三駅目 広くて暗い
広くて暗い
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ある方から聞いた話です。
Aという人物が電車で一人旅をしていました。青春18きっぷを使ってのローカル線の旅です。野宿をしたり、夜通し歩いたりという、若さに任せた自由な旅だったそうです。
しかし旅は楽しいことばかりでもなく、大雨に降られたり、空腹を抱えてずっと歩いたり、風邪を引いて公園のベンチで震えたりと、辛いことも多い日々でした。そのような旅路の中での出来事だそうです。
その日、すっかり日が落ち、月は雲に隠れていました。
空腹にも襲われていたため、Aは適当な駅で降り、売店かコンビニでもないかと探してみようと思ったそうです。
そして電車が止まったのを見て、ホームに降ります。そのとき確かに駅名の看板を見たそうですが、後から思い返しても、何と書いてあったか思い出せないそうです。
一度ホームから階段を上がり、二階部分にある改札に行こうとすると、そこで十人ほどの人間が立ち止まっていました。
何かあったのだろうか。
そう思い、Aは一緒になって少し待ちましたが、誰も動き出すことなく、また声の一つも上げません。
「何か、ありましたか」
そう訪ねてみると、全員がぎょっとしたように振り向きます。男女が半々、年齢は50から70ぐらいまでとやや高め、どことなくみな裕福そうな身なりに思えました。荷物などは持っておらず、地元の利用客という印象です。
そして、何人かが歩み寄ってきて問いかけました。
「サワムラの家にお金を預けているのです。土地や骨董もありますが、仕切りを呼んでいただけませんか」
「山あいに行けば医者がいます、間に合わない子供がたくさんいます、私の口利きがなければ」
「ハクセンを敷いています、誰でもご希望の方をおっしゃってください、かならず満足できるかと」
問いかけが今ひとつ要領を得ず、Aには何がなんだか分かりません。
「すいません、よく分かりません」
そう答えると、人々はひどくがっかりした様子で露骨に肩を下ろし、一人また一人と、ゆるゆるとした足取りで改札をくぐっていきます。
最後に残っていたのは老人でした。腰が深く曲がっている老婦人で、改札の前に立ち尽くしています。
「あの、どうかされましたか」
問いかけると、老婦人はAのほうを見ました。
Aは少しの緊張を覚えたそうです。老婦人の顔には明確に怒りの相が浮かび、奥歯を強く噛み締め、まなじりに皺を寄せる凶面だったのですから。
「みんな死にんさったけえ、頭の回らんのよ」
「死んだ?」
「うまいことばかり言うて、人を騙してから、悪どくやってきたけえ。電車の中に居ったらやくんなかちゅうて、走れもせんとに集まっちゅうて、シタバタに頼ろうとしたんよ」
「シタバタというのは何ですか?」
「下に降りてずっとまっすぐ走るとシタバタちゅうて、役人みたいなんがおるけえ、それにやいのこと言いよるんよ。石っこでカカトの削れるけえ、首っこ食いあって腐らすけえ、そしたら石に塗り込めらるけえ」
老婦人はもうA氏も見ていませんでした。ぶつぶつと独り言を言うばかりです。
Aは駅員のいない改札を、何となく18切符をかざしながら通り抜けます。
階段を降りて外へ出れば、周囲に何もありません。
売店はおろかバス停も車も、建物の一つもない、ただただまっ平らな広い広い暗闇でした。
そこは果たして駐車場なのか、何かの施設の広場なのかも分かりませんでした。
周りを眺めてみると一本の街灯もなく、夜の闇の暗さに山の影すら見えません。
その異様なまでの広さと、暗さが、A氏に海の上を漂流するような不安と心細さを与えていました。
なんだか空腹も遠のき、駅舎で野宿させてもらおうと思って振り向きます。
そのとき背後から、ざわざわと人の声がしました。振り向けば遥か向こうに、ゆらゆらと揺れる白い影があるのに気付きます。
それは遠いせいか針ほどに細く、人の影のようにも柱のようにも見えました。ただ白かったという印象は強く残っていたそうです。数は20ほど、その後ろからさらに来ていたようにも見えました。
その白い柱のような影は、ゆっくりと揺らめきながら、少しずつ大きくなってるように思えました。
こちらへ近づいてくる、そう思ったとたん、Aは全速力で駅まで走り、階段を駆け上がると改札を駆け抜け、たまたま来ていた電車に飛び込んだそうです。
あのときに見た白い影は何だったのか、そしてなぜあんな山の中に、あれほど広い場所があったのか、それがどうしても分からなかったそうです。
A氏はそれ以降も何度かその路線に乗ることがありましたが、いくつか駐車場らしき空き地はあるものの、あのときに見た、あの暗がりほどに広い場所は、車窓から何度眺めても見つけられなかった……とのことです。
(終)