全ての始まり
その日の夜は、とても静かで美しい夜であった。
夜空を飾る下弦の月と星は、ただただ静かに煌めき、闇色に染まった森に薄っすらと光を落としていた。
美しき月の光は、森の中に佇む城の暗い回廊にまで注ぎ込む。
その回廊に三人の男女が慌ただしく走っていた。
先導を走っているのは若い男。白い髪に赤い目とそれだけで目立つ容姿をしていたが、一番目立っていたのは男の頭の上には白い兎の耳が生えていた。
そして、その男の後ろを二人の女が必死についていく。
一人は、艶やかな黒髪に意志の強そうな黒目をした美しい女性。もう一人は、月の光できらきらと輝く金髪に澄んだ青い目をした可憐な女性であった。
男はある扉を開け、二人の女を先に中に入るよう促した。
外を警戒しながら最後に男が部屋に入る。室内は窓もなく暗いため、男は魔法で手の平から小さな火を灯した。男を中心に少し明るくなった室内は、本棚が並び、書庫のようなところであった。
「ここまで来れば、しばらく追っ手は来ないでしょう」
男は二人の女を気遣いながら、部屋の奥へ足を進める。
「どうしてこんなことに…」
金髪の女は悲し気に顔を俯かせる。
男も拳を握り、悔しそうに顔を俯かせた。
「……」
黒髪の女は、顔を俯かせる二人をじっと見つめる。
その顔は無表情ではあったが、どこか逡巡しているようにも思えた。
そしてしばらくすると、黒髪の女は扉の方に目を向け、そちらに足を動かした。
それを見た金髪の女が、慌てて黒髪の女の腕を両手で掴む。
「先生っ!一体どこに向かおうとしているのです!?」
先生と呼ばれた黒髪の女は、視線を金髪の女に移す。
「…この手を離しなさい」
黒髪の女は質問には答えず、手を離すよう静かに促す。
「嫌です!離したら、貴方は行ってしまうのでしょう?」
金髪の女は、黒髪の女の腕を更に強く握った。
どこに行くか聞いたものの、金髪の女には、黒髪の女が向かう先を分かっているようだった。
「私からもお願いいたします。どうかお考え直しください」
男も黒髪の女に部屋から出ないよう懇願する。
「…わかった」
「先生…」
黒髪の女が思い留まってくれたことに安心して、金髪の女が掴んでいた手を緩めたときだった。
ドンツ!!
「きゃっ…!」
黒髪の女は突然、金髪の女を突き飛ばした。
金髪の女は小さく悲鳴を上げてよろめいたが、男がすかさず女を支えたため、女が転倒することはなかった。
黒髪の女は、倒れかけた金髪の女に目もくれず、扉へと向かった。
「先生!お願い、行かないでください!行ってしまえば、貴方は殺されてしまう!!」
男の腕から離れ、金髪の女は黒髪の女を必死に引き留めようとする。
黒髪の女は金髪の女に背を向けたまま、静かに口を開いた。
「最後に其方に言っておこう」
黒髪の女はくるりと金髪の女に向き直った。
そして、有無を言わさず声で金髪の女に告げた。
「其方は破門だ。もう私の弟子ではない。私の下にいる必要もない。もう…」
黒髪の女はきゅっと口を噤み、そしてゆっくりと口を開いた。
「…私と共に、逃げる必要もない」
金髪の女は、自分が何を言われたのか、すぐに理解できなかった。
黒髪の女は、また扉の方に体を向き直す。
(これで、いいのだ)
黒髪の女は自分に言い聞かせ、足を踏み出そうとした。
パアッ…!
「なっ…!これは!?」
突如黒髪の女の足元に、大きな魔法陣が展開して光り出した。
突然のことに黒髪の女は驚き、振り返った。
振り向いた先には、先程破門を下した金髪の女が両手をこちらに突き出し、ぶつぶつと何かを唱えている。
男はハッとして、金髪の女の詠唱をやめさせようと動く。
しかし、金髪の女が男を一瞥すると、男の体は金縛りにあったかのように動けなくなった。
「この魔法陣は…まさか!!」
黒髪の女は慌てて、詠唱を阻止しようと金髪の女に手を伸ばした。
しかし、その手が魔法陣から出ようとすると、魔法陣が一瞬強く光り、黒髪の女の手を弾いた。
「くっ……!」
まるでここから出ることを許さないかのように、魔法陣の外側の陣が光り、見えない壁が黒髪の女を囲う。
「やめろ!其方…一体何をするつもりだ!?」
金髪の女が詠唱を止める。そして、再度口を開いた。
「先生…ごめんね。やっぱり、私は先生を彼の元に行かせることはできない」
金髪の女は淡々と言葉を紡ぐ。
「こんな方法でしか、先生を助ける術が思いつかない」
魔法陣の光がだんだんと強くなっていく。
光が強くなるのを見て、黒髪の女は焦って光の壁を叩いた。
「やめろ!私のことなど助けなくていい!この術を使えば、其方は…!」
その言葉を聞き、金髪の女は微笑む。
「今までありがとう、先生。そして…
…さようなら」
金髪の女が別れを告げた途端、魔法陣が一際強く輝き、光が黒い女を飲み込もうとする。
黒髪の女は、必死に金髪の女に手を伸ばす。
「アリス!!」
伸ばした手は掴むことができず、黒髪の女はそのまま光に飲み込まれた。