召喚された本当の理由
あれから、カノは泥のように眠り、起きた時には二日も経っていた。
カルロイラ曰く、風の精霊と契約したこととシワサギと師弟関係を結んだことによる体内マナの消費によるものだという。感覚で言えば貧血に近い感じがする。
カノが起きてすぐに行ったことは、焼き千切られた髪を綺麗に整えることだった。左右に結んでいた髪の片方を千切られてしまったので、全体的に同じ高さにして形も整えて貰う。
新しい髪型を鏡で見せて貰った時、セミロングよりもやや短い為、格好によっては男の子に見えるのが少し不満だ。
(こればっかりは髪が伸びるまで我慢だよね)
気持ちを切り替えるように、カノはアフレに畑の現状について聞くと、カノが寝ている間に、アフレとトミーとシェリィの三人で荒れた畑を元に戻す為に奮闘していたが、昨日の昼当たりから水の精霊を連れたシワサギが何故か加わり、思った以上に順調に作業は進んだそうだ。
あのシワサギが畑仕事だなんて、とカノは目を見開かんばかりに驚いた。
自分も早く畑作業を手伝いたいと思ったが、二日間も寝っ放しだった身体は筋肉が堅く、山道を歩くので一苦労だった。
身体を解し、普通に歩けるようになるまで更に数日掛かり、前と同じように動けるようになった頃、カノとアフレはシワサギに呼ばれて、彼の家に行くことになった。
数日ぶりに訪れたシワサギの家は相変わらず汚く、アフレが嫌そうに眉を顰めていた。
カノは久しぶりに会うシワサギに単刀直入で尋ねた。
「それで、シショウ。話しって何ですか?」
愛用のクロッキングチェアに腰を掛けていたシワサギはテーブルの上で開いている本に視線を落として短く息を吐いた。
「あの男が誰なのか分かったぞ。……これは、俺の想定の範囲外過ぎる案件だ」
「あの男って……」
「おまえの髪を焼き切ったヤツだよ」
思い出すだけで、全身から血の気が抜き取られたかのような錯覚に襲われる。冷淡で、残酷で、非常識な力を持つ彼に、カルロイラでさえ赤子のような扱いをされた。
適うわけがないと、両手を抱き震えるカノを、アフレは肩を掴んで自身に引き寄せた。
「あんた、カノンを怖がるような真似したら許さないよ」
ギッと睨みを利かすと、シショウは前髪を乱暴に掻きむしった。
「んなことするか! ってか、そいつを“カノン”って呼ぶんじゃねえ。そいつの名前は“カノ”だ。俺の最初で最後の弟子だ、今度からそう言え」
「はあ? なんだって、あんたにこの子の呼び方を決められなくちゃいけないのさ。従う義理なんてないね、あたしはこの子を“カノン”って呼ぶよ」
フンッと鼻息を荒くして断言するアフレに、シワサギは苛立ちを募らせテーブルを乱暴に叩く。
「ダメだっつってんだろ! こいつが精霊術士であり続ける為には、俺が名付けた名前じゃないとダメなんだよ!」
「じゃあ、精霊術士なんてやらなくていいさ。この子はあたしと一生ここで暮らせばいい」
「んなことできるわけねえだろ! このガキが英雄ユアルに頼まれたことを全うしなきゃ、世界はヤバいことになるんだよ!」
シワサギとアフレの言い合いを黙ってみていたカノは、シワサギの言葉に反応する。
「あの、シショウ。私がユアルさんに頼まれた事って……」
記憶を遡ってみる。僅か一週間程前のできごとなのに、何年も前のことのように思えるから不思議だ。
異界路で初めてユアルと会った時に言われたのはーーー。
「友達を、助けて?」
言葉にすると、シワサギは軽く頷き世界地図を出す。
「ああ、そうだ。そしてこれはお前にしかできねえ事だ。……俺が何でお前なんかに精霊術士について教えようとしたのかっていうと、カルロイラさんからある程度の事情を聞いてたんだよ。お前を一人前の精霊術士にして、同胞を助ける手伝いをさせるってな」
初耳だ。そもそも、カルロイラはカノに「自分の世界に帰りたければ一緒にユアルを探そう」としか言っていない。
カノは元の世界へ戻る為にカルロイラと共にユアルを探そうとしただけだというのに。
俯くカノに、シワサギは構わず続ける。
「んで、俺なりに調べてみたんだが、お前が助けるべき“友達”って言うのは恐らく英雄ユアルが契約した異界の民だ。600年前の世界危機の際、世界を守るために自らを封印して世界を守った伝説級の異界の民たち。冥界の従者カルロイラ、風の精霊王ウィリダム、炎の精霊戦士ガイディス、水の清き乙女アクアリナ。この四人を助けることが、お前がこの世界へ連れてこられた最大の理由だったんだよ」
カノは耳元で自分の心臓の音を聞いた。ドクドク脈立つ鼓動に、目の前が真っ白になる。
「どういう、こと、……ですか? 私が助ける? そもそも600年前の世界危機って一体、何があったんですか?」
理解が追い付かない。
説明を求めるカノにシワサギは「そうだ、こいつも異界の民だったな」と独白する。
「今から600年前に、世界中でマナの枯渇化が突如起こったんだ。前に言ったよな? マナは生命の源で、世界中に満ちていなければいけないものだってな」
確かに聞いた。カノが頷くのを見てシワサギは短く息を吐く。
「満ちていなければいけないマナがなくなり、世界は混沌と化した。何千、何万という人間が死に、国もいくつか滅んでいる。その危機を救ったのが、お前をこの世界に連れ込んだ犯人―――」
ーー精霊術師ユアル
「奴は当時、精霊術以上に主流だった召喚術で、この世界に足りないマナの分を異界の民の力を借りて補給することにした。原理としては、異界の民はこの世界とは別のマナで身体が構築されているため、体内にあるマナも別の世界から異界路を通って補給されていると仮定された。よって、異界の民が、マナポイントである霊柱に封印され己の体内のマナを開放することによって、マナの枯渇化を防いでくれたって言うわけだ。簡単に言うと、世界を救うための人柱になったってことだな」
大切な友達を人柱にーーー。
カノは裏切られた気持ちになった。
彼はあの優しい笑顔の下に、いくつ隠し事をしていたのだろう。
今すぐにでも聞き出したくてたまらないが、それは次に会った時にしようとカノは心の中で誓った。
「んで、歴史書には載っていない歴史の目撃者であるカルロイラさんから聞いた話によると、世界危機を引き起こした元凶っていうやつが、お前の髪を焼き切った男―――英雄ユアルの双子の弟であるアベルだ」
「「弟!?」」
「ああ、そうだ。詳しいことは教えて貰えなかったが、奴は英雄ユアルを相当憎んでいるそうだ。生前も死後であっても英雄ユアルという存在を認めないらしい」
途方もない話に目を白黒させるカノを押しのけて、アフレがシワサギに詰め寄った。
「んな、600年も生きながらえてたってありえんの?」
「普通はない。だが、カルロイラさんの話によれば、精霊術の応用で行える禁忌の術を用いて、何百年もかけて復活を果たしたんじゃないかって話だ。あまりのスケールのでかさに俺だってついていけねえよ」
シワサギの少し投げやりな態度に、アフレはイラっとした感情が沸き上がり更に食って掛かろうとしたが、寸前でシワサギが手の平をアフレに見せて食い止める。
「まあ、そういうわけで、あのアベルって奴の目的はカルロイラさんですら把握できていないから知りようがない。ただ、あの後どこかへ行ったみたいだから、この世界のどっかしらにうろついていることには間違いない。このことは旅をする上で肝に銘じとけ」
正直、アベルとは二度と会いたくない。
あの笑っているのに冷えた瞳、人を人として見ない態度、目的のためならなんだってするような男だと思う。
(向こうは、私にもう興味がないみたいなことを言ってたし大丈夫だと思うけど……)
カノは逸る鼓動を抑えるために胸の前に拳を押し付けて短く息を吐いた。
「………まあ、世界危機に関して、もっと詳しい内容が知りたけりゃあ後は本でも読んどけ。んで、話しを戻すがカルロイラさんの話を聞いたところ、もう世界には異界の民たちの手を借りなくてもマナの自給率は充分に安定しているらしい。まあ、世界危機から600年も経ってるし、当然っていやあ当然だな。そこで、テメエの出番ってわけだ」
何故、そこに行きつくのか分からない。
キョトンと瞬きを繰り返すカノの目の前に、シワサギを人差し指をカノの眉間に向けて詰め寄った。
「テメェは何故か知らんが英雄ユアルの遺物であるブレスレットを使いこなすことができる。だが、そいつぁ本来ありえない話しだ。精霊術師の金のブレスレットっていうのは、師から弟子に一人前の証として贈られるもので、贈られた時に持ち主のマナを流し込んで登録するから本人以外の人間に使えなくするっつー代物だ」
このブレスレットに、そんな仕掛けがあったなんて知らなかった。ふと、カノの中に疑問が生まれる。
「あの、シショウはブレスレットがないのに、どうして水の精霊と契約ができたんですか?」
「だから、契約できてねえって言ってるだろ? 一人前の証のないみそっかすが精霊と契約できるなんて百年早いんだよ」
翳りのある物言いに、カノは口を閉ざした。余計なことを言ってしまったと反省するが、シワサギはまったく気にしない風に話を戻した。
「まあ、つまりは金のブレスレットは精霊術師の証みたいなもんで精霊と契約するときは絶対に必要になるもんになる。もちろん、解約するときにも必要なんだけどな」
カノはようやくユアルの目的と、シワサギの言いたいことが分かった。
「つまり、私はユアルさんと契約した異界の民たちに会い、ユアルさんとの契約を解除するために旅をしなければいけないってことですよね?」
「そうだ。もし、テメエがこの村に留まっていれば、マナ過多による世界崩壊の始まりってわけだ。最初の授業に言ったよな? マナは留まり過ぎても枯渇してもいけないってな」
意地の悪い笑みを浮かべるシワサギに、アフレは睨みを利かせているが、あまり効果があるようには思えない。
カノは自分の思考がすでに考えることを放棄していることに気付き、苦笑する。
(まさか、こんなことになるなんてね)
最初はカルロイラと一緒にユアルを探すだけでいいと思っていた。だが、この村でシワサギから精霊術を学び、精霊にいじめられたり優しくされたり、謎の少年――アベルに殺されかけたりした。
(旅立ちか……)
元々、旅立つ予定ではあったが、それはユアルを探し出し元の世界へ戻るというのが目的であり自分のための旅だと思っていた。だが、実際は違った。
世界崩壊を起こさないため、世界を救うための旅だった。あまりの責任の重さに、カノは本当に自分の力で封印された異界の民を開放することができるのか不安だ。
両腕をきつく握っていると、眉間に人差し指を向けていたシワサギの手が開き、そのまま頭の上に置かれた。
「気負うな。テメェは一人じゃない、カルロイラさんや風の精霊も付いてる。自分一人で何とかしようなんて絶対に考えるなよ」
「シショウ……」
「それでも、もし潰れちまいそうになったら、俺やアフレのことを思い出せ。テメエはこの俺、みそっかす術士シワサギの最初で最後の弟子――カノだ。忘れるなよ」
シワサギの微笑みに、カノは涙を流した。先ほどまで、たった一人で立たされていた場所に、シワサギとアフレの姿も映る。
―――一人じゃないんだ
カノは服の袖で涙を拭き、シワサギを見つめ返す。
シワサギは神妙に頷いた。