襲撃
唯一、風の精霊だけが歌音の周りに心配そうにまとわりついている。
「……今日はもう終わりにしよう」
本を閉じて、アフレから貰った肩掛け鞄に入れた。最近、ずっとこの調子だ。午前中は精霊との契約に励み、午後からはアフレの畑の手伝いをする。
畑の手伝いは体力が必要だが、結果が目に見える分やりがいはある。草の精霊の広場から出て、あぜ道を歩き始める歌音の横に、風の精霊はまだ居着いている。
草の精霊にこっぴどくやられたばかりの今だと、風の精霊の人懐っこさに涙が出る程嬉しく感じる。
手を伸ばすと四散してしまうので触ることはできないが、正直なところ頭を撫でてあげたかった。
「そうだ! あなたにもお礼をしよう、何が良いかな?」
歌音が風の精霊に問うと、風の精霊は首を傾げるだけだった。まだ完全に言葉は通じない。風の精霊は気まぐれで歌音の手伝いをしているだけに過ぎない。
「何かお礼をしたいんだけどなぁ、風の精霊って何が好きなんだろうね」
カルロイラに聞けば分かるだろうか。しかし、歌音は最近、カルロイラの姿を見掛けていない。シショウによると、カルロイラは特別な異世界の精霊なので、あまり人と居たがらないのではないかと言われた。
(う~~ん、召喚術が古代の術式だから異世界の精霊が珍しいみたいだけど、そしたら私はどうなんだろう)
異世界から呼び出されたのに精霊術士の勉強をしている人間。精霊という枠組みではないが、異界の民という点は同じだが、この世界の人間ではないので人間という括りとも違いそうだ。
悶々と考えながら歩いていると、向こうの方からシェリィが走ってきた。
彼女が走るなんて珍しい。余程急いでいるのだなぁと、暢気に考えているとシェリィは歌音の顔を見て安堵の息を吐き出すと、手を伸ばして両肩を掴んできた。
「ああ、カノン。無事だったんだね」
「無事って、何があったんですか?」
「あぁぁ、恐ろしい、恐ろしい。何であんなモノがここにいるんだい。ここは最果ての楽園じゃなかったのかい」
「シェリィさん、落ち着いてください」
パニック状態を起こしているシェリィに何を言っても無駄だ。歌音はシェリィを道の端に座らせると、シェリィが来た道を走って遡った。
何かが起こってる。けど、一体何がーー。
森を抜けた先には、アフレやトミーたちと耕した畑が広がっている――はずなのに、今は無惨にも焼き払われた姿が広がっていた。
「何、これ……」
畑の至る所から黒煙が上がり、麦が焼けて焦げる臭いが鼻に付く。所々に燃え続けている赤い炎が揺れて目が痛む。
この畑を耕すのに、アフレが、トミーが、シェリィが、どれだけ大切に育ててきたと思っている。どうしてこんな酷いことができるのだろう。
クツクツと腸が煮えくり返りそうな思いが湧き上がり、怒りで震える歌音の横に久方ぶりにカルロイラが姿を現せた。
「カルロさん」
『カルロイラだ。…………全く、厄介なモノが現れたな』
「厄介なもの?」
ついっと、カルロイラが空を仰いだので、歌音も釣られて見上げると、上空の光景にギョッとした。
「何、あれ」
例えるなら、黒い鬼火のような霧状の物体が何体もふよふよと浮いている。唖然とする歌音に、カルロイラは忌々しげに黒い霧状のモノを睨み付けた。
『アレに名はないが、我と同じ異界のモノだ』
「異界の……ってことは、カルロさんの知り合いですか?」
間髪入れずに尻尾で顔面を叩かれた。
『戯け、アレは異界のモノといっても無作為にマナを食い散らかす悪鬼。下級にも満たぬ、生物のなりそこないだ』
吐き捨てる風に言うと、カルロイラは跳躍し身体を捻り、襲いかかってきた異界のモノを一閃し消失させて、着陸した。
『こやつらは、身体の中心にある核さえ壊せば四散する』
「……倒せるってこと?」
『そうだ、核はガラスのように脆い。本気で叩き割ろうとするなら幼子でも倒せる。あいつらを消さねば、この騒動は収まらんぞ! お前も精霊術士として戦え!』
言うが早く、カルロイラは跳躍して異界のモノたちと交戦を始めた。カルロイラは一体倒す事に、倒した相手の身体を踏み台にして、別の相手に向かって跳躍するのを繰り返していった。
あんな漫画のような戦い方をするカルロイラのように空中戦などできるわけがない。
「何か、何か核を壊せそうな武器は……」
左右を見回し、ふと目に入ったのはトミーが使っていたピッチフォークだ。先が食器のフォークのように三つに尖り、柄の部分は赤い滑り止めが付けられている。
歌音がピッチフォークを構えると、異界のモノが牙を剥いて襲いかかってきた。
「! 顔あるの」
赤い逆三角の目と合った瞬間、歌音はピッチフォークを振り上げて、異界のモノに向かって振り降ろしたが、歌音の攻撃は全く効いていないようで四散するも、すぐに元の形に戻ってしまう。
「チートですか!」
黒い霧状のモノが再び襲いかかり、歌音の左腕を掠った。ビリッとした痛みと共に、服が裂け腕から血が流れた。
「…………っ、嘘」
ズキン、ズキンと腕が痛み、歌音は腕を押さえてその場に座り込んだ。
怖い。今更ながら、恐怖が込み上がってくる。さっきまでは怒りで我を忘れて突っ走っていたが、腕の怪我で頭が冷えて少し冷静になってしまった。
このまま戦ったらどうなるのだろう。そもそも勝てるのだろうか。視界が揺れて気分が悪くなってきた。
異界のモノが楽しげに笑い、白い牙を見せる。あの牙で傷付けられたのか。歌音の周りに複数の異界のモノが集まってきた。
怖いのに逃げられない。目尻に涙が溢れ頬を伝う。
『キィエエェェーーーーーーーー』
異界のモノが甲高い声を上げて四方から歌音に襲いかかった。
歌音は咄嗟に頭を抱えて目を閉じる。
(もう、ダメだ)
歌音が諦めた、その時―――
「我、精霊術士シワサギが願い給う。水の力、世界に繋がるリンクスを通じて、我に力をーーーミズノ!」
目の前に滝が降ってきた。全身が水浸しになり、異界のモノたちも大量に降って湧いた水に下流へと押し流されていった。
何が起こったのだろう。
顔を上げると、目の前に見慣れたボロいワンピースを着た男性が立っている。
「し、シショウ……」
「ったく、こいつは何の騒ぎだ?」
「わ、分かりません。ここに来たら、異界のモノがいて、畑を荒らしていたんです」
「異界の? …………どういうことだ? 前にも言ったが、召喚術って言うのはとっくの昔に廃れてやがる。異界の生き物がこっちに来るなんてありえねえんだよ!」
「怒鳴られても分かりませんよ。ただ、カルロさんが言うには、あの異界のモノは身体にある核を破壊すれば倒せるって事です」
「……なるほどな」
シショウは片手を前に差し出すと、シショウの手の平に水滴が集まり、死に神の持つ鎌の形状となって現れた。
水でできた鎌をシショウは握り、軽く振るとヒュンっと風を切るいい音が鳴った。
「精霊術の応用だ。精霊術士はな、契約した精霊の力を一部借りることができるんだよ」
カルロイラが言っていたのはこういう事だったのか。
ポカンと感心する歌音に、シショウの叱責が飛ぶ。
「自分の身を自分で守れねえなら、とっとと精霊と契約しろ! じゃないと死ぬぞ!」
シショウの罵声に怯みながらも、歌音は首を縦に振る。精霊術士が精霊の力を一部借りることができるなら、この状況下でも死ぬようなことにはならないだろう。
自らの保身の為にしなくてはいけないと思うと胸が痛むが、今はこれしか方法はない。
歌音は自分の肩に乗っている風の精霊に視線を向けた。
「お願い、私と契約してくれないかな?」
歌音の言葉に風の精霊はこう答えたーーー。