長靴
「靴、久佐城先生に持っていかれたみたいだね。ジョウくん」
玄関の外から、箒を持った安室さんが入ってきた。
「安室さん、今の、見てたんですか?」
「正確には、聞いてたよ。女の子と久佐城先生のケンカみたいな大きい声が聞こえたんで、何事かと思ってね。で、君はなんで隠れているのかな?イタズラされたのは、君の下駄箱なんだろ?」
「それは…」
「最近は、増えているよね…引っ込み思案の人が。何に対しても自分から積極的にやろうとしない、対応者と言うべき人が、増えているね。物事の中心にはいない、常に隅のほうで傍観している傍観者。君もそうなのかな?亀梨 ジョウくん…?」
安室さんの問いかけに、僕は返答せず、ただ黙った。しばらく沈黙が続くと、安室さんはニコッと微笑んだ。
「まあ、君がどういう人間かとか、別に詮索するつもりはない。わたしは君の友達の親でも担任でも、ましてや教師ですらない。この学校に勤めている、ただのしがない掃除のおじさんだ。この学園での一番の傍観者は、間違いなくわたしだな。ハハハ…」
その傍観者という言葉を聞いて僕は少し、安室さんに親近感をもった。
「あ、あの…昨日はすみませんでした。背中のカメムシ、実は取れずに潰してしまって…」
「ゆるさん…!」
安室さんは、ギロリと僕を睨んだ。これまでにない怒りの表情。それはまるで、東大寺の金剛力士像に似ていた。
「君がカメムシ潰したおかげで、保健の桐谷先生に迷惑かけたんだぞ。桐谷先生のポケットティッシュが一枚減ってしまったんだ!君のその些細な過ちが、わたしだけではなく桐谷先生にまで被害が及んだんだ。わかっているのか!」
「す、す、すみませんでしたっ!」
「冗談だ。そんなこと根に持ってるわけないだろう。君はからかい甲斐があるな。ちょっと待ってろ」
安室さんは、職員用ロッカーまで行き、自分のロッカーから長靴を取り出した。
「これを履いて帰るといい。靴下のまま帰るよりは数段マシだろう。カメムシは入ってないから大丈夫だ」
「あ、有難うございます」
助かった。クサギや、クサギに連れていかれたマナミと彩香は、僕がどうやって帰ったか、もしくはまだ校内にいるのか疑問に思っているだろう。しかし、安室さんに助けられた。僕は安室さんの長靴を履き、玄関を出た。
「気を付けて帰りなよ」
僕は校庭を歩き、校門を出た。しかしその瞬間、青ざめた。
「あ、あなたは…!」
「よう。亀梨くん」
校門の陰に、昨日の黒い女が寄りかかって立っていた。黒縁メガネにタラコ唇に葬式のような黒いスーツ。たしか名前は、笹井ナコト…!この女の存在をすっかり忘れていた。僕はすかさず走ろうとした。しかし、腕を掴まれてしまった。長靴だからあまりスピードが出なかった。
「おっと、今日は逃がさないよ?さ、ショまで御同行願おうか!」
「ショ!?」
姉湖学園の前の通りは、通行人がいなかった。僕は近くに停めてあった、女の黒い軽自動車に乗せられた。僕がいったい何をしたというのか…?




