童子切煉介始末、心に決めた気持ち、真人が告げた本心とは…
それからくちなは屋から、連絡が来た。そこにはちかぢか煉介さんを偲ぶ集まりを、僕たちの都合に合わせて開きたいと書かれていた。
「ああ言うことやったやつだから、大っぴらには出来ないんだけど、みんなでこう言うことも、きちんとしてなかったから」
集まれるものだけでも集まって、ひっそりとお別れをしたいのだと言う。真菜瀬さんの言うことも、確かにもっともだった。何があったとしても、煉介さんは僕と絢奈の恩人なのだ。手紙には、虎千代はじめ長尾家の人たちにもぜひ参加してほしいと書かれていた。
「ゆこう」
と、言う虎千代もどこかほっとしたようだった。真菜瀬さんも覚悟の上で、きちんとした理由こそあれ、煉介さんを斃したのは、紛れもなく虎千代だったからだ。
真菜瀬さんの追伸には、煉介さんのお墓が出来る予定だと言うことも書かれていた。もとは現代人で仏教徒でもなかった煉介さんなので菩提寺がなく、虎千代も色々と助けになると言っていたのだが、結局鞍馬山で真菜瀬さんが保管していた遺骨は、無尽講社に預けられたようだった。真菜瀬さんはお墓の場所が決まったら案内すると言っていたのだが、こちらはなるべく早く顔を出したいと書いてあった。
そんな文を虎千代と読んで話していると、玄関先から急に聞き慣れた声が。
「頼もおっー!みーんなー元気してたあっ?!」
絢奈だ。あいつ、真菜瀬さんのお手伝いをすると言って、新しいくちなは屋に行ったまま、さっぱり帰ってこなかったのだ。療養中の兄をほっておいて薄情な妹だ。まあ、うるさいやつがいなくてこっちはちょうど良かったんだけど。
「おお、なんだ。ちょうど来た文を読んでいたところだったのだぞ」
虎千代がついさっき届いた手紙をひらひらさせて見せると、真菜瀬さんは小さく舌を出して照れ笑いした。
「ああ、あれね。付け文頼んでから気づいたんだけど、て言うか直接話に行った方がいいなーって後で気づいちゃって。どうせお昼間は暇だしさ」
相変わらず適当な真菜瀬さんなのだった。
「虎っち、元気にしてた!?あれえっ、黒姫さんは?!」
「わあっ、いきなり誰が来たですか?」
アジトで大声を出されてあわてて出てきた黒姫に、絢奈は思いっきり抱きつく。
「黒姫さんっ!元気で忍者してる?絢奈がいなくて寂しかったでしょ?!」
「あうううっ、絢奈さんっ…その、ここは一応、軒猿衆の忍び宿なので、あまり大っぴらに忍者とか言ったり、わたくしの名前呼ばないで下さいですよお」
こいつも相変わらず自由な妹だ。
「煉介の話に来たのであろう。我らに出来ることがあったら何でも言ってくれ」
「うん、ありがとう。でも、今日はねー、虎ちゃんたちと行きたい場所があってさ。このあと一緒に出られるかな」
「ああ、それは構わないが…」
いきなり、どこへ行く気なのだろう。
僕と虎千代は、不審そうに顔を見合わせた。
行き先を言わない真菜瀬さんに、支度をした虎千代と僕はいそいそとついていく。
「新しいくちなは屋の様子はどうですか?」
先頭を歩く真菜瀬さんに僕は話しかける。
「うん、とりあえず何とか元に戻ったって感じかなー。前みたいに凛丸たちが用心棒してくれてるし、馴染みのお客さんとかも戻ってきてくれたから。真人くんも暇だったら遊びに来ればいいのに。お風呂代ただだし、わたしの話訊いて真人くんに会いたいって言う女の子もいっぱいいるからさー」
うう、こっちは十八禁なのだ。危険な勧誘をしないでもらいたい。心なしか虎千代の方から冷やかな殺気も感じるので、あわてて僕は話題を変えた。
「あっ、絢奈がお邪魔してたみたいですけど大丈夫でしたか?」
「うん。絢奈ちゃんが手伝ってくれてすごく助かってるよ。ああ言うお店って女所帯だけど、ご飯の用意とか洗濯とか、大変なのに中々手が足りてないからさ」
そう言うことか。それなら、良かった。一応、くちなは屋はああ言うお店ではあるので、絢奈がお手伝いに行くと言い出した時には、兄としてちょっと躊躇もあったのだ。
「お兄い、絢奈がえっちな仕事してたと思ってたでしょ!妹で妄想しないの!もう、すぐ変な想像するんだから」
ぼすっと、絢奈が僕の背を殴る。藪蛇だった。
今度は確実に、虎千代からの視線が痛いし。
「ところで煉介の墓の件はどうなっているのだ。さっきは、その話をしに来たとばかり思っていたが」
「うん。それもまあ、追々。まず、相談役が虎ちゃんたちと話したいって言ってるから」
そうか。真菜瀬さんは相談役のところへ行くところだったのだ。
(久しぶりだな)
しばらく会っていなかったが、時々、思い出す。あの独特の風貌と清々しい眼差し。僕にとってはひどく懐かしい雰囲気をまとった相談役ともう一度話が出来ると聞いて、心なしか少しわくわくした。一時期はあの人と父や歴史の話をするのが楽しみで、いそいそとあのひなびた草庵に出かけていたのだ。
「…真人」
ふと虎千代が僕の腕を取って身体を引き寄せて来たのでその顔を見ると、なぜかひどく思い詰めたような表情になっていた。
「そんなに相談役と会うが、楽しみか?」
虎千代は、心配しているのだ。僕がまた、現代に帰った方がいいと言うような話をされるのではないかと。
「だ、大丈夫だよ」
「なっ、何が大丈夫だと言うのだ」
虎千代は眉をひそめて、僕の腕をぐいぐい引っ張る。
「忘れたとは言わさぬぞ。お前は、すでに我が家中の者じゃ。あの御老の好きにはさせぬからな」
「そんなにむきにならなくてもいいだろ」
「むきにならずにいられるものか。あの御老の話だと、お前はすぐにその気になるから心配なのだ」
じろりと虎千代は僕を睨む。確かに僕にもそのことで警戒心はあったが、相談役はそこまで強引な物の言い方をする人じゃない。
「大体、おっ、お前と相談役の話はよく判らぬ。わたしのわけが判らぬうちに、また、お前が丸めこまれてしまうのではないか思うと気が気でないわっ」
「丸めこまれてしまうって。相談役はそう言う人じゃないよ」
「信用出来ぬっ」
虎千代はぶんぶんとかぶりを振ると、僕の腕に力いっぱいしがみつく。
「ううーっ、どうしてわたしの気持ちが判ってくれないのだ。今日は、絶対二人では話はさせぬからなっ」
「いたっ、痛いって」
いつも大人な虎千代には珍しい。いくらなんでも、ここまでむきにならなくたっていいのに。
その日もうららかに晴れ渡っていた。相談役の草庵は篠藪の中でひっそりと静まり返り、穏やかな木漏れ日が入口の土間の辺りでちらちらとたゆたっていた。相談役は古資料を紐解きながらいつものように書斎に寝そべって、蜜火さんと僕たちの来るのを待っていた。
「やあ、よく来てくれましたな」
年齢に似ない、みずみずしい笑顔をする人だ。この人に会えただけでも僕はまず、気持ちがふんわり和むのを感じた。
「御老が用事と、真菜瀬から聞いたが真人に用事か?」
虎千代はのっけから不審顔だ。
「ははは、まあ成瀬くんとも話がしたかったが、今日は特に話をしたかったのはあなたのことでしたよ、虎千代さん」
相談役は、透き通るような視線を僕と虎千代に通わせる。
「真人にではなく、わっ、わたしにだと。御老、わたしになんの話があると言うのか」
虎千代の声は硬いが、相談役はまったく屈託ない。
「ええ、と言うか色々と聞きたいことがありましてな」
相談役はずり落ちた黒縁の眼鏡を押し上げると、軽く目を揉んで身体を起こした。
「さてまずは少し、外に出ましょうか」
僕たちを連れて、相談役はきびきびと山道を歩き出す。向かうのはやはり、僕たちがまだ知らない場所のようだった。この山中は庭の一部のように見えて意外と奥行きがあるところなのだが、僕と虎千代が降りた沢を谷ぞこにして春日山分社のお堂がある一帯が小高い丘になっているほか、いくつか小山があるのだ。
相変わらず相談役は年齢の割に健脚だ。蜜火さんの介添えも受けず舗装されているでもない険しい獣道をすいすいと歩いていく。
「なんの、あの鞍馬山ほどではありませんでしょう」
と、相談役はさりげなく虎千代にいくさの話を向ける。
「どうやらこたびの合戦、なんと中入りに、車懸りをしたとか。私の知る限り、戦国合戦の歴史にも容易になし得ぬ大合戦でありました。その軍旅こそ、まさに大変でありましたでしょう」
「我らもともと山岳に起居する兵ゆえ、山道を征くにさほどに痛痒は感じぬ」
虎千代はぷいっと顔を背けた。
「はは、春日山は深い山城でしたな」
「ふん、おだてても、何も出ぬぞ」
虎千代もいまだによく判らないところがあるが、ちょっと意地になっているのだろう。しかしこんな子供っぽい虎千代は珍しい。さっきからぐいぐいしがみつかれるので、こっちは歩きにくくて堪らないし。
篠藪の獣道を越えると、そこから草が刈られ小高い丘は見晴らしのいい広場になっている。僕たちはそこに、無数の墓標を見つけた。ぽつりぽつりとだが、そこに見渡す限り、墓標の群れが立ち並んでいるのだ。
「ここは…?」
虎千代や絢奈も怪訝そうに辺りを見回す。やはり古い墓地のようだ。風雪に堪えた跡のある墓標や、長雨に濡れてにじんだ卒塔婆などは、この場所が古くから、死者を慰める目的で使われたことを如実に語っている。
「実は無尽講社でも、一番この時代の方の立ち入りを許さぬ場所でしてな」
じろりと、相談役は意味ありげに虎千代を見る。
「勿体ぶるわけやないが、あなたを連れて来たのは特別です」
その言葉で僕は、はっと気づいてしまった。
「ここは…つまりその、僕たちタイムスリップしてきた現代の人たちのお墓ですか」
相談役は僕を見ると、こくりと頷いてみせた。薄々勘付いてはいたが、やはりそうだった。戦国時代の人間としては存在し得ないものたちの墓標。確かにここは、無尽講社としては余人の立ち入りを赦さない場所だろう。蜜火さんが僕の質問に応える。
「以前話した通りですが、我々はやむにやまれぬ事情によってこの時代に漂着した人たちの人生を支援し、なるべく穏便な形で全うするお手伝いをしています。言うまでもなくそれは、その最期まで。なるべくならば歴史を改変しないと言う無尽講社の意志に沿っては本来ならば、こうしたものを遺しておくことすら、あまり望ましくないのですが」
表情をひそめる蜜火さんの言葉を相談役が引き取る。
「ある意味では不幸な偶然によって、私たちはこの時代に遺棄された。せめてその死に際してそのような偶然を生きた証を遺しておきたい。そう考える人たちの想いも、無尽講社は無下には出来んのですな」
相談役に従い、僕たちは墓地の中へ入る。立ち並ぶ墓標の群れを縫って小さな通路が伸びて丘の麓まで降りているのだが、見渡す限りそれが広大なのはすぐに分かる。僕は歩きながらその墓標や石碑に描かれた年代を追って行ったのだが、建てられたもので古いものでは南北朝や鎌倉時代の年号、それ以前と思われるものもある。古いものを探し出したら本当に、きりがなさそうだ。
「色んな人が色んな別の時代から来ているでしょう」
相談役は言うと、墓碑銘に描かれた記録のいくつかを読み上げてみせた。にしても、数奇としか言いようがない。実際目の当たりにすると、驚かされる。まさかこれほどの人たちが自分が生きていたのとちぐはぐな時代に飛ばされ、生きていくことを余儀なくされているとは。
「無論、これだけでもごく一部です。言うまでもなく大多数の方は消息が判らないまま、消えてしまうし、記録を残さずにひっそりと亡くなることを望む方もおりますし」
「御老、話が見えぬな。わたしと真人に見せたいものとは、このような墓の群れか」
「はは、これは退屈させてしまいましたかな」
「ほうぼうに無縁塚が立ち並ぶ世相よ。かように守り立ててくれる墓を持てるだけでも、果報と言わめ」
「今少し待って下さい。確かここら辺りやったような気がしますがな」
おっ、と相談役が声を上げたのは、坂の中腹のある列に至ったときだった。大分奥まった場所だがそこは周りを生垣で囲い、比較的敷地が広く取られていた。見るとちょうど桜の古木が青葉を広げている辺りに細長い二つの石碑が間隔を開けて、ひっそりと立ち並んでいるのが分かった。
「そうここです」
相談役は言うと、僕たちをその石碑の前に案内した。
「新しいな」
虎千代が怪訝そうに石に彫られた文字痕を確かめる。確かに表面を磨き抜かれた御影石は角もすりへっておらず、新しい仕事だ。と言うことはこれは、ごく最近になって建てられたと言うことだ。
「読めますか」
僕は目を凝らした。石碑の文は、漢文だ。漢字の意味を追えば多少は意味が取れるとは言え、白文は何しろ馴染みが薄い。読んですぐに分かったのは、この二つの石碑が夫婦のものであることと、現代では医者で、この戦国時代でも医療に携わっていたこと、それと二人がごく最近相次いで亡くなったのだと言うことくらいだが。
「あ…」
そこまで判ってから、僕は唐突に思い当たった。そうだ。お医者さんの夫婦で現代から来て、医療に携わっていたと言うと。
「これは、もしかして煉介さんの…?」
「ご明答」
相談役はふんわりと微笑むと、石碑の文字を撫でた。
「これは煉介くんのご両親のお墓です」
煉介さんのご両親はお医者さんで、現代では医院経営をされていた、と以前訊いたことがある。ある日、彼らは家族ごとこの戦国時代にタイムスリップしてきたのだ。話では、現代医療の経験を活かして無尽講社に力を尽くしていたため、煉介さんたちが物心ついたときにはほとんど、彼らの元にはいなかった、と聞いていたが。
「お二人の訃報が確認されたのは、ごく最近のことです。この京都から越前、越後と北上し、最後は東北の戦乱に巻き込まれて亡くなられたようです。現地へ赴いた砧さんのお話では実はお二人はすでに何年か前に亡くなったようですが、煉介くんにもこのことを知らせてあげられませんでした」
蜜火さんは忸怩たる思いを露わにしたが当時の通信事情から考えると、無理もないことかと思える。
僕は改めて墓碑の名前を読んだ。煉介さんの家は、藤城家と言ったそうだ。お母さんは小児科医で、お父さんは外科医だった。二人が幼い暮葉さんと生まれたばかりの煉介さんを連れて来たのはやっぱり平成の時代からだったようだ。
煉介さんの言っていた通り、僕たちはごく近い時代からやってきたのだ。
彼らは無尽講社の力を借りて、戦乱で負傷した人や巻き込まれた子供たちを助けることに生涯を捧げていたのだが、やがては京都を出て、全国幅広くそうした仕事に従事したらしかった。相談役は煉介さんのご両親が最後に特に東北を選んだのはこの京都で、人買いに売り流されてきた人たちは当時、北国の人が多かったからだろうと述懐する。
あの煉介さんの両親らしいお二人だったのだろう。ちょうど、この世界に迷い込んだばかりの僕を無条件で助けてくれた煉介さんのように。
「我々も手を尽くしているのですが、遺体はまだ見つかっていないのです。無尽講社を離れて広く活動されていただけに判らないことが多く、この石碑には判る限りのことを記録したいのですが」
思えばなんて力強い人なのだろう。僕はひそかに言葉にならず驚いていた。誰もが自分すら救えない時代に、他人を救おうと言うことに一生を捧げたのだから。
「なるほど、ではここに煉介を連れてくる予定なのだな」
虎千代は二つの碑の間に取られているスペースを指して、真菜瀬さんに尋ねた。
「そう、とりあえず暮葉さんには連絡して了承はとってあるんだ。あいつ…悪党足軽の大将になっちゃったから、お父さんやお母さんとは色々あったし随分考えたんだけど、やっぱりそうしてあげた方が一番喜ぶかなと思ってさ」
真菜瀬さんはそう言って虎千代と僕に微笑みかけた。
煉介さんの遺骨は、この世界に煉介さんを連れてきた両親と一緒に。
それが真菜瀬さんの出した答えだった。
確かに、ここはこれ以上ないところだ。見渡す限りひと気はなく、色づいた梢からは雲雀や鶯のさえずる声が聞こえるだけだ。
しん、と静まり返った冬の夜。
あの椿の森で、静寂に沈んだ世界を愛して安らかに亡くなった煉介さんには相応しい。ここはもはや誰にも騒がされない場所だ。僕もそれが一番いいと思った。
「で、虎千代さん、この中には煉介くんの碑を置くんです。彼の戦国を生きた人生を記録した碑文を私が、したためます」
と、相談役が、煉介さんの場所を指し示して言った。
「あなたと真人くんに協力してほしいのはそのことです。煉介くんが何を択び、この戦国の時代にどう生きていったのか。それを知る限り、あなたたちに話してほしい。無尽講社の記録としても、それはかけがえないものになるはずです」
相談役がよく書き物をしているのは、以前から知っていた。この老人はタイムスリップによって乱脈した日本史のあらましを調べていたのだが、仕事はそれだけではないようだ。
「煉介さんの『消息集』…?」
草庵に戻った僕と虎千代はそこで、書きかけの草稿を見せられた。手書きで丹念に描かれた文章を追うにどうやらそれは、煉介さんはじめ藤城家の人たちがタイムスリップしてのちに起こったことを描いた記録のようだった。
「さっきも言いましたが、この時代を生きた私たちの仲間の消息を追うのは、至難の技なのですな。そこで、こうして実際に会うた方のお話を直接聞くのが一番でしてな」
これはこの時代に来てからの、相談役のライフワークと言うものらしい。この草庵にも膨大なその聞書が保管してあるのだが、それもまだごく一部のようだ。
「だが御老、こう言うものを残しておいて後で不都合はないものか」
と、虎千代は眉をひそめる。
「確かに今、人目に触れるのは困ります。だから無尽講社で厳重に管理することになるし、今のところは精々、私が愉しむ程度の記録になりますな」
と言うと、元々好事家らしく、相談役は微笑んだ。
「だが判らないではありませんか。時代が行き、その記録が歴史に不都合を来さない時が来るかもしれない。そうしたら、私たちに気づいてくれるものだって、もしかしたら居るかも知れない。私や真人くん、君のお父さんの明和くんのような人間にね」
タイムスリップした者は、運命に翻弄された人たち。突然、発生した時間の激流に否応なく巻き込まれながら、それでもその時代に自分が生きた証を探した。確かにちょうど、煉介さん自身がそう言う生き方をした。
「分かりました。そう言うことなら、なんでもお話します」
煉介さんのことを想い、僕は応えた。
「虎千代もいいだろ?」
「あ、ああ、わたしは…真人がよいならばそれで構わないのだが」
「助かります」
相談役は言うと、屈託なく頭を下げた。
「では折角だから初めから語ってもらいますかな。二人とも煉介くんと初めに出会ったのは?」
「えっとそれは…」
こうして僕たちは乞われるままに、煉介さんのことを語り出した。
話し出すととめどもなく、思い出があふれてくる。
たったの一年のことだ。なのに。
まるで十年前の昔のように懐かしく、つい昨日のことみたいに濃密に。
いつどうやって僕がタイムスリップしてきて、五百年前の京都でどのように煉介さんと出会ったのか。鵺噛童子と呼ばれ畏れられていた虎千代と出会い、真菜瀬さんの切り盛りするくちなは屋で、煉介さんたちと送った陣借り足軽の傭兵生活のこと。それから。こんなこともあった。まだまだある。一度話すと、切りがないほど。
相談役は最初メモを取りながら、質問も差し挟まず僕に語るだけ語らせていたがやがて熱が入ってくるとメモを置き、話の矛先を色んな方向に向けた。聞き出し上手と言うのはこう言う人を言うのだろう。
いつの間にか話は熱を帯びていた。当り前だ。だってこれは僕の物語だった。僕を導いてくれた煉介さんを通して、僕が見て、聞いて、感じた、僕にとっては確実に一年分以上の容量の一年分の話。
話しているうちに気づいた。この一年間が、いつの間にか、身体の隅々にまで感覚として行き渡り、自分で気づかないうちに僕をそっくり新しく作り変えていたのだと。きっかけを作ってくれたのは煉介さんだった。あのときあそこで煉介さんに出会わなかったら、僕は、どうなっていただろう。それどころか、この時代にやって来なかったら。
お蔭でやがて終わったときには、煉介さんについて僕が語るべきことはほとんどなくなってしまった。まるで頭のフォルダの隅々に収納していた小さなファイルを手際よく圧縮して洗いざらいバックアップしたような、そんな気分だった。僕の話が終わると相談役は軽くメモを取り直し、必要な情報の糸口をすべてそれに書きこんでいた。
「色々とよう話してくれましたな。いやあ、まさかこれほど様々なことがあったお話とは思いませんでしたなあ」
「…すみません、一人で興奮してしゃべり過ぎちゃったみたいで」
気がつくと、調子に乗ってしゃべり過ぎていたようにも思えた。自分ながら少し恥ずかしい。だって僕は今まで生きてきて、こんなにまで自分が感じたことを素直に人に話したことは今までなかったし、その必要もまるでなかったからだ。
「虎千代さんもありがとう。私のような歯牙ない史料読みにはとても気づかないお話の数々、さすがは参考になりました」
「…ああ、わたしの話でも役に立てれば良かったが」
お陰で僕は気づかなかった。言葉少なにしていた虎千代が、なぜかずっと、あまり浮かない顔をしていたことに。
「そうや、お礼と言ってはなんですが、これを差し上げねばなりませんでした」
いそいそと相談役は立ち上がると、一冊の記録を持ってきた。
「…これは?」
「読んで君が判断したらいい」
ぱらぱらとページをめくった僕に、相談役は微笑んだ。
「もしかしたらその中に、君のお父さんがいるかも知れん」
相談役は現代にいたときは、俗史の研究家だった。俗史とは言うまでもなく、正式な歴史とは認められないうわさ話や俗説の類を網羅したものだ。
「これは私がまだ現代にいた頃から持っていた俗書を紐解き、その中から私のようにすすんで迷い込んだ歴史好きの消息を追いかけた物語録です。いわば私や明和くんの『消息集』と言ったところかな」
それは僕にとっては、ひどく興味深い読み物だった。そこには日本史の様々な場所に忽然と現れた、歴史好きの人間たちの引き起こした様々な物語や人生の顛末が描かれていたからだ。
例えば信長になり替わろうと、尾張で大名を目指した男の話。京都で途方もない未来語りをして、沢山の見物客を集めた不思議な男。大倭寇の妻になって、東南アジアを駆け回った女性。まるで嘘のような本当の話だと言うから驚く。
「そう言えばまだ、私はこの時代では明和くんには出会えていないが、もしかしたら近い時代におるのかも知れんなあ」
と、相談役は言ってくれたが確かに途方もない物語の数々に目を通していると、そんな気になってくる。父はやはり、相談役が見つけた古記録のように、日本史のどこかにいるのだ。
根城に戻ってもしばらく、僕はその本を手放すことが出来なかった。
「…何をそんなににやにやしているか」
「うん?」
虎千代の声は物憂げだったが、そのときになってもまだ僕は、気づかなかった。あの日からずっと彼女が浮かない顔をしていることに。
「その御老がお前に渡した本が、それほど面白きか」
「うん」
本から顔をあげず、僕は答えた。
「そうだね。何だか懐かしい人に会ったみたいで。もしかしたらこの時代じゃなくても、うちのいなくなった父親がどこかにいるんじゃないかって思ったりするしさ」
僕は虎千代の表情に構わずにそんなことを話してしまった。話して自分の迂闊さに初めて気がついた。どうしてそれが虎千代の琴線に触れたのかを。
「つまりお前はもう、この時代には用事がないと言うのだな。無尽講社の助けで父親のことが分かればもう、わたしたちといる必要もないと」
はっ、と僕は息を呑んだ。時にはもう、遅かった。
虎千代の思い詰めた面差しに、みるみると暗い陰が射すのが分かったからだ。
「お前は以前、わたしに言った。自分より先にいなくなった父親の消息が知れるまでは、現代に帰る気はないと。そのことさえなければお前は、絢奈と現代に帰る方法を探すことになっているのではないのか。これ以上わたしと生きることで、上杉謙信とそれに関わった多くの人に影響を与えてしまいかねぬゆえ、今のうちに現代へ帰ろうと言うのではないのか」
「虎千代、それは…」
違う。とっさにその言葉が言えなかった。いくら取り繕っても確かにそう言う方向に、ふらふらと心が迷いかけていたから。
「そしてお前はわたしのことが好きだ、と言ってくれた。あれはわたしの気持ちに応えてくれたのではないのか。わたしとともに生きることを択んでくれたのではないのか。答えてくれ。一体、どちらが本当なのだ?」
手遅れながら、僕には痛いほど分かった。虎千代の悲しみは、激昂して僕に掴みかかって収まるようなそんな類のものではなかった。心からショックを受けると、人はむしろ静かになる。今の彼女がそうだった。
「虎千代、僕は」
「話すな」
涙に声を詰まらせながら、虎千代は僕の言葉を遮った。
「今は何を言われても、信じられぬ」
ついに僕は。
一番傷つけたくない人を傷つけてしまった。ちょっとした不注意などとは決して言い訳できない。先送り先送りしてきた結論のつけが今、一気にやってきたのだ。誰のせいでもない。それは僕が、自分で招いてしまった最悪の結果だった。
それから何より胸が痛かったのは、虎千代がむしろ普段と何事も変わりなく、過ごしていたことだった。彼女は沈みこんだ顔ひとつしなかった。そのために黒姫も、鬼小島も長尾家の人たちはみんな気づかなかった。僕だけが気づいていた。僕たちの間に深く深く、切り入れられた溝が出来たのを。虎千代はそこから先に二度と踏み込んでは来なかった。そのお陰で僕は彼女が悲しんでいること以外は何も判らなくなった。どんなことをしたら、元に戻ることが出来るのだろう?そしてそれをあいつも今も望んでくれているのか?虎千代はもう、自分が望んでいたことをきっぱりと諦めたんじゃないか。
もう一度勇気を出して虎千代と話す言葉が見つからないまま僕は、後悔を抱えて日数を過ごした。その間、長尾家に流れた冷たい空気を虎千代と僕以外に誰が感じ取ることが出来ただろう。
僕はもっと早くはっきりとさせるべきだったのだ。大切な人の存在を感じていながら、その気持ちに応えることを真剣に考えなくてはならなかった。彼女はずっと答えを待っていたのだ。彼女がそれを求めたときに、どうしてそれにちゃんと答えてあげられなかったのだ。そんなことに気づかず、僕は自分の気持ちばかりを優先してしまった。本当につくづく最低だ。
僕は何度も実感していたはずだ。ほんのついこの前も。
いくさ場の中で、そう自分の命そのもので。僕の心に大きな居場所を作った、あの小さな女の子に答えてあげられるべき言葉を。
真菜瀬さんから煉介さんを偲ぶ会の日取りが決まったと言う手紙を受け取ったのは、それから間もなくのことだった。夕方近く連絡を受けたのは僕だ。真菜瀬さんもそれから忙しくなったらしく、簡単な付け文が届けられただけだった。日付は明日、みんなで来てほしいとだけ書かれていた。
黒姫たちは出払い、虎千代の周りに人はいない。僕は意を決して、彼女のいる二階へ上がった。虎千代は書見をしていた。僕が入ってくるのを見ると、ちらりと気配を強張らせたように見えたが、僕の気のせいだったかも知れないと思うほどそれも微妙だった。
「何か用事か」
「真菜瀬さんから誘いの手紙が来たんだ。…その、煉介さんを偲ぶ会の日取りが決まったって」
「いつだ」
「明後日だって。暮葉さんもかささぎを連れてくるらしいよ」
「そうか」
流れるようにこれで、会話が終わってしまった。僕たちの間に、気まずい沈黙が流れた。本を読んでいた虎千代はそれにしばらく気づかなかったが、やがてようやく戸口に立ちっ放しの僕に注意を向けた。
「どうした、まだ何かあるか」
「うん、話したいことがあって。ずっと」
「なんだ」
聞き返されて僕はかすかに唇を噛んだ。もう遅いのかも知れない。彼女は僕に失望して、とっくに見切りをつけたのだ。そんな暗い予感がふっと心をよぎったが、それでも僕は意を決して言った。
「この前聞かれたことの答えを、虎千代に話したいと思ったんだ。もう、手遅れかも知れないけど虎千代に、ちゃんと伝えなくちゃいけないことがあったから」
虎千代は本を閉じると、僕の方を見上げてきた。
「本当はもっと早く、答えるべきだったんだと思う。どちらの答えが真実なのか。この時代で僕が本当に求めていたこと」
「求めて、いたことか」
言わなきゃ。僕は息を吸い込んだ。水のように表情を消したままの虎千代に向かって、僕はその言葉を告げた。
「僕は虎千代と生きたい。そのために、ここにいるんだ」
父の消息を捜すためでも、現代に帰る手段を探すためでもない。僕にはやっと分かった。これは決して、僕だけの物語などではないと。
「…僕はもっと、虎千代と一緒にこの時代のことを感じたい。虎千代と生きて、笑ったり悲しんだりしたい。この一年、虎千代と過ごして来て、判ったんだ。こうしていて僕は、今までで一番、きちんと生きている感じがする。僕は、虎千代といたい」
はっきりと、僕は結論を言った。ついに僕はこの時代に骨を埋める決心をしたのだ。大分前から、本当はそう思っていたのに。怖くて一歩踏み出すことが出来なかった。でももう、迷わない。
「絢奈はどうする」
虎千代はひび割れた声で言った。
「自分だけ戻っても、お前がいなくては悲しむであろう」
「あいつにはちゃんと話すよ。もし、現代に帰れる方法が見つかって、絢奈が帰れることになったとしても、僕は残る。しなくちゃいけないことがあるからじゃないよ。ただ、虎千代といたいから」
「本当にそれでいいのか」
黙って、僕は頷いて見せた。
虎千代の白い頬に一筋、涙が落ちたのはそのときだ。彼女は僕を不審そうに眺めていた。以前その表情は弱々しかった。それでもその瞳からはとめどもなく涙が流れ出た。
「ごめん。もっと早くはっきりさせるべきだったんだけど」
虎千代は僕を切なげに見つめると、小さく首を振った。
「うう、お前はいつもそうやってわたしを気遣う。それが本当は心に痛いのだ。確かに信じたい。でも、お前は優しい男だ。今、お前がいなくては堪らなくなるわたしのためにそう言ってくれているのだろう?」
「そんなことはないよ」
僕は虎千代に身体を近づけるとその目を見つめながら、きっぱりと言った。
「僕がいたくて、虎千代といるんだ」
「嘘じゃ」
気持ちを決めると、こんなに楽になる。後は気持ちをぶつけるだけだ。そんなことさえ、彼女がいくさの中で教えてくれたものだ。
「好きだって言っただろ」
「ううっ」
虎千代はまだかぶりを振ると、目を背けた。目から涙がこぼれ落ちた。上気したほの紅い頬に流れ落ちる透明な滴が西日に光った。その下でかすかに嗚咽を漏らして息づく唇のあわいがかすかに震えてみえ、それが僕にある決心をさせた。
僕が思い切って首を伸ばして顔を近づけたら、目を伏せたまま虎千代は逃げようとした。でもその瞬間、肩に置いた僕の手に気づくと、ゆっくりとそこに自分の掌を押しかぶせてきたのだ。涙に潤んだ視線が僕を見上げる。やがて濡れた長い睫毛に縁取られた瞳がかすかに閉じられ、虎千代は小さく息をついて僕の方へ顔を傾けた。
そこから先は、流れるようだった。僕たちはまるで呼吸を合わせたように身体を添わせ、唇同士を合わせた。気づくと僕は虎千代に触れていた。ほの温かい繊細な感覚が、彼女の吐息と鼓動を伝えていた。
今から考えても。
僕たちは本当に長い時間、唇を重ね合わせていたように思う。もう、誰も邪魔する者はいなかった。キスは不思議だ。相手の体温を感じると、じんわりと胸に温かい火が点ったみたいなそんな豊かな気持ちになれるのだから。それが長く続いた。ずっとその火が消えていくことを拒むかのように温かな鼓動が力強く僕たちの中に息づいた。
僕は彼女の気持ちに応え得ただろうか。そんなこと、もうすでに考えられなくなっていた。ただこの強い気持ちが、彼女に伝わっていればいい。彼女も同じようにそう思ってくれたらいい。そのことしか考えなかった。ただそれを願った。僕は、彼女が好きだ。するとそれを言葉にしたわけではないのに、
「うれしい」
唇を離すと、僕の頬を虎千代はそっと両掌で包みこんで囁いた。
「わたしも好きだ。たぶん、何度も聞いたと思うが」
「うん、それ何度も聞いた」
ふふ、と僕たちは微笑み合った。本当はもっと早くにそうなるべきだったのかも知れないのになぜこんなに遠回りをしたのだと思うと、何だか可笑しくてたまらなかったのだ。
「黒姫たちが帰ってくるな。明日の打ち合わせをしよう」
僕たちはそっと身体を離した。するとまた変な感じがした。まるで二人の間に空洞が築かれたように、胸の辺りが空っぽに感じたのだ。
ある日、学校を辞めてみた。
五百年前の京都で僕が出会った女の子は、僕にとってもう欠くことの出来ない存在になっていた。僕は彼女を択び、彼女は僕を択んだ。それはやはり、確かに何かの強く抗いがたい運命の賜物だったのかも知れない。
僕は虎千代と戦国時代を生きることを択んだ。でもそれはまだ、僕を巻きこんだ運命の終点では決してなかった。いや、僕、ではなく僕と虎千代の運命、と言うべきだっただろう。僕たちの前に、まだ誰も知らない運命が出した結論がその姿を見せる瞬間が、刻々と迫ってきていた。




