知れば意外と
「あ、これは見たことあります!」
「それは最新のゲーム機だからな。CMとか出かけた時とかに見かけたんじゃないか」
パソコンが見たいと言われたので、リビングから移動すると、まずはパソコンデスクの物色から始まった。
大きめの机だが、パソコンやモニター、その他の機材などが置かれているせいでスペースの大半が埋まっている。一々片付けたり出したりすればすっきりするが、週に何度かは触るものが多いので、隅の方だったりに置きっぱなしにしている。
キャプチャーボードや外付けのサウンドカードなど、パソコンをあまり触らない人にとっては見る機会のないものがたくさんあるのでなかなか先へと進まない。おもちゃの山を目にした子供のように、食い入るように見ている。
「やっぱり初めて見るものって面白いですね。知らないものがたくさんあります」
自分の専門外の知らない物には触れたがらない人と、どんな知らない物にも近づいていき知ろうとする人がいるが、香坂は後者のようだ。
これなら時間は潰せそうだな。一人なら時間を潰すのは簡単だが、香坂と二人で話すこともなく時間を潰すのは大変だと思ったが、部屋を見せているだけで楽しんでくれているなら楽で助かる。
興味深そうに見ている物があれば、簡単にどういう物か説明したりするだけで、気まずい空気にもならない。意外と気を使わなくても良さそうな相手だったようだ。
一通り見終わったようなので、パソコンの電源を入れる。ピッと音が鳴って正常に動き出すと、軽いスモークがかかった透けたサイドパネル越しに、LEDの光で中が見える。
あまりギラギラと光るのは好きではないので控えめにしているが、初めて見る人にはかなりの衝撃なようだ。
「パソコンってこんなに綺麗にできるんですね」
「最近は光らせるためのパーツもかなりあるからな。あまり光ると邪魔だから控えめにしているけど、やろうと思えばもっと色々できるよ」
ゲーム中に横でギラギラ光られると鬱陶しいから軽く光る程度が良い。全く光らないのでも良かったが、この横が透けたケースを知り合いからもらったので少し光らせてみた。
一旦光らせてみると、悪くないなと思ったのでそのままにしている。
このパソコンを組み立てた時のことを思い出してぼーっとしていたら、パソコンを見ていた香坂が、気付けいたらこちらを見ていた。
「私は好きですよ」
「へっ?」
「このくらいの光の方が好きです」
「あ、ああ、そうだよな」
真っ直ぐに見つめられて言われたせいで、そんなことを言うはずがないとわかっていても一瞬思考が止まってしまった。
本人は全く気にしていないあたり、自覚はないのだろう。自覚があったら自覚があったで怖いのだが、無自覚というのも困る。学校ではそういうことは聞かないので、これも気を許しているからということなのだろうか。
香坂の視線がパソコンに戻ったので、音は出さないようにため息を吐いたのと同時にインターホンが鳴った。
「来たのかな? 見てくるよ」
来客や配達の予定はないので橙子さんが来たのかもしれない。
インターホンのモニターに映っているのは知らない女性だった。私服で荷物も普通の鞄しか持っていないので、セールスとかでもなさそうに見える。
「どちら様でしょうか?」
「香坂橙子です。悠人くんで合ってるかな?」
「そうです。開けるんで407号室まで来てください」
オートロックを解除してインターホンの接続を切る。昨日電話をかけたから俺の番号はわかるはずだから、連絡してくれれば良かったのに。
それにしても、モニター越しだからよく見えなかったが、かなり若く見えた。母親と言っていたはずだが、香坂とは少し年の離れた姉妹に見える。見た目は母親似みたいだ。
「橙子さん着いたってさ。もう来るからリビングで待っておいて」
「もう来たのですね……わかりました」
名残惜しそうにパソコンの前から離れる。
そんなに見たいのなら時間のあるときにでもくればいいのに。そう言葉にしそうになったが、寸前で思いとどまった。簡単に誘えるような相手ではない。今回は偶然が重なって一緒にいることになったが、今日ここから香坂が出ていけば、もうこうやって二人で話すこともないだろう。
今までよりは近くなって、顔を合わせれば挨拶くらいはするかもしれないが、その程度だろう。俺と香坂では釣り合わない。結局はそれに尽きる。
「ごめんねー遅くなって。それとも早すぎたかな?」
「いえ、ちょうど良いくらいでした。初めまして、倉橋悠人と言います」
「あらあら、丁寧に。香坂橙子です。娘がお世話になりました」
実際に目の前で見ても、やっぱり高校生の娘がいるとは思えない容姿だが、どことなく香坂と似ている。
これ以上一緒にいると俺も本当に気を許してしまったかもしれないし、逆にもっと早く橙子さんが来ていたら何も知ることなくただいつもに戻るだけだった。
ほんの少しだが彼女のことを知れたのは良かったと思う。別にそれでどうこうなるわけでもないが、雲の上の存在が手が届くかもしれない見える位置に来たような感じだ。
「それで、どこまでやったの?」
「は……? いやいや、なにもしてませんから!」
急に何か思いついたようににやっと笑ったかと思えば、とんでもないことを聞いてきた。実の娘の貞操の危機だったのかもしれないんだぞ。
「えー、一晩二人きりで過ごしてなにもなかったの?」
「恋人でもない相手に手を出すほど飢えても、落ちぶれてもいません」
一時の気の迷いで人生を潰したくはない。ましてや、同じ学校に通う相手だ。何かあったらこれから顔を合わせるのが気まずくなる。それに、俺みたいな目立たない暗い奴よりも、香坂の方が生徒からも先生からも人気があるから、互いに非があったとしても俺が悪くなるなやは目に見えている。
だから、ちょっとくらいならという気持ちさえも消し去るくらいが良い。その点に関しては、今回は完璧だったとも言える。香坂が寝る前は存在を忘れかけていたくらいだったし。
楽しそうに俺の様子を窺う橙子さんから逃げるためにも、さっさと中に案内することにする。というか、香坂をリビングで待たさずにこっちに連れてきておけば良かった。そうすれば、中に入ってもらわずにそのまま香坂を連れて行ってもらえた可能性もあったのに。
「ごめんね、お母さん。いきなり来てもらって」
「気を張ってないとどこか抜けてて、たまにうっかりやらかすのは知ってるからね。今回は良い人がいてくれたから良かったけれど、家の鍵は本当に大変なことになるかもしれないんだから気をつけなさいよ」
自分で言うのもなんだが、あの状況で最初に通りかかったのが俺で運が良かっただろう。数学の提出物を出していなかったから、放課後に代わりのプリントをさせられていたわけだが、それがなければ帰りに出会うこともなかったし、偶然が重なって今がある。
そもそも、スマホを家に忘れ、鍵を溝に落とし、慌てて傘を潰すなんて3コンボをやらかすのも奇跡的な確率だ。
「悠人くんの前でぐちぐち説教するのも迷惑だし今はこれくらいにしとくわ。まだ二人ともお昼食べていないでしょ? お礼も兼ねてお昼でも行きましょう」
単純に昼ご飯に行こうっていうなら断ることもできるが、お礼と言われると断りづらい。それも考えてのことなのだろうが。
返事を待たずに機嫌よく香坂の手を引いて橙子さんはリビングから出て行こうとする。香坂と目を合わせると、声には出さずに口パクで"ごめんね"と言われたので、こうなったら止めることはできないのだろう。
「着替えたらエントランス集合ね」
「……はい。すぐ行きます」