~アリサとテラと、九十八番地区~
九十八番地区――常に品質の向上とリーズナブルな値段を追求している評判の店舗が並ぶ商業地区。一時期新聞に載るほど世間に名を轟かせた地区だが、数か月前の赤髪族の反乱によって地区ごと壊滅的な被害を受けていた。反乱でトラウマ患者の続出する社会的混乱の中でも、太陽の民たちの九十八番地区の復興要望は極めて強く、いち早く王国に幸福と平穏をもたらすため、政務省は九十八番地区の再興を特別措置として優先させた。王の計らいにより、王宮の再建よりも九十八番地区を優先させたとも言われている。新聞によって九十八番地区の再興完了が広く報じられたことで、市民が殺到し、賑やかな喧騒と共にようやく王国の本当の意味での明るさを取り戻すきっかけとなった。
――というのが、アリサたちが九十八番地区へ向けた馬車に揺られて一時間くらいの間にテラが話した大雑把な内容だった。
地区をいくつもまたぐだけあり、アリサたちが小一時間世間話を交わしたくらいで到着するほど安易な道のりではなかった。テラは見かけに反し、元来口数の多い人間ではないのだと馬車に揺られながら自分でアリサに告白した。アリサは窓外の見慣れない景色に視線を移して時間をやりくりしようとしたが、何度か生々しい傷跡が目に入るだけで、いくら移動しているとはいえ、復興作業中の白っぽい地面が露になっている単調な街並みなど十分も眺めれば飽きてしまうものだった。テラは時折、アリサの退屈そうな表情を認めると自ら話を振って少しでも互いの退屈を紛らわせようと努めた。
――もし私が出会ってからずっと同じように無愛想な態度を取っていても、テラは同じようにしてくれたのかなあ。
ふと、そんな疑問がアリサの頭の中に提示された。あまりに退屈な時間が続くと、人は深い思考の沼に引きずり込まれていくようだった。
――テラならやっぱりそうしてくれる気がするな。
アリサは馬車の車輪の立てる音をどこか遠くに聞きながら、無意識に活性化して滞りなく流れる思考の船に身を任せた。
テラも同様に、何か懐かしい思い出でも脳裏に蘇っているような表情をしていた。微かに笑みを浮かべ、窓の縁に頬杖をついて窓外の景色をぼんやりと眺めている。
九十八番地区の歌うような陽気な喧騒が鼓膜を揺らし始めたのは、すっかり正午を過ぎてからのことだった。閑散とした坂道の先の方に、九十八番地区の訪れを告げる簡素だが威風堂々とした門が立っているのが見えてきた。門をくぐると、まるでそこだけ時間が止まって未だに祝祭ムードのような街並みが現れた。忙しく行き交う人々や、街の幸福を象徴するような笑顔で談話を交える人々でごった返している。
「ここは年中こうなのよ」
テラはアリサが気を呑まれているのを見て取ってそう告げた。淡白な口調とは裏腹に、テラの表情は少し緩んでいるようにも見えた。
落ち着いた精神を取り戻してくると、アリサは祝祭の時に覚えた興奮がじわじわと再燃し始めたのを全身に感じた。
「ちょっと歩く?」
テラにそう訊かれ、アリサは迷いなく頷いた。
馬車を降り、真新しい上品な店舗の立ち並ぶ通りを二人でぶらぶらと歩く。建物はどれも低く幅のあるデザインで統一されている。
「高さが低いっていうのはなかなかいいんだけど、やっぱり新興地区だけあって革新的よね」
テラはまだ中年手前の割に保守的なようだった。
「何だか無機質って感じがしない? こう、人間が自然と共生することを拒んでいるかのような風情っていうか……」
「うん、わかるよ」
アリサもテラの意見はよく理解できた。店舗は白っぽい無機質なコンクリートや、人工的な臭いがぷんぷん漂うお洒落な木造などが多かった。リーンの家がある一〇六番地区の屋台やテントが並ぶ商店街に比べれば、いささか「人間だけの空間」という趣が強い。
「まあ、ようはレトロな雰囲気が好きなのよね」
テラが結論付けるように呟いた。
「文明の発展はつまり人類が自然から離れることなんだね。それに戸惑っているテラは自然をこよなく愛してる証拠だよ」
唐突なアリサのアリサらしからぬ言葉に、テラが目を丸くして振り向いた。現実と幻想を混同して判別できなくなっているように目をパチクリさせている。
「あんた、本当に……アリサ?」
テラの様子にアリサの方も少なからず困惑の色を見せた。
「……うん。魔法にもかかってないよ……たぶん」
アリサはテラや自分の周囲をねんごろに観察したが、魔法のものらしい粒子は見当たらない。
「あ、いや、たぶんアリサなんだろうけど……急に変なこと言い出すからびっくりしちゃって」
「変なこと? さっきの言葉、変だった?」
テラは急いで首を振った。
「いいことを言ってたのは確かなんだけど、文明の発展と自然の関係なんて哲学的な話を一体どこで知ったのかな、って思って……ひょっとして、何かの本で読んだ?」
テラの直感の質問に、アリサは勢いよく首を縦に振った。
「『暗黒海バーレの怪物』っていう本。物語の舞台がバーレの港町でね、町が小さかった昔は小舟で魚を獲ってたんだけど、文明が発展するにつれて大きな船を作るようになったの。それで港町の漁師は際限なく魚を獲っちゃって、バーレの神様がついに怒って津波を起こしちゃった。港町は壊滅してそのバーレの神様は怪物って呼ばれるようになっちゃうの」
アリサはよどみなく簡潔に説明した。
テラは「なるほどねー」と納得して頷いた。
「……リーンよりも頭がいいみたいね」
テラはアリサには聞こえない程度の感嘆の呟きを漏らした。




