消えたニオイ
警察による捜査が落ち着き、笹井は新次郎の家で掃除を手伝った。
「すごい散らかってるな。これ、お前ひとりで片付けるんじゃあ何日もかかるぞ」
「いいのかよ学校は」
「ああ、今日一日休むことにしたよ」
笹井と新次郎はバケツの上で雑巾をしぼり、汚れた床を拭いた。
「お前、父親と二人だけで暮らしていたのか?親戚の人たちは来ないのか?」
笹井が尋ねると、新次郎は手をピタリと止めた。
「…二年前までは、母親も妹もここで一緒に暮らしてたよ。親父が酒に溺れるまではな…」
「二年前?」
「二年前まで、親父はラーメン屋の店長だった。母親はもちろん、俺も妹も学校が休みの日はよく店を手伝いに行ってた」
「何があったんだ?二年前に…」
「カメムシだよ」
新次郎は、居間の窓に張り付いているカメムシを見ながら言った。
「カメムシ?」
「二年前、店のカウンター席で親父が客に出したラーメンに、カメムシが入ってたんだ。親父が言うには客に出す直前までは気付かなかったらしいが、客は食べるときにそれを見つけてしまった。そして親父と口論になったんだ」
「それが原因で酒に溺れたのか?」
「…その客は有名なラーメンブロガーで、カメムシが入ったラーメンの画像をブログにアップしやがったんだ。その影響で客足はどんどん減っていき、店を畳まなくてはならない事態へと陥った。」
「悪い噂は広がるのが早いからな…」
「ああ。それから毎日のように親父は酒を飲んでは、家でふて腐れて寝転ぶようになった。借金もするようになり、酒ばかり飲んでるうちに依存症になった。母はそれに耐え兼ねて、妹を連れて離婚したよ。親戚にも見放された」
「そうだったのか…大変だったな。しかしお前は母親についていかなかったな。何故だ?お前は親父さんと縁を切ろうとは思わなかったのか?」
その質問に、新次郎はうつむいて答えた。
「切ろうと思ったさ。職につこうともしねえで、毎日家で酔っ払って寝小便たれてる姿をみてたらな」
「じゃあなぜ?」
「アイツから…亜留絵から離れたくなかったんだ」
「辻と…?」
「アイツと付き合い始めたばかりだった。あのときは。だから必死だった。アイツには親父のことや借金のことは知らせていない。アイツにこんな状態の家をみせたら、離れていってしまうんじゃないかって…」
「しかし、いずれは知られてしまうんじゃないのか?」
「ああ。そうだな。でも、ニオイのもとはもういない。もう既に、過去の話になったんだよ。こうやって、汚れた部分をきれいにして、余計なものを始末してしまえば、ありのままの姿をアイツに…亜留絵に見せられる」
新次郎は止めてた手を再び動かし始めた。
「先生よぉ、親父が死んで悲しんでると思ってるんだろうが、実は違う。安心してるんだよ本当は」
「そうか…」
触れられたら出てしまうニオイが消えていく。新次郎はそう思っていた。
しかし数日後、新次郎は消したハズのそのニオイを、辻 亜留絵をはじめ、クラス全員に嗅がせてしまうことになる。『寄生蜂』の手によって…。




