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七駅奇譚  作者: MUMU
7/7

七駅目 灰色の駅

灰色の駅





駅のホームには、うっすらと白い灰が積もっていた。


二本の鉄路がどこまでもダラダラと伸びていて、その果てはかげろうに隠れて見えなくなって。


視線を遠くに伸ばせば、溶けたロウのようなビルがたくさんあって、それにも白い灰が積もっているようだ。


ホームだけはかろうじて日陰があるものの、屋根も紙のようにぼろぼろに崩れている。


とても暑く、靴底がべりべりとホームに張り付いた。しばらく歩き回ったあと、またベンチに腰かける。


私は電車を待っていた。


たぶん、待っていたのだろう、この場ではそのぐらいしかやることがない。


とてもとても、長いあいだ待っていたように思う。


時間の概念はおぼろげで、ずっとこのミルクで煮込んだような灰色の風景を、雪のように灰の降り注ぐさまを眺めていた。


黒い服を来た人物がやってきた。何かの制服のようなかっちりとした黒服で、頭には黒い帽子をかぶっている。

駅員さん、という言葉が浮かぶ。


「まだお待ちなのですか」


その人物は背が高く、黒い制服は丁寧に灰が落とされている。


「電車を待つ以外に、することもないのです」


私は答えた。白いワンピースの灰を少し落として、立ち上がってホームから下を見る。鉄路は熱気の中でも伸びきることなく、陽の光を照り返しながら横たわっている。


「電車を待つのもよろしいですが、どのような電車をお待ちなのですか」


駅員さんの問いかけは、どこか悲しげなものに聞こえた。


「どのような……上りとか、下りとかでしょうか」


それがどういう意味を持つ言葉なのか、うまく思い出せなかった。記憶が曖昧で、自分が何を考えているのかも曖昧。駅員さんの質問に反射のように答える。


「いいえ、行き先です、どこから来て、どこへ行く電車なのか」

「行き先は分かりません」


それは意識していたわけではなく、心の奥からするりと飛び出すような言葉だった。


「どこを見たらいいのでしょう」

「さあ、それは電車を見て判断するべきでしょう、どのような外観なのか、何を運んできたのか」


駅員さんは黒い帽子を脱ぎ、それを胸に当てて言った。灰をかぶった頭のように見えたけど、それは髪が白くなっていただけのようだ。


「それが電車の役割というものです」

「役割」


おうむ返しに言葉を返すけれど、その言葉の意味もよく分からない。


「電車がどこへ行くのか、私にも分かりません。人々はやってきた電車に、乗るか、乗らないかを選択するしかできないのです。電車はそうやって無限に動き、さまざまなものを運び続けるのです」

「でも、人は来た電車に乗るしかないのでしょう?」

「そうですね。誰もみな電車を待っております。電車が来れば嫌も応もなく乗り込むことでしょう」


駅員さんは、短い間に肩に積もった灰をかるくはたいて言う。


「電車とはよくできた乗り物です。多くの人間を運び、世界の隅々まで走り回った」

「私は」


ぱあん、と、とても遠い場所でらっぱのような音が鳴った。


「私は、電車に乗らなかったこともあるのですか」

「乗っていたなら、ここにはおりません」


駅員さんは、いつからこの駅にいるのだろう。


そして私は。

とても長い間、この駅にいるような気がする。


世界は滅びた。


そんな情報がぼんやりと浮かぶ。

そう、滅んだのだ。あまりに愚かしい人々、争いの果てに滅び、たくさんの人が死んだ。

そしていつの日か、世界は再生するのだろうか。


わずかな振動。鉄路のきしむ気配。

はっと目を向ければ、大きく四角い電車がホームに滑り込んでくるところだった。


それは何となく奇妙な列車だった。


一両しかなく、扉も一つあるだけ。


前部にも側面にも窓はなく、車体は何だか赤黒い、人間の筋肉や内臓のような質感の模様で覆われている。

全体を装飾するのはどこかグロテスクな地図だった。見ればそれは肉であったり、血管であったり、ぶよぶよした黄色い脂肪のすじも見える。触れるとわずかに柔らかく、じんわりと熱を持っているように思える。


側面の扉、その上には白い表示窓があった。


人間。


そのように書かれている。ドアはぷしゅう、と圧搾空気の音を漏らして開く。


中には誰もいないようで、がらんとしていた。薄暗くて奥がよく見えない。


「人間。なかなかに不吉な印象の車体です。乗り込んだ者はいないようですね」

「そうですね。不気味だけれど、私はこれに乗ろうと思います」


待っていたものが到着した。そのような喜びに胸が震える。

ようやく、世界は再生しつつあるのか。生まれ変わりを受け入れるほどに。生命というグロテスクな旅路へと道を開くほどに。


私はベンチから立ち上がり、ワンピースの灰を落とした。

駅員さんは少し驚いたようだった。黒い帽子を胸にあてながら、空いた手で背中を軽くはたいてくれる。


「よろしいのですか。この電車で」

「ええ、次に来る電車が、これより良いとは限らないでしょう?」


私はうっすらと思い出していた。

人間はとてもとても長い間、争いあって、ほとんど全てのものが変貌を遂げた時代があった。


それは大いなる滅びだった。二度と再生などあり得ないと思うほどの、白と灰色の滅び。


だからもう、来ないと思っていた電車だ。私はこれに乗るべきだろう。その行き着く先が、どれほど厳しい場所であっても。


「ありがとう駅員さん。来世では、私はきっと人間の世界を作り直すよ」


駅員は帽子を胸にあて、小首をかしげて言った。


「どうやら劣化しておられますな、ご主人様」


駅員さんは目玉をこちらに向ける。その内部に無数の銀色の線が見えた。


機械。


ぷしゅう、と、扉が閉まり。

途端に内部は闇に閉ざされた。


「――あ」


気付いた。


そして顔から血の気が引く。


しまった。


違う。


あの世ではない。


あの世など存在しない(・・・・・)


私は、死んでなど(・・・・・)いない(・・・)


私は渾身の力を込めてドアを開けようとする、しかし屍肉のような臭いを放つドアはびくともしない。


絶対にありえないミスを。


なぜ。


記憶の劣化が。


何千年もあの場所。


ひりつく放射能の中で。


そうだ。全ては滅んだのだ。


ビルはバターのように溶け、森が灰となるほどの戦いが起きて。


私が。


私が人集めの電車を作り、すべての人間を食いつくした。


電車が人間を連れてこなくなって数百年。


何もすることがなくなって。


眺めるだけの日々は恍惚で。


永遠の日々を手にしたのに。


電車の中に腐臭が満ちる。私の靴があっという間に溶けて、そして私の皮も、肉も。


そして世界にただひとり残った、私という魔女の意思すら、も――。





(終)

七つの駅の、七つの話はこれにてお仕舞い。

しかしこの世のどこかで、あるはずのない駅の話、語られることのない奇妙な話は、生まれ続けて止むこともなく……。

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