戦国生活半月め! 弾正様と将軍家
「うー・・・・・・ん―――」
なんて幸せだったんだろう。
その頃僕は、とっても幸せな夢を見ていた―――クーラーのよく効いた漫画喫茶のリクライニングブースで昼寝をしている夢だ。この幸せな気分は、ちょっと言葉では説明しにくいけど―――(特に、戦国時代の人には難しいだろうな)
そう言えば、こうやって―――よく授業をさぼって時間をつぶしたりしてたものだ。
真夜中から早朝のお客がはけて、時間が停まったような昼前から午後四時までの時間帯が、僕にとってはちょっとしたオアシスだった。この時間は、営業の外回りで暇をつぶしている会社員くらいしかお客さんがいないので、ブース内がとても静かなのだ。
冷たい革張りのリクライニングシートに身体を預けると、遠くではかすかに、フュージョンっぽい涼しそうなジャズが流れている。(ところで、お店で流すジャズは、夜中に聴くみたいなスタンダードやモダンジャズとかは不可。ポップスでもAORとか、聞きこまずに軽くスルー出来そうな軽めの音楽がいい)何冊か読みたい雑誌と新刊本を積み上げた僕は、氷をたっぷり入れたカルピスとかを一杯飲んで、適当に雑誌をめくった。グラドルのカラーグラビアに、気になるアニメやゲームの情報が無作為に頭の中を流れていく。そうこうしているとちょっと眠くなって、究極にだらけた気分になるのが最高だ。
(こんなことしてていいのか十七歳?)
と、思いながら一日終わった、みたいな日が何日あっただろう。そんなことより。
―――さっきオーダーしたトロピカルフルーツのアイスフランベが到着するころだ。
耳元でノックがする。僕は急いで顔を上げた―――
はっ、として目を覚ますと、なぜかそこにいくつも顔が並んでいる。真菜瀬さん、虎千代、絢奈―――煉介さんに凛丸までいる。まるで百五十歳で大往生するお年寄りを見送りに全国から集まってきた親類縁者みたいだ。どうしてこの人たちは眠っている間に、現代人の褥に侵入するのが好きなのだろう? 絢奈もいるんだし、いくら未来から来たと言っても、早々面白いことなんかないと思うけど―――
「マコトくんて―――本当幸せそうに寝てるよね?」
新種の南米産ツノガエルを見るときの生物学者のように真剣な目つきの真菜瀬さんが、しみじみ言う。この人はきっと、どこかで僕の観察日記でもつけているに違いない。
「そんなに幸せそうだと逆にちょっと、羨ましいな――ねえ、今日から枕と布団、わたしと、とっかえっこしない?」
寝つき悪いんですか、真菜瀬さん―――いや、そう言うことじゃなくて。
「いったい、どんな夢を見てたんだい? なんかすごく楽しそうに寝言言ってたけど」
たぶん、煉介さんたちに説明しても分からないと思いますけど。
「火事場の夢なぞ見て悦ぶとは、よくよく不穏な奴よ」
虎千代がよく分からないことを言う。火事がどうしたって?
「燃える燃えるなどとうかれおって、火付けがそんなに楽しいか」
いや、それは別の部分が萌えているだけで―――えっ、寝言でそんなこと言ってたのか。
「お兄い、せっかく、戦国時代に来たんだからアニメの妄想もほどほどにしようよ」
絢奈にいたっては、すっかりかわいそうな人を見る目だ。せっかく海外旅行に来たんだからゲームは自重しようよみたいな言い方しやがって―――いや、戦国時代に来たからって、アニメやゲームのことは普通に考えますよ?
「みんないつもとっくに起きてるからね! お兄いが起きるの遅いせいだよ!」
修学旅行の班長みたいに、絢奈は言う。そんなに寝坊したかな、と思って訊くとまだ、朝の五時じゃないか。みんな、いったい何時に起きてるんだ?
「絢奈、よく起きられるな?」
「絢奈は、部活の朝練あるし、いつもこれくらいには起きてるよ。お母さんたちのご飯とか―――お兄いのお弁当だって作らなきゃいけないでしょ?」
不甲斐なさすぎる兄ですいません。
「いぎたのう寝こけおって、寝首を掻かれたらなんとする」
虎千代は虎千代で妙な説教をしながら、僕の背中をばんばん叩いてくる。
「武士たるもの、寝所と風呂場は常に細心すべき場所ではないか。お前、源家の義朝公の最期を知らんのか」
いや僕は全然、武士じゃないし、その義朝って人のことも全く知らないし。寝てて殺されそうになるって戦国時代じゃあるまいし―――そうだ、今は戦国時代にいるんだった。
「今日はみんなで出るから、ちゃんと支度してくれ、って煉介さん言ってたよ」
絢奈が言った。あ、そう言えば出際にそんなこと言ってたような。
朝食を終えた僕は、洗ってもらった制服に着替え、早速出かける支度をする。僕は辺りを見回した。そう言えば、ちょっと雰囲気が変だ。基本的には、僕と同じでいくさがないときは、だらだらしている足軽たちが今日はそわそわしている。真菜瀬さんもばたばたと、何やら色々衣装を運んで右往左往していた。
「いったい何があるんですか?」
訊いても誰も答えてくれない。なぜかと言うと、どうもみんな、着慣れないものを着ようとしているらしい。いったい何があるんだろう?
「どうだい? 支度は出来た?」
現れた煉介さんを見て、僕は驚いた。たぶんこれが正装なのだろう。なんて言うか、煉介さんは平安時代の人みたいな恰好をしていた。
黒い烏帽子に青地に葵の花をあしらった素襖、それに、無地の革袴。
当時の武士の格好としては平均的なものらしいけど―――
腰にいつもとは違う拵えの立派な太刀を吊った煉介さんは、どことなく、近寄りがたい気品みたいなものが感じられた。いつも着流しに長く伸ばしっぱなしの髪を後ろにまとめただけ、と言うラフな煉介さんも十分、格好いいけど、この恰好は、意外にはまっている。この人、もしかして本当は良家の出なんじゃないか。
「今日はきちんとしてくれよ。くれぐれも粗相のないようにな」
いくさのとき以外はいつも脱力系な煉介さんだけど、今日は何だか真剣な顔だ。何があるんだろう?
「マコトたちはそのままでいいよ。先方はソラゴトを見たいとの仰せなんで」
「煉介さんその先方ってまさか―――」
帝とか将軍とか、えらい人の類?
「ははっ、まさか、そんなえらい人じゃないよ。あ、でも将軍の下の下の下くらいかな」
「将軍から数えて三番目くらいにえらい人?」
「んー、まあ、そうかな」
「それじゃ、かなりすごい人じゃないですか」
「典礼も弁えぬソラゴトを連れていくなど、私は不安です」
早くも緊張する僕に、凛丸が追い打ちをかけるように言った。
「本当に大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫さ、基本、土下座して黙ってれば問題ないから」
と、煉介さんはいつもながら軽い。真菜瀬さんも、
「うん、まあ平気平気。あ、でも、殿中って結構、礼儀うるさいから気をつけた方がいいよ。あと、話すときは、えらい人に直接じゃなくて、申次って言う人がいるからその人に話すこと。無礼があったりすると―――」
例によって死ぬらしい。冗談じゃなく、その場で手討ちに遭う可能性もあるそうだ。
「全然、大丈夫じゃないじゃないですか!」
「普通にしていれば、なんの危険もないさ。ただあんまりはしゃぐのはね―――」
と、煉介さんが不安げに視線を向けるあっちでは何だか、絢奈と虎千代が騒いでいる。どうも、お互いの服を交換しようとしているようだ。
「こらっ、やめぬかっ絢奈―――はしたないぞっ」
よく分からないが、虎千代は絢奈に弱いらしい。普段はあんなに男前の癖に。
「いいじゃん、虎っち絶対かわいいから! 絢奈のと交換しよ!」
「うう・・・・・」
こうして無理やり女子高生の格好に着替えさせられた虎千代は、すっかり半泣きになって僕たちの前に現れた。ちなみにうちの女子の制服は、紺色のブレザーに、赤いリボンのついたブラウス、焦げ茶と赤のチェックが入ったスカート。―――だけど、その姿で登場した虎千代は、普通にポニーテールの可愛い女子高生としてはまっていた。
「うん、やっぱりかわいいっ」
「絢奈、この袴、どう考えても裾短いぞ。よくこんなものが履けるな」
と、言いつつ、絢奈がたくしあげたスカートの裾をいじる虎千代。
「それにこれでは太刀が佩けぬ。布も薄いし、どこにも武器を隠せぬではないか」
「いいの! かわいければ!」
「馬鹿な―――」
ぼうっとしてみとれていると、虎千代と目が合った。
「お前っ、なにがおかしいかっ」
いや、おかしくはない。むしろ、いいもの見た。涙目の虎千代に後で殴られたけど。
僕たちが、戦国時代に来てちょうど半月だ。
僕たちはすっかり、煉介さんたちの輪の中に入った。
確かにまだときどき、戸惑うことはあるけど―――
僕たちは煉介さんにつき従って、足軽たちとの生活に溶け込もうとしていた。見ての通り、この時代の人の朝は早いし、一日することと言えば、みんなの武器の手入れや『くちなは屋』の手伝いくらいしかなかったけど―――僕も絢奈もそれなりにちゃんと生き残っている。やってみれば、意外と生きられるものだ。
そして煉介さんが仲間にした、鵺噛童子として指名手配されていた虎千代も。
いつの間にか、僕たちの中に普通に溶け込んでいる。本人曰く、煉介さんのオファーに決して積極的に同意したわけではないらしいけど。
僕たちが未来から来た、などと言っているのと同じように、北国から来たらしい、虎千代の素性も―――やっぱり、あまりよく判っていないようだ。煉介さんや真菜瀬さんは、僕たちのことと同じように、そう言うことにはほとんど拘らない、適当な感じを貫いているけど、虎千代の素性については、足軽たちの間ではたまに口の端に上る。
虎千代は本当に何者なのだろう? 僕もそこはやっぱり気になる。
あの夜、虎千代につき従った何人かを除いては、新兵衛さんと一緒に、越後へ帰ってしまったみたいだし―――
新兵衛さんの口ぶりではどこかのお姫様みたいだ。でもまさか戦国時代とは言え、ゲームじゃあるまいし、こんな男前の姫がいるとは、とても信じられない。ゲームや漫画の世界と違って、僕が目の前にしたこの世界では、重たい金属の鎧や武器で武装した男たちがひしめきあっているのだ。そんな世界で―――
虎千代は、煉介さんたち悪党足軽たちを数日間に渡って手玉にとったばかりじゃなくって、足軽を率いて、いくさにまで参加して兜首まで獲った。しかもすごく、いくさ慣れした様子で。
今ここで、無理やり高校生の制服を着せられて、絢奈とじゃれあっているのをみると本当に僕と同年代の普通の女の子にしか見えないけど、古今の武家社会のことにも通じていて、とてもただものには思えない。
「ううー・・・・・・こやつ、我を笑いおったぞっ。かようなはしたない着物を着せられて、笑われるは武門の恥辱じゃ。絢奈のせいぞ!」
だったら着なきゃいいのに。
「別におかしくないよ。ちゃんと、似合ってるって!」
虎千代をいじるとき、絢奈は本当に楽しそうだ。
「お兄いは、虎っちかわいいと思うでしょ!」
「本当か?」
う―――そう、上目遣いで見られると、こっちがどきまぎしてしまう。こいつ、歴戦の悪党足軽すら軽くあしらうつわものの癖に、こうやってみるとちゃんと女の子なのだ。
「いや、かわいいよ―――本当に。僕たちの学校にいたら、全然、もてると思うし」
別になんの悪気もなく言っただけなのに、僕の言葉で虎千代は肩をぶるぶる震わせると、真っ赤になって怒った。
「だ、だだだ黙れっ! おのれごときが武士を嬲るかっ!」
「じゃあなんて答えればいいんだよっ」
また殴られた。これが反則なくらい痛い。絢奈に殴られるのとはわけが違う。
小柄な身体には現代人にはちょっと想像もつかない、馬鹿力があるのだ。
例えば当時の鎧なんかを博物館で見ると、あんまり大柄な人の鎧は残っていないけど、重たい槍や大太刀をぶんぶん振りまわしていた記録や痕跡は、随所に残っているそうだ。煉介さんみたいに自分の身長くらいの太刀を、今の僕たちよりも小柄な身体で昔の人はちゃんと使っていたのだそう。
絢奈に弱いのに反比例して、虎千代は何かと言うと僕をぼかぼか殴るが、一発一発が重たくて、身体に響くのだ。油断していると本当に、気が遠くなる。
「準備が出来たら、名前を書いてくれ。順番は問わない。字が書けない者は、凛丸か真菜瀬に、名前を報告すること」
全員の支度が終わったのを見計らって、煉介さんは大きな紙巻きを用意させた。
「名簿を作るの?」
不思議そうに絢奈が訊くと、
「ああ、ちょっと必要なんでね。うちも人が混んで来たしさ」
確かに―――煉介さんたちが率いる足軽たちは総勢、いま、五十騎ほど。虎千代が連れてきた人数を部隊に入れてから、その人数は一気に倍近く膨れ上がっているのだが、煉介さんはその全員の名前を記録しようとしているらしい。
「今日逢いに行くのは、弾正様と言うんだけど」
ほう、と、うなったのは虎千代だった。
「童子切、お前、そやつに随身いたす腹積もりか」
「まあね」
「虎っち、随身って?」
「つまりは、そのものの組下になる、と言うことよ。お前らは所詮、無足者の集まり、なにがしか寄る辺を持つのは悪くはないだろうがな。だがその弾正と言う男、本当に信に足る者なのか?」
「どうかな。こう言う世の中だしね」
煉介さんは、口元にいつかの笑みを浮かべると、
「―――まあ、とにかく、会ってみることだ。話はそれからさ」
僕も絢奈も名前を書いた。毛筆で自分の字を書くなんて、小学生の書初め以来だったけど、この時代やっぱり、字を書ける人と苗字を持っている人は貴重らしい。
煉介さんも、凛丸も、その通り名をそのまま書いてある。
僕の隣で書いているが虎千代は、名前だけしか書いていなかった。
「うーん」
自分の名前を途中まで書いて、なぜか難しそうに眉をひそめて筆を止める絢奈。
「なんだよ、どうかしたのか?」
「ねえ、絢奈も何か格好いい通り名があった方がいいかな。童子切とか白蛇とか」
と、何かを付け足そうとしている絢奈を、真菜瀬さんが上手くとりなしている。
「苗字があった方が格好いいよ。苗字があるって言うことは、由緒がちゃんとしてるってことだから―――それだけ、身分もちゃんとしてるってことだし」
「そうかな―――あ、苗字と名前の間に名前入ってるのも格好いいよね。それはだめ?成瀬弾正忠絢奈!」
おい、それはたぶん、かなりまずいことだと思うぞ。案の定、虎千代が言った。
「勝手に官位を付け足すな。弾正は朝廷から付与された、由緒ある位ぞ」
そうだったのか。そう言えば、信長も、弾正忠、じゃなくて最初は織田三郎信長だったような。上総介とか冶部小輔とか、こういうのって、戦国大名の国が強くなっていくのと同時に、レベルアップした証みたいなものだと思ってたけど―――
「面妖なことを言うな。位は朝廷から買うのだ。銭何貫文、朝廷に付け届けをしたり、貴族の末流の縁談を世話したりして顔をつないだりしてな。各地の荘園を持つ小領主でも余裕があるものなら、みなやっていることぞ」
つまりは朝廷と言うところは、そう言う風にして自分の名前につける官位を『売って』いるらしい。文字通り、それはお金次第で決まっていて、えらい位ほど高いお金を寄進しなければならないシステムになっているそうだ。そもそも貴族の位って、買えるものなのか? そのことも驚きだけど、武士がどうしてわざわざ朝廷から位を買うんだ?
「うーん、それは―――簡単に言えば、自分が持っている土地をちゃんと、自分のものだって認めてもらうため、ってことかなー。もともとは足利将軍家が守護って人たちに、全国を任せてたんだけど、許可してた将軍家が今、ちゃんとしてないみたいだしねー」
と、真菜瀬さんは、煉介さんの顔を見た。
「この戦乱のせいで各地では誰が誰の土地かよく分からなくなってるんだ。守護だって言われてた人たちは、そこを直接治めないで現地の人に自分の土地を任せてたりしてたしね。ひどいやつになると、自分は京に棲んで遊んで暮らしてたりしてるから」
そうやって本当の持ち主である守護が遊んでいるうちに現地の人が代わって、その土地の支配者になってしまうらしい。これがいわゆる下剋上ってことなのだろう。
そのときに、その土地が自分のものだと認めてもらうために、朝廷に許可を得る。今で言えば別荘の管理人が持ち主が使わないのをいいことに、勝手に市役所へ行って自分名義で登記申請をしてしまう、みたいな感じだろうか。
そしてそうやって下された位は、朝廷がその土地の支配権を認めた証になるのだそうだ。つまり、名前に官位を入れるのは、言ってみれば朝廷の受け取り証みたいなものなのだ。
「君は苗字を書いていないね?」
と、煉介さんは虎千代の行を見て言った。
「わざわざ名乗る必要はない」
「虎っち、越後の人でしょ? あっ、もしかして―――上杉?」
「措け、上杉は守護の氏ぞ」
一応絢奈が聞いたけど、その守護家に謙信、と言う人はいないらしい。やっぱりまだ、時代が早いのかも知れない。
「まあ、強制はしないけど―――ただの虎千代じゃ、ちょっと不審だな」
「通り名とかつけてみる? うーん、鵺噛の虎千代とか!」
「あんまり鵺噛童子だってばれないほうがいいんだけど―――」
しぶしぶ、虎千代は苗字を付け足していた。
僕は見た。
虎千代の苗字は、『長尾』だった。