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水星のガガーリン

作者: ホタテ屋

題「水星のガガーリン」


これは誰かがやらなければならないことなのだ。

そう自分に言い聞かせ、視線を足元に落とす。足元には餌をもらえるとでも思ったのだろうか、3ヶ月前に出会った一匹のしば犬が私の股の間を八の字にくぐり抜けていた。



世界は2210年の第三次世界大戦を経て、あらゆる国家の技術力、生産能力が飛躍的に向上していた。

終戦後もその技術革新は衰えず、様々な産業が活性化されて行った。

宇宙産業もその例に漏れず、米国は世界初の火星への有人飛行を完遂し、ロシアに至っては木星に探索拠点を設けるなど成果を上げ、瞬く間に人類の活動拠点が広がって行った。

しかしながら、そんな現状に焦りを覚えていた国家があった。日本国である。

第三次世界大戦が開戦された当初、日本は交戦派と穏健派の争いにより大きく出遅れ、国内の争いが沈静化される頃にはすでに大戦は終結へと向かっていたのである。

これにより技術大国とまで言われた日本は、最早過去の栄光となってしまったのである。


この事態を解するため政府は多額の費用を技術開発に投資した。

特に戦時前から開発を進めていた、水星までの有人飛行を可能とする宇宙船に。

日本が生き残る数少ない手段として。


私はそんな宇宙船開発チームに選ばれた一人である。

と、言っても1チーム30人のまとまりが100グループあるのだが。

ただそんな多くのチームの中でも、うちのチームはどうやら優秀であったらしく、最も早く宇宙船の設計図を提出し、許可が出ていたらしい。

舞い上がっていたのもつかの間、次の日の朝、チーム全員が研究室に集められていた。

何人かがあくびなり、目をこすったりしている中、リーダーと技術者の何人かが大きな檻のようなものを引きずってきた。

中にはしば犬、ブルドッグス、チワワ、ポメラニアンなどの種類、体格、が様々な少し汚れた犬たちがいた。


どうやら全員に3ヶ月間犬を飼え、ということらしい。

そして名前をつけるな、という無茶振りまでもを振ってきた。

いやはや、これから忙しくなろうという時期にまさか犬の世話という、面倒なことを研究者に押し付けてくるとは思わなかった。

名前の件は正直どうでも良かったが、おい、とかお前、とかでも自分のことだと認識をしているような感じなので、少し不便だと感じながらも上からの命令に渋々承諾した。

だが、決まってしまったものはしょうがない。とりあえず日本の伝統的な犬であるしば犬を選んでおいた。



私の選んだこのしば犬はなかなかどうしてか賢いように思えた。初日こそいろいろなことを覚えさせるのに苦労したが、全ての物事を3回以内にはこなしてみせた。犬のことはよくわからないがいい犬を選べたと信じたい。



この犬は開発チームが組んだテストにも合格した。やはり他の犬と比べてみても、賢かったらしい。

一緒に試験を受けさせに来ていた同僚に話を聞いてみたが、トイレの場所や食事の待ち方、自分のハウスなどを未だに覚えさせているようだった。

どうやら私は当たりを引いたのかもしれない。


2ヶ月が経過した。このコは優秀すぎた。もしかしたら、と、思う日々が多くなって来ている。その度に私は、初めからそういう目的だ、と自分に言い聞かせ、尻尾を振りながら近づいてきたあのコを撫でていた。



結局あの子が審査に通ってしまった。

審査の結果が届いた時、私の胸に何かがストンと、落ちるような感覚がした。何かが終わりを告げた気がした。


最初からそんな気がしていたのだ。

あのコ目と私の目があった時から。

これは必然であったのだ。


最初はただの犬だった。そこらに捨て置くような犬だった。

だがともに暮らすうちに芽生えてしまったのだ、愛情が。

だからこそ助けたかった。

このコではなく別の犬を代わりに載せたかった。

今すぐにでもこのコを助けてやりたいという思いが心の奥底から湧き出ていた。


そう思う自分を他所にどこか元から決まっていたことが覆る筈がない、という現実を知っている自分もいた。

結局私には、所定の物事に異議を申し立てたり、物事から逃げ出すような勇気や行動力はなく、あのコと遊んだり触れ合ったりしていたら、気がつくと最終日となっていた。


私の足元を駆け回っていたしば犬は、今や白くゴワゴワした服を身にまとい、静かにその場に座っていた。

まるでこの宇宙船が片道分の燃料しか載せていないという事を知っているかのような、そんな落ち着きさえ感じられた。


あのコが入ったケースが宇宙船の中に詰め込まれていく。

私はただその光景を管制室のモニター越しから見つめることしかできなかった。


「最後にやっておくことはあるか?」

リーダーが優しく私の肩に手を置き、そう呟いた。

本来ならそんな時間はなかったはずだ、と思いながらも、残されたわずかな時間で頭をフル活動させ考える。

そして考え抜いた結果、


「名前...、名前をつけさせてください」


なぜこんな事を言ったのかは今でもわからない。

最早あのコに声が届かない事を知っていたのに。今更どうにもならない事を誰よりも知っていたのに。

でも、もしかしたら。

もしかしたら何かを残したかったのかもしれない。

ただ、ただ、このコが存在した証を残したかったのかもしれない。

そしてこのコの命が、何かを運んできてくれるのを願っていたのかもしれない。


「ライカ・ガガーリン。それがお前の名前だ」



宇宙船は発射する。

水星という新たな可能性を得るために。

尊い命を燃料にして。

きっといつの時代も人は変わらないのだろう。



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