掌編「フェリーに乗って」
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船内ではアナウンスも流れずに、船は港をあとにした。私は、旅程の流れに沿って次の目的地に行くためにこの船を利用した。船に乗るのは初めてではないが、大型な船に乗るのは初めてであって、船酔いしないかとの心配もあったが、怒号のように聞こえる音が私の客席スペースでは、ほぼ聞こえなく、酔おうと思っても揺れがないため心配する必要はなかった。しばらくはデッキに出て、流れていく島の風景や遠ざかる街の様子を眺めていた。そこに倉庫があったのかとか、港の輪郭はこういう形だったのかと、飽きるまで、いや飽きてからもしばらくはぼうっとしていた。天気が晴れていたこともあるのだろう、これが大雨だったら降り続ける雨の音で、心中の気分は変わっていたと思える。長閑に感じるということが、自分に行動しないように制限し、その静止が何かに身を任せたり、佇ませたりするきっかけになった。
デッキから戻ると一番上の三階の客席で足を伸ばせるところがあったので、仰向けで寝ていた。船が岸から離れて遠くなると、私はこの成す術ない状況で、船になにか異常が起きたら海に沈むことだってあり得るのではないかと思った。この長閑な環境で、船という場では、一つの生死が握られている気がした。私も他の乗客や船員、貨物と合わせた一つの共同体のなかの一部だと思った。私が何を思おうとも船は速度を変えないように思えて進んでいるように見えた。電車や新幹線、飛行機であれば眠ったり、本を読んだり、音楽を聴いて過ごすと思ったけど、この大型船というのはなんとも奇怪な行動を乗客にさせると思った。感覚としては、飛行機の窓から見える空の見え方に近いとは思う。行けども行けども見えてくるのは空か海なのである。退屈には変わりないのだが、飛行機の場合はフライトの時間が長時間にかかっているのは見越しているし、定期的に何か食事など配られたりして、座席から備え付けの映像や音楽が聞こえるし、座席なので常に他の乗客が隣り合わせで座っているので、なにかと忙しさを感じる。これが船で仰向けに寝ていると、近くに人が寝てはいるのだが、この自由さ加減というのが飛行機とは比べ物ににならない退屈さを際立たせるのではないかと思った。第一、船員が巡回しないため到着まで横になって寝ていることはできるのだが、仰向けで寝ているのに、船は海を突き進んでいく。この間、私はどうすべきなのかがすっかりわからなくなった。広大な海と空に浮かんで、流れる雲のように私も運ばれているだけに過ぎなかったのだ。この場で一体、自分の行動が何を及ぼすのだろうか。例えば、船内のゲームセンターやカフェで誰か人と話したり近くの子供と遊んだりしたらまた意味あいは違っていただろう。船内で何もしないで横になるというのを皆やってみるといい。丁度、親戚の家で何もせずに畳の上に横になっている時に似ている気がする。なにかここにいなければならない必要性があって、かといってなにをしても時を待つしかないという宙づりな状態がそこに存在するのだ。こんなとき、私は珍しく知り合いや友達が今、何をしているのだろうかと思い浮かべていた。というより、彼らが今の私と同じ環境に置かれたら何をするのだろうと思い浮かべていたのだ。微妙に私の感覚とは違うと思えたのは、その人の主観に置いてみて納得がいった。私というのはきっと環境に影響を受けやすいのだろうと思った。人によっては退屈だったら、自ら電話をかけたり、ネットをしたりなどあらゆる通信手段を利用するのかもしれないし、忙しくて読めなかった小説を読んだりするのかもしれない。今回においては、私は船の上で身を任せることに務めていたのだと思う。もし、思い浮かべたなかで、その人に思いが募ったり、何か後悔の念が浮かんでいるのなら、その分、この身体が移動し続けた日々が有意義かはしらないが、多様に多面的に私を動かしたのであった。私はこれまでに色々とこなしたのだ。成し遂げたのかはわからない。今、現在はこの船のなかで寝ているのに過ぎないのだから。他所から見れば、あの客はずっと寝腐っていると思われるかもしれないだろう。このまま腐ってしまえばどうだろうかと思うなら、人生がこれでストップかかるんだなと思った。まるで総清算は通知表のようだ。多様な人間関係を築いたのは3点だったとか、学問の研究には4点だったとか、誰かに何かを託す以上に自分というものが独りや誰かと一緒に、または対面して行ってきた行動というのはとても広がっていて、家族や友人、恩人などの人との関わりを最優先するかと思いきや、どっこい事実は自分が何をして過ごしたかその全体の清算になるのだ。それはとても独りよがりだろう。青空が見ているかもしれないが、私は告白してみる。「あんたにも社会にすらも関係ないが、自分は今までの人生の時間をこうやって過ごして、こういうものを知ったのだ」と。それに対して、空が喋るなら、なんと喋るだろうか。
「そうか、お前は人生を身近な人との関わりを避けて、関係のないものに浪費したのだな」とか
「なるほど、それは知らなかった。私は筒がなく地上を見ているのに、人はこういうものを発信していたのだな」など喋るだろうか。私は発見者だった。だが、落ちているものは時が経てば転がっていくし、さらに時が経てば風化していくのだ。発見者は私の他にもたくさん無数にいるが、そんな虫のような私たちが発見するのは既に地上にばら撒かれているものなのである。それがまた私たちの手によって色々とばら撒いているのだ。家に帰ったら、今度はこうしようと思うのは無駄なことだろうか。たとえ、この海の上で尽きるとしてもそんなことはないだろう。無目的に生きるよりは、何かを計画しながらその途上で力尽き果てる方が少しは逞しい生き方ではないかと思える。実際にはそう思ったところで、計画や予定は気分にそぐわずに変わることがある。自身の思いとは裏腹に身体の調子が行動に影響を及ぼすのだ。行くべきか、立ち止まるべきかを左右するのは意思よりも身体の調子なのである。しかし、要にある吐き出しても吐き出してもとどまり続けるのが意思である。その意思とまったくかけ離れた行動をするのは幾ら身体の調子が変わっても難しい。いつからこの意思は変わらなくなったのだろうか。ある一定の度を越えた悲しみや怒りなどの気分のピークは人を全くニュートラルな地点に戻すことはしないのだろうか。単に気分の話だけには留まらず、人は教育の場や家庭のなかで、道徳を学ぶのであるから、そのなかでルールやすべきこと、すべきでないことが定まりそこから各々の範疇でぶれなくなるのかもしれない。それが他の人と自分の場合が違うのは単にその範疇の拡がりがどこまでかということに依るのかもしれない。人は自分の過ごしてきた記憶よりも自分自身の道徳を失うことの方が怖いのではなかろうか。過去の記憶を忘れた人も親しき人との話のなかで思い出そうとして思い出せずに苦しむことがあるが、それは大切な人との思いでだから思い出せずに苦しむのではなく、それを思い出すということが、自分のなかで自分の倫理規範や一般的な人の能力基準としては普通のことであるが故に、それができないことに苦しむのではなかろうか。勿論、老いればできないことの方が増えていくのだから、既に思い出せぬことに諦めているのかもしれないが、身近で思い出せずに苦しく感じている人を見ると、そんなことを思ったりするのだ。船内の窓から他の島が目に入り、また旅の計画をどうすべきか少し考えた。とはいえ、できるところは限られている。自分は最優先のことができれば、他のことはできなくてもよいと思ってしまうので、計画自体はそもそも複雑にはしていなかった。目的地まで運んでくれればあとのことは気にしなかった。