秋は夕暮れ
背丈よりも長い黒髪に櫛を通して、滑らかな手触りになるまで整えられて、ぼんやりと由布は文机を見た。
そこには、昨夜届いた朝霧からの和歌が……。
朝餉を終えて、返歌をしたためるためにその前に座り、硯を摺る。
きぞの夜 夢でかたらふ 声はいさ
朝のひかりに 霧とかわりて ※⑤
[※⑤ 昨日の夜、夢で語らった人の声は、
さあどうだったのでしょう
朝の光の前では霧のように
掴み所もなくて思い出せません]
そっとそれを覗いた菜葉が、
「まあ、姫様もなかなかやりますわね?思い出せないから夢ではなくて本物が来て下さい……って事ですか?」
「え?」
「さりげなく、歌の中に名前の“朝霧”をお入れになって」
「あ………」
「まあ、無意識でしたの?」
くすくすと菜葉が笑う。
「つれない返事のようで実は会いたい、なんて本当に姫様もやりますわね」
吉野までそう言ってからかう。
「そ、そんなつもりは………」
「なくても、本当は会いたくていらっしゃるのでしょ?」
「そ、それは。その……」
「このまま、太樹丸が来たら渡しましょうね!」
「やっぱり……書き直さないと……」
「恥ずかしがっても駄目ですよ。姫様は素直なのが一番ですわ」
そんな風にやり取りをしていると、
「おはようございます!」
庭の方から元気な声が聞こえて
「もう、遅いですわ。―――――太樹丸、またお願いね」
「はい!姫様の文が届くと、少将さまも嬉しそうで!僕も嬉しいんです」
にこにこと太樹丸が言うと、由布はまた真っ赤になった。
「今日もご苦労様。もうお返事は準備できているわ」
にこやかに、文を大樹丸に速やかに渡してしまった。
(どうしよう………会いたい、なんて!………ねだるみたいで、そんな事)
四六時中、出してしまった文が気にかかって、琴を爪弾いても、絵巻を眺めても何も手につかなくて。
思うのは、ただ一つ、
夕方まもなく夕暮れの刻。
「朝霧の少将さまが、今お着きになったそうでございますよ、よろしゅうございましたわね」
にこやかに告げに来たのは、北の方自らだった。
「今、お父様にご挨拶をしてこちらに来られますからね」
それを聞いた菜葉と吉野はいそいそと室内を調えて
「では何かありましたら、お呼びくださいませ」
と含み笑いをして、ぽつりと由布を置いていってしまった。
そして、少し居心地も悪く待っていれば、秋らしい紫苑重ね(表、薄紫、裏、古代青)も爽やかな朝霧が静かに歩いてやって来たのだ。
御簾の向こうに座った朝霧は、由布の方を向いて
「秋も深まって来ましたね」
「は、はい……」
相変わらず、上ずった声しか出ない。
「大君は……私に会いたいと……そう思ってくれましたか?」
真っ直ぐな眼差しをうけて、由布は思わず「はい」、と熱に浮かされたかのように答えてしまう。
「良かった……、迷惑がられていないかと、少し不安でした」
「そんな………わたしの方こそ、なぜ。と」
「他に……もちろん、たくさんの姫君たちがおられますがあなたはただ一人です。そして、私も一人。無理に語らわずとも、同じ気持ちで景色を眺められる、そんなひとを望んではいけませんか?」
「同じ気持ちで…」
「例えば美しいものを、美しいと思う。そんな気持ちで心を添わせる、大君といると、そんな感じがするのです」
微笑んだその顔につられて、由布も思わず笑みになる。
「無理に、言葉になさろうとせずとも良いのですよ。わたしの前では」
そんな風に言われて、由布は涙がこぼれそうになった。
「朝霧さま………ありがとうございます……。とても、嬉しいです」
自然と出た言葉は、上ずりもせず静かに響いた。
「ですが……こうして、声が聞かせてもらえれば、なお私も嬉しく、楽しいのです」
「はい……」
由布は自然と返事を返していた。
深まる秋は、風に冷たさをのせていて近づく冬を感じさせている。
「秋は夕暮れ」
静かな声がして、
「秋は夕暮れ……夕日の差して山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり」
由布はそう続けた。
「まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入りはてて、風の音、虫のねなど、はたいふべきにあらず」
(※ 枕草子より)
[※ 秋は夕暮れ(が良い)。
夕日が差し込んで山の端にとても近くなっているときに、烏が寝床へ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽と飛び急いでいる様子さえしみじみと心打たれる。
ましてや雁などが隊列を組んで飛んでいるのが、(遠くに)大変小さく見えるのは、とても趣があって良い。
すっかり日が落ちてから(聞こえてくる)、風の音や虫の鳴く音などは、言うまでもなく(すばらしい)]
静かに朝霧が続けて終える。
「私も、秋の夕暮れは好きです」
「そうですね……とても、美しいと思います……」
秋の夕暮れは、あっという間に訪れそして夜を連れてくる。
「また、こうして会ってください」
朝霧はそう言うと、立ち上がった。
「あ………」
「ゆっくりで、かまいません……私に慣れて下されば」
優しい人なのだ………、とても。
「お待ちしています……また……」
「はい、待っていてください」
思わず由布も立ち上がる。
由布と朝霧を御簾という一枚の物が隔てている。
もどかしいようで、しかし安堵もさせられる……。
朝霧が去った後には、虫の音が庭で合奏をしていて……、由布の心を慰める。短い逢瀬はまたすぐに、会いたいと思う気持ちにさせてしまって、少し淋しくなるから………。
秋の夕暮れは、美しくてどこか淋しい
さっきまでは、それを共に眺める人が居たから……美しさで満たされていたのに




