無茶だろっ?! 虎千代の実力と天文15年の朝陽
裏手へ回ると、すでに多くの人たちが右往左往していた。
そこには焦げくさい煙が立ち込めている。生木が焼けて弾けるパチパチとした音が聞こえ、それに男女色んな人たちの悲鳴が、被さっていた。見ると建物の柱や戸板に何本もの矢が突き立っている。ボロ布に油をかけた火種を巻いた火矢だ。それが木材を焦がして、ぶすぶすと、生臭い黒煙を上げていた。
「大丈夫っ?―――みんな落ち着いてー!」
真菜瀬さんはあわてずに、取り乱す女の人たちを取りまとめる。炎を消すように指示しながら、大釜に焚いたお湯を引きだして庭先に据えさせた。
「えっ、お湯で水を消すの?」
水じゃないのか?
「あっ、これはそのまま―――」
手を出しかけた絢奈を、真菜瀬さんは制する。
その瞬間、次の矢がうなりを上げて飛んできた。
放物線を描いた矢は、不気味な羽音を立てあらゆる場所に突き刺さった。鋭く重い鉄の塊を先端につけたそれが雨のように降ってくるのは驚くほどの迫力だ―――トーン、と空の桶の底を思いっきり叩くような籠った音を立てて矢が柱に刺さると、建物全体が、傾くかと思うくらい、強く揺らいだ。
「絢奈ちゃん、マコトくん、生きてる?」
僕たちは、辛うじて肯いた。絢奈もびっくりしたのか、ちょっと表情が強張っている。
「まずは、こんな風に―――塀の向こうから矢を射かけてきたり、石を投げてきたりしてくるんだ。どんなものでも当たったら命に関わるから、気をつけてね。いいかな?」
言うと絢奈の手に、真菜瀬さんは、何かを手渡した。これは―――柄杓?
「で、次。矢種が尽きたら、向こうは塀に梯子をかけて登ってくるから。今度は沸かしたお湯をこれに汲んで―――」
相手にぶっかける―――なるほど、単純だけど、効果的だ。どんな頑丈な鎧を着ていても熱湯をぶっかけられたら、ひとたまりもない。
「絢奈―――出来そうか?」
「うん、大丈夫―――」
おずおずと絢奈は肯いた。
「だって、殺されるかも知れないんでしょ。―――もしそうじゃなくても、絢奈みたいに、捕まったらどっかに売られちゃうんだから」
やるしかないよ。絢奈は自分に言い聞かせるように言うと、柄杓を握りしめた。
「さ、じゃあ、行こうか。男の人たちは、虎っちに任せたから後は頼むね。マコトくんは虎ちゃんの指示を聞くこと。よろしく!」
「え―――」
真菜瀬さんは絢奈を連れて、腕まくりした女たちと去って行った。
後には僕と、虎千代が残される。
正直言うと、あんまり二人きりにはなりたくないのだ。僕のせいで虎っちの呼び名が定着したお陰か、こころなしか、彼女はやたら僕に厳しいのだ。
「お前、弓は出来るか?」
僕は、強く首を振った―――出来るわけがない。
ふん、と、虎千代は僕を睨みつけて、綺麗な眉をひそめた。
「なにをみておる?」
「いえ―――」
僕は顔をそむけた。
「太刀は? 組討ちは? 馬には乗れるか?」
無理です。僕が首を振るたび虎千代は詰まらなそうに、鼻を鳴らした。
「情けなし―――それでもおのこかっ」
そんなこと言われても。僕はなんの変哲もない平成男子だ。なにしろいくさのない五百年後の世界から、僕は来たのだ。そりゃ体育で剣道くらいはしたかも知れないけど―――そもそもその授業ですら、僕はほとんど出ていなかったのだ。
「まあ、いい。我がそれなりに使うてやろう。とにかく、ついてこい」
ぐいっ、と異常に強い力で虎千代は僕の首を掴んだ。
あの、痛いんですけど。
―――なんか嫌な予感がした。
「我ら二手に分かれる。ひと手は裏門を破ってくる敵を迎え撃て。もう一手は表門」
虎千代の命令は、本当に簡潔だった。
「裏手の下知は、新兵衛に従え。―――新兵衛、任せてよいな」
新兵衛さんは、勢いよく肯く。
「さて、表門は我と討って出る」
「待てよ。―――じゃあ、おれらはあんたが率いるのか?」
不満げに漏らしたのは、煉介さんたちの仲間たちだ。
「不服があるか?」
髭面の男が進み出て、虎千代を睨みつける。
「あんたは敵じゃ。煉介お頭の下知と言え、それには従えん。そもそも我らが館を出ていけば、この館はあんたらのものになるではないか」
「そうじゃ」「その手には乗らんぞ」「鵺噛童子め」
当たり前の反応だ。さっきまで虎千代は敵だったのだ。
「それに―――」
煉介さんの作戦では、敵を中へ引きこんで迎え撃つ手はずのはずだ。男はそのことも指摘した。
「今出ては、煉介お頭の策が台無しではないか」
「いくさは生き物。判断はその都度、機に臨んですべきこと。それとも門外に出ると聞いて、臆したのではあるまいな?」
「なんじゃとっ」
虎千代は遊撃の方針を崩す気はないらしい―――でも、もしそれで、敵の侵入を許したらどうする気なんだ?
「されば、持ち場を入れ替えようではないか。するといくさが終わった後、館に残ったお前らは、仲間内でも臆病者と言うことになるが?」
「おのれっ、わしらを愚弄するか」
「我の下知に従う必要はない」
遮るように、虎千代は言った。
「何をするにも早い者勝ちでよい。その代わり、門を開ける機は、我が決める。留まるものは留まれ。討って出る者は出ろ。それだけ守ればよい。難しくはあるまい?」
ここでこう着状態が続いている間も、いくさは続いている。煉介さんたちは外で命を晒しているのだ―――虎千代がそう話すと、男たちもそれでしぶしぶ、承知した。
「良いか。合図したら一斉に開け」
梯子で館の屋根に上り、虎千代は外の様子を確認した。そうしている間にも、その横をどろどろと燃え盛る矢じりが掠めていく。
それにしても、ぐだぐだな作戦だ。討って出るのか、迎え撃つのかも決まってない。こんなことで、本当に門を開けてしまってもいいのだろうか?
「いいぞ。―――ゆけ」
と、虎千代は手を振る。合図で一気に門が開いた。
すると、目の前に現れたのは―――
敵か味方かも分からない、男たちだ。ふいに門が開き、最前にいた男は、あっけにとられたように、口を開いている。その額に―――
風を巻いて、矢が突き立った。
男は―――大きく見開いた眼に涙をためて、口をぱくぱくさせると、震える手で宙を掻きながら倒れこんだ。
「門が開いて、惑うは敵じゃ」
弓を放ったのは、虎千代だ。弦を捨てて太刀を抜くと、雷鳴のような声で叫んだ。
「攻めるは今が機ぞ―――」
あんな小さな身体の癖に―――この騒ぎの中その声は、空を裂くように。
腹の底まで鳴り響く。
「者どもかかれやっ」
するとどんな呼吸なのか。
その合図で電気が走ったかのように男たちは門を奔り出て、一斉に討って出た。
門に群がっていたのは、やはり敵だ。そこにいた寄せ手たちが突然出てきた城方の男たちに完全に虚を突かれて押し返される。勢いと言うものは恐ろしい。門が開く前はたぶん、戦う気のなかった男たちも、武器を振り回して目の前にいる敵を滅茶苦茶に攻撃している。
僕たちの目の前は、人が入り乱れて、たちまち南米の暴動みたいな大騒ぎになった。
「―――ふん」
この大混乱に立ち往生している僕を見ると、虎千代は不敵に笑った。
「ようよう、いくさらしゅうなったわ」
僕は黙っていたが、すでに恐怖感なんかはほとんど麻痺していた。
に、してもだ。
(とんでもない奴だ、こいつ―――)
あれだけ不平不満を言い募っていた足軽たちを、問答無用で突撃させてしまった。そのやり方もすごいけど―――
これだけの大混乱を作り出したのに、平然としている彼女が同じ年齢の女の子とはとても思えなかった。
(本当に何者なんだろう?)
僕の傍らで楽しそうに唇を綻ばせているその姿は、茫然とするくらい美しかった。ぼさっとしている僕の頬をぴしゃっと叩き、虎千代はいきなり屋根から降りると、
「お前にも仕事をやると言ったな。―――こいつを持ってろ」
と、腰に挿した太刀を放り投げる。ずっしりと重いそれを僕はあわてて受け取った。
「そいつをつけるんだ」
次に渡されたのは、腹巻と鉄兜だ。剣道の防具をつける要領で、僕はそれを何とか身につけた。仕事と言ったけど―――一体何をする気なんだろう。そんなことを考えていると虎千代が馬を曳いて、やってきた。
傍らにはなぜか絢奈と、狼の頼光が控えている。
「え―――?」
どう言うことだ?
「背に乗れ」
先に虎千代が乗り、言われるまま僕は、その後ろに乗る―――男と女が逆なのは置いておいて。ちょっと変じゃないか? これからやるのは、もしかして―――ためらっていると、絢奈が僕の手にしこたま武器を握らせてくる。
「お兄い、死なないでね」
変に目をうるうるさせた絢奈は勝手に感動して、僕の手を握ってくる。
死? いったい、なんの話をしてるんだ? 嫌な予感が的中しつつあるのを感じながら、僕は虎千代の背に向かって訊いた。
「あのさ、これから―――どうするつもりなの?」
「我らも討って出るのだ―――手柄は早い者勝ちと言っただろう」
自分も何本も刀を腰に挿した虎千代は平然と言った。
「一人では替え太刀が足りぬ。よろしく頼むぞ」
嘘だろ?
「虎っちが言ってたよ、一騎駆けこそ、いくさの花だって!」
どっかで聞いたことのある台詞だ。
いや、ちょっと待て。まさか、このまま敵陣に―――?
「案内は頼光がする。なに、死のうは一定。死ぬなら一人より二人が良かろう」
「死ぬ気なのかよっ!」
絶叫する僕を尻目に、ははははっ、と豪快に笑う虎千代と絢奈。
いや、そんな場合じゃないだろ。特に絢奈、兄貴が死ぬかも知れないんだぞ。
問い返す間もなく、虎千代が鞭打って馬は飛び出した。
敵陣の真っただ中、門外へ一直線に奔り出す一騎は―――
敵方から見れば、はっきり言って絶好の的だ。
飛び去る風景の中に、矢が乱れ飛び、槍の穂が突き出し命を狙う。
その中を虎千代はノンストップで奔り抜けた。
(死ぬのが、怖くないのか―――?)
虎千代は僕みたいに兜も被らず、鎧も軽そうだ。それでも―――
振り落とされないように必死にしがみつく僕の顔の上で、彼女は一度も、微笑みを絶やさなかった。
風を喰らって、消えさる人並みをかき分け、虎千代は太刀を振るう。そのたびに、叫び声が上がり、熱い血しぶきが飛び散り、身体にかかる。死に物狂いで身を伏せ、僕は堪えるしかなかった。こうやって、いったい何人の間を駆け抜け、どれくらいの人を殺したのか―――顔を上げると、僕たちのすぐ先を頼光の巨大な身体が、灰いろの弾丸になって駆け去っていくのだけが見えた。
すべてはほんの、一瞬だ。
男たちの間を抜け、やがて、新たな人だかりが見える。そこにいるのは―――
煉介さんたちだった。
煉介さんと、凛丸、それに七蔵さんが槍を持った男たちと揉み合っていた。
はっ、とする煉介さんと、目が合ったのはほんの一瞬だ。
その奥に、馬に乗ったひときわ立派な鎧を着た大柄な男がいる。突っ込んでくる僕たちを見て、その男は顔色を変えた―――
僕たちの進路を阻んで、二騎、馬に乗った男たちが割って入ろうとするが―――
虎千代の綱さばきは軽くそれを振り切る。
刀を振り上げて、立ち向かってくる男たちの―――
一方は左へ外し、もう片方には片手殴りに剣を打ちこんで。
投げつけるように斬り捨てたその太刀を放り捨てて、僕らの馬が飛び違ってゆく。
「太刀じゃ」
虎千代の怒号が耳の奥まで響く。
腰に挿したひと際重いその太刀の柄を、僕は虎千代の方へ突き出した。
そうしている間にも、大鎧の男の距離はみるみる縮まっていく。
僕の目には―――
兜を被ったその男の赤らんだ瞳の潤んだ輝きまで、はっきりと見えた気がした。
鞘から太刀を抜き去り振り上げた虎千代と、迎え撃つ男の振り上げた薙刀が真正面からぶつかる。
その一瞬早く―――
飛び込んだ頼光の牙が、馬の首筋に喰い込んだ。
馬を仕留められて男がバランスを崩す。その、ほんの数瞬を捉えて―――
すれ違いざま虎千代が首を斬り払った。
どん、と重たく濡れた音と手ごたえが、虎千代の身体を通して僕の頬に伝わってくる。
兜と胴巻の間、本当に小さな隙間だ。
ほんの刹那、誰もが予想しなかった奇襲―――
頸動脈を切断された男は。
驚くほど鮮やかな鮮血を吹き出して―――馬を巻きこみながら、仰向けに倒れこんだ。
濡れた剣を払い、血ぶるいすると、虎千代はあの、雷鳴のような声で叫んだ。
「敵大将討ちとった―――」
虎千代が言ったようにそれが、本当に敵の大将だったのか。
ただ、彼女にしがみついていた僕には、よく判らなかった。だけど―――
戦場に響き渡ったその声が、そこにいる多くの人たちにとって意味を持ち始めると、明らかにその動きの流れは変わった。
まず屋敷の内外で組討ちをしていた者たちが、足並みを乱して逃げ始めると、それが波が押し寄せるみたいに連鎖していく。あっけないくらいだ。わけのわからないざわめきがあちこちで上がり、まごつく男たちの姿も見える。
「どうなった」「お頭がやられたと―――」「わしらはどうなる?」「なんじゃと」
その喧噪を打ち破って響いたのは、煉介さんの声。
「今、討ちとられたは、まさしく皮首の頭―――」
その声はよく通り、辺りを鎮まりかえらせた。
「これからは敵、残党狩りだ―――みんなついて来い」
呼応したのは、凛丸の声だ。
「今ぞ、者ども一気に打ちかかれっ」
逃げる男たちと、追う男たち―――それからは入り乱れる人波と、重苦しい波に似たどよめきが潮のように退いていくのだけが僕の記憶のすべてだ。虎千代の背中で、僕はその流れの中に置き石になったみたいにそこに留まっていた。
「思った以上に―――やってくれたね」
ふと気づくと、虎千代の足もとに太刀を肩に担いだ煉介さんが歩み寄ってきている。
「当然だ」
憎らしいほど自信満々の虎千代に、さすがの煉介さんも苦笑した。
「マコト、大丈夫だったか?」
虎千代が馬を下りたのに続いて、僕も馬を下りた。筋肉が吊ったかと思うほど腿が強張っているのが自分でも分かる。よっぽど、強く足で馬の背を締めつけていたせいか―――こころなしかガニ股ぎみな感じがする。
男たちの怒号と地響きはまだ収まらない。足元には、虎千代が討った男の遺体が倒れている。煉介さんは視線を少し落とすと、あごをしゃくった。
「首は取らないのかい? これでも大将首だぞ」
「首稼ぐいくさではあるまい。それにもし、そうだとしてかような下賤の足軽首なぞ、我が欲しがると思うてか」
鼻を鳴らして近づいてくる頼光をてなづけながら、虎千代は高飛車に言った。
「で―――いくさは楽しんだかい?」
「いくさが楽しかろうはずがあるまい」
「君は楽しんでいるように見えたけどな」
虎千代は顔を背けると、その問いに答えなかった。
「君が何者かは、俺には、分からない。でも君は、いくさが好きだ―――君のことを知れば知るほど、なんとなくそんな感じがしてね」
「ふん」
「に、しても一見しただけで、よく大将首が分かったもんだ」
「造作もない」
虎千代は足もとを見やると、興無げに言った。
「陣立てや人の流れを見て判らぬようなら、そやつは余程いくさを知らぬ者だ」
と、答えた虎千代に煉介さんは楽しげに笑いかけた。
「その年でよくいくさを知ってるな」
本当だ。こいつ、いったい何者なんだろう。
「小勢のいくさは喧嘩に似たるもの。なにをさておき呼吸が何より肝要よ。これが武門の、多勢のいくさではこうはいかぬわ」
確かに――――煉介さんの言うとおりだ。いくさの話になると、虎千代はこころなしか生き生きしている。戦っている最中もそうだった。今だって、煉介さんの質問に最初はしぶしぶって感じだったけど、結構答えてるし。本当によく分からない性格だ。
煉介さんと虎千代が話していると、男たちを追いたてながら、凛丸が歩いてきた。その姿は苛立って、どこか不機嫌そうだ。凛丸は僕たちの姿を見ると一層、不機嫌そうに駆け寄ってくる。
「あそこで門を開けるなど貴様、ふざけているのかっ」
血で錆びた槍を振ると、虎千代の首にそれを突きつけた。
「手はずは我らが退いてからと言ったはずっ。なぜ、煉介お頭の下知を守れぬ」
虎千代はため息をつくと、小さく首をすくめた。
「言い条があるなら答えろっ、返答次第ではただではすまさぬぞっ」
「凛丸、少し落ちつけ」
「こやつ、何とか言えっ」
「ならば言おう。お前らは寄せ手の中に出過ぎだ。あれ以上、入りこんでいたら、敵に囲まれて戻れぬところであったろう。そうなれば後詰めを出しても、後の祭りぞ」
虎千代は殺気を帯びた凛丸の視線を一度も外さずに、言い返した。
「我が出よ、と下知したのが気に入らねばそれでも良いが、お前も、お頭も、死んでいたな。事前の決まりごとなど、いくさでは、いかようにもうつろうものと心得よ」
「鵺噛童子―――どこの馬の骨とも知らぬ者が何を言うか」
吐き捨てるように凛丸は言ったが、煉介さんの目くばせに気づき槍を収めた。
「くだらぬっ。煉介お頭、私は反対です。この者を一味に入れることも、ソラゴトを加えることも」
煉介さんは、凛丸の言い分については何も答えなかった。―――それはたぶん、自分が一味に虎千代を加えることで被るリスクを自覚していたからだ。そもそも煉介さんの一味は、虎千代を加えなくても、今、十分に成立しているのだ。それが、どうして? 僕ですら疑問に思う。でも―――僕たちがその理由を知るのはもっと後になってからだった。
「凛丸、後は頼んだぞ。追撃した七蔵たちにそろそろ引き返すように伝えてくれ。無茶な追い首稼ぎもほどほどにしないとな」
去り際に凛丸は僕を睨んでいったが、正直言ってここまで僕は何もしてない。
「さて、戻ろう」
と、煉介さんは言った。
「―――マコトもよく役に立ってくれた。初めてのいくさでよく生き残ったよ」
「煉介ぇーっ、みんな無事だったー? こっちはみんな生きてるよーっ!」
真菜瀬さんたちが絢奈を連れて、後片づけをしている。僕と虎千代、それに煉介さんの姿を見つけると、真菜瀬さんがぴょんぴょん飛んで手招きした。
「見てたよ、虎っち、本当すっごい! 虎っち強すぎ!」
嫌がる虎千代に、絢奈が抱きついた。
「―――お兄いもよく生きてたねー! 絶っ対死んでると思ってたっ」
おい、冗談じゃないぞ。
「本当、よく生き残ったね」
真菜瀬さんがそう言って、僕を抱きしめた。
「心配したよ」
その言葉に僕は、思わずはっとした。
本当に無我夢中だったから―――
生き残った、と言う実感は、正直なかったけど―――真菜瀬さんが目に涙を溜めて、しみじみそう言うのを見て、やっとそれが分かった気がした。
幾多の命と、屍をくぐり抜けてきて、今、僕らはいるのだ―――
返り血と泥で汚れた煉介さんや虎千代の鎧姿を見ていると、そのことを考えずにはいられなかった。
「もう朝だな―――」
まぶしい日の出の光に目を細めながら、煉介さんが顔を上げる。
「酒を出してくれ。飲み直しだ―――みんなが戻ってきたら、新しい仲間を紹介しなくちゃいけないしな」
「ふん」
ちょっと強引な煉介さんの言葉に、虎千代は不満そうに顔を背けたが、何か文句を言うわけではなかった。―――て言うか、絢奈に抱きつかれてそれどころではなかったのかも知れないが。
「マコト、これで君たちも俺らの一味だ」
煉介さんは言うと、分厚い籠手で覆われた掌を差し出した。
「―――死ぬなよ」
乾いた血と汗のこびりついた煉介さんの手は、力強かった。僕はそれを一生忘れられそうになかった。
―――どれくらい戦っていたのだろう。いつのまにか夜が明けていた。
(そう言えばまだ二日なんだ)
もう、これでかなり気の遠くなるほどの時間が通り過ぎて行った気がしてるのに。
僕が戦国時代に来てから、まだ二日しか経っていなかった。
それまでの僕は現代の高校生で、朝は電車に乗って、学校へ通っていて―――
そんなことすら忘れそうになるくらい、この二日は濃密過ぎた。
あの朝からすべてがいきなりで、いつもが精一杯だ。
現代に居た時とは考えられないほど、この時代の人は全力だ。
死ぬかと思った。
って、昨日から何度言っただろう?
でもこれが、この時代に生きていた人たちのペースなのだ。僕が生きていた時代と、まったく違い過ぎる、そんな人たちと―――
(このままこうやって―――ここで生きていけるのかな)
漠然とだけど、そんなことをふと考えたりした。
「―――疲れたぁ」
絢奈は呑気そうに、あくびをしている。その妹が僕を横目で見ると、ぽつりと言った。
「ねえ、お兄い。絢奈たち、本当に―――ここでやってけるかな」
僕は答えに淀んでしまった。そう訊かれても答えようがない―――それは、そんな単純な理由より、もっと深い―――別な理由を含んだ問いかけに聞こえたから。もしかするとそれはまさか、僕のせい、なのかも知れないと―――
「分からないよ」
僕は答えた。
「でもさ―――とにかく、生きてみるしかないだろ」
「そうだね―――」
一瞬だけど、兆した不安に気の抜けたような顔を絢奈はした。それを封じ込めた絢奈は再び笑顔を灯して、
「あ、すっごい朝陽きれーっ!」
「あ―――」
本当に絢奈の言うとおりだ。陳腐な表現に聞こえるかも知れないけど―――
ふいに照らされた朝の光の中で、僕は思わず言葉を喪ってしまう。
この何十分か後、僕はうわ、と声を上げたくなるほど、灼けるように真っ赤に融けた戦国の、朝陽の姿を目撃することになる。
天文十五年の朝陽は、まるで―――熟したトマトを煮こぼした強烈な赤だった。