~リーン、ゲームに参加する……~
午後の最後の授業は召喚術だった。生成術によって生み出したものを瞬時に召喚する魔法である。魔法の中には生成術と召喚術のように、互いに深い関係をもっているものがあり、そういった魔法は片方の授業だけを受けるという選択はできず、必ずそれぞれの授業を一セットとして受けなければならない。
そのため、生成術の授業からメンバーが入れ替わることはなかった。同じ闇魔法でもあるため、教室も移動しない。
しかし教官は、先ほどとは対照的な筋骨隆々とした強面のストラスという男に交代した。声は大きくて野太く、前の授業とのギャップのために鼓膜への刺激が強い。リーンたちは幾度となく経験しているとはいえ、慣れることができる類のものではなかった。
「何度も言うが、召喚術は魔法の中では非常に優れたものだと言える」
ストラス教官の授業が途中で脱線を始めた。これも別段珍しいことではなかった。
「もちろん生成術があっての召喚術だが、これほど柔軟で豪快な魔法もないだろう。闇魔法を専門とする七賢人ドリマーニャ様の逸話を知っているか、諸君?」
女子生徒が手を上げた。
「ソーサラーの討伐時に巨大な竜を何体も召喚したんですよね?」
「そうだ。君は賢いな、ジェーン」
教官に褒められ、ジェーンは嬉しそうに頬を赤く染める。ストラス教官の授業では、比較的生徒は緊張を解いて教官にも友達に対するような言動が定着しつつある。強面の割に穏やかで、生徒のことを一番に考えてくれているのを生徒全員が承知している。生徒から最も尊敬されている信頼も厚い教官なのだった。
「でもストラス教官! 七賢人でもなきゃ竜の生成なんて許されませんよね。僕たちには少し縁遠いですよ」
別の男子生徒が軽口を叩くような口調で口を挟んだ。
「何を言う! 生成術の上位資格があれば巨体生物の生成も許される。ただ、その管理が非常に難しいというだけだ。しかしそれも、上官になれば王宮からの補助が受けられるし、ドリマーニャ様の領地にも……」
珍しく何かを言いかけてストラス教官の声がしぼんでいった。七賢人ドリマーニャは弟子を取らないことで有名だった。
「やっぱり竜なんて召喚できるのは十数人の上官だけじゃないですか。最終的に召喚術の魅力を享受できるのは、結局ごく一部の魔法使いだけってことですよね。それじゃあ召喚術なんて……」
「召喚術なんて大した魔法じゃないって言いたいのか?」
ストラス教官が遮った。眼光が凶悪な色に染まり始めていた。
バースがリーンを肘で突いて声をかける。
「……おい、なんかやばくないか。教官ついにキレたんじゃねえのか?」
「別にキレたところで殺されるわけじゃない。中官ならそのくらいの分別はあるだろうし、ストラス教官ならなおさらな」
「いや、そういう問題じゃねえだろう」
リーンはむしろ、これから何か一興あるのかもしれないと期待に胸を膨らませてすらいた。
「仕方がない。今日はお前たちに特別授業をしてやろう。二度とお前たちに召喚術を見くびらせないように、な」
ストラス教官は上位資格試験場に来い、とだけ残して教室を後にした。
残った生徒たちは、教官を怒らせたのだろうかとそわそわし出した。ストラス教官の顔つきを変える直前に発言した男子生徒に至っては、顔が蒼白になってすっかり怖気づいていた。しかしそれでも生徒たちは、すぐに上位資格試験場がある魔法学校の地下へ移動を始めた。
リーンたち一年生は一度、学校案内で魔法資格試験会場へ訪れたことがあった。三年生用の教室が並ぶ校舎の一階から地下に下りると、細い通路が迷路のように複雑に延びている。通路は巨大な空間を有する数個の試験会場を取り巻いており、上位資格試験の最終試験にのみ王宮の上官や七賢人が見に訪れることもあるのだと説明を受けた。
ストラス教官は地下に下りてすぐのところで待っていた。生徒たちを通したのは上位資格試験第三会場だった。
魔法を存分に行使できる広さのコンクリートに囲まれた無機質な空間。四方を囲む三メートルほどの壁に赤々と燃える大きなランプが火を灯し、会場を赤々と照らしている。妙に不気味な雰囲気を醸していた。さらに壁の上には手すりがついており、上から会場全体を臨めるようになっていた。通路が複雑なのも、各会場の二階の数か所に出入り口が設けられているからのようだった。
「これから諸君にはゲームをしてもらう」
ストラス教官がしかつめらしく話す。凶悪そうな目つきは変わらないが、リーンには何となくそれっぽい雰囲気を醸すための作りもののようにも感じられた。
「ルールは簡単。君たちは今まで習った魔法を好きに使っていい。とにかく私の召喚した動物に魔法を当てられればその生徒の勝利だ。炎でも幻術でも光でも、何でもいいぞ。だが、その動物に会場から放り出された生徒はその時点で負けだ。魔法も口を開くことも禁止。ゲームが終わるまでじっとしているんだ。動物は絶対に君たちを殺したりはしないから安心していい。放り出される時はちょっと痛いかもしれないがな。私は召喚術しか使わないし、召喚するのもその動物一体だけだ」
男子生徒の一人が手を上げる。
「召喚術の授業としてこのゲームをする意味はあるんですか?」
「もちろんだ。召喚術についてまだ教えていないことがある。このゲームの中でそれに気付くことができれば、あるいは君たちにも勝機はある」
――それに気付けなければ勝機はほとんどないってことか。
リーンだけでなく、生徒がみな一様に察したことが顔色から窺える。
「そうだなあ。もし勝った者がいたら、その生徒には下位資格試験を受ける許可を出そう。もちろん合格できるように指導もしてやる」
ストラス教官はまるで生徒の闘志を煽るように言い放った。
教官の言葉を聞いた生徒たちは互いに視線を交錯し始めた。優等生に多い傾向にある負けず嫌いの性質が生徒たちに伝染しているようだった。
少しずつ空気が張り詰めていき、ストラス教官が会場の端の方へと移動した。生徒たちは中央に固まって残された。
「それじゃあ始めだ!」
教官の合図と同時に壁のランプの火が大きく揺れた。
生徒は誰も一言も発さない。
重苦しい沈黙が時間と共に過ぎていく。四方の壁の火がチカチカと揺れて生徒たちの集中力を高めている。ゴクリと唾をのむ音すら周囲に聞こえてしまいそうだった。
と、不意に鼓膜を突き抜けるような女子生徒の悲鳴が空気を震わせた。
全員が同じ方向を振り向くと、ちょうど宙高く女子生徒が飛ばされているところだった。周囲には動物の姿などない。女子生徒はそのまま階上まで飛ばされた。
――放り出される時にちょっと痛いというのはこういうことか。
リーンが得心していたのも束の間、続けて背後から今度は男子生徒の驚愕の声が響いた。やはり何者かに空中に放り出されている。
――どうして姿が見えないんだ。小さな動物が高速で走り回ってでもいるのか?
リーンはコンクリの四方からランプの裏、天井まで目を凝らしたが、それといった動物は見つからない。他の生徒も冷静さを欠いたようにぶんぶんと首を振ってあたりを観察している。誰かが呪文を唱えて光魔法で閃光を発生させたが、目が悪い動物なのか反応はない。
また女子生徒の恐ろしい悪夢でも見たような黄色い声が会場に轟いた。
劇が予定通りに進行するように一人、また一人と、生徒が次々と会場から放り出されていく。
一人の男子生徒が声を張り上げた。
「みんなで協力しよう! きっと僕たち一人一人で相手できるような動物じゃない」
「そんなことわかってるわよ。でもどうすればいいのよ!」
女子生徒が怒りと恐怖の混じった声で応酬した。
――まずい。混乱しかかっている。
リーンは大声で提案をした。
「二人一組で背中合わせになるんだ! 全員が互いに必ず誰か一人以上の人に見られている状態にすれば、次に誰かが放り出された時に敵の正体がわかるはずだ!」
「その通りね」
「それもそうだ」
リーンの提案に生徒たちが納得し、すぐに全員が一人以上から見られている陣形が作られた。残った十人の生徒でこの五角形の陣形を作る素早さはさすが優等生といったところだった。
女子生徒の悲鳴のすぐ後で「見えた!」という声が響き渡った。
「何が見えたの!?」
生徒たちが顔を固定したまま尋ねる。
「猿だ! でかい猿だ! それから、猿は一瞬で消えて後に黒い粒子が残っていた」
これ以上喋らせまいとするようにその男子生徒がまた放り出された。
――消える時に黒い粒子だと? ストラス教官が召喚術しか使わないと言った以上、それは召喚術の粒子のはずだ……ということは……そうか!
「わかった! 召喚術は生成物を瞬時に召喚できるだけじゃなくて、瞬時に元の場所に返すこともできるんだ! 教官はそれを繰り返していたんだ!」
「それがわかったところでどうするんだ」
それもそうだ、とリーンは思うしかなかった。ゲームに勝てるだけの良策を考えつかなければ召喚術の秘密がわかっても意味がない。
別の生徒が大声を出した。
「いい案を思いついた! 相手はでかい猿だ。みんなで円を作って内側を向けば、現れた瞬間にそれを見た人が魔法を当てればいい」
確かにでかい猿なら、現れて生徒を投げ飛ばそうとすれば確実に目に留まる。
すぐに全員納得し、残った八人の生徒は瞬く間に円形を作って内側を向いた。
しばらくでかい猿らしきものは現れなかった。
「つ、ついにストラス教官もお手上げになったようだな」
一人が得意そうに言った。しかしまだ声は震えており、勝機を感じたのとから威張りが半々くらいだろう。
やがて、唐突にリーンの左手に巨大な猿が現れた。全長三メートルはあり、全身が黒い毛に覆われていた。
しかし光魔法を学んでいる数人の生徒が同時に閃光を発生させる直前に猿の姿は消えた。閃光は互いに生徒たちの目を一時的に潰した。
リーンは目を押さえながら失策だったと考えた。魔法を当てるなら一番速い光を使うのが当然だった。だがそこを突かれた。最初の出現はフェイクだったのだ。
予想通り、生徒たちの目がくらんでいる間に二人の生徒の悲鳴が聞こえた。
目が見えるようになり、残り六人となったリーンたちはすっかり意気消沈していた。もうどんな策を講じても軽くいなされそうな気がしてならなかった。
「もう……一つしかないよ」
苦渋の決断でもしなければいけないような口調で言葉を発した男子生徒はバースだった。
「まだ何か案があるのか?」
リーンが尋ねる。
バースは遠く会場の端に立つ黒い人影――ストラス教官の方へ一瞬視線を走らせてから、「ここの六人は自然魔法の授業で見覚えがあるな」と確かめるように呟いた。
「案というほどのものじゃない。あくまで俺たちも教官もルールを遵守するというのなら、教官を攻撃すればいい」
「は?」
リーンは思わず素っ頓狂な声を上げた。他の生徒もリーンと似たり寄ったりの拍子抜けした顔をバースに向けている。
「ルールでは俺たちは魔法で何をしてもいいんだ。教官を攻撃しちゃいけないとは言われていない。ストラス教官は召喚術しか使わないんだから、俺たちの攻撃は猿を身代りにして守るしかない」
「でも、そんなの人道的に……」
「いや、それで行こう」
女子生徒の反駁を切り伏せてリーンが口を開いた。
「少なくとも、ストラス教官が怪我をしないことは全員わかっているんだ。あくまで教官が怪我をしないなら、何が何でも勝ちたいと思う意志の方が大事だろう。それとも、他に何か作戦でもあるか?」
女子生徒は観念したように首を振って「ない」と答えた。
生徒たちが顔を見合わせ、互いに頷いた。そして六人全員がストラス教官の方へ全力で猪突猛進した。呪文を唱えるリーンたちの手や指の先から小さな火の球が形成されていく。
「そう来たか」とストラス教官が苦笑をこぼすのが見えた。散開したリーンたちは多方向から攻撃を仕掛ける心積もりだった。
リーンたちの教官との距離が縮まり、火の球を放った瞬間、ストラス教官は諦めにも似た表情を浮かべ、自らの正面に巨大な猿を召喚した。火の球が猿の腕や腹に衝突し、薄い灰色の煙が生じる。
誰もがリーンたちの勝利を実感した時だった。
女子生徒の恐怖の金切り声が会場中に轟いた。声は前方のやや斜め上――ちょうど煙の中の猿の顔のあたりからだった。
――まさか!
煙が霧散していき、リーンの脳裏をよぎった最悪の光景が現実と化していた。
女子生徒は猿の掌中で苦悶の表情を浮かべていた。猿の手にはどう見ても力が入りすぎていた。猿の血走った目、微かに聞こえる荒い鼻息。女子生徒の腕も身体も握り潰そうとしているようにしか見えない。
「何をしている! 言うことを聞け!」
猿の向こうからストラス教官のやや動揺を含んだ怒声が響く。
「ストラス教官! 早く猿を元の場所に返してください」
リーンを含めた数人が猿の向こう側に向かって叫んだ。
猿が大きな人声に興奮したように女子生徒を力いっぱいに壁に投げつけた。会場に残っていた生徒たちが咄嗟の機転で、女子生徒と壁の間に以前授業で生成した大量の紙を召喚した。女子生徒は紙を介してはいたが、壁に嫌な音と共に激しく打ち付けられ、血を吐いて床に落下した。あまりクッションになったとは思えなかった。
興奮した猿の姿が黒い粒子を残して忽然と消え、リーンたちは紙をかぶった女子生徒のもとへ駆けつけた。
女子生徒の意識はなかった。
寸の間でストラス教官も駆けつけ、光魔法による治療術式を展開した。
女子生徒の応急処置が行われている間、何が起こったのかと、リーンは慧眼をもってあたりに視線を走らせた。そして、リーンたちとは反対側の階上に頭部の禿げた校長らしき後ろ姿を確認した。この状況を目撃したにしては不自然な行動だった。
――あれは校長……だよな。普通すぐに心配して駆け付けるものだろう。よくあそこまで悠々と立ち去れるものだな。
リーンは冷たい不審の眼差しで校長を見送った。
女子生徒の応急処置が済むと、ストラス教官は生徒たちに教室に戻っているよう指示し、すぐに女子生徒を保健室へと運んだ。




