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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.9 ~生き別れ、我がまま姉妹、二人の決断
85/592

黒い宣教師の狙いは絶息丸!?果てなき争奪戦の始まり…?

「血震丸だと…」

思わず虎千代は声音を強張らせた。

「まさか、あの男がビダルと関わっていたか」

もう、聞くこともない名だと思っていた。

だけに、これは衝撃的な発言だった。言うまでもなく黒田血震丸の名は、僕たちの間では禁断の名だ。虎千代を長きに渡って苦しめ、その恐ろしい陰謀の才覚を発揮して越後長尾家の転覆を謀った悪才。虎千代は鞍馬山戦線で松永勢と戦い、これを追い落として、血震丸の係累は家臣に至るまでともども、葬り去ったはずだったのだ。

「実はその名は、父の書状にも、何度も現れてはいました。その男は、ビダルが連れてきたそうです。何でも、人を不死にする薬が作れるとか」

僕と虎千代は、お互いに深刻な顔を見合わせた。ラウラが言うのは、言うまでもなくあの絶息丸のことだ。

「ビダルは奇蹟を作る、確かラウラにそう言ってたんだよね。もしかして、あの絶息丸を利用して…」

「愚かな」

虎千代は苦々しげに眉をひそめた。

「あの薬が神をも畏れぬ所業の産物と知らぬか」

「父は切り取られても意志を持って生きている腕をビダルと、その血震丸と言う武士に見せられた、と書いていました。ワタシもにわかには信じられなかったのですが、まさかビダルがあんなものを、ワタシたちの目の前に持ってくるとは思わなくて」

怖気(おぞけ)を震うように、ラウラはかぶりを振った。

「ビダルはゴアに向けても、報告書を書いているようです。恐ろしいことですが、その報告書で興味を持ってしまった上層部の人間も何人かいた、と言います。奇蹟を体現する薬…すなわち、どんな人間にも再び命を与えるその薬があれば人々を救い導くことが出来るとビダルは説いたようです。実地での布教で迷いを感じる宣教師の心を、ビダルは巧みについたのです。そして、そのために、ワタシたちにも命令が下りました」

「血震丸を斃した、我々を探れ、と?」

「はい」

ラウラは心苦しそうに返事をした。

「初春にあったと言う(イクサ)…松永弾正なる大名の軍勢に、血震丸が従軍して死んでいたことを、ワタシたちは最近になって知りました。そして彼らを滅亡させたのは虎千代サン、と言うことも」

ラウラは再建されたばかりのくちなは屋を描いている。と言うことはラウラが京都にやってきたのは、ほぼ三か月前だ。僕たちが血震丸と鞍馬山近くの平野で決戦した直後だ。いくさの爪痕はまだ生々しく残っていたし、京都のそこかしこに残った血震丸の足跡を辿るのも、それほど難しいことではないだろう。

「ワタシたちは血震丸を追って皆さんにたどり着きました。しかし、そのときの調査では、血震丸と言う武士がどのようにして、そのいくさで亡くなったかは分かっても、血震丸が遺した絶息丸の消息は明らかにはなりませんでした」

「だが組織の上層部は、お前たちの報告を聞き、考えを改めた」

と、虎千代は物憂げに息をつくと眉をひそめ、推測を継いだ。

「血震丸を斃した我らが何か知っているものだと、そう踏んだのだな?」

ラウラは力なく、頭を垂れた。

「…皆さんには、本当に済まないと思っています」

僕たちはしばらく言葉もなかった。そのために、何とも言えない重苦しい空気がそこに漂った。しかしそれにしても、厄介な話だった。

だってあの絶息丸と言う劇薬は、僕たちの前で何度も悪夢のような奇蹟を出現させて来たからだ。

それらはもはや、二度と思い出したくないことばかりだ。こうして話しているだけで、まるでしっかりと閉じた地獄の蓋が開き出してきたかのような瘴気が僕たちの間を流れた気がしたのは、決して気のせいばかりではなかった。

「ビダルの狙いは判った。そしてこうなると、確実にこちらへ攻め込んでくると言うことだな」

虎千代は回復していない脇腹の痛みに顔をしかめ、苦しい息の下で言った。

「そして後は、次に何を狙ってくるか、だが」

「…ビダルの話では、彼らはまだその奇蹟の薬を生成することは出来ていないと言うことでした。血震丸が虎千代サンたちに斃され、一時計画がとん挫したと思われます。ワタシが見せつけられた首も、血震丸が作り出したものと」

「しかし面妖な話よ」

ぽつりと、虎千代は腕を組み、首を傾げた。

「ラウラ、お前がその首を見たのは三か月ほど前だと言ったな」

怪訝そうな虎千代の横で、黒姫も首を傾げた。

「おかしいですよ。虎さま、その頃には血震丸は虎さまに斬られていたはず」

確かに妙だ。血震丸との連絡が途絶えた中でビダルは一体、どうやってその生きている首を入手したのだろうか。

「ラウラはその首を、直接見たんだよね。言いにくいんだけど…それって思い出して描けるかな」

僕が駄目もとで訊ねてみると、ラウラは神妙な面持ちで頷いた。

「ハイ。すぐに、出来ると思います」

思い出したくない記憶だとは思うが、ここはラウラの力を借りるしかない。ビダルがどの程度、絶息丸に近づいているのか、まだ僕たちはほとんど把握できていないに近いのだ。

「見たのは若い、女の首と言うたな」

そのとき、虎千代は何かを察したのか、誰にともなくぽつりとつぶやいた。スケッチの道具をとりかけたラウラがそのどこかただならぬ様子に、はっと息を呑んで動きを止めた。

「虎千代サン、何か心当たりがありますか」

「いや」

と、なぜか虎千代は反射的にかぶりを振ったが、その顔に何とも言えない苦い色がにじんでいる。

「しかし、面倒な事態になったものよ」


あの悪魔のような男が、絶息丸を狙っている。

まさに訊くだけで最悪の組み合わせだと分かる。血震丸も、とんでもない置土産を残したものだ。

奇蹟を作る薬か。

物は言いようだと僕は思った。ビダルが血震丸との接触を宣教師たちに売り込んだように、あの薬で死の淵から何度も蘇った人間は存在した。しかし、それらはもはや人ではなく、思わず目を背けたくなるような恐ろしい化け物だった。そんなものは本当は、歴史の闇の中に葬った方がいい。本当の禁忌だった。

それにしてもだ。ラウラの話を聞いても、僕の胸には一抹の疑念がわだかまる。

ビダルは絶息丸によって、神の奇蹟を創り上げると言った。宣教師たちには例えば、死者を蘇生させたと言われるキリストの奇蹟を体現するようなものだ、と売り込んだのかも知れない。しかし、だ。あの男自身、本当にそんな眉つばものの奇蹟を望んで行動しているのだろうか。

「あの男が、奇蹟など望む柄と思うか」

虎千代も同意見らしく、僕の疑問に即座にこう答えた。

「あやつの目、あれは希望や奇蹟からもっとも遠くに棲まうものの目だ。期待するのは神の奇蹟とやらではあるまい。もっと、別のおぞましき何かよ。もしあの黒い意志に触れてしまえば、迷いある者は人まで変わろうな」

ミケルのことを、虎千代は言っているのだろう。僕から見てもあのときのミケルの目は、狂信的なものだった。ビダルは人心操作の達人だ。それは、巧みな駆け引きでラウラを混乱させたことからも分かる。あの男は、カルト教団の教祖のように誰の心も自由に操れるのだ。

ミケルはまさしく神話上の悪魔についていってしまった。

そんな人間の誘惑に心を許したのなら、まったく別の人間に造り返られてしまう。

「まさか、お前たちと同じ時代から来たものであのようなものがいようとは」

僕から見ても、ビダルはほとんど異世界の人間だ。

あの男が何を見てあのような雰囲気をまとうようになったのか、僕たちにはほとんど想像もつかない。しかし、短い対峙でも感じた不吉な予感に疑いはない。

あいつは、まじりけなしの純粋な悪だ。


ラウラが連れてきた子供たちの引き渡しを、僕たちはその夜のうちに行った。蜜火さんがすぐに安全な場所を手配してくれたのだ。ラウラがレディムプティオの関係者に連絡し、彼らが護衛として蜜火さんたちに付き添うことになった。

「ひと先ずはこれで安心であろう」

ラウラと話しながら、虎千代は月を仰いだ。生駒山の山影に、下限の月が掛かっている。

「しかしビダルめはなぜ、切支丹の孤児(みなしご)を狙うか」

「人体実験に使うのだと言っていました。彼らは、神の意志に捧げる貴重な子羊だと」

さすがに虎千代も顔をしかめた。

「孤児なれば、死んでも構わぬか。つくづく人の道に外れた男だな」

「ワタシの兄はそんな男に、ついていってしまったのです。ワタシ、虎千代さんたちに合わせる顔、ありません」

虎千代はさすがにかける言葉もなく、黙りこんでしまった。ラウラもそれを忸怩(じくじ)たる面持ちで眺めていた。だが、それはラウラのせいで起こったわけじゃない。ミケル自身の意志で決めたことだ。

「…絶息丸と言うものは、やはり劇薬なのですね?」

ラウラは迷っていたが、やがてそっと口を開いた。

「ああ、見ればお前にも分かろう。その目に焼き付けておくといい」

虎千代は黒姫に命じて、絶息丸を用意させている。

ラウラたちレディムプティオの人間にも、その恐ろしさをよく知ってもらうためだ。ラウラはこのために、組織の責任者に立ち合うよう、要請をしていた。

護衛を五人ほど連れて来たのは、真菜瀬さんくらいの年齢の女性だった。いずれもラウラと同じくレイピアで武装していた。

「よく見ろ」

虎千代は地面に日本刀を一本突き刺すと、取り囲んだ人たちを見渡した。

黒姫はその日本刀の上から、煮えたぎった絶息丸の溶液を注ぎかける。その瞬間、凄まじい白煙が音を立てて上がり、みるみるうちに剣が腐食して形を喪っていく。猛烈な刺激臭にその場にいる全員が口元を手で覆って後ずさった。

ぼろりと柄が外れ、真新しい日本刀が、ぶすぶすと焼け焦げた赤茶色のただの鉄くずになるまで五分と掛からない。やがて虎千代は残った鉄塊を蹴った。すると残ったその塊ですら、虎千代の爪先で砂のようにもろくも崩れた。

「どうだ」

驚愕の面持ちで凍りついた面々を虎千代は、真剣な表情で見渡す。

「これには、よく鍛えた鋼をも一瞬で腐らす激烈な酸が含まれているですよ。普通の人間が飲むとどうなるか、想像もしたくないですが…わたくしは未だに、これを服用したと言う人間がいたことを信じられないのですよ」

黒姫の声にも、深刻さがにじんでいた。

絶息丸は猛毒なのだと、かつて僕も黒姫の口から聞いてはいたが。

実際に見てみるとこれほどの凄まじいものだったのか。

絶息丸の正体は毒、どころではない。

命あるものばかりではなく、この世のあらゆるものを(くた)らせる、死そのものの薬なのだ。ラウラたちは一様に蒼褪めた顔をしていた。あれほど凄まじいものを服用して得られた不死は、もはや命の理に反して存在してはならないものだ。

「あってはならぬものの正体を伝えてくれ」

虎千代は沈痛な面持ちでレディムプティオのメンバーを説き伏せていた。

「かようなもので不死を得ようなどとするものは、命を(ないがし)ろに出来るものだけだ。他人の命は無論のこと、おのれの命すらも何とも思わぬ輩に他ならぬ」


それから、僕たちは朝靄に紛れて京都へ戻った。

霧で煙る中を、馬を走らせて道を急いだのは鞍馬山山麓だ。血震丸が居を構えた山麓の砦は、いくさの後、直江景綱が取り壊して現在は更地になっている。虎千代たちはここにあのいくさで討ち取った血震丸たちを供養してあるのだ。

夜もまだ明けきらないうちから、僕たちが集まったのはその墓地の一角だった。

そこに、贄姫の墓があるのだ。

本来ならすっかり締め固まっているはずの土を掘り起こしたのは、鬼小島だ。鬼小島は墓穴を掘り返すと、三十分もしないうちに贄姫の木棺を取り出した。引き上げられた木棺が僕たちの前に置かれた。

虎千代は厳重に締め直してある縄を切ると、贄姫の身体を外に出した。

「あっ」

と、僕は声を上げた。贄姫の身体から、そこにあるはずの首が喪われていたのだ。

「やはりか」

虎千代は唇を噛んだ。そして、ラウラが描いた生きている首のスケッチを一瞥する。

虎千代の予感が当たったことに僕たちは、愕然とした。

ビダルが持ってきた女の首とは、贄姫のものだったのだ。絵を見て僕にも、すぐに分かった。ビダルは血震丸が葬られた場所を突き止め、この墓を荒らしたに違いなかった。

「首を辱められるとは、まさに武士にとってこの上なき恥辱であったろう」

虎千代は痛ましげに顔を歪めると、首のない贄姫に向かって手を合わせた。贄姫は宿敵とは言え、虎千代にとって死んでからも恥辱を与えられるのは堪えがたいことだったのだろう。

「ビダルが他に、知っていそうなことは見当がつくか」

ラウラはしばらく考えてから、かぶりを振った。

「見当もつきません。しかし、ワタシたちが知っているようなことは、すでに調査済みのはずです」

ビダルはラウラたちの間にも情報網を持っている。当然のこと、ラウラたちレディムプティオが調査したことくらいは把握しているだろう。それにだ。ビダルが情報を得られるのは同じ、宣教師たちの間ばかりではあるまい。

「高来のいた梶原屋の人身売買組織が畿内全域から、北国に及んでいるところを見るとビダルの手は中々長かろう。ミケルの口ぶりでは、我ら長尾家の内情にも通じているようであったしな」

虎千代は集めた情報を綜合し、率直な推測を述べた。

「黒姫、絶息丸について情報を持っているとすればお前たち軒猿衆以外には、誰が考えられる」

「申し訳ありませんですよ。誰、と言われると、中々即答しかねるのですが」

ううむ、とうなり声を上げると黒姫は考え込む。

「あのいくさで狗肉宗の主だったものたちは、すべて討ち取られましたですしねえ。狗肉宗の本拠は飛騨にありますが、ビダルがいくら本邦の事情に通じているとは言え、飛騨の深山に分け入って連中と接触を図ることが出来るか、と言えば、これはかなり困難と考えていいと思いますですよ」

「あやつらは子供を使い、人体実験をしようとしたのだ。絶息丸は完成、とまでは言わねど、その尻尾くらいは掴んでおろう」

だが、なんの手がかりもない状態でそこまで実現できるだろうか、と虎千代は言いたいようだ。

「確かに…誰かが精製について、情報を漏らしていると考えるのが普通ではあるのですがねえ」

「お嬢」

そのとき、後ろで作業を続けていた鬼小島が声を掛けた。

「…こいつを、見て下せえ。血震丸の首もありやせんぜ」

「奴か」

はっとして僕たちは顔を見合わせた。

僕たちは思い出した。あの狗肉宗の頭目だった知切狠禎(ちぎりがんてい)が首だけで這い出し、僕と虎千代を暗殺しようと寝所に忍び込んだことを。狠禎の首は斬られてもなお力強く、虎千代を罵りながら死んだのだ。

血震丸は贄姫とともに、飛騨の深山に伝わる危険な薬品を創り出すだけではなく、自らの身体を使ってすすんで人体実験をしていた。贄姫の首もまだ息があって動き出していると言うことならば当然、血震丸の首もまだ意志を持っている可能性だってあるのだ。

「あの劇薬は特殊な修行を積んだ狗肉宗の身体にしか適合()わないと思っていたのですが、血震丸たちも試していたのですねえ」

黒姫が難しい顔で言うのに、虎千代は苦しげに頷いた。

「むべなるかな」

確かに、あの兄妹は自他の命を顧みない人間だった。ほとんどの人間にとっては、劇薬である絶息丸を服用していた可能性は十分にある。

「と、なると、向こうの情報は連中に筒抜けですよ。…幸い、血震丸も狗肉宗がいなくば、そうそう簡単には絶息丸を再現出来はしないとは思いますが」

「手が足りなくなれば、(さら)えばいい。我らの情報が筒抜けなれば、我らの中からな」

虎千代が心配そうに言うのは、黒姫の身を案じてのことだろう。ビダルが本気になれば、プロである黒姫ですら身は危うい。

「わたくしはたとえ捕まっても、そんな話は絶対にしませんです。ことが露見する前に覚悟は決めておりますですよ。同様に、軒猿衆からは絶対に情報を漏らしませんですよ」

「だったら軒猿衆以外を狙えばいいだろ」

そこまで聞いて僕は、言った。

「虎千代も、黒姫も憶えてないか」

軒猿衆以外で血震丸がやっていたことを血震丸以上に知っている人間がもう一人いたはずだ。


少女の名をノアザミと言った。

彼女は堺で買い取られた明人のお手伝いさんで、僕の記憶では血震丸が悪用した薬品の開発全般に関わっていたはずだ。しかも黒姫が鳶爪と言う狗肉宗の少女から絶息丸の情報を得たのちは、助手として絶息丸の再現にも協力していた。

「確かに忘れておりましたですよ。あの娘がいれば、絶息丸は作れるかもです」

あのいくさの後、彼女は無尽講社の世話で就職先を見つけ、僕たちのもとを去ったのだ。その消息を聞いたのはかなり前だが、来日してから勉強した知識を活かして、医療や薬学の関係の仕事に携わるつもりだと聞いていた。

「それだ」

僕がそれ以上何か言うまでもなく、虎千代もぴんと来たようだった。

「すぐに連絡を取れ。場合によっては、早急に保護せねばならぬ」


間髪入れず、虎千代は自ら保護に動き出した。

無尽講社によると、ノアザミは堺にいるみたいだ。聞いた話では無尽講社が出資する薬種問屋で、調剤の助手をしているらしい。薬剤の知識があり、漢語に堪能なので店では重宝しているそうだ。店主から聞くところによると、薬剤の買い付けを手伝って今は積み荷降ろしの港に出ているはずだと言う。

「暑いな」

真夏の船着き場は太陽の強烈な照り返しの中で、黄色い砂煙を浴びながら明人の苦力たちが汗を流している。寄港間もなく過酷な肉体労働に駆り出され、そこにいるどの男たちも殺気立っていた。

そこに虎千代は躊躇することなく踏み込んだ。

「なんや、お前ら。ここは部外者は立ち入り禁止やぞ」

明らかに他国の武士と分かる虎千代の姿を見て、船着き場を差配する男たちは訝しげに表情を曇らせた。

「中に知り合いがいる。ノアザミと言うのだ。長尾虎千代が話がしたいと伝えてくれ」

「知らんのう。誰や、そのノアザミ言うのは」

一人が鼻を鳴らして、吐き捨てる。波止場にもやはり縄張りがある。けんもほろろの対応だった。男たちの態度は不遜で埒が明きそうにない。

「…宗易殿を呼ぶべきであったな」

いつもの虎千代なら、強硬手段も辞さないところだったが、ここで無用な騒ぎを起こすのは得策とは言えない。

そのときだ。

途方に暮れている僕たちに、出し抜けに聞き覚えのある関西弁が降った。

「何や、お前ら!久しぶりやないかい!?こんなところで何をやっておるんや!」

遠くから、護衛を引き連れた長身の武士が両手を振っている。僕たちはその姿を見て、唖然とした。

「だっ、弾正さんっ!?」


なんと、松永弾正だ。

こんなところに本当に場違いな、とは思ったが、考えてみれば当たり前なのだった。弾正の主家である三好家はこの堺を本拠に、第二の室町幕府総裁とも言うべき、足利義維を匿っている。

「ははっ、この堺で三好家に逆らうものはおらん。なんでも好きに見たらええわ」

弾正がうるさそうに手を振ると、虎千代に群がった男たちは焦った顔で逃げ散っていった。聞いてみると、驚くことにこの船着き場の荷物はまるまる弾正のものなのだった。

「真人、お前水臭いで。堺に遊びに来てるんやったら、おれに言うたらええのに。ここやったらお前、虎ちゃんに内緒でなんぼでもええとこ、連れてったるぞ」

虎千代じゃなく、弾正はなぜかしきり僕に話しかけてくる。あの一件以来、僕は妙に気に入られてしまったらしかった。正直、あまり嬉しくない。

「ともかく、便宜を図ってもらったことは感謝する。それで我ら、ノアザミと言う明人の少女を探しているのだが」

虎千代は手短に用件を言うと、ノアザミが所属している店の名を告げた。

「ああ、その子やったら知ってるぞ。砧の親方が連れてきた明人の女の子やないか。髪の短い、カタコトの」

弾正はすぐにぴんと来たようだった。

「今ちょうど、船主と値段の交渉をやってもらっとるところや。あの子が、どうかしたのか?」

「芳しくない連中に身柄を狙われているのだ。もしかしたら早急に身柄を保護せねばならなくなるやも知れぬ。悪いがすぐに、会いたいのだ」

「急やな。それになんや、きな臭そうな話や」

弾正は皮肉げに肩をすくめたが、虎千代の表情で急を察したようだった。

「分かった。ついて来い」

理由を聞かずに弾正は、すぐに僕たちを連れて奥へ入っていく。

「あそこや」

弾正は指を差した。

大きな帆船がつけた足元で、木箱の上に帳面を置き、ノアザミたちは明人の船長と話をまとめているところだった。ノアザミの通訳で積み荷の値段交渉が始まり、商談は今まさに真っ最中だ。

「おい、ここまでや」

弾正はその中にずいずいと入っていくと、容赦なく交渉を中断させた。

「とりあえず、積み荷の件は一旦中断せい。外せない客や」

弾正は言うと、虎千代にあごをしゃくる。

「虎千代先生(シェンション)!」

ノアザミはすぐに気づいた。陽にきらめく紅い髪を振り、瞳を輝かせて虎千代を見た。

「久し振り。虎千代先生、いい仕事謝々(シェシェ)、ノアザミとっても向いてる」

「そうか。それは良かった」

急を要する事態だったがさすがに虎千代は、口元を綻ばせた。

「黒姫、オマエも生きてたか。ノアザミ元気、やってるだーよ」

「生きてますですよ。て言うかなんで、わたくしはオマエ呼びなのですか…」

秘かに黒姫はショックを受けていた。

「ノアザミよ。仕事中悪いのだが至急、お前の身柄を保護しなければならない事情が出来た。お前が黒姫と精製した絶息丸、あれを狙っている連中がいる」

と、虎千代が言うと、すぐにノアザミは顔を強張らせた。不吉な予感がしたのだろう。さっと不安そうな表情になり、虎千代に訊いた。

「ノアザミ、隠れた方がいいか…?」

「そうだな」

虎千代は頷くと、端的に現状を話した。

「そんなにやばいんか」

これには僕たちと同じ悪夢を経験した弾正も思わず、表情を硬くした。

「あの血震丸が、まだ生きておるとはな…?しかも、どう言うこっちゃ、首だけやと?」

「今もそうして生きているかは判らぬ。血震丸の墓を暴いた相手はそれほど、恐ろしき相手なのだ。我らも殺されかけた」

「宣教師崩れのえげつない連中が、人買いに与しておることは耳にしてはおったがな」

さすがの梟雄弾正も、ビダルの悪行には顔をしかめた。

「とにかく、さっさとノアザミを連れていくとええ。ビダル言う奴のことは、おれも耳に留めておいたる。ふざけた連中や、おれらを喰い物にしようとはな」

「済まない」

虎千代が軽く目礼し、ノアザミを連れていこうとするとだ。

「待テ、行クナ」

交渉していた明人の船長が身を乗り出して、二人の邪魔をしようとしたのだ。

「どけ、なんやお前」

弾正が怒りに顔をしかめ、それを制しようとする。すると。

明人の船長は腰のナイフを抜き、躍りかかってきたのだ。弾正はこれを辛くも受け止めると、素早く腹を蹴り込みナイフを奪い取った。

「おのれっ、どう言うつもりや」

癇癖を募らせた弾正がナイフを投げ捨て、ついに腰の柄に手をかけたときだった。

銃声がし、辺りがどよめいた。僕たちは反射的に身を伏せた。弾丸はどこに突き刺さったのか、すぐには判らない。狙われている。思う間もなく第二弾が撃ち込まれ、弾正の近くにあった木箱が木くずを上げて弾けた。

鉄砲(ハジキ)やあっ、こっちからも撃たんかいっ、ぐずぐずするなっ」

弾正が護衛の兵に、大声で合図したときだった。

僕は見た。ふわりと黒い布が、どこからともなく弾正のすぐ傍に降りて来たのを。

まるで自重を感じさせないその身軽な影は。

見忘れるはずもない、ミケル・アリスタだ。

「なんや、おのれは」

ミケルはそれに応えず、すらりと腰の剣を抜いた。

ラウラのレイピアより寸の長い、例のエスパーダだ。

「このガキ、(あくとう)はおのれかっ」

ミケルは端正な顔を無惨に歪めると、斬りかかってきた弾正の横をたゆたうようにすり抜ける。正確無比な突きだ。一瞬で弾正は手の甲と二の腕を刺され、剣を取り落とした。それから軽く空いている方の手を振った。

するとそこかしこにある木箱の蓋が中から破られ、そこからミケルと同じ、黒装束の男たちが続々と現れる。

「待ち伏せられたか」

虎千代はノアザミを僕に預けると、腰の柄に手を掛けた。

「また会ったな」

ミケルは悠々と虎千代に声をかけた。

「白々しき物言いじゃな。今度は我に用があってつけてきたのだろう」

ミケルは小馬鹿にするように、肩をすくめた。

「まだ、あんたに用事はない。あのときはそう言ったはずだ」

「すると今は、用件があるはずだな」

虎千代は言うと、軽く腰を沈めた。ミケルがあの身のこなしで踏み込んでくれば、そのまま斬り捨てる構えだ。

「あんたには用件はない。今回も、おれの手をわずらわせなきゃな」

「ノアザミを連れていくなれば、容赦はせぬ」

虎千代が放った刺すような殺気を、ミケルは平然と受け止める。

「やめた方がいい。ビダルに蹴りこまれて、あんたは身体を痛めてるはずだ。無理はやめておけよ」

「無理かどうか、試してみるといい」

くくっ、とミケルは失笑した。

「見え透いたはったりはやめろよ。万全だったら、もう斬り込んできてるはずだ」

ミケルは挑発したが、虎千代は腰の柄に手をかけたまま、そこを動かない。

(大丈夫なのか)

僕は息を呑んだ。

ミケルの観測はあながち間違いじゃない。ビダルの戦闘からそれほど時間が経っていないのだ。肋骨にひびが入っていると言う、虎千代の身体は、まだ万全とは言えないはずだ。

「兄さん、やめて!」

ラウラが悲鳴のような声を出したが、ミケルは歯牙にもかけない。

「それほどに絶息丸が欲しいか」

虎千代の言葉に、ミケルは目を剥いた。

「ラウラから、話を聞いたみたいだな。それとも、もう交渉はまとまったのか。こいつらに売ることに決めたのか?」

「あの人外の薬は、世に出すべきものではない。誰にも渡したりはしない」

「そうか。と言うことはやはり、あんたが持ってたわけだ。血震丸の墓から、尾行(つけ)た甲斐があったよ。その娘は頂いていく。それが神のご意志だ」

ミケルは言うと、懐から小さなガラス瓶を取り出した。何かの液体がそこに入っている。ミケルは口で瓶の蓋を開けると、中身を小さな布きれに沁み渡らせた。たぶん麻酔薬のようなものと思われた。恐らくはそれでノアザミの動きを封じるつもりだろう。

「あんたと遊んでる暇はない。手早くいく」

ミケルは合図をして、自分も虎千代に向かって行った。

エスパーダを持った男たちが一気に襲いかかる。黒姫たちも武器を構えた。先に彼らを迎え撃たざるをえなかった。

「虎さまっ、すぐに加勢しますですよっ」

虎千代はやむなく剣を抜いた。

ミケルの動きは、ラウラのそれよりも変則的で捉え難い。フットワークを多用しながらあらゆる方向に展開していく。虎千代の鋭い斬撃をミケルは鼻先で避けた。

「邪魔だ」

銀色のエスパーダが躍る。避けながら攻撃してくる手数の複雑さに、虎千代は守り切れず、いつの間にか押されている。

「真人っ、ラウラとノアザミを連れて走れっ」

「邪魔だと言ったはずだっ」

虎千代の横薙ぎの一撃は、頭上高く跳び上がったミケルの身体を捉えることが出来なかった。

僕はラウラと、ノアザミを連れて走ろうとした。しかし、ふわりと落ちてきたミケルの身体に阻まれ、後ずさる。

「ひゃあっ」

僕にそのめまぐるしい動きを捉えることが出来ようはずがない。

一歩遅かった。ミケルの長い腕がノアザミの身体を捕え、こちらに引き寄せていた。麻酔薬を染ませた布をミケルはノアザミの顔に押しつけた。その瞬間だ。

ラウラがレイピアを抜き、ミケルの右目を狙って突いた。ミケルは思わず、ノアザミから身体を離して後退した。その間にラウラが、素早く自分の身体で崩れ落ちたノアザミを庇い、ミケルを追撃する。

ラウラの攻撃に躊躇はなかった。彼女は、自分の手で兄を殺す決心をしたのだ。とっさの攻撃にさすがのミケルも、持て余した。

レイピアの先がミケルの右頬に傷痕をつける。血の筋が横に走り、ミケルは顔をしかめた。さらに踏み込んできたラウラにミケルのエスパーダが閃き、間合いに入り込んだレイピアの切っ先を残らず迎撃する。

けたたましい金属音が、二人の間で弾ける。自重の軽い剣の鋭さは、目にも止まらないほどだ。

ラウラは上手く、ミケルを誘導してくれた。お陰で刃をかわしながら、どんどんノアザミから二人は、遠ざかっていく。僕はそれで何とか、倒れこんだ明人の少女を救うことが出来た。

ラウラはついに、本気になったのだろう。

兄妹の腕は、伯仲しているように僕には見えた。

「やっと、おれを殺す気になったな」

二人は距離をとったが、呼吸も乱れていない。ミケルは頬から滴る血を拭うと、ラウラを睨みつけた。ラウラは色のない目でそれを受け止める。

「それでいい。それが、戦場だ」

ミケルは言うと、エスパーダをラウラに突きつけた。狙いは寸分あやまたず喉元だ。

「これで、おれもようやくお前を殺せる」


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