‐‐アリサ(6)‐‐
薄暗くて狭い路地裏を抜け出た先の大広場。一〇六番地区にあるリーンの家の門前の広場よりも明らかに凝っており、資金も多く投じられていそうだった。広場全体に敷石として敷かれた石のタイルは、白を基調に原色が織り交ぜられている。短い下り階段に囲まれた広場の中央には、街の中心を象徴するような石の噴水が堂々と設置され、その階段の手前を、きれいな弧を描く華々しい花壇が囲んでいる。広場を縁取る舗道は、通行人に心地よい空気をもたらす街路樹が並ぶ。まるでこの地区の街並みは、この広場を中心に展開されているように思えた。
――迷っちゃった。
アリサは男の子の手を引いて、広場の縁の舗道の敷石の上を歩いていた。見慣れない上にどこも似通った街並みのせいで、方向感覚すら失いかけている。七賢人ほどの館ともなればそれなりに立派な建物であるはずだが、案内などあるはずもなく、それらしい建物も一向に現れない。何よりも、人っ子一人いないことが館への到達を最も難儀にしていた。傷を負っての移動も、そろそろ男の子にとっては限界が来ているらしく、強がって外面には出さないが、足の運びはのろのろとし始めていた。アリサの身体にも疲れが溜まり始め、先ほどの警鐘は何かの間違いではないかとさえ頭の片隅で考え始めていた。どこからか爆音が聞こえはするものの、未だに街に混乱を生じさせるほどの何かに出会ってもいない。
アリサたちの背後から声がかけられたのは、それからさらに数分も経ってからのことだった。警鐘が鳴ってから、もうかれこれ半時間は街の中をさまよっていた。
「君たち!」
アリサがビクッとして振り向くと、駆け寄ってきたのはマントにカイルと同じ紋章を施された中年の兵士だった。中官の兵士の年齢が普通はこれくらいならカイルは若い方なのかもしれない、などと疲れのせいか場違いな考えが頭をよぎる。
兵士の口ぶりは切羽詰まっており、責めるような響きさえ感じられた。
「君たち、どうしてまだ避難していないんだ。早く七賢人の館に向かうんだ」
「私たち、七賢人の館の場所がわからないんです」
アリサが正直に告げると、兵士はしかめた表情を作った。
せっかくリーンから伝授した敬語を使ってみたものの、効果は芳しくないようだった。
「……仕方ない。私が案内しよう」
アリサは肩の荷が下りたような気分になった。身体をかがめ、「この兵士が館まで連れていってくれるって」と男の子に報告する。彼はただ頷いただけだった。店で負った怪我がこたえているのかもしれない。
「あの……この子、酷い怪我をしているので早く連れていってください」
兵士に対する警戒心が言葉に棘をもたせてしまった。横柄な態度だったと、少し恥じらいだ。
兵士は「迷子の分際で何様のつもりだ」とでも言いたげなうろんな目つきでアリサを睨んだ。中官としての尊大さが顔を覗かせたようだった。
兵士と微妙な距離を保ちながら、アリサと男の子は後に従う。
平板な兵士の足取りは、揺るがず威張った風だった。
「ねえ、本当にそっちに向かうの?」
アリサは不承不承尋ねた。よく知らない相手に口を利きたくはなかったが、兵士は悠然と爆音の轟く方向へ歩を向けている。
――カイルはあんなにしっかりしてるのに……
振り返った兵士はこしゃくな顔をして威張り散らすように言った。
「私はこれでも立派な中官の兵士なのだ。激戦区を避けているところなど他の兵士に見られでもしてみろ! 『あいつは自分だけ戦いを免れようと考えている』と、白い目で見られるに決まっているだろう。本当ならば私は敵をたくさん討ち取って昇格する予定だったのだ。それを私はわざわざ迷子の君たち……」
アリサは兵士の言葉を聞くのを途中からやめていた。
――これだから人間なんて信用できない。こんなやつらに信じてやるだけの価値なんかない。
しかし、それでもアリサの本能は目前の激戦区が危険極まりないことを告げていた。それこそ先ほどの警鐘のように。また一つ爆音が響き渡る。おそらく、すでにアリサたちの吸っている空気には血と煙――そして微かに硝煙の臭いも混じっている。
「ねえ、あなたは兵士なら国民を守らなきゃいけないんじゃないの? 私たち国民を激戦区に巻き込んでいたら、そのことの方がよっぽど他の兵士から変な目で見られるんじゃない? 兵士が一番守らなきゃいけないのは自分の身分だったの? あなたはこの傷だらけの子供を見ても、人間らしい感情は何一つ抱かないの?」
アリサは一気にまくし立てた。今度は意図して言葉に棘を込めた。だが自分でも、まさか兵士が目を丸くし、一歩身を引くほどの剣幕だったとはすぐには気付かなかった。
ふと繋いでいた相手の手の力が弱まり、隣の男の子の方へ視線を下げると、小さなその瞼は半分閉じていた。憔悴しきっていることがありありと窺える。
男はアリサの容赦のない言葉にすっかりめげた様子を見せた。
「……わ、わかった……仕方ない。随分と遠回りだが、戦闘の激しい地区は避けてやろう」
まだ自分の風格を保とうと努力しているようだったが、アリサは追い打ちをかけるように冷たく言い放った。
「……まさかそれだけ?」
腰を抜かしている兵士を睥睨し、隣の男の子に視線をやる。男の子の意識は明らかに薄ぼんやりとし、もう立っていることだけで精いっぱいのようだった。
兵士がアリサの凶悪な眼力に射抜かれて戦々恐々としているのは明白だった。そしておだてようと図るように男の子の前に膝をつき、アリサの顔色を窺いながら「さあ君、私の背中に乗りたまえ」と口にする。しかし聞こえていないらしく、兵士は溜息をついて男の子を肩に担いだ。もう兵士には体面もへったくれもなかった。
「……これでいいな?」
兵士がぼそっと言うと、アリサは小さく「……うん」と頷いた。




