五駅目 私ではない誰かに
私ではない誰かに
※
ある時期、私はひどい欝の状態にあり、衝動的に自殺を考えることがありました。
電車がホームに滑りこむ瞬間、刃物を扱ってる瞬間などにふと死にたくなることがあり、すぐに正気を取り戻すものの、かなり危険な状態にあったと思います。
ある日、私はいつものように通勤のためにホームに立っていました。むっとするような人いきれ、うだるような熱気、頭の大半を占めるのは仕事の不安や将来の不安、過去のつまらない過ちへの後悔などでした。
ホームの鉄条を見下ろしていると、それが奇妙にねじ曲がり、わずか1メートルあまりの段差がビルの屋上からの眺めにも思え、脚がするりと前に滑って、体を投げ出したくなる衝動に駆られました。
そして半歩、踏み出そうとして。
急ブレーキの音が響きます。はっと右手を見れば人々の叫びと、必死の形相になった運転士の顔がくっきりと見えるような気がして、動揺が波となって人の間を伝わってきます。
誰かが飛び込んだのだ、そのような気配を察しました。私はホームのヘリにかかっていた足をさっと引き、これ以上ないほどに高まった動機を抑えようと胸に手を当て、顔じゅうに汗をかきながら短い呼吸を繰り返しました。
意識がはっきりしたとき、周囲が騒ぎになっているのに気付きました。
大勢の野次馬が集まっていて、電車の車体には赤い汚泥のようなものが広がっています。
やはり誰かが飛び込んだらしく、そこには骨も肉も粉々になって血漿をばら撒いた死体があったのです。
床に手をついていた私は駅員の方に発見され、休憩室で少し休ませてもらい、一時間の後に休む旨を会社に伝えました。私が疲れきった声をしていたためか、電話口の上司にもすんなりと納得していだだけました。
それ以来、私は死のうという衝動が襲ってこなくなりました、自然と欝の症状も治まっていったのです。おそらく強烈な体験をしたためか、一度死んだ身だからと吹っ切れたのか、そのように考えました。
そして数年後に実家の母と会う機会があったとき、その話をしました。
私はもう鬱の気配など微塵もなく、明るく快活になっていました。そのような衝撃的な体験も、思い出話の一つとして話せたのです。
そして私の話を聞いた母は、ふいに怪訝な表情を浮かべ、その件についての詳細を根掘り葉掘り聞いてきました。
妙なことに興味を持つものだと、聞かれるままに答えていると、母は真剣な顔になって言います。
その時、飛び込みが出たのは、それは貴方についている守護霊の仕業だと。
いわく、私の母方の祖父、母にとっての父は高名な呪術師であり、いろいろな霊を操っていた。
霊はあらゆる手段で身を守ってくれる。たとえ原因が身体の中であっても、心に溜まる陰の気、不安や後悔、暗鬱さというものであっても、それを他者に押し付けて身を守るのだと。
その時に飛び込みが出たのは、きっと私の中の陰の気を、私ではない誰かに押し付けたからであろうと。
冗談ではない。それではまるで悪霊ではないか。
そう勢い込んで言うと母は皮肉げに笑い、安心するといい、と言いました。
祖父はとても強かった。高僧が彼を捕まえようとしたが、すべて失敗した。
私も霊に守ってもらった経験が何度もある。あなたが死ぬまで、ずっと霊が守ってくれるから、と。
肩に。
ひやりとした質感が。
そのような経験は後にも先にも一度だけでしたが、私は背後の気配に振り返り、そして見たのです。
それは頭を剃りあげ、首と腕にびっしりと虫のような文字を這わせています。眼窩に眼球がはまっておらず、口は黒い糸で縫い合わされて歪み、指の爪はすべて剥がれて、指のいくつかは骨がむき出しになっていました。
それは袈裟を着こんだ、尼僧の霊でした。
(終)