‐‐リーン(2)‐‐
リーンがその日広場の先の丘の上に建つ、義務教育の普通学校に二十分ほどかけて登校した時には、すでにエントランスホールには雑踏が生じ、校内は新王の話題でどこもかしこも沸き立っていた。人の波をかき分けるようにしてエントランスホールを抜け、吹き抜けの中庭に出る。壁側の通路を通って階段を上がり、一番グレードの高い四つのクラスが隣接する四角いホールに出て、自分の教室に入る。ちょうど教室の中央に人だかりができていた。肩に提げていたバッグを自分の机に置き、人だかりからは外れて隅にできている少人数の集団の一つに加わる。
「ホーキンス、何なんだ、あれ?」
リーンが加わった壁を背にして立つ三人の生徒たちのうち、真ん中の小柄で端正な顔立ちの少年――ホーキンスに訊いた。
「今日、新王が決まったってニュースでもち切りだろ? それで、俺たちには儀式の後に願い事を聞いてもらえることになった。あれはどんな願い事をするか、心の内をさらけ出し合ってるのさ」
「ちなみに、モールスは『火の魔法を使えるようになりたい』で、イルジーは『七賢人ライール様の弟子になりたい』、そしてカレンは『上官になってジェパームント様と一緒にソーサラーの討伐任務に行きたい』だってさ」
ホーキンスの左隣から、病弱なほど白い肌をもった金髪碧眼のレイが補足した。レイが、かねてから恋心を抱いていたカレンの発言に関しては、少なからず落胆したのは火を見るよりも明らかだった。モールスとイルジーの成績は、男子の中でもトップグループに入り、カレンに至っては校内トップである。彼らは全員、卒業後は魔法学校に進学すると表明している。
レイが口を閉じると、今度はホーキンスの右隣のメガネをかけたショットが口を挟んだ。リーンと同じくらいの長身だが、身体の大きさに見合わず、喋り方はぼそぼそとしている。
「まあ、願い事を聞いてくれるって言っても、あいつらの願い事の場合は、王も助言するにとどまるだろうけどね。やっぱりカレンは一番大胆だな。何せ十五人目の上官になるってんだからな。まあ、あいつなら本当に上官になれるかもしれないけど」
カレンが不意にリーンたちのグループの方を向いた。
レイがビクッと反応し、ホーキンスに囁く。
「おい、カレンが俺の方を見てる。あれってもしかして……」
「いや、少なくともお前じゃない。たぶんリーンだろう」
ホーキンスの言う通り、カレンはリーンのそばに歩み寄ってきた。
「おはよう、リーン、ホーキンス。それにレイとショットも」
四人それぞれが挨拶を返すと、続いてモールスとイルジーが顔を出した。
「リーン、ホーキンス。お前らは願い事、何を聞いてもらう?」
口を開いたのはモールスだった。カレンはレイとショットにも挨拶をしたが、モールスとイルジーはほとんど目もくれなかった。別段レイとショットを嫌っているということはなかったが、成績を競い合っているライバルにしか注意を向けられないようだった。
「レイとショットには訊かないのか?」
リーンが顔を険しくして言うと、モールスが「ああ、悪かった」と言ってレイとショットにも同じ質問をした。
「俺はまだ決めてないよ」
「僕も」
と、二人はリーンに気遣い無用だとでも言いたげな鋭い視線を送った。
「で、リーンとホーキンスは?」
イルジーが促す。
先に答えたのはホーキンスだった。
「俺は偽太陽について知りたい。いつからあるのか、何のためにあるのか」
「ホーキンスらしいわね」
「じゃあ、リーンは?」
モールスの言葉でカレン、イルジー、そしてホーキンスたちの視線がリーンに集中した。
リーンは落ち着いた、だが断固とした口調で述べた。
「俺は七賢人になる」
リーンの言葉は、モールスたちをたっぷり十秒は黙らせるほどの効力を有していた。
「お前、本気か?」
モールスが半ばあきれ顔で言った。
「七賢人は上官よりも地位が高くて、しかも七賢人になるには、七賢人から直接指名されなきゃいけないんだぞ。言うなれば、この国で二番目に高い地位なんだ」
「俺はこの国の二番目の地位に就きたいわけじゃない」
カレンが困惑気味に眉を寄せた。
「どういうこと?」
「俺はこの国で最も偉大な魔法使いになりたい。それだけだ」
「だったら王の方が相応しいんじゃないのか?」
ホーキンスの問いかけに、しかしリーンは頭を振る。
「太陽の王は……何か違うんだよな。確かに強くて偉くて、王国一の魔法使いかもしれない。でも、何というか、王はこの国の象徴のようなものなんだ。俺はこの国を統治したいんじゃない。この国の人々を自分のこの手で守りたいんだ。とにかく、俺は七賢人になる」
「言い切ってるのがすごいよね」
ショットが茶化すように言うと、ホーキンスが邪気のない笑い声を上げた。
「リーンはこういうやつさ。だからこそ俺は、リーンと一緒にいたくなるんだ」
予鈴がなり、全員席に着くと、中官の兵士が入ってきて授業が始まった。卒業間近の最近は、今まで教えられてきたことの総復習をする授業が多い。
義務教育では種々の学問の他に、犯罪、宗教、文化などを学ぶ。今日の授業は犯罪や宗教などの主要教科でない分野だった。
「はい、まずはおさらいだ。犯罪と定義される行為は主に五つ。窃盗、器物損壊、詐欺、殺人、そして立ち入り禁止区域への無断侵入だ。いずれも魔法を用いた場合――つまり魔法の粒子の目撃証言、魔法の残滓が発見された場合、罪は重くなる。
この国には、魔法を使えない人々も大勢いる。そんな無防備な国民を守るため、魔法による犯罪は厳しく取り締まられる。揉め事や軽犯罪は地方勤務の下官が取り締まるが、人を殺した場合と犯罪者が逃亡を図った場合に限っては特に厳しく、犯罪成立の過程をを目撃した人が専用の通信機を鳴らして王宮に直接連絡を入れ、黒い魔女または死の騎士が呼び出される。場合によってはその両方ということもある。不死身の身体をもつそれらは、犯罪者を捕らえるまで追い続け、死罪が確定している場合は即刻その場で処刑する。そうでない場合は拘束して王宮へ連行し、罪状を明らかにしてから処罰を与える……」
リーンは今まで学校では真面目に授業を受け、テストでも好成績を残してきた。だが、犯罪に関する授業の時は、毎回犯罪者の行動心理を理解できず、心に悲哀の情を灯さずにはいられなかった。これだけ厳しい取り締まりシステムを構築されているのだから、犯罪を犯せばまず間違いなく捕まるのは誰でも承知しているのは明白だった。それでも犯罪はなくならない。一度父親に訊いたことがあったが、「リーンがそういうふうに考えるなら、いつかそれがわかる時が来るはずだ」とだけ返された。
――そう言えば、父さんが国を出てからもう半年か。