畑仕事の手伝い
翌日、歌音はアフレに洗って貰った制服に袖を通した。やっぱり、日本の服は身体に良く馴染む。ただし、履いていた上履きと靴下は完全に汚れが落ちておらず茶色のままだ。
日本で清潔な生活を送っていた歌音には、この靴下を履くことに抵抗がある。眉を潜めていると、どこかからアフレが膝下まであるレザーブーツを持ってきてくれた。
「良いんですか?」
「ああ。どのみち、こんな短い靴じゃあすっぽ抜けちまうよ。本当は、そっちの服もどうにかしたいと思ってるんだけど・・・」
物欲しそうな目を向けられ、歌音は両腕を抱き締め首を左右に振った。靴は買い直しやすいが、制服は高価だし、あまり買い直したくない。
歌音の全力の拒否に、アフレは諦めて肩を竦めるだけで終わった。
「それじゃあ、あたしは畑に行って来るけど、あんたは用事があるんだったよね?」
少し思案してみるが、シショウとの勉強会に時間の指定はない。そもそも、歌音にこの世界の常識を教える為、少し時間が欲しいと言ったのは彼の方だ。早朝に行くのは気が引ける。
「いぇ、お昼くらいに行こうと思います。それまで、畑を手伝っても良いですか?」
「本当かい? それは助かるねぇ。じゃあ、桶を持って付いておいで」
アフレの示した桶を片手に、歌音は家を出た。空は高く、チリヂリ雲が薄く伸びている。
風が冷たいのに、日が暖かくて心地がよい。まるで春になったばかりのようだ。
「空気が美味しいです」
「空気が美味しい? 変なこと言うね、風の精霊が味でも付けてるっていうのかい?」
カラカラと笑い声を上げるアフレを見て、歌音は少しだけカルチャーショックを受けた。だが、よくよく 考えてみれば、ここには自動車も工場もない。淀んだ空気を吸ったことがないのだろう。歌音はふむふむと自分なりに納得した。
アフレの家からしばらく歩いていると、向こうの道から四十代~五十近い中年の夫婦が歩いてきた。
「おはよう。トミー、シェリィ、今日も1日よろしく!」
「おお、アフレ。こっちこそよろしく頼むよ。・・・と、おや? その子は?」
「行き倒れてた所を拾ったんだよ。名前はカノン、今日の心強い助っ人さ」
アフレは勢いよく歌音の肩を叩いて、自分の元へ引き寄せた。トミーとシェリィは微笑ましそうに目を細める。
「初めまして、お嬢さん。私はトミー、そしてこっちが」
「家内のシェリィです、仲良くしてくださいね」
「初めまして、歌音と言います」
深々と頭を下げる歌音に、トミーとシェリィは瞬きを繰り返した。何かおかしな事を言っただろうか。
顔を上げ、不安気にアフレに視線を配ると、アフレはクックックと押し殺すように笑っていた。
「どうだい? よぉく躾られてるだろ、とっても良い子なんだよ」
トミーとシェリィは顔を見合わせ、破顔した。
「そうだな、とっても良い子だ」
「ふふふ、これからよろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
よく分からないが好感は持って貰えたらしい。
道中、アフレとトミーとシェリィの3人は横並びになり楽しそうに話しをしていた。内容はこれから行く畑についてだ。
歌音も他人事ではないので、こっそりと聞き耳を立てておく。
「最近、雨がめっきり降ってくれないから、水やりが大変なのよねぇ」
「山頂の雪解け水の貯蓄も乏しくなってきたしなぁ」
「なぁに、今日は若い子がいるんだ。川の水汲みくらい訳ないさ」
途中、明らかに、歌音を巻き込む気満々の言葉を聞いた気がするが気のせいだろうか。
(畑の水やりくらいなら、小学校の頃、中庭の花壇を1人でやってたし、素人でも大丈夫だよね)
下手に雑草取りをやって新芽を抜いてしまったり、肥料捲きで撒く量を間違えることを考えると妥当な役割だ。
ただ、水汲みという単語に少しの不安を抱えながら、歌音は3人の後を付いていった。
深林を抜けた先には、崖を応用して段となる畑が視界いっぱいに広がっている。上を見上げても下を見下ろしても、まさしく延々と緑と黄色の畑が続いていた。
「この畑たち全部に水撒きをやるんですか?」
「水撒きだけじゃないよ。生えてきている野菜や薬草の品質を確かめたり、それに合った肥料を撒いたり、害虫を払ったり、やることは色々さ。まあ、そうだね。あんたには水撒き用の水汲みをお願いするよ。川はそっちの道の先にあってね、汲んできた水は最下層の付近の畑の横に貯水タンクがあるから、そこに入れておくれ。疲れたら勝手に休憩してて良いから。あぁ、シワサギの所に行くなら、一声掛けるんだよ。あたしはこの辺の中層段で作業してるからね」
「分かりました」
アフレは片手を上げて別れを告げると、さっさと畑の中へ行ってしまった。トミーとシェリィは最上層担当なのか、緩やかな坂を登っていった。
歌音はさっそく水汲みを始めるため、川への道を歩いていく。畑から川までは差程の距離はなかったが、桶いっぱいに水を汲んでから最下層へ向かうのはかなり大変だ。水を零さないように歩かなければいけない為、バランスが難しい。
途中、滑って桶の水を零してしまい、もう一度汲みに行くこと二回。貯水タンクに水を入れることができたのは二回くらいだ。
歌音は貯水タンクの横に休憩用の為にある長方形の石に腰を掛けて足を伸ばしていた。
「思ったより、キツいなぁ」
始めてまだ一時間か二時間くらいしか経っていないだろう。それなのに、もう体力の限界が来ている。自身の体力の無さに辟易しながら、貯水タンクの水の残量を見ると、真ん中より少し上の辺りに引いてある赤いラインより五ミリ程下まで水が溜まっている。
「あの赤い線が目標なら、まだまだ頑張らないとダメかぁ」
歌音は長い溜息を吐きだし、両股を叩いて気合いを入れると、再び川への道を歩いた。