姉のような人
アルシオが目を開けると、何もない真っ白な空間に立っていた。
きょろきょろと辺りを見回す。アルシオは自分と同じ金色の髪を探す。
「アル」
鈴の音を転がしたような声が、アルシオを愛称で呼んだ。
振り向くと、金髪碧眼の可愛らしい女性が微笑んでいた。アルシオはその人の元に駆け寄った。
「アリス!」
アルシオは両手を広げて思いっきり抱きつく。アリスと呼ばれた女性は「おっと」と言いつつも、しっかりとその小さな体を抱きとめた。
「いらっしゃい、アルシオ。今日もお話、聞かせてくれる?」
アルシオの頭を撫でながら優しく問いかけると、アルシオは「うん!」と花が咲いたような笑顔を見せた。
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アリスは物心ついたときから、アルシオの夢の中に現れていた。その上、自分と同じ白に近い金髪と海のような青い瞳をしていたため、アルシオはアリスのことを実の姉だと思っていた。
その勘違いに気づいたのは、アルシオが四歳のときだった。
「アリスはどうしてここにいるの?僕のお姉ちゃんなのに」
「え?」
アリスはアルシオの質問の意味に首を傾げた。「どうしてここにいるのか?」と質問するのなら(夢の中でしか会えない特殊な状況のため)まだ分かるが、「僕のお姉ちゃんなのに」という言葉の方が気になる。
まさかと思いつつ、アリスはアルシオにこう尋ねた。
「アル…もしかして私のこと、本当のお姉ちゃんだと思っている?」
アリスの言葉に、アルシオはきょとんとした。
「違うの?」
その答えを聞いた瞬間、アリスは爆笑した。最初はどうして突然アリスが笑い始めたのか分からなくて、アルシオは「え?え?」とおろおろしていた。
しかし、なかなかアリスの笑いは止まないため、次第にアルシオは(どうして笑われているのかは分からなかったが、自分が笑われていることだけは分かったため)恥ずかしくなり、「もう笑わないで!」と真っ赤な顔して怒りだしたことで、アリスはやっと笑うことをやめた。
「ふふっ…ごめんごめん、アル」
笑い過ぎてうっすら涙まで浮かべながら謝るアリス。一方、アルシオは完全に拗ねて、アリスに背を向けて座っていた。
「アル?アルシオ?」
「…」
さすがにアルシオの様子に「まずい、笑い過ぎたか」と思ったアリスは、アルシオと同じように座って小さな背に語りかけた。
「いっぱい笑って本当にごめんね、アル。私、アルの言っていることが可愛かったし、『本当のお姉ちゃん』だと思ってもらえていたことが嬉しくて、つい笑っちゃったの」
「…」
「私、アルと仲直りしたいな。だめ?」
「…もう笑わない?」
アルシオはアリスに背を向けたまま、ちらっと見た。
「うん、笑わない。…ぷっ」
「!」
アリスは笑わないと宣言した後に、アルシオの「本当のお姉ちゃん」発言が余程笑いのツボだったのか、タイミング悪くまた吹き出してしまった。
無論、その後アルシオの機嫌がますます悪くなったのは言うまでもない。
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「私がここにいるのはね、生きるためなの」
謝って謝って、ようやくアルシオの機嫌を直したアリスは、当初の「どうしてここにいるの?」というアルシオの質問に答えた。
「生きるため?」
アルシオが首を傾げる。
割と真面目な話をしているはずなのに、アルシオの仕草が可愛らしいため、アリスはつい微笑ましく思ってしまう。
「今よりずっと昔ね、大きな魔法を使ったの。そのとき私の体は死んでしまったけど、何とか魂だけをここに繋ぎ留めることができたの」
「大きな魔法を使ったら、どうして死ぬの?」
「うーんと…人間は誰もが必ず魔力を持っているんだけど、その魔力の量は人によって多かったり少なかったりするの。大きな魔法とかは魔力をたくさんたくさん使わないといけないんだけど、自分が持っている魔力よりも大きな魔力を必要とする魔法を使ったら、足りない魔力を補おうとして自分の体も使わないといけないの。…言っている意味、分かるかな?」
アルシオはアリスの言ったことを自分の頭の中で整理しているのか、「うーん」と考えこんでいる。
幼い少年にも分かるように言葉を選びながら説明したつもりだが、少し難しかったかもしれないとアリスは思った。
そして、アルシオはゆっくりと口を開いてこう言った。
「アリスの魔力が足りなかったから、魔法を使うためにアリスの体も使ったってこと?」
首を傾げながら、アリスに「合っている?」と確認する。
自分の説明を理解していることに驚きながらも「正解」と答えると、アルシオは嬉しそうに両手を上げて、ぴょんぴょん飛び始めた。アリスはその可愛らしい仕草にニコニコしながら見ていると、アルシオはぴたっと止まった。
「ねえねえ。アリスの体は死んじゃったんだよね」
「?うん、そうだね」
アルシオは少しびくびくしながら、こう尋ねた。
「アリスはおばけなの?」
その発言に再びアリスは爆笑した。
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「それでね、僕のお父さんが『今よりもっと大きくなって、立派な男になったらこの短剣をやろう』って言って、男の約束をしたんだよ!」
「じゃあ、大人になるのが今から楽しみだね」
アルシオはアリスに今日の出来事を身振り手振りで話す。アリスはアルシオから一日の出来事を聞くことが毎日の楽しみでもあった。
「うん!もうすぐ七歳だし、すぐに大人になるよ!大人になって短剣をもらったら、アリスに見せてあげるね!」
「ありがとう。楽しみにしてるね」
アリスは自分の持っている懐中時計を見る。現実世界ではもう朝を迎えていて、そろそろジルがアルシオを起こしにくる時間である。
「もう起きる時間みたいだよ」
「えーもう?」
不満そうなアルシオの頭を、アリスは優しく撫でた。
「起きないと、お父さんとお母さんが心配するよ」
「えー…わかった…」
アルシオは渋々頷いた。
ちなみに現実に戻るときは、アルシオが「現実に帰りたい」と願うだけで帰れるらしい。
「またね!アリス!」
「うん。またね、アル」
アルシオは手を振りながら「現実に帰りたい」と願うと、アルシオの体は消えていった。
アリスはアルシオが無事に帰ったことを見送る。
「アルももうすぐ七歳か…」
先程アルシオが言っていたことをぽつりと呟く。
「ごめんね、アル」
誰もいない空間の中、アリスはただ一人懺悔した。