シショウと精霊
昨日、冥界の従者カルロイラが現れた時、シワサギは死ぬ程驚いた。
この世界には多くの精霊が存在しているが、異世界の精霊など視たことがなかったし、そんなもの伝説やお伽話だけの存在だと思っていた。
しかも、カルロイラは「異世界から召喚された者に、召喚術を教えてやれ」と命令してきた。こればかりは、シワサギにはどうすることもできない。召喚術は精霊が生まれることができないほど、世界のマナが枯渇した時に行われた救済処置術。
今では廃れた文化で扱えるもの等誰もいないが、古代学者達などは“召喚術”について調べてまとめているため、全くの無知というわけでもない。この世界の外には複数の世界が存在し、その世界たちはこの世界と同じようなサイクルで回っていると言われている。
世界がマナを生み出し、精霊達がマナを得て力を運び、動植物の生きている世界を作る。寿命を終えた精霊はマナの源へ戻り、マナとなって運ばれ、動植物の一部となり、長い年月を掛けて形を作り、また精霊となってマナを運ぶ役割になる。
では、マナとは何か。精霊とは何かと問われれば、マナは目に視える生命であり、精霊はマナを扱えるもの。東方の島国の言い方で表すなら、森羅万象といったところか。
シワサギは深い息を吐き出し、筆を取り筆先にインクを含ませてから、羊皮紙に付けて考えを纏める。
では精霊術士とは何か。生まれた時から精霊が視える存在、精霊に祝福を与えられた者と言われている。精霊を視ることができ、力の強い者の中にはマナを操ることができると言われている。勿論、そんな偉人は百年に一人いたらいい方と言われる程、稀な存在だ。
大抵の力の強い者と言えば、精霊と言葉を交わし、精霊から力を借りる事ができる存在を指す。
シワサギは苦虫を囓る顔になり、筆を置いた。自分で書いておきながら自己嫌悪に陥った。
「・・・クソッ、舐めたこと抜かしやがって」
シワサギは王都フィリオーネの一番近い領境にある町の1つカッセの町出身だった。幼い頃、シワサギは町の至る所で見掛ける精霊に興味津々でよく眺めていたのを覚えている。
他の子供達は、精霊の存在など全く気付かない様子で通り過ぎるのが不思議で、「ねえ、ここに変なのがいるよ」と教えてあげたことが、その後のシワサギの人生を大きく変えることとなった。
それまでのシワサギは、周りから「ボーーっとした子だ」という認識から、精霊が視える特別な子だったという評価に変わった。カッセの町は、中継地点ということもあり、それなりに大きかったが、精霊が視える人間はシワサギだけだったため、町中大騒ぎとなった。シワサギは五人兄弟の四番目で、両親からは無関心に近い扱いだったが、精霊が視えるということで、両親から大きな期待を受けることになり、兄弟達は「精霊術士の卵の兄弟」ということを自慢するようになった。
その日から、周りの態度が一変したが、シワサギは相変わらずだった。町中で精霊を見つけてはジッと視て観察する姿を、町の人は「精霊と会話している勉強熱心な子供」と見るようになったが、実際は違った。
シワサギには、精霊の声を聞くことができなかった。だから、精霊達が身振り手振りをしているのを視て、何がしたいのかを肌で感じ取って、何となくの雰囲気を掴んでいただけだった。
精霊とは会話ができないと言うのが、シワサギの認識だったが、それが一変したのは、十歳の時にシワサギは王都から一通の招待状を貰い、引退した精霊術士の弟子入りが決まった後の話しになる。
町中、大喜びでシワサギを差し出したが、正直、シワサギは町にいる精霊と離れたくなかった。精霊は町を離れようとするシワサギに必死に身振り手振りで何かを伝えようとしていたが、それが何なのか、シワサギには分かりようがなかった。
分かった時には、シワサギは落ちこぼれ半人前精霊術士として名を馳せた後だった。精霊と話すという初歩ができなかったシワサギに、世間の目は厳しかった。視ることしかできないシワサギは精霊と契約することができず、兄弟弟子にいびられ貶され、食事は一日一回で、酷い時は水だけの日もあった。兄弟弟子たちの宿泊場や師とする人間の研究室の掃除、身の回りの世話までしなければいけなかった。
兄弟弟子たちが新しい術や習わしを覚える横で、シワサギは1人唇を噛み締めて掃除に励んでいた。最も酷かったことは、一ヶ月に一回の試験で、悪い点を取った兄弟弟子たちからの暴力。反抗することは許されない。反抗の意志があると知ると、兄弟子達は決まって契約した精霊をチラつかせて脅すのだ。
まるで奴隷のような日々を三年近く続けることとなった。何度、両親のいるカッセの町に帰りたいと思ったかは分からない。だが、あんなにも期待されて送り出されたのに、自分は一人前にすらなれない落ちこぼれ半人前精霊術士。否、精霊術士と名乗るのも烏滸がましい。そんなものが帰った所で、喜ばれることはない。寧ろ、邪魔な存在と見なされるだろう。
シワサギの心は、どんどんと擦れて捻くれていった時に出逢ったのが、旅芸人であったアフレだった。
アフレと出逢ったのは偶然で、たまたま兄弟弟子に頼まれてお使いに行った先で出逢ったのだ。
話しをすると、彼女もシワサギと同じような境遇だという。
「あたいもね、踊りの才能があるって言われてスカウトされたのに、都会の踊り子たちとの技量には適わなくてね。半ば、追い出されるように今の劇団に押しつけらちまったんだ。しかも、この劇団では一度も舞台に上がらせて貰えず、ずっと裏方作業だったり、奴隷みたいな扱いを受けてるんだよ」
いつも気丈なアフレの弱々しい姿に、シワサギは彼女の肩を引き寄せて抱き締めた。
何があったのか何て、女性が『奴隷みたいな扱い』というだけで聞かなくても分かる。酷いと思った、理不尽だと思った。
気が付けば、シワサギは涙を流していた。
「何? あんたも同情するのかい?」
「いいや、同情なんかじゃない。これは同調だ。俺も、似たようなもんだからさ」
クシャッと笑顔を向けると、アフレは切なそうに顔を歪めた。
そして、どちらからともなく、シワサギとアフレに唇を重ねていた。お互いに傷付いた心を癒すように、何度も重ねた。
そこから2人は町を抜け出し一緒に旅をした。自分たちの知る者がいない場所へ、新しく人生をやり直す為にーーー。
強い日の光が顔面に直撃し、シワサギは瞼を押し上げた。
「・・・寝てたのか」
書き物をしている間に眠ってしまったらしい。随分と昔の夢を見た。あれはまだ自分たちが若造で、世間について何一つ分かっていない頃の話しだ。
あの時の自分は、本気でアフレのことを幸せにできると思いこんでいた。
「ったく、若気の痛げっつーのは怖ぇわな」
今ではアフレとは疎遠で十日に一度、顔を合わせればいい方だ。2人の気持ちが離れるのに時間は掛からなかった。だが、離れきることはできなかった。
「ったく、面倒事はごめんだ」
シワサギは珍しく身体を清めようと、布切れ一枚持って近場の川へと歩いていった。