し終えて、ゾーイとしては、一段落がついたところだった。「どう?」


 グロリアは、タバコの煙を吐いた。「これは、学園の仕事ってことで良いの?」


 ゾーイは頷いた。「そうなるわ」


 グロリアは、頷きながら、灰皿に灰を落とし、ワイングラスを持ち上げた。「報酬は?」


「何が良い?」

「30歳まで、タダで学生寮に住まわせて」

「良いわ。他には?」

「あちらでの食費は全部経費で落として」

「あとは?」

「ソラは無事?」


 ゾーイは頷いた。「セウェードゥンの人が警護してくれてる」


 グロリアは頷いた。「あとは、そうね……、ヴェルと話す機会が欲しいわね」


「良いわ」


「そんなもんかな」グロリアは、タバコの吸い殻を、暖炉に捨て、新しいタバコを取った。「別に不自由してないし。いつ行くの?」


 ゾーイは、懐中時計を見た。

 シンプルで質素なデザインのもので、日本人の人間である、6人目の夫から、100年ほど前にもらった物だった。

 彼女は、それを気に入っていた。

 その夫との思い出も、同様に気に入っていた。

 当時は、日本特有の暦の数え方では大正時代と呼ばれており、この国はあまり裕福ではなかった。

 その男性の家は、そんな時代の中でも、さらに裕福ではなかった。

 それでも、優しく、物腰柔らかで、いざというときには頼りになる、良い男だった。

 ゾーイが、男に、自分は魔法族であると打ち明けたのは、男の齢が五十を迎えた時だった。

 それ以前も、男は、ゾーイがいつまでも若々しい容姿をしていることについて、冗談めかしながらも怪訝に思っていた。

 自分は、恐らくこれから先数百年を生き続けるだろう、男が死ねば、新しい男性と結ばれることになる、と、ゾーイは、全てを男に打ち明けた。

 男は、ゾーイを不気味に思うこともなく、彼女の人柄と運命を受け入れ、そして、ゾーイとの間に生まれた子供たちのことを思い、少しばかり涙を流した。

 魔力を分け与えるための指輪を受け取れば、男性はもっと長生き出来ただろう。

 だが、男性は、自分が先に死ぬこともまた、ゾーイとの間にある愛の形の行く末、人間と魔法族の愛のあるべき形、迎えるべき行き先だとして、その指輪を拒んだ。

 人間の男は、みんな同じだ……、そう思いながら、暖かな微笑みを浮かべるゾーイは、優しい手つきでその懐中時計を閉じた。「今夜は?」


 グロリアは、暖炉の火をぼんやりと見つめながら、タバコの煙を吐いた。「ゆっくりしてて良いの?」


 ゾーイは頷いた。「今、セントラル・ニホニアのあたりに情報を流してるの。ヴェルが来たってね」


「なんでそんなこと?」


「クラリッサを誘き寄せるため」


 グロリアは、うあぁ……、と、唸った。「大変な事態だってのに、それに加えてあの変態が何かやらかしたっての?」


「違うわ。彼女からなら、ヴェルの現状を知れるかなって思って」ゾーイは、グラスのワインを全て飲み干し、グラスを消した。


 グロリアは頷いた。「それについちゃ間違いないでしょうね」


「あなたは?」ゾーイは、立ち上がった。


「わたし?」


「ヴェルについて、何か知ってる?」


 グロリアは首を横に振った。「知らないわ。もう長いこと会ってない」


「そう」


 グロリアは頷いた。「でも、一つだけ言えることがある」


「なに?」


 グロリアは、ふと、ソラの顔を頭に思い浮かべた。「ヴェルの性格と、あの世界でのヴェルの評価、それらを鑑みたら、ヴェルが次の闇落ちのドラゴンかもしれないっていう話には、信憑性がある」グロリアは、タバコを加えて、その先に火をつけた。濃い煙を吐き、トントン、と、灰皿に灰を落とす。「もっとも、あいつが人を傷つけるとは思えないけれどね。そうするくらいなら自分を傷つけるタイプよ」


 ゾーイは頷いた。「じゃ、今夜、またここでね」


 グロリアは頷いた。


 ゾーイは、談話室を後にした。


 グロリアは、タバコを吸い、ため息とともに煙を吐くと、小さく呟いた。「めんどくさ……」グロリアは、かつて、AWを旅した時のことを思い出し、そっと、口元に微笑を浮かべた。


 ほんと、どいつもこいつもめんどくさいよね……、ヴェル。


 グロリアは、窓の外を見た。

 窓の外は、吹雪いていた。



15:45



 窓の外が、また吹雪いてきた。


 クスクスを食べ終えたぼくは、本を読んでいた。

 【ヴェルの冒険】だ。

 ヴェルもこの街を訪れたらしい。


 何度も読んだのに気が付かなかったが、読み返してみると、あぁ、確かにこんな章もあったな……、と思い出すから不思議なものだ。


 彼女はこの街について、ハバネロシキとハバネロシチくらいしか魅力のない、平凡な街と記していた。


 ぼくは、明日の朝、この街を出ることにした。


 ユアンさんからいただいた地図の写しによると、ここから少し離れたところに、グレイシャーという街があるらしい。


 響きがロシア語らしくないと思ったが、その疑問についてのこれといった記述はなかった。


 まあ、行けばわかるだろう。


 ウェイトレスさんがやってきた。「吹雪いてきたわね……」と、うんざりした様子で、彼女は言った。「この感じだと、もっと酷くなるわよ」


「昨日の夜よりも?」


「昨晩は酷かったわね……。でも、あんなのは滅多にないわ」


 ぼくは頷いて、立ち上がった。


 壁掛け時計を見て、少し驚いた。

 随分と長い事居座ってしまっていた。


 ジェロームくんは目を覚ますと、椅子から飛び降りて、ぼくの足元に顔をすりすりした。『もう行くのか?』


「うん。吹雪いてきたし、もっと酷くなるって」


『うへー』


 ぼくは笑って、ウェイトレスさんを見た。「美味しかったです。大聖堂を見て、宿に帰りますね」


 ウェイトレスさんは微笑んだ。「また来てね」


 ぼくは微笑んだ。


 支払いを終えて、店を出ると、風が強く、雪も降っていたが、昨日ほどじゃなかった。

 薄い雪雲の向こうにある太陽が、うっすらと見えた。

 観光客たちは、楽しそうな悲鳴をあげて、どこかへ走っていった。

 ぼくは、人のいなくなった広場を、大聖堂へ向かって歩いた。



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