弾正の正体!? 煉介さんって・・・
弾正様の屋敷は、京都の上京の北西の果てにあった。
造ったばかりらしいけど、その屋敷はとても評判らしい。
「一応、えらい人だからね」
今の京都を治めるのは、足利将軍家の下、管領の細川家。
弾正様は、その細川家の有力者、三好家のえらい人だと言う。なんでも、三好家の当主、長慶、と言う大名を、幼い頃からずっと、補佐してきた人らしい。ちなみにこの人の位も、信長と同じ、弾正忠だそうだ。
ちなみに弾正、と言うのはもともと。
今で言えば、警察みたいなものらしい。この弾正様も三好家に任されて、京都の治安を預かる役割をしているのだそう。僕たちのイメージでは、
「つまり、京都府警の署長さんみたいなもの?」
と言う感じだけど、実際のところはよく判らない。そもそも都には検非違使と言う役職があって、それが警察官の役割を果たしていたようなので、弾正は形だけのようだったのだ。大体、この弾正と言うのが朝廷にしてみると、上から六番目くらいの位なので、叙任しやすいのかも知れない。実際、全国には弾正の位に任じられた戦国大名たちが結構いるようだ。
どこまで続くのか分からない、土壁の通りをずーっと歩くと大門があり、そこに薙刀を持った門番が控えていた。僕たちの姿を見ると、男はうるさそうに長柄を振り、
「何者じゃ。狼藉いたすと容赦はせぬぞ」
乱暴そうな門番を相手にしても、あくまで煉介さんは丁寧だった。
「身は下京の童子切煉介と申しまする。弾正様にお目通りしたいのだが…」
門番の男ははっきり言って横柄だったが、煉介さんが紹介状らしきものをかざすと、中へ取り次いでくれた。ぎぎっ、と重たい音を立てて鉄鋲の入った門が開くと、
「下郎ども、弾正様に目通り出来るは限られた者のみじゃ。残りは邸内で、待ってもらう。に、してもこれほど多勢で来るとは無礼にもほどがあるぞ」
煉介さんたちは、とりあえず馬を預けた。僕たちは奥へ案内される。
「うわー…」
そこは、平安時代の貴族の住まいのようだった。寝殿造り、と言うのを学校で習った気がするが、これがそうなのだろう。巨大な木造平屋、一階建の御殿が、欄干と縁側を通じて、いくつも連なっている。その廊下が囲うように広がっている巨大な池には錦鯉の紅や金の影がちらちらと見えた。本当に豪邸だ。しかも修学旅行で行く旧跡と違い、赤い丹塗りの柱や金箔を貼った壁なども、まだ新しく初々しくて生木の匂いも鮮烈だった。
弾正様に謁見を許されたのは、煉介さんの他は、凛丸、僕と絢奈、それに虎千代だけ。五人が廊下を通り、奥へ奥へ歩いていく。
池の果ての建物の辺りに、煉介さんに似たような格好をした長身の男の人が立っていた。その男が、なにがしかを指示して引っ込むと、奥から何人もの男たちが走り出てきた。その男たちは小走りに近づいてくると、突然、憎々しげに僕たちを罵倒した。
「下郎ども、なにをしおるか。お前らのようなものどもがここを歩いてよいと思うか」
裏へ回れ。
その男たちは恐ろしい剣幕で怒鳴った。
「なにそれっ!」
絢奈は憤慨している。
(大丈夫かな)
こんな扱いを受けて、煉介さんがまた暴れ出さなければいいけど。虎千代も不愉快そうに、唇を歪めている。でも煉介さんは大人しく、
「ご無礼仕りました。仰せの通り、裏へ回りまする」
そうして通されたのは部屋ではなく、なんと縁側の下。罪人が引きすえられるようなお白州の場所だ。それにしても扱いがひどい。この仕打ちに絢奈だけでなく、凛丸すらが文句を言っていた。
やがて現れたのはさっきの長身の男だ。その男は立ったまま、腕組みをして僕たちを見下ろすと、詰まらなそうに眉をひそめていた。
「弾正様。下京より童子切の煉介、まかり越してございます」
と、丁寧な言葉で述べた煉介さんが頭を下げたが、男は顔を背けて応えなかった。代わりに、
「ふん」
と鼻を鳴らしてあごをしゃくった。
「下郎ども、頭が高い。霜台様の御前であるぞっ」
霜台、と言うのは弾正の別名のことらしい。弾正と言う男は、それを自分の通称にしていたそうだ。真菜瀬さんに言われた通り、当然、土下座すべきものなのか、と思ったが、不思議なことに煉介さんは頭を下げただけで、そこにひざまずこうとはしなかった。
「これっ、下郎ども。無礼なるぞ。下座せぬか」
「喧しい」
僕たちを注意した取次の男を、弾正は刺すような口調で遮った。鋭く砥がれた刃のように人に有無を言わせない、そんな響きのする声だ。そして、
「かような下賤のものどもとの話は他所には漏らせぬ。余人は外せ」
どうやら背後の男たちに退出を促しているらしい。僕たちを注意した男たちは弾正様の迫力に気圧されながら、その場を後にした。
そこに僕たちと弾正、たったの六人だけが残された。
「さて、童子切、と申したか」
弾正様は大きく目を見開くと、ひとりひとり、僕たちを見た。
さすがに緊張する。
随分、色の白い人だ。年はたぶん、三十前後くらいだろう。
眼尻が少し赤く、斜めに切れ上がっている。鼻筋は煉介さんのように高く通っているが、鉤鼻で、鋭く尖っていた。カラスや鷹みたいな、獣の肉を食べる鳥の類の顔だ。
弾正は大きく足を開くと、僕たちの前にしゃがんで、
「ふーっ」
と、大きな声でため息をついた。そして、なんと被っていた烏帽子を脱ぐと、くしゃくしゃに丸めて放り投げた。煉介さんを見ると、
「ったく、この烏帽子っちゅうもんは、暑うてしゃあないで。洛中言うところは相も変わらず、けったくそ悪うてしょうもないのう。おい、煉介、お前も帽子脱いだらどうや。あーっ、もうかたっ苦しくて、かなわん!」
やけに気楽に下りてきた弾正様は、煉介さんの烏帽子も奪い取ると、その辺に放り投げてしまった。そして煉介さんの頭をくしゃくしゃにすると、
「煉介っ、お前もようやく見れる面になったやないか。わしが阿波の三好家へ行くゆうて出て行ったときには、こーっんなこまい小便垂れやったのにな!」
「え―――」
あっけにとられている僕たちを尻目に、弾正様はやけにハイテンションだ。煉介さんにヘッドロックをかけたまま、握り拳をぐりぐり押し付けたりしている。
「あの―――これってどう言うことですか?」
凛丸すらが、事態が把握不可能でパニック状態みたいだ。
「ああ、言ってなかったっけ。先輩なんだ」
と、煉介さんは言った。え? 先輩? 煉介さんみたいな足軽にも先輩がいるんだ?
「松永弾正久秀様。おれが幼少の頃からお世話になってる―――んと、簡単に言えば、悪党足軽の先輩、ってところかな」
松永弾正久秀って。
ちょっと聞いたことある名前だと思っていたら―――
「あっ、知ってるー、この人!」
そう、叫びそうになる絢奈の口を、僕は押さえるので精一杯だった。
松永弾正と言えば。あの織田信長が、この人を評して、
「普通の人が出来ないほどの悪行を、三つも犯した大罪人」
と、徳川家康に紹介した、戦国きっての極悪人だ。
東大寺の大仏を焼き、自分の主君を殺して、さらに幕府の将軍を殺害したと言う。
まさに戦国大名の中の戦国大名とも言える。
信長が京都に入ってくる前、一時、京都はこの人のものだったはずだ。いち早く信長に随身したらしいけど、それから機を見て二回も信長を裏切っている。
でも一度は信長が裏切りを許したと言うのも、この男が戦国大名として一流だったという証だ。確か、この人が治めていた奈良県にあった多聞山城と言うお城は、戦国の歴史史上初めて天守閣を備えたお城で、信長が安土城を造ったときにも参考にしたとか聞いたことがある。信長が極悪人と言ったのは要は照れ隠しで、戦国大名の先輩として意外とこの人を手本にしていたのだ、って言う説もあったり。
それが、煉介さんの知り合い?
「ほんまのおれは、久四郎言うてな。もともと京の西岡の出なんやが、今のこいつみたいに悪党足軽、率いててな。いやー、こいつの親父殿には色々世話んなったもんや」
僕たちにお酒をすすめて、めちゃくちゃ気さくに話してくれるこの人が、まさか、あの松永弾正だとは。しかも、煉介さんの、OBっぽい雰囲気。
「こいつ、話し方変やろ! ソラゴトビトの親父とお袋に育てられたんや。おかしな話、いっぱい吹きこまれたみたいやけど―――」
あ、そうか、だから、煉介さん話しやすいのか。
「まさかほんまにソラゴト、郎党にするとは思わんかったけどな」
言いつつ、弾正は、僕たちを見回した。正確にはたぶん、学生服を着た僕と虎千代を、だ。煉介さんに視線を巡らし、
「まあ、ええか。五十騎、率いて来れたら、おれの話に加えたる。そう言う約束やったしな―――でも、平気か? これから、京はめっちゃ厳しゅうなるで」
「厳しいのは分かってますよ。でも、おれには弾正様が描く絵図に興味があるんでね」
煉介さんは、平然としていた。そのやりとりを見て、僕は、はっとした。そうだ、確か―――煉介さんには、別に大頭がいるはずだ。弾正に随身するってことは、その繋がりを断つ、つまりは、今まで付き合っていた悪党足軽たちの集団から足抜けすると言うことに他ならない。でも、そうまでしてなんで弾正の一味に加わりたかったんだ―――?
「そのためには、足軽仲間も割って出る覚悟、ってことか? おれは構わんが、無茶は命を縮めるで。悪党足軽の集団ってのはあれで中々執念深いものやぞ」
「言われなくても、おれはもう、奴らに負い目を負うているんですよ。今さら後に退くつもりはないんです」
負い目―――と言うのは、たぶん、鵺噛童子―――虎千代のことだ。つまり、煉介さんはそれだけのリスクを負いながら、虎千代を一味に入れることにしたのだ。弾正は不敵に唇を歪めていた。
「なるほど―――皮首党の一件は、それをおれに見せつけるためでもあったわけや。つまり、お前らを入れることがおれにとってどれだけええ買い物やったかと言うことを」
煉介さんは肯きも否定もせず、ただ口元にいつもの笑みを浮かべるだけだった。確かにあの晩の、虎千代のいくさぶり。それを見て、察しろ―――たぶん、そう言うことなのだろうけど。とは言え、これで少し分かった、気がした。煉介さんが、なんで虎千代を一味に迎えたがったのかを。
「松永弾正、とか申したな。―――我もお前の存念を聞きたいがな」
突然、絢奈の制服を着た虎千代が発言したので、さすがの弾正も片眉を吊り上げた。
「存念とは?」
「格式高い阿波三好家の祐筆が、悪党足軽どもを集めていかなる存念かと言うことよ。この―――煉介が申すらくは、国が獲れると聞いたが?」
「そら、おもろい話や。―――煉介がそう言うたか」
弾正は大いに笑うと、自分の盃に酒を注いだ。同時に空になっている虎千代の盃にも注ぎ、虎千代も一気にその酒を干すと、
「こやつは足軽の持ちたる国が欲しゅうて我らを募ったと聞いた。夢物語に過ぎぬ、と我は笑った。それは―――今でも得心がいかぬこと」
「そうかな。わしは珍しい話とは思わんがな。そう気張らんとも、男児一生賭ければ国の一国は獲れるんやないか。今はそう言う世やろ。例えばわしの知り合いに長井新九郎ゆう男がおるが―――」
と、弾正は酒を煽った。
「その男はわずかなつてをたよりにこの山城から美濃まで下って、ついにはそこの守護を追い出して、国を奪い取ったわ。この男は法蓮坊言うて、もとは比叡の坊主やった男やぞ。また、ころころ名前変えよってな。今は、斎藤山城と名乗っとるがな」
「え、それって―――斎藤道三のこと? 弾正さんの知り合い?」
絢奈も、いつのまにか話に入っている。ちゃっかり弾正の横に入って、お酌までしていた。なんでこいつ、こんなに順応性が高いんだ。
「その斎藤山城のことは聞き及んでいる。確かに幕府の認可した守護の持ちたる国を分捕る腹積もりなれば、日の本どこの国でも起こりうること―――そう、珍しくもあるまい。だが国を作るともなれば話は別義であろう」
「そうかな。例えば加賀はどうや」
―――加賀は百姓の持ちたる国。
この前、煉介さんが言ってた、加賀と言うのは―――
今の石川県あたりだ。確か、教科書に載っていた。あそこは守護大名を追い出して、お百姓さんたちが自分たちで国づくりをしている国なのだそうだけど―――
「馬鹿を言うな。加賀は守護の持ちたる国ではないと言うだけの話。あの国は一見、民が治める国に見えるが、実態は本願寺の領地に過ぎぬ。そもそも守護を追い出したるは、民の力になく、京の本願寺から来た坊主どもの力によるものではないか。それに―――今の加賀を誰も国と認めたわけではあるまい」
「確かに、あの国は加賀の民百姓と言うよりは、京都本願寺が門徒焚きつけて無理やり分捕った国や―――幕府も朝廷も認可しておらん、いわば無法の国やな。せやけど現実に国は存在しとる。要は管理するものの名の下、民がおって田を耕し、そこで営みがあればそれは国や。違うか?」
「しかし、分捕り自由と言うわけにはいくまい」
「はい、質問です! 弾正さん」
「なんや、絢奈ちゃん!」
名前憶えられてるし。
「今は戦国時代で、国を盗るのは自由なんですよね? だったら別に幕府とか朝廷に許可を求めなくてもいいような気がするんですけど―――」
「そうやな。確かに絢奈ちゃんの言うとおり、国は盗ったもん勝ちかも知れんな。だが、問題は盗った後のことや―――」
と、弾正は言う。
「切り取り自由やと言ってもやな―――どこからか入り込んで来ていきなり大名になれるわけないで。想像してみい、他国から入って来た盗賊まがいのもんが、守護から国を奪い取ったから、明日から自分が大名ですと言うて、誰が言うこと訊くと思う? だから許可が必要なわけや。おれらが打ち立てようとしとるのは、いわゆるその許可機関―――幕府そのもののことや」
「それってつまり―――幕府を作るってことですか?」
「いや、正確には造り直すってところやな―――今、幕府には将軍が二人おってな。そのうちの一人をうちの大将が奉って、堺に幕府ひらいとる。近いうちにこれを一つにする。まあ―――そのためにうちは少しでも多く兵が必要なわけや」
そのあと。
煉介さんと弾正は込み入った話になって、僕たちは庭へ出された。
「うーん、よくわかんなかったけど、煉介さん大丈夫かな?」
一番、弾正と噛み合っていたように見えた絢奈だったけど、やっぱり、あまり分かっていなかったみたいだ。
「えっとつまり―――どう言うことなの、お兄い?」
「おれに判るわけないだろ」
大体、お前が色々訊いてたんだろ。
「要は、幕府をおのれの都合のよいように作り替えると言うことよ」
虎千代は言うと、大きなため息をついた。
「あの弾正と言う男、どこかきな臭いな」
僕も疑問に思っていたことを、口にしてみた。
「あのさ。例えば弾正が言ってることで気になったんだけど―――どうして将軍が二人いるんだ? 普通、将軍って一人しかいないんじゃないの?」
「今の幕府には、将軍に実権はないんですよ。幕府の実務は、管領家と言われる大名家が握っています。しかし、その細川家ですら内紛で二つに割れてしまいましてね」
と凛丸が言うには―――応仁の乱のあと、細川家と言うのは、政元と言う管領がいて上手く、室町幕府を仕切っていたらしい。でも、この政元と言う人がちゃんと跡継ぎを残さなかった。
そのせいで細川家が二つに割れてしまい、その二つの細川家が勝手に将軍を作っては、それぞれ自分の幕府を主張して対立しているのだと言う。―――なんて言うか本当に、収拾がつかない政局なのだ。
「弾正の仕える三好家はその細川家の間を飛び回る毒虫よ。その三好家の中で、あの男も何を考えているか。いずれにしても話ほど、あてにはならぬわ」
「今の将軍家は事情が複雑です。余計な真似をして、突かなければよい藪を突かなければよいのだが」
凛丸も心配そうだった。