贈り物
「アル、もうすぐ誕生日だよね?」
いつものようにアルシオがアリスと話していると、不意にアリスから問われた。
「うん!もうすぐ七歳になるんだよ!」
「……」
先日からアルシオは「七歳の誕生日が楽しみ」、「早く大人になりたい」と事あるごとに口にしていた。父親と交わした『今より大きくなって立派な男になったら短剣をもらう』約束が余程楽しみなのだろう。アリスはアルシオがその言葉を口にする度に「楽しみだね」と微笑んでくれた。今もいつものようにアリスの「楽しみだね」という言葉が返ってくるはずだが、アリスからはなかなかその言葉は出てこない。
「アリス?」
俯いているアリスに呼びかけると、アリスはハッとしたように顔を上げた。
「あ…ごめんね、ぼーっとしちゃって。楽しみだね、お誕生日」
そうしていつものように微笑み、優しくアルシオの頭を撫でた。しかし、アルシオは何となくアリスがいつもと違うような気がした。微笑んでいるけれど、その笑顔がどこかぎこちないように感じる。
「どうしたの?どこか具合悪いの?」
アルシオが顔色を見ようと顔を近づけると、アリスは「大丈夫だよ」と笑ってみせた。それでもアルシオの違和感は消えなかった。そんなアルシオのもやもやした気持ちは、アリスの次の言葉で消え去った。
「アル。ちょっと早いけど、プレゼントがあるの」
「プレゼント?やったー!」
プレゼントという言葉に即座に反応し、何?何?という期待の目でアルシオはアリスを見つめた。
「これ、受け取ってくれる?」
そう言ってアリスは、自分が身に着けていた金色の四連の細い腕輪を外した。四連の腕輪には、それぞれ赤いハート、赤いダイヤ、黒いスペード、黒いクラブの小さな飾りが付いている。
「きれー!いいの?アリスが大事にしていたやつだよね?」
四連の腕輪はアリスがいつも大事そうにしていた。時々アリスが自分のことを話している間、懐かしむような目でこの腕輪にずっと触れていた。
アルシオはずっとアリスの腕輪を綺麗だと思っていたので、貰えることは嬉しいが、アリスが大事にしていたことも知っていたので、本当に受け取ってもいいのだろうかと心配した。
「うん。この腕輪はね、アルに使ってほしいの」
アリスは外した腕輪を優しくアルシオの左腕に填めた。左腕を掲げると、金色の腕輪がキラリと光る。
「ありがとう!大事にするね!」
綺麗な腕輪を贈られたことが嬉しくて、アルシオはアリスに抱き着いた。
「それとね、もう一つプレゼントがあるの」
「まだあるの!?なになにー?」
腕輪の他にまだプレゼントがあることが嬉しくて、アリスに抱き着いたまま「何かな?何かな?」と期待に満ちた目でアリスを見つめた。
アリスの口元は笑っていたが、目には何か迷いが浮かんでいるようだった。しかし、贈り物が嬉しいアルシオはそのことに気づかなかった。
アリスは屈んでアルシオと目線を合わせる。
「アルシオ。手を出してくれる?」
「はい!」
手の平を上に向けて、アルシオは両手をアリスに差し出した。
アリスはいつも填めていた白いレースの手袋を外した。そのとき、アルシオはアリスの両手の平に何かが描かれていることに気づいた。何が描かれているのか気になりじっとアリスを見つめていると、その視線に気づいたアリスが自身の右手の平をアルシオに見せた。初めて見るアリスの手の平には、不思議な痣があった。その痣は陣を描き、陣の中に何か小さな絵がたくさん描かれている。
「これ、どうしたの?」
アルシオはアリスの手の平を指差した。生まれつきの痣にしては精巧に描かれている。それに痣というより絵に近い。
「これはね、お守りなの」
手の平の痣を見つめながらアリスは答えた。痣を見つめるアリスは、大切なものを見つめるような、慈しむような瞳をしている。
「お守り?」
「そう。自分の身を守るためのお守り。このお守りをアルにあげたいの」
そう言ってアルシオを見つめると、アルシオはきょとんとした顔をした後、考えこんでしまった。
その顔を見てアリスは無理もないと思った。腕輪ならともかく、こんな訳の分からない痣がプレゼントだと言われたら驚き不審がってしまうのは当然だろうと。やがてアルシオは口を開いた。
「僕にこのお守りを渡したら、アリスのお守りはどうなるの?」
「このお守りは一人しか使えないから、アルに渡したら私のお守りは無くなるよ」
すると、アルシオはアリスの思ってもみない言葉を口にした。
「じゃあ、誰がアリスを守るの?」
その言葉にアリスは「お守りをあげたい」と言ったときのアルシオの顔の意味が分かった。先程は驚いているだけかと思ったが、どうやらアリスの心配をしていたらしい。
「私はね、もうずっとここにいるから危険な目に遭うこともないの。だからもうこのお守りは必要ないんだよ」
確かにこの夢の空間は辺り一面何もない。何かに襲われるということはないだろう。
アルシオは「そっか!」と言って安心した顔を見せた。そして、再び両手の平を差し出した。
小さな手にアリスの手を重ねる。すると、アルシオの中に段々と温かい何かが手の平から流れ込んでくるのを感じた。
「はい。終わったよ」
「え、もう?」
アリスが自分の手を離すと、アルシオの手の平には先程アリスの手の平に描かれていたものとは少し違っていた。同じように陣は描かれているが、その中にたくさん書かれていた小さな絵が一つしか描かれていない。アルシオはその絵をじっと見つめる。小さくてわかりにくいが、丸の上に二つの長いものが見える。これは…。
「…うさぎ?」
たぶんこの絵は兎だろう。そう思って、アリスを見ると「正解」と言って微笑んだ。
(でも何でうさぎなんだろう?)
アルシオはじっと手の平の兎を見つめた。
「アリスは本当にないの?」
「うん、ほら。ね?」
アリスが両手の平をアルシオに見えるように差し出すと、そこにあった痣が確かに消えていた。
「あ、本当だ。ねえ、アリス。この痣って本当にお守りなの?何か役に立たなそう」
身を守るためのお守りというなら、剣や盾などの方がよっぽどお守りになる気がする。
こんなただの痣が一体何の役に立つのだろうか?
「このお守りはね、ある言葉が必要なのよ」
「言葉?」
「うん、危なくなったらね――――――――――――――って言うの。わかった?」
「え、もう一回言って!」
アリスに何回か繰り返し言ってもらい、お守りを使うための言葉を覚える。
「ねえ、アリス。最後のって誰かの名前?」
「ええ、そうよ」
「誰?」
「私の大切な人の名前。とても強くて優しくて…とっても不器用な人よ。」
「…ふーん」
アルシオは何となくそれが誰だか分かった。アリスが生きていた自分のことを話すとき、よく一緒にいたという男の人の話をしていた。その人の話をするアリスはとても優しい目をしている。今もその人の話をするときと同じ優しい目をしているから、きっとその男の人の名前だろう。
(何か面白くない)
腕輪とお守りをもらってすごく嬉しかったはずなのに、今はとても面白くない。というより、アリスがその男の人の話をする度にいつもアルシオは面白くないと思い、唇をぎゅっと結んでいた。今も唇を噛みしめ、ご機嫌斜めだ。
急に不機嫌になってしまったアルシオを見たアリスは不思議に思いながら、アルシオの頭を優しく撫でた。
「そろそろお母さんが起こしにくる時間だよ」
「…やだ。まだここにいたい」
アルシオがぎゅっとアリスに抱き着く。アリスはアルシオの頭を撫でながら、優しく声をかけた。
「でもアルシオが現実で起きないと、お父さんとお母さんが心配してしまうよ?それでもいいの?」
「…やだ」
「じゃあ、ちゃんと帰ろう?」
「…アリス」
「うん?」
「今日は何だか元気がなかったけど大丈夫?」
アルシオの言葉にアリスは撫でている手をぴたっと止めた。アルシオが顔を上げると、アリスの顔は少し目を見開いて驚いているようだった。そして、屈んでアルシオと目線を合わせて、いつものように微笑んだ。
「大丈夫だよ。もしかしたら、ちょっと疲れたのかも。アルシオが帰った後、ちゃんと休むから大丈夫だよ」
「本当?」
「本当」
じーっとアリスを見つめるアルシオ。その間ずっとアリスは微笑み続ける。
「じゃあ、ちゃんと休んでね!」
「うん、ちゃんと休むね」
折れたのはアルシオの方だった。
「また来るからね、アリス。しっかり休んでね!」
「うん。じゃあね、アル」
アルシオは何度もアリスに休むように言って、現実の世界に戻っていった。
残されたアリスは、アルシオがいた場所を見つめる。
「…私のことなんか心配しなくていいのに」
アリスは自分の両手の平を見つめる。
(とうとう渡してしまった。もう戻れない)
アリスはその場で蹲り、自分の気を保つようにぎゅっと手を握り締めた。